第105話 占領と後片付け

 陥落したヴァイセンベルク王国王都ゴルトシュタットに、スレインは外征軍の残り半数と共に堂々の入場を遂げた。

 ヴィクトルやパウリーナを伴い、護衛の近衛兵に囲まれ、同じく供と護衛を連れたステファンと一緒に東門を潜る。それを、オスヴァルドとジークハルトが出迎える。イグナトフ王国とエルトシュタイン王国の将軍は、都市内で指揮をとっているのでこの場には不在だった。


「イグナトフ王。無事で何よりです」


「さすがは武人として名高いだけあるなぁ。平然としておられる」


「当然だ。このような一方的な戦で、かすり傷すら負うものか」


 これしきのことで無事を喜ばれるのは心外だと言わんばかりの声色で、オスヴァルドは答える。


「ジークハルトも、ご苦労だったね」


「恐縮です、陛下」


 薄く笑みを浮かべて言った主君に、ジークハルトは頷いた。

 そのまま王城へと馬を進めながら、スレインたちは報告を受ける。


「貴族街の各屋敷にいたのは、侯爵から男爵まで二十人程度だ。まだ夜更けだったこともあり、法衣貴族の大半が自宅にいたということだろう。そのうち外務大臣をはじめ何人かは、殺されるまで抵抗するか、こちらの兵が発見したときには一族揃って自害していた」


「それは……何とも、大した度胸と言いますか」


「そうだな。敵ながら、ヴァイセンベルク王とこの国への忠節が厚い、気合いの入った貴族だったと言えるだろう。財務大臣をはじめ残りの連中は、大人しく降伏した。今はそれぞれの屋敷に軟禁してある」


 オスヴァルドの話を聞いたスレインは、内心で都合がいいと考える。

 ヴァイセンベルク王家への忠節厚い法衣貴族たちは誇りある死を選び、残った者たちは少なくとも、今の主君のために死ぬほどの忠誠心はない。であれば、そうした者たちは戦後、新たなヴァイセンベルク王を補佐させる人材としては丁度いい。


「王城には、最重要の保護対象である第二王妃ブルニルダ殿下と第二王子ファツィオ殿下、そして第一王妃レオニーダ殿下、さらに王国宰相シュタウディンガー公爵がおり、いずれも保護あるいは拘束しました。ルマノ国王陛下は、ヴァインライヒ卿の監視のもとで御息女と御孫に付き添われております。シュタウディンガー公爵については、おそらく夜更けの非常事態を受けて急きょ登城していたのでしょう。ヴァイセンベルク王国の貴族らしい尊大な態度を見せておりますが、今のところは無抵抗です」


 続くジークハルトの報告を受け、スレインはしばし思案し、口を開く。


「……それじゃあ、まずはシュタウディンガー公爵に会おう。彼との話を片づけておいた方が、第二王妃たちと会うにしても都合がいい」


「御意。では、王城にて謁見の準備をさせておきましょう」


 ジークハルトは答え、随行する王国軍騎士の一人に伝令を命じ、王城へと走らせた。


「……ゴルトシュタットの民は、静かなものだね」


「はっ。兵士たちには略奪や暴行を硬く禁じておりますので、王都民たちも大人しくしており、秩序は保たれております」


 スレインは通りに並ぶ数々の店や家屋、そしてこちらの様子を窺っている王都民を眺める。

 民の中には不安げな表情の者や警戒している様子の者もいるが、外征軍が乱暴狼藉をはたらいているわけでもないので、露骨に敵対的な視線を向けてくる者はいない。

 自分たち下々の民には無関係の争いだと決め込んでいるのか、堂々と通りに出てきて外国の軍隊をもの珍しそうに見物している者や、なかには店を開けて兵士相手に商売をしようとしている商魂たくましい者までいた。


「ならいい。引き続き秩序を維持させてほしい……イグナトフ王も、エルトシュタイン王も、ひとまずこの王都内では兵士たちに文明的なふるまいをさせるようお願いします」


「分かっている。だが、王都の外では兵士たちにある程度好きにさせるぞ」


「私も、王都の外に関してはそうさせるだろうなぁ。でなければ兵士たちに不満が溜まり過ぎる」


「ええ、それはどうぞ自由に」


 戦争には略奪や暴行がつきもの。そうした常識や、戦場に身を置いた人間の欲求は、平和な時代が何十年か続いたところで変わりはしない。稀にだが、各国の国境で小競り合いが発生した際にはそうした行為が行われることもあった。

 スレイン自身は文明的な人間でありたいと思っており、臣下や兵士たちにも後の褒賞を約束する代わりに文明的な振る舞いをするよう命じているが、イグナトフ王国やエルトシュタイン王国の軍勢については、オスヴァルドやステファンの判断の下で略奪程度なら許すことにしている。

 しかし、このゴルトシュタットにおいては総指揮官の権限で略奪すらも禁じた。外征軍の頭数はゴルトシュタットの現人口の数分の一。王都民の反感を買って、反乱などを起こされてはたまらない。少なくとも王都民には、外征軍が秩序ある滞在者であると示さなければならない。


「それじゃあハーゼンヴェリア王。私はうちの部隊のところへ顔を出してくるよ。臣下と兵士に労いの言葉をかけてやらなければ」


「私も、一度貴族街へ戻り、我が部隊の様子を見て来よう」


「分かりました。では後ほど、王城で」


 二人の王と一旦別れたスレインは、王城に入る。

 まず向かったのは謁見の間。本来はヴォルフガング・ヴァイセンベルク国王が臣下と顔を合わせるための儀礼の場で、スレインは最奥に立つ。さすがに他人の玉座に座りはしない。


「シュタウディンガー公爵をここに」


 ジークハルトとヴィクトルを左右に、パウリーナを数歩後ろに控えさせてスレインが命じると、数人の近衛兵に囲まれた初老の男が連行されてきた。


「失礼ははたらいていないね?」


「無論です、陛下」


 スレインが尋ねると、ジークハルトは首肯した。

 シュタウディンガー公爵は周囲を近衛兵に囲まれてこそいるが、縄や猿轡など拘束具の類はつけられていない。暴行された形跡も、もちろんない。

 スレインから数メートルの距離で立ち止まったシュタウディンガー公爵は、スレインを睨みつけてくる。当然というべきか、その目には激しい怒りの色が浮かんでいる。


「おはようございます、宰相殿。勝手ながらヴァイセンベルク王家の謁見の間を借りています」


 スレインは涼しい表情で、まずはそう言葉をかけた。

 決して公爵の感情を逆なでする意図はなかったが、公爵はスレインの態度が気に障ったのか、その目に浮かぶ怒りの色が増す。


「……おのれ、卑劣な謀略家めが。外道の侵略者どもめが。恥を知れ」


 低く唸るように吐き出された罵りの、最初の方はスレイン個人に向けたもの、二つ目はこの場にいる全員に向けたもののようだった。

 スレインは表情を変えず、仕方ない、と内心で思う。

 スレインとヴォルフガングの関係、ハーゼンヴェリア王国とヴァイセンベルク王国の関係に限って言えば、こちらが陥れた側で、あちらが陥れられた側。シュタウディンガー公爵にとって、主君を罠に嵌めたスレインはさぞ憎い敵だろう。

 しかし、それはあくまでもヴァイセンベルク王国の理屈だ。

 スレインはハーゼンヴェリア王国の王であり、ハーゼンヴェリア王国の利益のみを考える。考えた結果、ヴォルフガングや彼の提唱する「連合」を大きな不安要素と見なした。手段を択ばずその力を削ぐと決め、実行に移した。それだけだ。

 ヴォルフガングは日頃から尊大に振る舞い、野心を隠そうともせずに「連合」などというものを提唱して露骨な勢力拡大を図った。そのために武力さえちらつかせ、周辺国を追い詰めた。

そうするのはヴォルフガングの勝手だが、そうした結果として反感を買い、結託され、逆に追い詰められたとしてもそれは自己責任だろう。

 負けた方が悪い。究極的には、人の世はそういうものだ。


「既に分かっているとは思いますが、ゴルトシュタットは我々外征軍が占領しました。この戦争が終結し、正式な講和がなされるまでは、我々はここへ駐留させてもらいます。ヴァイセンベルク王国貴族の諸卿については、少々窮屈な思いをさせることになりますが、各自の自宅で軟禁というかたちをとらせてもらいたい。既に私の臣下たちから伝えられているとは思いますが、卿らの身の安全は総指揮官である私が保障します」


「……」


「それと、現在この王城にいるヴァイセンベルク王家の皆さんの無事も保障します。彼らには当面監視はつきますが、今までと変わらずこの国の王族として暮らしてもらいます。私たち外征軍は王城に司令部を置きますが、彼らの生活空間には基本的に立ち入りません。安心してください」


「……」


「宰相殿より、何か要望は? できる限り応えますが」 


「……」


 スレインが何を言っても、シュタウディンガー公爵は無言を貫く。


「……分かりました。では、自宅にて休んでください。何か聞くべきことがあれば呼びます」


 シュタウディンガー公爵を下がらせるよう、スレインは近衛兵たちに命じる。

 次の瞬間。


「……っ!」


 公爵は急に動いた。自身を囲む兵士の間を抜け、スレインに躍りかかろうとした。

 拘束されていないとはいえ、公爵が武器を持っていないことは事前に確認されている。しかし公爵は、その老体ひとつで、その両腕のみを武器にして迫ろうとする。

 小柄で痩せたスレインならば、首をへし折れると考えたのか。あるいはスレインが筋骨隆々の巨漢だったとしても、一か八か同じことをしたのかもしれない。

 公爵の試みは――当然ながら、スレインに手が届く遥か手前で阻まれる。そもそも自身を囲んでいた近衛兵の間を抜けることさえ叶わず、両肩を掴まれ、膝裏を蹴られてその場に膝をつき、四方から押さえつけられて拘束される。

 いくら宰相で公爵とはいえ、こうして露骨に攻撃的な行動をとられたら、外征軍としてもさすがに多少乱暴に扱うしかない。

 さらに、ヴィクトルがスレインを庇うように立ちはだかり、剣を抜いて構える。


「……宰相殿。そういうことをされては――」


「殺せ!」


 スレインの言葉を遮り、シュタウディンガー公爵は叫んだ。


「儂は国王陛下の御留守を守れず、王都を敵の手に落とすという失態を犯した! 儂の失態のせいで、陛下の覇道は道半ばで途絶えることになるだろう! それなのに、儂は貴様に一矢報いることさえ叶わなかった! この上で捕らえられ、生き恥を晒すことなど到底できぬ! 殺せ! 今ここで殺せ! 殺せえええっ!」


 謁見の間に、公爵の絶叫が轟く。

 スレインの判断を仰ぐように、ヴィクトルが振り返ってくる。


「……仕方ない」


 シュタウディンガー公爵はそもそも大人しく軟禁される気などなく、一旦は捕らえられたのも、こうして一か八か敵将を害するためだったのだろう。

 スレインとしては、高貴な人間である彼を丁重に扱うつもりだったが、本人がこう言うのであれば止むを得ない。こちらの今後の都合を考えても、ヴォルフガングへの忠誠厚く経験も豊富な老貴族は、自ら消えてくれるというなら消えてほしい存在だ。

 スレインが手ぶりで合図すると、ヴィクトルは頷き、剣先を公爵に向けた。

 そして、公爵の胸のほぼ真ん中、心臓を正確に突いた。徒に苦しませないよう、即死させるための一撃だった。

 膝をつき、スレインを睨みつけたまま、シュタウディンガー公爵は死んだ。


「……覇王の側近らしいというか、見事な最期だね」


 他人事のようにスレインは呟く。

 公爵は「陛下の覇道」と言った。その言葉こそが、ヴォルフガングが力をもって大陸西部を支配することを目指していたという証左だ。語るに落ちたというべきか。

 自分の決断は正しかった。であれば、最後までこの決断を貫かなければならない。ハーゼンヴェリア王国のため、臣下や民のため、そしてこれから生まれてくる自分とモニカの子のために。

 戦いはまだ終わっていない。

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