第115話 二十二か国会談③

 先んじて、リベレーツ王国の女王、セレスティーヌ・リベレーツが言い放った。

 あなた方と違って。それは自分たち南東地域を持ち上げると同時に、他の国々――特に帝国との戦争を経験したハーゼンヴェリア王国を貶す物言いだった。

 反応を伺うように皆から視線を向けられたスレインは、しかし怒ることもなく、涼しい表情で口を開く。


「続きを聞かせてもらいましょう」


「あら、ありがとうございます……では言わせていただきますわ。私たち南東地域の国々は、帝国と経済的・文化的・政治的に安定した結びつきを持ってきました。フェアラー王国の東で国境を接しながら、平和を保ってきました。もちろん違う国、違う文化圏である以上は考え方が食い違うこともありますが、決定的に対立することなどありません。それはこれからも変わりません。ですから、『同盟』などという枠組みは不要です。むしろ有害でさえあります。このような枠組みに参加したら、他の国々が帝国とのお付き合いに失敗なさったとき、私たちまで争いに巻き込まれるかもしれないのですから……もちろん、私たちのように上手に立ち回ることのできないあなた方が、そのような枠組みを作ってご勝手になさるのは構いませんが」


 小馬鹿にされた各国の代表者の中には、露骨に不快感を顔に出す者もいた。スレインは涼しい表情を堅持しながら、内心では呆れを覚えた。

 南東地域の国々が帝国と上手く付き合っていることは間違いないが、あちらはハーゼンヴェリア王国をはじめとした北東地域とは事情が異なる。

 その最大の要因は、南東地域の東端、フェアラー王国が国境を接する帝国貴族領、ゼイルストラ侯爵領にある。人口およそ四十万と中堅国家並みの規模を要するこの貴族領は、実際におよそ百年と少し前までは一つの独立した王国だった。

 帝国西部では最も遅く併合されたゼイルストラ侯爵領では、今でも「自分たちは帝国人である前にゼイルストラ人である」という意識を持つ者も多く、他でもない侯爵家の人間たちも、今は大人しくしているが本心では再独立を望んでいると言われている。

 ガレド皇帝家もそれは承知しており、しかし現在の戦地である帝国東部や北部から遠い侯爵領に本格的な独立戦争などを起こされてはたまらない。双方の思惑がつり合った結果、侯爵家は領境付近の小都市や村、領から独立した小貴族領などでガス抜きじみた反乱が起こることを黙認し、それを皇帝家が適宜鎮圧する……というかたちで現状維持を成している。

 ちなみに、数年前までこの小規模反乱の鎮圧を担い、それによって第三皇子フロレンツとの伝手を築いたのが、スレインの最初の敵である傭兵伯爵ことモルガン・デュボワ伯爵だった。

 ゼイルストラ侯爵領は帝国領ではあるが、皇帝家の力が大きく及んでいるとは言い難い。とはいえ現在は独立戦争を起こせるほどの力はないので、帝国の南西端で大陸西部諸国と穏便な関係を築きがら、十年単位で力を蓄えることに努めている。

 この事情があるからこそ、リベレーツやフェアラーなど南東地域の国々は、帝国と国境を接しながらも皇帝家の圧力を感じることなく歴史を重ねてきた。

 なので、ガレド皇帝家の直轄領と直接隣り合うハーゼンヴェリア王国とはわけが違う。スレインとしては、これだけ生き残る難易度が違う状況で、同列に語られてこちらの世渡りが下手であるかのごとく言われてはたまらない。


「……随分と自信に満ちた言い草だな」


「全くだ。セレスティーヌ嬢の口から聞くと、南東地域の国々は我らの国と比べてよほど素晴らしい社会を築いているように思えてくる」


 キルステンの王の皮肉めいた呟きに、それ以上の皮肉を込めてオスヴァルドが同意を示す。セレスティーヌを「嬢」呼ばわりしたのは、彼女が弱冠二十一歳の若き女王だからか。


「あら、それもあながち間違いでもありませんことよ? 我がリベレーツ王国は、もちろんフェアラーやレフトラやハーメウも、特にこの十年ほどは日に日に社会を洗練させ、政治的にも文化的にも先進的な国へと作り変えてきましたから。あなた方とは違っていてよ? ……それとイグナトフ王。二度と私を『嬢』などと呼ばないでくださいませ」


 社会を洗練させ、先進的な国へと作り変えてきた。セレスティーヌのその発言を受けて、会議室には冷えた空気が漂う。

 各国の代表者たちが示したのは、好き放題に言いやがってという静かな怒り。あるいは、またそれかと言いたげな冷笑や苦笑。そして、勘弁してくれと言わんばかりのため息。

 その中でスレインは、ため息を吐く面々に加わる。

 元々、大陸西部の南東地域の国々は、他の国々と比べて非常に保守的な価値観を持っていた。

 大陸西部におけるエインシオン教会――いわゆる西方派――は相当に世俗化が進んでいる一方で、大陸中部のガレド大帝国では、保守的な教えを説く普遍派が一般的となっている。帝国も昔と比べれば教会の影響力は落ちているが、それでも大陸西部よりは硬派な信仰を今なお保っており、東部や北部での戦争も「異教徒を改宗させ、救う」ことを大義名分としている。

 そんな帝国の中でもゼイルストラ侯爵領は群を抜いて保守的なきらいがあり、教会の力も強く、そのことが長らく帝国の支配下に収まろうとしなかった理由のひとつにもなっている。

 大陸西部でヴァロメア皇国が崩壊した後、動乱の時代からゼイルストラ侯爵領との交流を増やしてきた南東地域の四か国は、信仰の面でも侯爵領の影響を受けた。大陸西部の中では異色とも言える、普遍派が主流の地域として百年の歴史を重ねてきた。

 社会における男女の役割の固定。それに伴う男女それぞれの就業の制限や、家父長制の厳守。同性愛の禁止。社会の秩序を乱す娯楽や芸術――赤裸々な性描写のある物語本や裸婦画など――の禁止。それらの厳格な教えは、柔軟性に欠く息苦しい社会を南東地域に作り上げてきた。一方で、奴隷制や奴隷のような扱いを完全に禁止するなど、普遍派の良い面も社会に表れているが。

 この極めて保守的な風潮を変え始めたのが、セレスティーヌの父である先代リベレーツ王。彼は普遍派の良き面は堅持しつつも、多くの自由を制限して社会を凝り固まらせる教義については変えようと試みた。

 文化芸術における開放的な表現の解禁。同性愛者を厳罰に処す慣習法の廃止。そして、女が家長に、軍人に、医者に、学者に、商会や工房の長になれる社会の実現。それらの開明的な試みは、先代リベレーツ王個人の求心力の高さもあって民の支持を集め、さらには貴族など既得権益層の心をも動かし、前進した。

 急な改革を成すための過労もたたったのか、彼が齢六十を前にして急逝すると、遅く生まれた一人娘であるセレスティーヌが王位を継いだ。普遍派が主流のリベレーツ王国において、初の女王の誕生は、強く象徴的な意味を持った。

 そしてセレスティーヌもまた、君主として有能だった。彼女は父の遺志を継ぎ、改革をさらに推し進めてきた。国力的に南東地域ではフェアラーに次ぐ二番手だったリベレーツは、今や一番手となった。その影響力を他の三か国にも及ぼし、南東地域の全体が開明的になりつつある。

 先ほどからセレスティーヌが一人発言しながら、フェアラー、レフトラ、ハーメウの代表者たちが何も口を挟まないことも、今やリベレーツが南東地域で最大の存在感を持つ証左だ。

 セレスティーヌは歴史に名を残す偉大な女王である。それは間違いない。問題は、彼女がこの成果を誇るあまり、他国の王に対して不必要なまでに尊大な態度を取っていることだった。

 他の国々としては、当然これは面白くない。

 そもそも西方派を信仰する国々では、昔から大らかな文化芸術が栄え、同性愛も禁忌とはされていない。女性が君主や貴族家当主になることも珍しくなかった。武門の貴族家などで、軍人となることを望まない長女が自らの意思で家督を放棄する例はあったが、基本的には男女問わず最初に生まれた子が家督を継いできた。

 職業についても同じ。医者や学者は、ごく普通に男女が概ね半数ずつ存在する。女性の軍人も、そもそも志願者の数が少ないが、性別を理由に門戸を開かれないということはない。

 それが西方派の国々の社会だった。そこへ後から追いついてきた南東地域に、「お前たちは遅れている。先進的な私たちを見習え」と言われて不愉快でないはずがない。

 なのでセレスティーヌは、その才覚や成果に見合う敬意を受けることは叶わず、こうして怒りや冷笑、呆れをもって見られている。

 無論、スレインもハーゼンヴェリア王として、セレスティーヌに反発を覚える立場にいる。ただし、「嬢」という呼び方に反発する最後の一言については、彼女よりさらに若いスレインとしては同感だった。相手の若さを見て小馬鹿にするきらいがあるのはオスヴァルドの欠点だ。


「……リベレーツ王国及び南東地域諸国の意見は理解した。説明に感謝する」


 ガブリエラがそう言った。露骨な反応こそ見せていないが、おそらくは彼女もまたスレインと同じように呆れを覚えているのだろう。特に反論することも諫めることもしなかったのは、セレスティーヌたちにこれ以上喋る時間を与えないためか。

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