第117話 二十二か国会談⑤

 その後、会談は大いに難航した。

 オルセン王国を中心とした「同盟」派は、盟主となるガブリエラや、ガレド大帝国との戦いを実際に経験したスレインが中心となり、「同盟」の必要性を真摯に説いた。大陸西部の結束を内外に示すためには、できる限り多くの国が参加した状態で「同盟」を発足させる必要があった。

 しかし、「同盟」に乗り気でない国々の反応は淡白なままだった。

 南東地域の国々は今のところ話にならないとして、「同盟」派が説得を試みるのは、自分たちがこの「同盟」に参加する必要性を疑問視するキルステンとデラキアとエラトニア。そして、「同盟」の有効性そのものを疑問視するイグナトフとルヴォニアとバルークルス、ヒューブレヒト。独自の考えを持つランツにも、将来的な「同盟」参加の可能性を求めて対話に臨む。

 しかし、いずれの国の代表者も、スレインたちの説得にあまり心を動かされた様子はない。

 このうちイグナトフ国王オスヴァルドの姿勢は、彼の頑固さ故のものだとスレインには分かる。

 彼はもともと、自分が信用すると決めた者以外は決して信用しない性格。その数少ない一覧の中に自分の名が入っていることはスレインとしては光栄だが、今ここでどんな利を説こうと、居並ぶ諸国の代表者たちをオスヴァルドが信用しないであろう以上は、彼に首を縦に振らせることは難しい。それが分かっているので、スレインも今は彼にあまり固執しない。

 それ以外の各国の代表者たちは、そもそも帝国に対する危機意識が、スレインたちとは段違いに薄いようだった。

 それは帝国との距離の遠さか。あるいは、直に帝国と戦ったハーゼンヴェリアやイグナトフ、大国であるが故に情報収集能力にも長けたオルセン王国などよりも、先の対帝国戦争の実情を詳しく掴んでいないためか。

 彼らもさすがに、帝国と接するハーゼンヴェリア王国が再び独力で侵攻を退けられると考えているわけではないだろう。しかしおそらく、いざ再び戦争が起こったら、そのときに動き出せば間に合うと考えている節がある。ハーゼンヴェリア王国が持ち応えている間に、周辺諸国はゆっくり準備を進めればいいと。

 スレインとしては、それでは見通しが甘いと言わざるを得ない。

 スレインは二度、帝国の侵攻を退けたが、それはいずれも寡兵で奇策を用いての勝利。成功したからよかったが、そう何度も成功し続けられるものでもない。次は失敗するかもしれない。

 確かに、ザウアーラント要塞を手に入れた今は、それ以前と比べれば遥かに容易に国境防衛を成せるようになった。しかし、それだけで永遠の安寧を得られたという保証はない。ザウアーラント要塞は難攻ではあるが不落ではないと証明したのは他ならぬスレイン自身だ。

 次に帝国との戦争が起こったとき、かの超大国がどのような手で、どれほどの戦力で攻めてくるかなど分からない。大陸西部の各国が平時から連携をとり、非常時にできるだけ迅速に動けるよう備える枠組みは必要だ。少なくともスレインはそれが欲しい。他国にとっても有意義なものだと信じている。

 しかしやはり、議論は堂々巡りをくり返す。複数の者が好き勝手に互いの事情を主張して収集がつかなくなり、休憩を挟んで落ち着いたかと思えば、皆が様子見に走り過ぎて、表面的で何の進展にもならない会話が展開される。

 また、立場もあって会談の進行を務めるガブリエラが、あまり上手く立ち回れていないことも堂々巡りの一因だった。

 ガブリエラが懸命に頑張っているのはスレインにも分かるが、彼女はあまり器用な質ではない。少なくとも、権謀術数を巡らせて諸国の代表者を手玉に取るような気質の為政者ではない。

 そもそも、大陸西部の全ての国から代表者を集め、全ての国が関わるかもしれない枠組みを一から作る会談など、二十二か国が誕生してからの歴史上、誰も取り仕切ったことはない。スレインとて同じ立場に立たされたら、彼女より上手く立ち回れる自信はない。

 とはいえ、適切に場を取り仕切る者がいないのでは、議論はなおさらまとまらず、進展しない。

 不毛な会談は、今日で既に三日目。この日もそろそろ夕刻が近づいている。


「いや、だからこそ、緊急時の出兵の規模は各国の人口比に合わせるべきだと……」


「それでは非効率だと何度も言っているではないですか! 帝国との国境から遥か遠い我が国が兵を五百送るのと、帝国に近い貴国が兵を三百送るのでは、費用も手間も違い過ぎると! これが公平な負担と言えるのですか!? そんな負担を強いる枠組みに参加しろと!?」


 額に汗を流しながら語るジュゼッペに、エラトニア女王が怒鳴る。

 大陸西部の中でも西側にある国々は、仮に「同盟」に参加するとしても、いざ帝国との戦争が起こったときに兵力を大移動させるのは非効率なので、金銭や物資の援助のみに留めたいと主張。

 それに対して大陸西部の東側にある国の一部が、自分たちだけが国民に流血を強いるのは不公平なので、西側の国々も人口に応じて平等に兵を出せ、と主張したために、このような言い争いに発展している。


「……もう止めましょう。今ここで、こんな具体的で細かいことを話し合っても意義は薄いのではないですか?」


 スレインが仲裁のつもりで口を挟むと、言い争っていた各国の代表者の視線が一斉に向けられる。それに、スレインは少し怯む。


「そもそも、この『同盟』とやらが実現すれば、一番得をするのは貴国だろう。非常時には各国から兵を借りて、総指揮官の立場はそのままに帝国と戦えるのだからな。我々は、貴国のために兵を死なせることを想定して話し合っているのだ。それを止めろとは何事だ?」


「止めろ、キルステン王。この『同盟』は大陸西部の全ての国のための枠組みだ」


 半ば恨み言のように言い放ったキルステン王を、ガブリエラが諫める。


「私はただ、我が国の臣下と民を、そして愛する妻や息子を守りたいだけです。それはあなた方も同じはずでしょう。庇護下の者を守り抜くことを、損得で考えるのはいかがなものかと」


 少しむきになりながら、スレインは言い返す。すると、キルステン王は大仰に息を吐いた。


「貴殿は二言目には『妻と息子』だな……家を継がせる子については分かるが、元が男爵令嬢風情の妻がそんなに大事か」


 その言葉を聞いた瞬間、スレインの目が据わる。

 それに気づかず、キルステン王は話し続ける。


「王族にとって結婚は、高貴な血を次代へと繋ぐ仕事のうちであろうに。恋愛遊びの延長で家格の低い令嬢を伴侶に迎え、公の場で妻が妻がと連呼するとは。まったく、平民上がりの神経というのは理解に――」


「……黙れ!」


 スレインは激情し、円卓に力いっぱい拳を振り下ろしながら、勢いよく立ち上がった。

 椅子がけたたましい音を立てて倒れ、二十二人の代表者の後ろに立つ二十二人の護衛が、咄嗟に身構える。武器こそ抜かないが、事態がさらに急変すればいつでもそれぞれの主君を守れるよう、それぞれの得物に手を触れる。

 スレインから激情を向けられたキルステン王は目を丸くして驚きを示し、ガブリエラや、大抵のことでは動じないオスヴァルド、この場においても飄々としていたステファン、今まで表情をほとんど変えていないルドルフ、尊大な笑みを保ち続けていたセレスティーヌ、その他全ての国の代表者が呆気にとられていた。


「私を馬鹿にするのは構わない。私が数年前まで一介の平民だったのは事実だ。だが今、お前は私の妻を侮辱したな!?」


「お、おい、ハーゼンヴェリア王……」


「妻への侮辱は許さない! 謝罪しろ! 今ここで謝罪しろっっ! 謝罪しなければ、お前をこの手で――」


「止めろ! ハーゼンヴェリア王!」


 円卓の上に身を乗り上げるようにして怒鳴り散らしていたスレインは、真横まで駆け寄ってきたガブリエラに肩を引っ張られ、ようやく我に返る。

 隣を向くと、驚愕と困惑がない交ぜになった表情の彼女が、スレインを見ていた。


「……落ち着け。言い過ぎだ。貴殿らしくないぞ」


 スレインは荒い呼吸をしながら、瞳孔の開いた目で円卓を見回す。自分がどのように見られているかをそこで察する。


「キルステン王。徒に他国の王族を侮辱するような言動は慎んでくれ。ここは各国の代表者が、理性ある会談を行うべき場だ」


「あ、ああ……」


 ガブリエラの注意にぎこちなく頷くキルステン王を、スレインは向く。少し身体を強張らせる彼に対し、深く頭を下げる。


「申し訳ない、キルステン王。つい頭に血が上り、乱暴な言動をしてしまいました」


「……いや、私も悪かった。非礼で幼稚な言動をした。心から侘びよう」


 キルステン王は血筋の格を重んじる質ではあるが、浅慮で下品な人物というわけではない。スレインも、挙げてきた戦功とは裏腹に一個人としては、理知的で物腰やわらかな気質の人間として通ってきた。

 今回はただ、不毛な議論を三日間も続けているために、お互いストレスが溜まり、冷静さを欠いていただけ。そう結論付け、謝罪を交わし、それで事を収める。スレインもキルステン王も、ここでこれ以上口喧嘩を続けて互いの評判を落とすつもりはなかった。


「皆、疲れているようだな。少し早いが、今日の会談はこれで終了としよう」


 ガブリエラのその宣言で会談は終わり、各国の代表者は供を連れて退室する。スレインも、パウリーナとヴィクトルを連れて客室に引き上げる。

 そして部屋に入るなり、テーブルに突っ伏して深いため息を吐き出した。


「しくじったぁ……」


 そう呟きながら、両手で髪をぐしゃぐしゃとかく。

 おそらく最低限のダメージで済んだとはいえ、これは言い訳のしようもない失敗だった。モニカのことを揶揄されてついカッとなった。

 ガブリエラが止めに入り、頭を冷やさせてくれたからよかったものの、あれ以上攻撃的な言葉を怒鳴っていたら、あわや昨年のヴォルフガングの二の舞だった。

 しばらく顔を伏せていたスレインは、やがて顔を上げ、パウリーナとヴィクトルを見る。


「ごめん。僕はハーゼンヴェリア王国を代表する立場なのに、あんな浅慮な言動を……」


「いえ、陛下」


「我々への謝罪など不要です」


 謝るスレインに、二人は揃って首を横に振る。

 そして、何故か微笑を浮かべる。


「むしろ、王妃殿下に対する陛下の御愛情を感じる一幕でした」


「同感です。ご伴侶への愛情深い一面を垣間見せるのは、政治的な観点から考えても、必ずしも悪いことではないのでは? 陛下のこれまでのご功績や、世に語られるお人柄とも合致して見られるものかと存じます」


「……そうか。そう考えたら、まあ……」


 意外にも今回のスレインの振る舞いに好感を抱いた様子の二人を前に、スレインは首を傾げながらも安堵した。

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