第106話 朗報と凶報
ヴァイセンベルク王国の侵攻軍と会敵してからおよそ一週間。オルセン王国の防衛軍は、未だ野戦陣地を守り抜いていた。
緒戦を勝利で終えた後、侵攻軍と防衛軍はさらに二度、戦った。
二度目の戦いで侵攻軍は全戦力を真正面からぶつけてきたが、防衛軍は堅実に正面を守りつつ、左右の森を守らせていた部隊を敵の側面に回り込ませ、三方から包囲することで打撃を与え、撤退に追い込んだ。
三度目の戦いでは、侵攻軍は緒戦とは逆の策をとった。正面に少数の囮を置き、野戦陣地の左側面に主力の大部隊を差し向けて力づくで森を突破しようとした。
これに対し、防衛軍は敵の意表をつき、将軍であるロアール・ノールヘイム侯爵の率いる騎兵部隊が正面から打って出た。囮に過ぎない正面の小部隊を突破し、侵攻軍の本陣に迫ろうとしたところ、森に回り込んでいた侵攻軍主力は慌てて後退し、本陣を守ろうとした。
無理な後退の際に森の部隊から追い打ちを食らった侵攻軍主力はまたもや手痛い損害を被り、一方で突出したロアールたち騎兵部隊は、野戦陣地の右側の森に回り込み、そちら側を守る部隊の手助けも受けながらゆっくりと本陣に帰還した。
地の利と戦術で敵を上回る防衛軍は死傷者を未だ千以下に抑え、一方で侵攻軍は、戦闘に耐えうる軽傷者も含めると既に三千近い死傷者を出していた。
侵攻軍が攻めあぐね、弓や魔法による小競り合いが起こる以外は大規模な戦闘も起こらず、戦線が膠着していたこの日。ろくに動かない敵を野戦陣地の本陣から見据えていたガブリエラのもとに、ロアールが歩み寄ってくる。
「国王陛下。ハーゼンヴェリア王より、伝令の鷹が送られてきました」
「……そうか」
ガブリエラは短く答え、少しばかり緊張しながら、鷹の運んできた伝令文を受け取る。
その内容に目を通し――口の端を小さく上げた。
「ハーゼンヴェリア王たちがやってくれたぞ。ゴルトシュタットは、彼ら外征軍の手に落ちた」
ガブリエラの周囲にいた側近たちから、喜びの色を含んだざわめきが起こる。
それを聞きながら、ガブリエラは安堵を覚えていた。
今のところ野戦陣地は余裕をもって持ちこたえているが、あと一週間も二週間もここで耐えろと言われたら、少々厳しくなっていただろう。
スレイン・ハーゼンヴェリアは涼しい顔でゴルトシュタットを落とすと豪語していたが、如何にザウアーラント要塞を落とした英雄といえど、あの大都市をそう簡単に落とせるのかとガブリエラは思っていた。スレインに対して、まだそこまでの信頼は寄せていなかった。
しかし、彼は有言実行を成してくれた。王都を落とされたとなっては、敵将ヴォルフガングもこのまま侵攻を続けられるはずがない。
ここからは反撃のときだ。
「ロアール。ヴァイセンベルク王がゴルトシュタット陥落を知るのはいつになると思う?」
「ハーゼンヴェリア王であれば、ゴルトシュタットを出ようとする敵の伝令をわざと逃がしてくれるでしょう。陸路とはいえ、敵も馬や兵士を交換しながら全速力でヴァイセンベルク王に報告を届けると思われるので……こちらより二日、早ければ一日半遅れて、といったところでしょうか」
将軍の考察を聞き、ガブリエラは不敵に笑う。
「そうか。では、敵がゴルトシュタットに逃げ帰ろうとするとき、すぐに追撃に移る用意をしなければな……ミルシュカ」
「はい、陛下」
ガブリエラに名前を呼ばれて進み出たのは、少女のように細く小柄な女性。
この名誉女爵ミルシュカは、十歳で類まれな使役魔法の才に目覚めたことをきっかけに、一介の召使から王宮魔導士へと取り立てられた。使役するのは、ガレド大帝国より輸入されたガレド鷲と呼ばれる巨大な鷲の魔物。自身が偵察や伝令の任務をこなす他、外交のためにガブリエラや外務大臣を同乗させて他国へと急ぎ運ぶこともある。
「お前に新しい任務だ。別動隊に伝えてくれ。侵略者どもは数日中に撤退を始める。追撃戦に備えるようにと」
ガブリエラの擁する戦力は、この野戦陣地を守る兵たちだけではない。
予備戦力として野戦陣地の外に置いている三百の兵士と、そこに合流した友邦――サロワ、アルティア、エーデルランドの三国による援軍、合わせて二千がいる。これら別動隊は、ヴァイセンベルク王国の侵攻軍が野戦陣地を無視して王都エウフォリアへの進軍を図った場合などに、それをガブリエラたちと挟撃するために待機していた。
そして今からは、本国へ逃げようとする侵攻軍を二方向から追撃するための戦力となる。
「御意。直ちに出発いたします」
恭しく一礼しながら、ミルシュカは答える。
「頼んだぞ……ここからは他の軍勢と協力しながらヴァイセンベルク王を追い詰める。お前にはまた忙しく働いてもらうことになるな」
「それが私の務めであり、存在意義であります。陛下」
ミルシュカは王宮魔導士の鑑というべき言葉を残し、相棒であるガレド鷲のもとへと向かう。
・・・・・・・
「ゴルトシュタットが落ちただと!?」
ヴァイセンベルク王国による侵攻軍、その本陣の司令部天幕。
王都ゴルトシュタットから届けられた報せを聞き、ヴォルフガングは叫ぶように言った。
「どうしてだ! 大陸西部でも最大の都市である我が王都が、どうして陥落した! それもこれほど早く、たかだか数千の敵軍に!」
「お、王都を発った伝令によると、ルマノ国王陛下が味方のふりをして王都に入り、直後に裏切って攻撃してきたとのことです」
途中で交代した要員のため直接ゴルトシュタットを見ていない伝令兵は、萎縮しながらも伝聞情報を語る。
「くっ……おのれぇ! あのクソ老いぼれがぁ!」
我慢の限界に達したヴォルフガングは、怒声を上げながら拳を振り抜く。
八つ当たりの対象になったのは伝令兵だった。不運な若い兵士は、まさか国王に反撃するわけにもいかず、顔を殴られて地面に転がった。
将の一人からもう下がれと手振りで合図された伝令兵が逃げるように退場し、王とその側近だけが残った司令部で、ヴォルフガングはしばらく喚き散らす。
机を殴り、椅子を蹴り壊し、戦場の地形などを簡単に描写した地図を破り捨ててその上に置かれた駒を投げ捨て、そしてようやく落ち着く。まだ壊れていない椅子にどかりと座ったヴォルフガングを、将たちが囲む。
「……陛下。次はいかがいたしましょう」
伯爵位を持つ、良くも悪くも極めて忠実な将軍から問われ、ヴォルフガングは顔をしかめる。
どうする、と問われても、ヴォルフガングに選択肢などない。
数日前に王都を取られたとなれば、今頃は国内各地を蹂躙され、この戦場への補給路も押さえられているだろう。未だ一万近い軍勢を、現地での食料調達のみで食わせ続けるなど不可能だ。補給をはじめとした後方支援が失われた今、これ以上の侵攻などできるわけがない。
おまけに、ゴルトシュタット陥落の話はすぐに兵士たちの間にも広まる。そうなれば士気と秩序を保つことなど不可能だ。王都出身の兵士たちはもちろん、それ以外の地域から来た兵士たちも故郷の状況を心配し、すぐに脱走兵が続出するだろう。
ヴォルフガングは将たちを見回す。退却を進言する貧乏くじを引きたくないために、ヴォルフガングの口からそれを言わせようとしている将たちを。
「ち、父上……」
「……一時退却する」
情けない顔をしている嫡男モーリッツを見てため息を一つ吐き、ヴォルフガングは言った。
「退却し、王都ゴルトシュタットを奪還する。その後、態勢を立て直して再侵攻だ」
果たしてそんなことができるのか。この時点で、自分たちはもはや終わりではないか。
そんな疑問を自身でも抱きながら、それでもまだ望みがあるかのような言葉を、大将として語るしかなかった。
「……それと、さっきの伝令兵に伝えろ。殴って悪かったと。侘びにこれを渡せ」
金貨を一枚、机の上に投げ捨てるように置くと、ヴォルフガングは司令部を後にした。今は一人になりたかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます