第120話 哀悼

 月が明け、王国暦八十年の四月。法衣貴族たちの尽力もあり、この頃にはそれぞれの方策に関する具体的な計画が概ね定まり、実行段階に移った。

 ここまで来ると、国王であるスレイン自身が動くべき部分はほとんどない。日常的に政務をこなしながら、臣下たちの報告を適宜受け、最高意思決定権者として必要に応じて決定を下すのがスレインの主な務めとなる。

 それ以外には、君主のもう一つの役割――国の象徴としての役割を果たすため、様々な改革の現場を視察することも重要な仕事となる。

 四月の下旬。スレインが視察に訪れたのは、これから成すいくつかの施策の中でも最も重要な街道整備の工事現場だった。


「整備事業はまだ始まったばかりですが、ご覧の通り着実に石畳の街道が作られつつあります。技師や労働者も日に日に作業に慣れつつあり、今後は石材の供給量や労働者の数が増えることで、整備の速度もさらに増していくでしょう」


 王都ユーゼルハイムから南に半日ほど進んだ街道上。工事現場を示しながらスレインに説明するのは、公共事業長官のズビシェク・ヴラニツキー男爵。彼もあくまで実務の最高責任者であり、彼自身がこの工事現場で何か作業をしているわけではないが、国王が視察する今日は自ら随行して案内役を務めている。


「確かに、見たところ順調のようだね。これも技師や人足たちの勤勉な働きと、君の適切な采配のおかげだ。ありがとう」


「恐縮です、陛下」


 丸顔に短く切りそろえた髭をたたえるズビシェクは、主君の称賛に恭しい一礼で応えた。

 スレインは副官パウリーナと護衛のヴィクトルを伴って工事現場に歩み寄り、真新しい石材が敷き詰められた街道を見下ろす。

 地面にしゃがみ込み、手で触れ、硬い石材の手ごたえを感じる。

 今は雇っている肉体労働者の数が少なく、石材の供給量もまだ限定的なために、工事が進んだのはほんの数十メートル。それでも、確かにしっかりとした石畳の街道が整備されていた。


「他の工事現場の街道も、ここと同じように?」


「もちろんです。全ての工事現場で同一の質を保ちながら作業を進めております。私自らが定期的に見回り、確認しております」


「そうか。それなら安心だね」


 石畳は従来の街道上に敷かれる予定であり、複数の作業班が編成され、街道の何か所かに分散して同時並行で工事を進めている。主要街道のあまり長大な距離を連続して通行止めにしないためであったり、街道上の複数の都市や村に作業班の拠点を置くことで柔軟な工事の進行を可能にするためであったりと、その理由はいくつかある。

 ズビシェクの言葉を聞き、スレインは満足げに笑った。新たな国家事業とも言える街道整備、その出だしは上々と言える。

 スレインとズビシェクが話す周りでは、今も土木技師と日雇いの肉体労働者たちが作業を進めている。スレインから普段通りにしていていいと言われたために仕事の手を止めていない彼らだが、工事の最高責任者であるズビシェクと君主であるスレインがいるためか、どことなく緊張した様子で、ちらちらとスレインたちの方に視線を向けている。

 彼らが運んでいるのは、一定の大きさに切り揃えられた石材。良質な石のとれる旧ウォレンハイト公爵領の山岳地帯から供給された石材が石工によって大まかに切断され、土魔法使いによってさらに形を整えられたものが、技師の指示のもとできっちりと敷き詰められていく。


「皆ご苦労さま。この街道が完成した暁には、人や物の行き来が増えて、多くの利益がもたらされる。ハーゼンヴェリア王国はさらに文明的で豊かな国になる。そうなれば、君たちは国を発展させた英雄だ。この国の未来のために働く君たちには、これからも十分な報酬をもって報いよう……引き続き頑張ってほしい。期待しているよ」


 スレインは穏やかな口調を意識して、技師と労働者たちに語りかける。国王から直々に激励を受けた一同は、まんざらでもなさそうな表情で頭を下げた。


「陛下。そろそろお時間の方が」


「……分かった。それじゃあ行こうか」


 時計の魔道具を確認したパウリーナに言われ、スレインは答える。

 今日は街道整備の視察の他に、もう一つ仕事がある。


・・・・・・・


 多くの都市や村は、主要街道の沿道に、あるいは街道から網の目のように延びた細い道で繋がれるように存在している。

 スレインが立ち寄ったのは、視察した街道から細い道へと逸れて、馬車でしばらく進んだ場所にある村。人口百五十人ほどで、国内のどこにでもあるような平凡な農村だった。

 国王の訪問という、この村ではかつてない出来事を前に、村人たちはほとんど総出で馬車を出迎える。馬車は村の広場で停車し、下車したスレインは彼らの一礼に迎えられる。


「出迎えありがとう。皆、顔を上げて」


 国王の許可を受けて村人たちは深々と下げていた顔を上げ、村長を務めているという地主と、村の教会の助祭が緊張した面持ちで進み出てくる。彼らの後ろには、農民の一家が続く。


「国王陛下、ようこそお越しくださいました」


「歓迎に感謝するよ……彼らが、そうなのかな?」


「はい、この者たちが遺族にございます」


 スレインが尋ねると、村長はそう答えながら、後ろに並ぶ農民の一家を手で示した。


「そうか……それじゃあ、行こう。案内を頼むよ」


 スレインは助祭を振り返り、彼の案内で村の教会へ――その裏にある墓地へと足を運ぶ。その後ろにパウリーナとヴィクトルと近衛兵たちが、そして村長と農民の一家が続き、さらに他の村人たちもぞろぞろと付いてくる。


「こちらになります、陛下」


 助祭がそう言って手で示したのは、いくつも並んだ墓の一つ。周囲には木の墓標が並んでいる中で、この墓標は石だった。

 スレインは墓に歩み寄り、墓標を見下ろす。

 立てられてからまだ三年も経っていない墓標。そこに刻まれている名は、グレゴリー。

 ガレド大帝国による侵攻からハーゼンヴェリア王国を守って戦い、戦死した騎士の名だった。


「……」


 傍らから、パウリーナが花を――ハーゼンヴェリア王国の国花であるクロユリを三本、無言で差し出し、スレインはそれを受け取る。

 国花は様々な場面で捧げられる。愛を伝える場面でも。感謝を伝える場面でも。そして、哀悼の意を伝える場面でも。

 大勢が見守る中で、スレインは三本のクロユリを手向ける。服が汚れることを厭わず地面に片膝をつき、その手ずから、墓標の前に花を置く。

 夕陽に照らされた中で、国王自らが墓に花を手向けるその光景を、村長と助祭、村人たちは息を呑んで見守っていた。

 そして農民の一家――グレゴリーの家族は、目に涙を浮かべながら見ていた。

 グレゴリーが戦死した後、彼の出自を、スレインはジークハルトから聞いた。この平凡な村で自作農家の次男として生まれたグレゴリーは、いつまでも親や兄の厄介になることを嫌い、成人と同時に王都に出て、王国軍に入ったのだという。

 最初は文字の読み書きにも苦労していた彼は、恵まれた体格と自らの努力によって騎士資格を得て、中隊長まで昇進した。この村の出身者の中で、最も出世を遂げた軍人となった。一方で彼は、三十を過ぎてから結婚した妻と、まだ幼い一人息子を守る父親でもあった。

 数十年ぶりに起こった大規模な戦争で国を守って死に、村人総出の葬儀には王家からも哀悼の言葉を贈られ、石の墓標を与えられた彼は、今は村の英雄として静かに眠っている。


「……」


 墓標に手を置き、そのまましばらく黙祷した後、スレインは立ち上がる。そして、グレゴリーの家族に歩み寄る。


「墓参りが遅くなってすまなかったね。多忙を言い訳にしたくはないけれど、今までなかなか時間が作れなかった」


「いえ、そんな……国王陛下が、弟の墓に来てくださっただけで、これほど名誉なことは……」


 現在の家長であるというグレゴリーの兄は、そう言って何度も頭を下げる。

 殉職した王国軍人の葬儀に国王が哀悼の言葉を寄せる程度のことは珍しくないが、生前は騎士だったとはいえ一平民の墓を、国王が自ら訪れることなど普通ならまずない。この国で最も多忙な一人である国王が、街道から大きく外れた王領南東部の、辺鄙な場所にある農村に、平民の墓参りのためだけに訪れることなど。

 しかし、スレインはここへ来た。彼に花を手向けるためだけに。日帰りの視察の予定を一泊に変更し、このために時間を作った。


「一度は来るべきだと思っていたんだ。この国を守って戦い抜いた偉大な騎士に、国王として敬意を払い、少しでも報いるためにも」


 スレインはそう言って、今度はグレゴリーの妻だという女性を向く。

 グレゴリーの死後、彼女と幼い息子は、グレゴリーの故郷であるこの村で、こうして彼の兄一家に迎えられて暮らしているという。彼が残した貯金と王家からの見舞金で新たに農地を所有し、穏やかで余裕のある暮らしを送っているとスレインは聞いている。


「……あなたの夫は私の恩人だ。まだ未熟な王太子だった私に、彼はその最期をもって、多くのことを教えてくれた。この国にグレゴリーという英雄がいたことを、彼の偉大な献身への感謝を、私は国王として生涯忘れない」


「っ……っ!」


 スレインが語りかけると、グレゴリーの妻は泣き崩れた。まだ五歳かそこらの、幼過ぎて状況がよく分かっていないであろう息子を抱き締め、声を殺して泣き出した。

 その横で、グレゴリーの兄も静かに涙を流していた。

 村長や助祭、村人たちも、この光景に心を打たれているようだった。すすり泣きの声がいくつも聞こえてくる。

 村人たちが集まっているその端には、吟遊詩人や旅芸人らしき姿も見えた。画家らしき者が、しきりに紙に絵を描いている姿も。

 スレインがこの墓参りを決めたとき、その情報を王家子飼いの芸人や芸術家たちへと事前に流すことを文化芸術長官のエルネスタ・ラント女爵が提案し、スレインは国王として許可した。

 かつて戦死した騎士の墓を国王が訪れ、自ら花を手向けた。遺族に言葉をかけた。その光景は彼らの手によって、多少の脚色をなされた上で伝え広められるのだろう。慈悲深き国王スレイン・ハーゼンヴェリアの新たな美談として。

 それはそれで構わない。振る舞いや行いを世に語られるのも王の務めの一つだ。しかし、スレインは良く語られることを目的としてここへ来たわけではない。

 王は臣下や兵、民を死なせながら大きな決断する。そんな決断を積み重ねて国を治め、歴史を築いていく。あの日、グレゴリーたち戦死者がそれを教えてくれたから、スレインは幾度も苦難を乗り越え、今日まで王として在ることができた。

 だからこそ、スレインは今日、あくまでも自分の意思でグレゴリーの墓を訪問した。変革の時代の中で、今あらためて、あの日の覚悟を思い出すために。


「……ありがとう。安らかに」


 スレインはもう一度グレゴリーの墓を振り返り、最後にそう言った。

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