第118話 会談の終わり
会談が始まって三日目の夜。エウフォリアの商業区にある高級飲食店では、外務長官エレーナ・エステルグレーン伯爵が会食を終えて席を立ったところだった。
「それでは皆様、また近いうちにお会いすることもあるかと思いますが、その際は何卒」
「ええ、こちらこそ」
「本日は有意義な時間を過ごさせてもらいました」
「今後もどうか、よろしくお願いいたします」
エレーナが挨拶を交わすのは、ハーメウ、エラトニア、アルティアの外交官。いずれも長官や大臣など、君主の側近格の者たち。
自分たちの主君の会談がどのような形で終わろうと、エレーナたち外交官は今後、今までよりも密に連絡を取り合い、対話を重ねることになる。せっかく主君に随行してエウフォリアに集っているこの機会を利用し、互いの立ち位置や利益を確認し合っておくのは、欠かせない仕事だった。
表向きはにこやかに話し、握手し、店を出たエレーナは、次の目的地に向かう。オルセン王家の王城の別館には各国外交官のための客室が用意されており、エレーナも一室を貸されているが、まだそこには帰らない。
これから、ヒューブレヒトとランツとルヴォニアとサロワの外交官と共に、酒と軽食を囲む夜会に臨むのだ。
「閣下、これを」
「ありがとう……まったく、帰国したらしばらくは粗食を心がけないといけないわね。太っちゃうし、肌も荒れちゃうわ」
馬車に乗り込むなり、部下から薬の入った小瓶を差し出される。それを受け取って蓋を開けながら、ため息交じりに呟く。
一気にあおって飲み干したのは、胃薬だった。エレーナはその苦みに思わず顔をしかめる。普段の大人びて妖艶な表情が崩れ、淑女らしからぬ顔になるが、いつも外務に同行する気心の知れた部下の前なので今更気にしない。部下も何も言わない。
外交官の戦いは、ときに胃袋との戦いだ。
非公式の会談には食事やお茶や酒が付きものであり、特に今回のように、各国の外交官と顔を合わせられる場では、日に何度も会談に臨むことになる。今日も、朝食会の後に茶会、その後に昼食会、そして午後に茶会を二度挟み、夕食会を経て、夜会に臨む。
朝昼晩の食事は軽めにとり、お茶や酒は一杯をできるだけ時間をかけて飲み、軽食には気持ち程度にしか手をつけないとはいえ、胃は常に満たされっぱなし。他の外交官たちの会話を少し聞き漏らせばそれが致命的な差になり得るので、会談中はそうそう離席もできない。手洗いに立って胃の中のものを吐き出す隙はない。
エレーナは胃が頑強な自負はあるが、それでも辛いものは辛い。一瓶で平民の一週間分の稼ぎが飛ぶ高価な胃薬は、価格に見合った効果があり、こういうときは心強い武器である。
「閣下。よろしければ、夜会の会場まで少し遠回りをして向かいますか?」
「……いえ、大丈夫よ。むしろ、早く片付けて帰りましょう。飲み食いしないでいい時間は、なるべくまとめて確保したいわ」
気遣ってくれる部下にそう答え、エレーナは馬車を出発させる。
外務長官としての戦いは、会談の期間が終わるまで、もう少し続く。
・・・・・・・
「……諸卿、残念ながら時間切れだ」
会談の最終日。もう一時間以上も前に日が暮れた頃。ガブリエラが無念そうに言った。彼女のその表情と声は、四日間の会談においてほとんど進展がなかったことの証左だった。
ガブリエラの宣言を受けて、各国の代表は皆ため息を零す。
オスヴァルドは腕を組んで不機嫌そうに。ステファンは頬杖をつきながら苦笑交じりに。セレスティーヌは扇で顔をあおぎながら少し疲れた顔で。ルドルフは無表情のまま僅かに口を開き。ジュゼッペは額の汗を拭きながら。
ジュゼッペの隣では、よほど気疲れしたらしいファツィオが、こくりこくりと頭を揺らして船をこぎ始めていた。今年九歳の少年には、やはり連日の会談は相当な負担であったらしい。
スレインは、椅子の背にもたれて諦念交じりの表情で嘆息する。
広く豪奢な会議室を、今はただ大きな徒労感が支配していた。
「それで? 次はどうする? 『同盟』に参加したい十国だけで設立するのか? それともまたこうやって各国の代表者で集まるのか?」
「ふっ、私も暇ではないからな。近々集まろうなどと言われても御免被るぞ」
「私も同じく。このような会談、短期間に何度くり返しても進展があるとは思えませんわ。時間の無駄ではなくて?」
ルヴォニア王が疑問を呈すると、ヒューブレヒト王がガブリエラを小馬鹿にするような顔で言った。それに同調し、セレスティーヌもしたり顔で嫌味をくり出す。
「僅か十国で『同盟』を結成することはしない。だが同時に、諸卿がそれぞれ多忙であることも分かっている。近いうちに会談への参加を求めることもない……そうだな、次は一年後としよう。来年の春、再びこのエウフォリアで二十二か国の代表者による会談を行いたい。そこでも進展がないようであれば、止むを得ず少数の国で限定的な枠組みを設立するか、『同盟』という枠組みそのものについて再考しなければなるまい」
この「同盟」は、大陸西部の過半の国が参加してこそ意味がある。対外的に大陸西部の結束を示すためにも。なので、妥協は避けたい。
だからこそ、苦い表情を浮かべながら、ガブリエラは言った。
こうして、第一回目の二十二か国会談は終了した。
・・・・・・・
その日の夜。時間を作り集ってくれた各国の代表者のため、ガブリエラがささやかな夕食会を開き、それも早々にお開きとなった後。
既に真夜中と呼ぶべき時刻に、スレインはガブリエラの執務室に招かれた。
「すまないな、ハーゼンヴェリア王。こんな夜更けまで」
「いえ、私こそすみません。こちらの都合に合わせてもらって」
スレインも国王であり、暇ではない。モニカに平時の執務を任せてあまり国を空けてもいられない。なので、明日の朝には早々に帰路に発つ予定であり、ガブリエラとゆっくり話せるのは今夜が最後だった。
「……さて、猶予は一年だ。それまでにどうするべきか」
温かいハーブ茶の置かれたテーブルを挟み、スレインと顔を突き合わせたガブリエラは、腕を組みながら顔をしかめた。
「最低でも、大陸西部の半数以上の国は『同盟』側に引き込みたいんでしたね?」
「ああ。となると、現実的なのはイグナトフとルヴォニア、バルークルス、キルステン、エラトニア、デラキアあたりか……」
「確かに、そのあたりの国々は十分に説得の余地がありますね。今回の会談は時間が足りずにあまり深い話もできませんでしたが、じっくりと事を進めればいくつかの国の君主は気を変えてくれるでしょう」
相応の努力は要るだろうが。スレインはそう考えながら言い、ハーブ茶に口をつける。すっきりとした味わいのお茶は頭の疲労をとり、思考を研ぎ澄ませてくれるが、スレインの好きないつもの味とは違う。
家に帰って、モニカの淹れてくれたハーブ茶が飲みたい、と思う。
「そうだな。気を変えさせる方法としては……やはり、より明確に『同盟』の展望を示し、参加する利点を具体的に想像させることか」
「それが一番だと思います。短期間の会談では成せない、現実的で効果的な働きかけと言えるでしょうね」
いわゆる「同盟」派と呼べる十か国。その国々が、非常時に備えた軍事的な協力体制を強化するだけでなく、平時から政治的・経済的により深く繋がり合う。今まで以上に結びつきを強める。次回の会談まで一年という猶予期間でそこまでを成すのは難しいので、今後そうした流れが生まれるような展望を示す。
特に「同盟」の提唱国であり、非常時は最大の戦力提供者となるであろうオルセン王国と、対帝国の最前線になる可能性が最も高いハーゼンヴェリア王国は、率先して密に結びつく。
そうすることで、「同盟」に参加することは単に相互防衛の誓いを交わすのではなく、将来的に多様なメリットを持つのだと諸国に示し、さらに多くの国が「同盟」を選ぶよう促す。
それが現状、最も有効で、おそらくは唯一の方法だろうと二人は話し合った。
その後もしばらく、もう少し具体的な案も出し合いながら、スレインとガブリエラは語らう。そしてふと時計を見ると、既に日付も変わっていた。
「……さすがに疲れたな。今回はこれくらいにしておくか」
「ええ。より詳細な話は、互いの外交官を介して詰めていきましょう」
スレインはそう答え、深く嘆息する。同じタイミングでガブリエラもため息を吐き、二人は顔を見合わせて苦笑した。
「それでは、ハーゼンヴェリア王。今回はご苦労だった」
「はい、お互いに。色々とありがとうございました」
ガブリエラと握手を交わし、スレインは退室した。
四日に及ぶ会談は成功とは言えない結果に終わり、これからまだまだやるべきことがあるが、少なくともそれらの仕事は、帰還してから進めること。
国に帰れる。スレインはそれが嬉しかった。
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