第109話 共犯者
ヴォルフガングとモーリッツの死亡を確認したオルセン王国による追撃部隊は、ひとまず追撃戦を終え、ゴルトシュタットにてスレイン率いる外征軍と合流を果たした。
侵攻軍と、その大将であるヴォルフガング・ヴァイセンベルク国王、さらにシュタウディンガー公爵をはじめとした重臣の多くを失ったヴァイセンベルク王国は、もはや脅威ではなかった。戦争の完全終結に向けたスレインたちの以降の仕事は、主に政治的な調整となった。
戦闘終了からおよそ二週間。スレインとガブリエラは、王城の一室――スレインが引き続き自身の執務室として借りている部屋で顔を合わせ、現状についての話し合いに臨む。
「生き残っているヴァイセンベルク王国の法衣貴族たちは、唯一存命の直系王族であるファツィオ第二王子が王位を継ぐことに賛同するそうです……暫定で法衣貴族の筆頭になっている財務大臣をはじめ、ヴァイセンベルク王とモーリッツ王太子の死を知っても、あまり悲しんでいるようには見えませんでしたね。それよりも自分たちの爵位や財産、役職の保障を気にしていました」
主にゴルトシュタット内での政治的な後処理を担当するスレインは、そう現状を語った。
「そうか。やはり所詮は、今までのヴァイセンベルク王家のためには死ねなかった者たちというところだな……だが、我々としては幸いだ。以降のヴァイセンベルク王国の統治については、彼らに任せれば問題ないだろう」
「ええ。彼らは王家への忠誠心はともかく、官僚としては必要十分な能力があるでしょうから」
スレインたちが今後のヴァイセンベルク王家と法衣貴族たちに求めるのは、現状維持のための無難な国家運営。それを考えると、亡き主君の弔い合戦などを企むことなく、お飾りの王を戴きながらヴァイセンベルク王国社会の維持に努めてくれそうな法衣貴族ばかりが生き残ったというのは、極めて好都合だった。
「それで、この国の領主貴族たちの方はどうですか?」
「そちらに関しても問題ない。むしろ、奴らは法衣貴族の生き残りたち以上の腑抜けだ……あれはもはや、領主貴族というよりもただの地主だな。領地を少し増やしてやると言っただけで、尻尾を振って擦り寄ってきたぞ」
中央集権を進めたヴァイセンベルク王国において、領主貴族の力は極めて弱い。かつては王国各地に広大な領地を持っていた彼らは、しかしこの数十年で領地と自治権を大きく奪われ、今ではごく小規模な領地とそれを警備する僅かな私兵、そして過去の栄華の名残りである爵位と家名のみを後生大事に抱えた存在となっている。
彼らの領地と特権を取り上げたヴァイセンベルク王家は絶対的な強権を得たが、代わりに彼らの忠誠のほとんどを失った。彼らは王家に従う気はあるが、王家への思い入れはない。
そんな領主貴族たちは、現在の領地の数割に匹敵する土地を新たに王領から切り取っていいとガブリエラが伝えると、全面的にファツィオの即位を支持したという。
「それはよかった。では、地方においてもファツィオ殿の即位の正当性が認められますね」
ため息交じりのガブリエラの報告に、スレインは微笑を浮かべながら答えた。
今や地方の名士程度の存在になった、ヴァイセンベルク王国の名ばかり領主貴族たち。しかし彼らは、地方においては未だに、やはり名士程度の影響力・発言力を持っている。その彼らが新しい王を受け入れると言えば、頭数では多数派となる地方農民たちも追従する。
一人の王が強権を握る国は、その王と跡を継ぐ王太子が消えれば脆い。絶対王政に近い政体の脆弱さが、ヴァイセンベルク王国にとっては最悪のかたちで、その他の諸王にとっては最良のかたちで表面化していた。
「この国の貴族たちと話がついたとなれば……後はファツィオ殿と、他の王たちも交えて講和を行うだけだな」
「そうですね。それと、レオニーダ第一王妃の幽閉準備くらいでしょうか」
スレインとガブリエラが話していた、そのとき。
執務室の扉が叩かれ、スレインの許可を得てパウリーナが入室してきた。
「お話し合い中に失礼いたします。急ぎご報告すべき事態が発生し、まいりました」
「……聞こうか」
急ぎ報告すべき事態。その言葉にスレインはガブリエラと顔を一度見合わせると、表情を引き締めて言った。
「レオニーダ・ヴァイセンベルク第一王妃殿下が、自室にて自害なされました。空の小瓶を手に倒れられているのを、ヴァイセンベルク王家のメイドが発見したそうです。現場はひとまず、ハーゼンヴェリア王国の近衛兵に保全させております」
それを聞いたガブリエラが息を呑む音が、室内に小さく響く。
一方のスレインは、目を小さく見開いたのみで、声は出さなかった。
すぐに元の表情に戻り、しばし目を瞑り、そして口を開く。
「……そうか。それじゃあ、遺体はすぐにヴァイセンベルク王家側に引き渡すように。ヴァイセンベルク王とモーリッツ殿と共に、ヴァイセンベルク王家が望むかたちで葬儀を執り行えるよう、全面的に協力してあげて」
「かしこまりました。そのように伝えます」
パウリーナは一礼し、退室していった。
室内に残ったスレインとガブリエラの間に、少しの間、沈黙が漂う。
「……夫と息子の後を追ったか。見事な覚悟だ」
「ええ。一国の王族にふさわしい、誇り高き女性ですね」
沈黙を破ったガブリエラの重い呟きに、スレインも同感を示す。
スレインたちは、ヴォルフガングの妻でモーリッツの母であるレオニーダ第一王妃を丁重に扱うつもりだった。オルセン王国内で幽閉することは避けられないが、せめて快適に、穏やかに余生を送ってもらえるよう適切な配慮をするつもりだった。
その施しを拒否し、家族の後を追って神の御許に旅立つことを彼女自身が選んだのであれば、スレインたち他者はその選択を尊重し、彼女が厳かに葬られるよう協力することしかできない。
「これで、よかったのだろうか」
うなだれ気味に手元を見つめながら、ガブリエラは言った。
「大陸西部の末永い安寧のため、『連合』ではなく『同盟』を実現する。野心を隠さないヴァイセンベルク王ではなく、私たちが大陸西部の主導権をひとまず握る。そのためとはいえ、私たちはヴァイセンベルク王を陥れ、追い詰め、その結果として彼は戦争を選んだ。私たちが彼を戦争の道に走らせ、そして死なせた。彼だけでなく、彼の家族も、彼の臣下たちも……こうする以外に、道はなかったのだろうか。ヴァイセンベルク王を含めて誰もが幸福になれる道が」
その言葉を受け止め、スレインも口を開く。
「この世を生きていく上で、おそらく絶対の正解などありません。この世に生きる全ての者を救うことはできません。私たちは考え、様々なものを天秤にかけ、そしてこの道を選びました。その結果であるヴァイセンベルク王たちの犠牲を、今更なかったことにはできません。だからこそ……」
そこで言葉を切り、薄い笑みを浮かべる。
「……この選択を、正しかったことにするのです。これから私たちが自分の国に、そして大陸西部にもたらす未来をもって。ヴァイセンベルク王国との戦いは必要な過程であり、その先にある未来こそが最も多くの者に幸福をもたらす最良の結果だった。そう誰もが思うように、これでよかったのだと誰もが信じるように、歴史書にもそう記され、後世で語られるように、これからも共に頑張りましょう」
ガブリエラはやや呆けたような顔でスレインを見ていた。
そして、少し硬い笑みを浮かべた。その額には汗が一筋流れていた。
「貴殿は強いな。おそらく私よりも。少し恐ろしく思えるほどだ……平民から王になって数年で、どうしてそこまで強くあれる?」
「あはは、単純なことですよ。私は――僕は、我が国の民を心から愛しています。彼らに真の安寧を与えたいと思っています。今、我が国に生きる者たちと、これから生まれる子供たちが、幸福であれるように国を守りたいと思っています。なればこそ、僕は国と民のためにどんな選択もできます。どんな手段も選べます。今回もそうです。この選択に、その結果生まれた犠牲に、僕は微塵の後悔もしていません。最良の選択をしたと心から信じていますし、犠牲を生んだ責任を生涯抱えて生きていく覚悟もできているつもりです」
あくまで表情と声色は穏やかに、微笑をたたえたまま、スレインは今までよりも少しだけ距離を割った口調で語る。そして、ガブリエラに向けて小さく首を傾げる。
「あなたもきっと、そうであるはずでしょう。ガブリエラ・オルセン女王」
問われたガブリエラは、微苦笑し、首肯した。
「……そうだな。弱音を聞かせてしまってすまなかった。私はオルセン王国の女王として、『同盟』の提唱者として、今回払われた犠牲に見合う、いや、それ以上の結果を大陸西部にもたらす。大陸西部の全ての国が、結果的によりよき未来を得られるよう力を尽くす」
ガブリエラはスレインに向けて手を差し出し、力強い目でスレインを見据える。
「そのために、貴殿にはこれからも良き協力者でいてほしい。スレイン・ハーゼンヴェリア王」
「……ええ。もちろんです」
スレインは答え、自身も手を差し出し、ガブリエラと握手を交わした。
協力者か。あるいは共犯者と言うべきか。内心でそんなことを思いながら。
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