第111話 帰還
「こ、こんな……いや、会談の前に予想していたことではあるが、本当にこんな……これではヴァイセンベルク王家との血縁関係など、どれほどの意味が……」
会談を終えた夜。終戦と講和締結を祝う、諸王によるささやかな宴の場。
祝いの場にふさわしくない困り顔で、手に持ったワインにろくに口もつけず狼狽えているのはジュゼッペだった。
「まあまあ、いいではありませんか、ルマノ王」
「き、貴殿がそんなことを言うのか……」
スレインが微苦笑しながら慰めると、ジュゼッペは唖然としながら返してきた。
彼の気持ちはスレインにも理解できる。勝ち目の極めて薄いヴァイセンベルク王国を上手く見切り、勝ち馬に乗った上に次期ヴァイセンベルク王の祖父という立場まで得たかと思えば、肝心のヴァイセンベルク王国は大幅に弱体化。領土は削られ、莫大な負債を抱え、強国の面影は全くと言っていいほど残っていない。
そんな国を抱えた王家の親戚になどなっても、利点は皆無。むしろ借金だらけの娘と孫を、まさか見捨てるわけにもいかないので必死に支える立場となった。面倒極まりないことだろう。これでは話が違うと、スレインに文句を言いたいのは無理もないことだ。
しかし、それでも。
「あなたのヴァイセンベルク王家への債務は無事帳消しになったのですし、賠償金や領土も得られたではありませんか。ヴァイセンベルク王国の負債も、別にファツィオ殿の祖父であるあなたが直接負う借金ではありません。次期ヴァイセンベルク王の後ろ盾として甘い汁をすすることはできないかもしれませんが、逆転勝利を収めた上に多少の利益も得たと考えれば十分では?」
「ハーゼンヴェリア王の言うとおりだ、ルマノ王」
笑顔のスレインと困り顔のジュゼッペの会話に、ガブリエラも加わってくる。
「今回の戦争に関わった諸王の中で、結果的に最も成功したのは貴殿だろう。貴殿は自分の得た幸運に感謝するべきだ。貴殿に幸運を与えたハーゼンヴェリア王にもな」
ガブリエラの言葉は正しかった。本来はアリュー王国のように敗戦国となって少なからぬ責任を負うはずだったルマノ王国は、しかし土壇場で戦勝国となり、資産も領土も失わずに済んだ。ヴァイセンベルク王家に対するルマノ王家の負債は消え、娘と孫に遠慮して少額とはいえ賠償金と、人口が数百人増えるかたちで領土まで手に入れた。
端から見れば、相対的に最も「上手くやった」のはルマノ王国で間違いない。
「……分かった。そう思うことにしよう……はぁ」
しょぼくれた顔で呟いたジュゼッペは、高価で上質なワインを不味そうに啜った。
そんなジュゼッペから苦笑しつつ離れ、スレインとガブリエラは顔を見合わせる。
「色々あったが、これでようやくひと段落か」
「そうですね。ある意味ではこれからが本番ですが、ひとまずは休めます。冬までにこの事態が終結して何よりです」
野望を抱き「連合」を提唱するヴォルフガング・ヴァイセンベルクには勝利した。サレスタキア大陸西部がヴォルフガングの手に落ちる事態は防がれた。
しかし、末永く大陸西部の国々を守る「同盟」の実現に向けた試みはこれからだ。
今回はヴォルフガングに立ち向かう陣営として共闘した王たちも、全員が「同盟」派というわけではない。本心では中立を望む国も多い以上、できるだけ多くの国が参加した上で「同盟」の結成を成し、機能させるのは容易なことではない。
そのための話し合いは、今回の講和に向けた会談のように予定調和ではいかないだろう。本当に大変なのはこれからだ。
とはいえ、その大変な話し合いに臨むのは、冬が明けてからの話。この宴が終われば、スレインたちは兵を連れて一旦国に戻り、春を待つ。冬明けまでの数か月は、「同盟」実現に向けた準備の期間でもあるが、何よりも休息の期間だ。
長かった外征は間もなく終わる。
「貴国の王妃は子を身ごもっているのだったな。早く王妃のもとに帰ってやりたいだろう」
「ええ、本当に。できれば我が子が生まれる瞬間には立ち会いたいですね」
「あの瞬間はいいものだぞ。自分の血を継いだ子の、その顔を初めて見た瞬間……あの感動は何ものにも代え難い。まさに人生が変わる瞬間だ」
女王へと即位する前に結婚し、二人の子を産んだというガブリエラは、しみじみと語った。
「……こんな話をしていたら、我が子たちの顔を見たくなったな。夫の顔も」
「あはは、無理もないでしょう」
強き君主である彼女も、やはり誰かの母で、誰かの妻なのだ。スレインはそう思った。
その後もしばらく宴は続き、スレインはオスヴァルドやステファン、その他の諸王と言葉を交わす。軍事的にも政治的にもひとまずの決着がついたことで、どの王も緊張は解いており、たわいない内容の和やかな歓談がくり広げられる。
そして最後に、スレインは次期ヴァイセンベルク王となるファツィオに歩み寄る。
「とても疲れたでしょう、第二王子ファツィオ殿」
「は、ハーゼンヴェリア国王陛下……いえ、そんなことはないです」
彼の母である第二王妃ブルニルダが警戒の表情を見せる前で、ファツィオは緊張した面持ちで答えた。
「いいんですよ、今は疲れたと言って。私だって疲れているんですから」
スレインが表情をほころばせながら、少しおどけたように言う。
「あなたはこれから、色々と大変な思いをすることでしょう。私が言えた義理ではないかもしれませんが……頑張ってください。身体に気をつけて、無理はせず、周囲を頼りなさい。あなたの母君でも、祖父のルマノ王でも、臣下たちでも、それこそ私でも構いません。私が何か個人的にできることがあれば、喜んで手助けしましょう」
スレインの言葉に、ファツィオは意外そうな顔を見せた。
彼の後ろに立つ母親も、同じだった。
「今回、私はあなたの父君の敵でした。しかし、一度敵になった者同士が永遠に敵であり続ける必要はありません。歴史を振り返れば、昨日の敵が今日の友になることは決して珍しくありません……だからこそ、私は叶うものならば、ヴァイセンベルク王国ともう一度良き関係を築いていきたいと思っています。私にも立場があるので、いつでも甘い顔をできるわけではありませんが、かといってあなたを虐めたいと思っているわけでは決してありません。一度は対立したとしても、私たちは同じ大陸西部に生きる同胞です。少なくとも私はそう思っています……だから、頑張って」
にこりとファツィオに笑いかけ、スレインは彼のもとを離れた。
これは布石だった。
政治的な重要度が低かったために、父親であるヴォルフガングとはあまり親しくなかったというファツィオ。ヴォルフガングを死に追いやった自分でも、ファツィオとならば穏当な関係を築き、延いては今後のヴァイセンベルク王国と穏当な関係を築くことも決して難しくはない。
そのためには、今から小さな布石を打つべきである。そう考えてスレインは言葉をかけた。
そして、そこにはほんの少し、個人的な情もあった。いきなり次期国王という立場に放り込まれて、途方に暮れた過去を持っているからこそ。
間もなく宴は終わり、スレインは従者のパウリーナと護衛のヴィクトルを伴って広間を出る。
自室として借りている王城の客室に戻りながら、廊下の窓から夜空を見上げる。
「……やっと帰れる」
同じ夜空の下にいるであろうモニカを想いながら、スレインは呟いた。
・・・・・・・
十一月の中旬。ハーゼンヴェリア王国外征軍のうち、王家の率いる五百の部隊は、無事に王都ユーゼルハイムへと到着した。
戦勝の報は既に王都へと届けられている。スレインたちは民の盛大な歓迎を受けながら堂々の凱旋を果たし、徴集兵は解散。臣下と王国軍兵士たちを率い、スレインは王城に入る。
勝利を得て帰還した王を、皆が出迎える。法衣貴族たち。近衛兵たち。使用人たち。
そして、王妃。スレインの愛する妻モニカは、スレインとの子の宿る大きな腹を抱えながら、母であるアドラスヘルム男爵夫人に手を取られて支えられながら、城館の前でスレインを待ってくれていた。
愛馬フリージアから降りたスレインは、出迎えの者たちに礼をされながら、モニカに歩み寄る。
「……ご無事でのご帰還、心よりお慶び申し上げます。スレイン・ハーゼンヴェリア国王陛下」
一礼し、公人として言ったモニカに、スレインも国王らしい表情を向ける。
「ありがとう。出迎えご苦労だった」
そう答え、スレインはモニカに歩み寄る。彼女の手を取り、顔を寄せ、頬に軽く口づけをする。
そこで、二人はまた言葉を交わす。お互いにだけ聞こえるように。
「……おかえりなさい、スレイン様」
「ただいま、モニカ。会いたかった」
戦いは終わり、王は城へ帰還した。スレインはモニカのもとへ帰り着いた。
そして、冬が来る。我が子をこの世界に迎える冬が。
★★★★★★★
ここまでが第三章となります。お読みいただきありがとうございます。
嬉しいお知らせです。
本作『ルチルクォーツの戴冠』、書籍化が決定いたしました。
これも偏に、皆様よりたくさんの応援をいただいたからこそです。本当にありがとうございます。
発売時期やレーベルなどの詳細については、情報解禁まで今しばらくお待ちいただけますと幸いです。
もしよろしければ、作品フォローや星の評価をいただけると大きなモチベーションになります。
引き続き、スレインたちの物語をどうぞよろしくお願いいたします。
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