第113話 二十二か国会談①
冬が過ぎ、ハーゼンヴェリア王国は王国暦八十年の春を迎えた。
三月の上旬。愛する妻モニカと、日に日に成長していく息子ミカエルを居城に残し、スレインはオルセン王国の王都エウフォリアを訪れていた。
訪問の目的はひとつ。ガブリエラ・オルセン女王が提唱した、サレスタキア大陸西部の各国による相互防衛を定める「同盟」。その実現に向けた話し合いだ。
「まあ、初日の今日は各国の立ち位置の確認くらいで終わるだろうし……気楽に行こうか」
「はっ」
「かしこまりました、陛下」
オルセン王家の王城。会議室へと続く廊下を歩きながら、スレインは半ば自分にも言い聞かせるつもりで言った。それに、護衛を務める近衛兵団長ヴィクトル・ベーレンドルフ子爵と、副官であるパウリーナ・ブロムダールが答える。
ガブリエラの招待に応じ、今回の会談には大陸西部の二十二か国全てから代表者が集うことが叶った。大陸西部の未来を左右する枠組みについて、意見を交わし合う土台は用意できた。
とはいえ、これほどの大事に関する話し合いが一日や二日で終わるとはスレインも、おそらく他の王たちも考えてはいない。
昨年の動乱の熱が冷めやらぬうちに「同盟」設立に向けた動きを進めるべきとガブリエラが判断したために、今回はこの会談に先駆けて各国の外交官が実務的な調整を行うこともできていなかった。そのため、会談がどのように進行するかは未知数と言える。
各国の王、あるいは王から全権を預かる名代たちも暇ではない。会談の期限は四日間。その僅かな日数でどれだけ議論を進められるか。
大陸西部に小国が並び立つ時代となってから、このような試みがなされたことはない、だからこそ、期待も不安も未知数だった。
スレインが会議室の入り口にたどり着くと、オルセン王家の近衛兵たちが敬礼し、両開きの扉を開けてくれる。
入室すると同時に、スレインは各国の代表者たちの視線を感じた。今は正午過ぎ。現時点で揃っているのは十数人か。
「おーい、ハーゼンヴェリア王。こっちだこっちだ。叔従父である私の隣に座ってくれ」
空気の張りつめた室内に、ステファン・エルトシュタイン国王の場違いに暢気な声が響く。スレインは苦笑を零し、彼が手で示す椅子へと進んだ。
「席次は決まっていないのですか?」
「ああ。誰がどこに座るかをオルセン女王があらかじめ決めてしまったら、意図せぬ誤解を生みかねない。だから各々、早い者勝ちで好きな席に座っていいそうだ。室内に控えているオルセン王家の文官がそう説明してくれた……とは言っても、大陸西部における各国の立ち位置と代表者が座る位置は、概ね連動しているようだがな」
一目で逸品だと分かる豪奢な椅子に腰かけながらスレインが尋ねると、ステファンは円卓を囲む面々を見回しながら答えた。
大陸西部の二十二か国は、隣り合っている国同士が必ずしも仲が良いわけではないが、それでも距離の近さというのは政治的・経済的な結びつきの強さにある程度は比例する。隣国同士で対立することもあれど、地域という単位で見たときは、隣国は他の地域の国々と対等に接するための心強い味方になる……という場面もある。
例えば、リベレーツ、フェアラー、レフトラ、ハーメウの四か国。これらの国々は海沿いの小さな平原でガレド大帝国の南西部を領有する大貴族領と境界を接しており、他の国々とは政治的にやや距離を置いて、大陸西部の南東地域を構成している。
その代表者たちは、会議室の円卓を時計に見立てた場合の四時から五時あたりの席を四人で陣取っている。正確にはレフトラの女王がまだ来ていないが、フェアラーとハーメウの間、レフトラ女王以外の人間が座るのはもはやあり得ない位置に席が空けてある。
同じく円卓を時計に見立てた場合の七時から九時あたりの位置は、ヒューブレヒト、サロワ、キルステン、エラトニア、デラキアといった西端地域の国々の代表者が占める。
十時から十一時の位置には、ヴァイセンベルク、アリュー、ルマノの代表者がいる。不安げな表情でちょこんと椅子に座るファツィオ・ヴァイセンベルク新王を、ジュゼッペとアリュー王が囲んでいる。その二人もどこか居心地が悪そうだった。
「なるほど。それではエルトシュタイン王が私にこの席を進めたのも、空気を読んだ立ち回りというわけですか」
左隣でへらへら笑うステファンと、右隣で黙り込んでいるオスヴァルドを見て、スレインはそう言った。スレインたちは円卓の一時から二時のあたりを占めている。
ハーゼンヴェリアとイグナトフとエルトシュタインは、地理的に分類するならば北東部地域ということになる。この三国の王が並ぶのは自然な流れだ。
円卓の十二時の位置は、この会談を主導するガブリエラのために空けてある。その両隣も空いているのは、オルセン王国と近しいアルティアとエーデルランドの代表者のためか。
地域ごとに国の代表者が固まったその隙間は、バルークルスやルヴォニア、ギュンター、ランツといった、どの地域とも言えない微妙な位置にある国々の代表者が埋めるのだろう。
「そういうことだ。と言っても、地域ごとに固まって座ったからといって、それが良策とは限らないがな。なあ、イグナトフ王?」
「……ああそうだ。だから貴殿も、ハーゼンヴェリア王も、今日はあまり私に話しかけるな」
ステファンに声をかけられたオスヴァルドが、苦虫を噛み潰したような顔で言う。
オスヴァルドは元々、「同盟」にも「連合」にも否定的な見方を示していた。なので今回においては、スレインやステファンとは意見を異にする立場。昨年に部隊を持ち寄り、外征軍を結成して共闘したときとは状況が違う。
「あはは、心得ておきましょう……さて、どのように事が運ぶでしょうかね」
背もたれにゆったりと身を預け、スレインは会談の開始を待つ。
間もなく、残る各国代表者たちも入室し、席が埋まっていく。
そして最後に登場したのは、この会談の主催者であり、「同盟」が実現したらその名目上の盟主となる予定のガブリエラだった。
「諸卿、待たせてすまなかった」
円卓につく代表者たちを見回し、一言そう言って、ガブリエラは着席する。円卓のちょうど十二時の位置、最後の空席に。
「それでは……早速始めよう。大陸西部二十二国による『同盟』、その実現に向けた最初の会談を」
その呼びかけで、二十二人の代表者たちは軽く姿勢を正した。ある者は澄ました顔で、ある者は無表情で、ある者は意欲的な表情で、またある者は面倒がるような顔で。
「具体的な話に入る前に、まずは貴殿らに紹介したい人物がいる。大陸西部の全ての国の代表者が集まるこの機に、是非一言、挨拶をしたいという人物が」
ガブリエラはそう言い、自身の後方、会議室の入り口を振り返る。そこに立っている文官に手振りで合図を送る。
各国の代表者たちが程度の差はあれど疑問を顔に浮かべる中で、スレインだけは不思議がることなく、逆に微笑を浮かべる。
扉が開かれ、中に入ってきたのは――少女だった。非常に高貴な人物だと誰もが分かる身なりをして、補佐役らしき壮年の男を伴った、齢十ほどの少女だった。
ガブリエラが立ち上がり、スレインもそれに倣い、少女が誰か未だ分かっていない皆も、空気を読んで起立する。
見るからに緊張した様子の少女は、ガブリエラに促されて彼女の横に進み出ると、一同に視線を巡らせて口を開いた。
「お、お初にお目にかかる方も多いかと存じます……ガレド大帝国第三皇女、ローザリンデ・アーレルスマイアー・ガレドと申します」
そう言って軽く膝を折り、一礼する少女に、一同が示す反応は様々だった。小さく片眉を上げる者もいれば、露骨に目を見開く者もいれば、少女から視線を逸らしてスレインを睨む勘の鋭いものもいた。
「ほ、本日は、我が父であるアウグスト・ガレド皇帝陛下の名代として、大陸西部諸国の代表である皆様に、ご挨拶にまいりました。皇帝陛下は、大陸西部諸国と、現在の関係を保つことを望んでおられます。陛下は大陸西部の平穏が保たれることを願っておられます」
懸命に憶えたのであろう口上を述べるローザリンデ。その姿を後ろから、おそらく内心で心配を
抱えて見守る補佐役がジルヴェスターという名であることを、スレインは知っている。
「皆様のこの会談が、大陸西部と帝国の末永い友好に繋がる有意義なものとなることを、皇帝陛下に代わってお祈りいたします……それでは、短いものではありますが、以上をもって皇帝陛下の名代である私からの挨拶とさせていただきます」
無事に話し終えたローザリンデは、可愛らしくはあるが威厳には欠ける一礼を見せる。
「ローザリンデ皇女。大陸西部の一国を治める身として、貴殿の挨拶に感謝する」
ガブリエラの言葉を皮切りに、この状況に驚いていた各国の代表者たちも、口々に挨拶や礼を返す。それに紛れて、スレインも当たり障りのない返答をする。
表向きは穏やかな反応が一斉に返ってきたことに安堵の表情を見せたローザリンデは、各国の代表者の応答がひと段落したところでガブリエラに促され、早々に退室していった。
彼女に続いて去るその際に、ジルヴェスターがスレインに視線を向ける。スレインはそれに、口の端を僅かに上げるごく小さな微笑で応えた。
再び扉は閉じられ、一同は着席する。
「さて、それでは本題だが――」
「待たれよ。その前に尋ねたいことがある」
ガブリエラが会談を進めようとしたところ、それを遮って発言する者がいた。
さすがにと言うべきか、ガレド大帝国の皇族であるローザリンデの登場が、このまま何事もなく流されることはなかった。
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