第107話 占領下

 ヴァイセンベルク王国の王都ゴルトシュタットは、占領下でも秩序を保っていた。

 それは、スレインが総指揮官として一切の略奪や暴行を禁じたからこそだった。占領直後にこの規則を破ったイグナトフ王国の兵士数人を、スレインはオスヴァルドの承諾を得た上で公開で鞭打ちの刑に処しさえした。

 以降、兵士たちは罰を恐れて規則を守り、財産と身の安全を保障されたゴルトシュタットの住民たちは外征軍の総指揮官をある程度は信用し、異国の王都はスレインたちの行動拠点として機能している。

 攻略戦の際、エルトシュタイン王国の部隊が倉庫制圧の任務を迅速に達成してくれたことで、軍事行動に必要な物資も本国からの補給なしに確保できた。ゴルトシュタットに備蓄され、本来は侵攻軍に送られるはずだった大量の食料は、今は外征軍の腹を満たしている。

 元は一万人を食わせるための物資。その量は膨大だ。王都民の人気取りのため、スレインは食料の一部を彼らに無料で配布したりもした。

 ゴルトシュタット攻略から一週間。現在、外征軍の半数はスレインとステファンの指揮下でこの王都占領の維持に努め、残り半数はオスヴァルドやジークハルトの指揮の下、王都の外で活動している。

 外に出ている半数は、それぞれ数十人から百人ほどの小部隊に分かれ、ヴァイセンベルク王国軍の情報伝達の拠点を潰したり、侵攻軍の退却路となるであろうゴルトシュタットの南側地域を荒らしたりと、忙しく立ち働いている。


「――この地点、ゴルトシュタットから馬で三日の距離にあるオルガ街道上の橋を焼きました。木製の橋で、この橋が架かっていたオルガ川の支流はその気になれば徒歩でも渡れるものですが……それでも、百人単位の人間が渡ろうとすれば、橋があるときと比べて相当な遅延を生むでしょう。新たに簡易の橋を架けるとしても、半日以上は要します。追撃を受けながら退却する侵攻軍にとっては大きな痛手となるはずです」


 ゴルトシュタットに一旦帰還し、スレインに報告しているのはジークハルトだった。

 場所は王城の一室。亡きシュタウディンガー公爵の執務室だったらしい部屋を、今はスレインが総指揮官の執務室として借りている。


「これで、侵攻軍は補給を完全に断たれた状態で、ますます困難な退却戦を強いられることになるでしょう。ゴルトシュタットと侵攻軍を繋ぐ連絡拠点については、イグナトフ国王陛下の部隊が街道上の農村や小都市を回って発見・破壊を進めております。我々の部隊とも連携し、退却してくる侵攻軍やその斥候をいち早く発見するための監視網も構築を進めております」


「……そうか。一週間の成果としては十分以上だね。さすがはジークハルトだ」


「恐縮です、陛下」


 上がっている成果にスレインが満足げな反応を示すと、ジークハルトは短く一礼した。


「イグナトフ王国の部隊の……振る舞いはどうかな?」


「それなりに奔放に振舞っていますが、食料や多少の金銭の略奪程度に留め、民に対する暴行や殺害までは行っていないようです。その点については、陛下の総指揮官としてのご指示を守っておられるようですな」


 それを聞いたスレインは、表情は変えないまま、ごく小さく嘆息する。

 異国とはいえ、徒に民の財産や身体の安全を脅かすことは、スレイン個人としては好ましくないと思っている。自分がかつては民の立場にいたからこそ。

 しかし、戦時においてはどうしても、平時とは違う常識が通る。それなのにスレインが我を通し過ぎ、結果として外征軍の連携にひびを入れたり、戦後に周辺国との関係を悪化させたりすることはできない。

 なのでスレインは、王都の外で他国の兵が多少の略奪をはたらくことを許容している。


「まあ、許したのは僕だから仕方ない。我が国の兵については大丈夫だね?」


「はっ。我々将官や士官が、必ずや兵に秩序を守らせます」


「それならいい。引き続きよろしく頼むよ」


 ハーゼンヴェリア王国の兵たちは略奪すらも禁じられている代わりに、多少の金を渡され、現地民に正当な対価を支払って物やサービスを買うことを許されている。

 これは王であるスレインの自己満足のみを目的としたものではない。交通・交易の要所でもあるハーゼンヴェリア王国の人間は、戦後もヴァイセンベルク王国民とかかわりを持つ機会が多いと予想される。そうした場面で、両国の民が因縁を抱えないようにするための措置でもあった。


「では閣下。我々は引き続き、ゴルトシュタット周辺地域の制圧と警戒、敵の残党の排除に努めてまいります」


 ジークハルトは敬礼し、きびきびとした所作で退室する。

 それから間もなく、入れ替わりで入室してきたのは、筆頭王宮魔導士のブランカだった。


「失礼します、陛下。ついさっきヴェロニカが、オルセン王国の追撃部隊から伝令文を受け取って帰ってきましたよ」


「ご苦労さま。それじゃあ、早速確認しよう」


 ガブリエラの率いる軍勢との連携は、外征軍にとって最重要事項。ブランカに差し出された伝令文を、スレインは直ちに読む。

 さして長くない文章を最後まで読み進め、口の端を小さく上げる。


「オルセン女王たちの方も順調みたいだね。僕たちの勝利はもう揺るがないと思うよ」


 伝令文によると、補給を断たれ、帰る場所を失ったことで希望も断たれ、激しい追撃を受けながら退却を試みた侵攻軍は、今や悲惨なことになっているという。

 秩序だった退却など叶わず、主力の多くを戦闘で失い、徴集兵や傭兵の脱走が相次ぎ、部隊同士がはぐれ、数十からせいぜい数百の集団へと散り散りになって壊走を続けていると。


「はははっ、こいつはいいや。王都を落とされて王様の軍勢はばらばらで、天下のヴァイセンベルク王国がざまぁないですね」


 スレインに伝令文を見せられたブランカは、敗戦必至となったヴァイセンベルク王国を容赦なく笑い飛ばす。


「仕方ないよ。同じ状況に陥ったら、僕でも逆転できる気はしないかな……ともあれ、勝ちがほぼ決まったとなれば、後はどう勝って終われるかだね」


 戦争は武力で勝利して終わりではない。今回の場合は、戦争終結後にヴァイセンベルク王国と各国で講和を結び、戦勝国の権利として皆で賠償金を請求し、ヴァイセンベルク王国の力を徹底的に削ぐ。そして、第二王子ファツィオを象徴的な新王に据える。そこまで達成してこそ、真に勝利したと言える。

 全てを終わらせてハーゼンヴェリア王国へと帰還するには、まだしばらく時間がかかる。


「陛下、そろそろ王妃様が恋しくなってますか?」


 唐突に問われたスレインは、やや呆けた顔になった。


「……顔に出てたかな?」


「いえ。でも、なんとなく分かりましたよ。あたしも陛下と同じで、愛する女をユーゼルハイムに待たせて異国にいる身なんで」


 ブランカはそう言って、ニッと笑った。彼女の大雑把な口調に、スレインの傍らに控える副官パウリーナが眉を小さく潜めたが、苦言までは呈さなかった。


「あはは、お互い辛い思いをしてるね。それじゃあ君を愛する女性のもとに帰すためにも、僕自身が愛する妻のもとに帰るためにも、なるべく早く片をつけないと」


「あたしも頑張りますよ。まあ正確に言うと、頑張るのはあたしじゃなくてアックスやヴェロニカですけど」


 そう言い残し、ブランカは執務室を去っていった。

 それを見送ったスレインは、自分の趣味ではない豪奢な椅子の背にもたれかかり、しばらく黙り込む。


「……ねえ、パウリーナ」


「はい、陛下」


 スレインが呼ぶと、生真面目で有能な副官はすぐに返事をした。


「何か、モニカとの思い出話を聞かせてくれないかな?」


「……思い出話、ですか?」


 奇妙な頼みに、パウリーナは彼女にしては珍しい表情を見せた。


「そう、思い出話……モニカのことが恋しくなってしまったから。何か彼女の話を聞きたいと思って。どんな些細でたわいのない話でもいいからさ」


 微苦笑しながら言ったスレインに、パウリーナはほんの微かに表情を綻ばせ、頷く。


「かしこまりました。それでは、私と王妃殿下が子供の頃――十歳頃のお話を」


 パウリーナの語るモニカとの思い出話――自分の知らないモニカの話を聞きながら、スレインは王城で自分の帰りを待つ彼女を想う。

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