第102話 ゴルトシュタット攻略③

 ハーゼンヴェリア王国の突入部隊およそ四百。そのうち騎兵は三十騎ほどで、残りは歩兵。

 五列縦隊を組んだ歩兵の集団の中に、新兵ルーカスもいた。


「……」


 革製の胴鎧と籠手を身につけ、鉄製の兜を頭に被り、市街戦や屋内戦を想定して剣を装備。前後左右は同じ小隊の兵士たちに囲まれて、前進の命令を待つ。

 見えるのは、自分より前に並ぶ仲間たちの肩や背中。隊列の只中にいるせいであまり良くない視界を、極度の緊張がさらに狭める。

 戦いとは、もっと伸び伸びとしていて、華々しいものだと思っていた。しかし、その視点は軍勢同士がぶつかり合う様を、想像の中で神の視点から俯瞰するときのこと。

 自分がぶつかり合う兵士の一人になると、視界はこんなものだ。進軍は仲間の背中を見ながら行い、そして戦闘は、見通しの悪い都市内や屋内で敵と出くわすと不意に始まるのだろう。

 初陣が薄明るい早朝の市街戦や敵の城内での屋内戦というのはおそらく珍しい例だが、戦場を選ぶことができないのもまた兵士の運命。

 何もかも不自由だ。何とも歯がゆい。

 そして何より、怖い。


「おいおいルーカス。何て顔してるんだ」


 隣に立っている古参兵が、ルーカスの肩をぽんぽんと叩いて笑いながら言った。


「大丈夫だ。都市内に残ってる敵の正規軍人の数はたかが知れてる。都市民どもも、徴集された後ならともかく、寝起きを襲撃されたら個別に抵抗しようなんて考えないさ。大した抵抗も受けずに、俺たちは王城まで一直線だ。お前は俺にぴったりくっついてりゃあいい。今日は活躍しようなんて考えなくていいから、戦場の空気を肌で感じて学べ」


「……はい」


 自身のお目付け役である古参兵の言葉に、ルーカスは硬い笑みを浮かべながら答えた。


「――よって、これは正義を成すための戦いである。神に勝利を約束された戦いである。諸君は神に見守られている。神は我らと共にある。ハーゼンヴェリア王国の未来を守るためにこそ、偉大なる我らの王は――」


 アルトゥール司教がこの戦いの正当性を祈りに乗せて説きながら、聖具を掲げながら、ルーカスたちの横を通り過ぎていく。

 戦争には聖職者も従軍すると、ルーカスは知識としては知っていた。いざ自分が兵士の立場になるとその理由がよく分かる。

 神に仕える者が、それもハーゼンヴェリア王国の教会の最上位者が、戦場にまで随行して祈りの言葉を語り、神の加護を授けてくれる。

 たとえこれが単なるまじないのようなものだとしても、ありがたい。自分の生死がかかった戦いの直前。これ以上に、神頼みをしたくなる状況など存在しないのだから。


「総員、用意!」


 そのとき。王国軍将軍ジークハルト・フォーゲル伯爵の命令が響いた。

 隣にいる古参兵を横目で見ると、彼は既に顔の笑みを消し去っていた。ルーカスもそれに倣い、前を向いて表情を精一杯引き締める。

 ツノヒグマにまたがった筆頭王宮魔導士の名誉女爵が、歩兵部隊の横に集結している騎兵部隊へと合流するのが、並ぶ仲間たちの向こうに見えた。

 突入の第一陣であるイグナトフ王国の部隊は、既に全員が出発している。

 いよいよ、ときが来る。


「進めぇー!」


 フォーゲル伯爵が声を張り、同時に馬を進める。それにトバイアス・アガロフ伯爵をはじめとしたハーゼンヴェリア王国の騎士たちが続く。

 騎兵部隊の最後、ツノヒグマにまたがった筆頭王宮魔導士が進み出して間もなく、歩兵部隊も動き出した。先頭から八番目に並ぶルーカスは、中隊の仲間たちと共に小走りで前進を開始する。


「はっ、はっ、はっ」


 緊張を完全に取り払うことはできず、いつもより荒い息をしながら、ルーカスは仲間たちの背中を見て進む。制圧すべきゴルトシュタットの、高く聳え立つ城壁がどんどん近づいてくる。

 城壁の天辺は視界の上に過ぎ去り、目の前を仲間の背中と石造りの壁、そして大きく頑丈な城門が埋め尽くす。

 厚みのある城壁を潜り抜けると――再び視界が開けた。城壁に囲まれた都市が、そこに広がっていた。

 しかし、すぐに接敵するわけではない。城門の内側は、都市内へ迎え入れられた後に牙を剥いてヴァイセンベルク王国軍を襲ったルマノ王国の軍勢によって制圧、確保されている。


「停止! 一旦停止しろ!」


 命令を受け、他の兵士たちと共に足を止めたルーカスは、きょろきょろと周囲を見回す。

 隊列の外、並ぶ仲間たちの向こうには、城門制圧のための戦闘で負傷したらしいルマノ王国の兵士たちの姿がちらりと見えた。死者の姿も。


「……っ」


 ここはもう戦場なのだ。ルーカスはそう実感する。


「状況は?」


「城門周辺は完全に制圧した。敵兵の十数人を殺し、数人を捕虜にした。捕虜の話によると、都市内にいる正規軍人は総勢で二百程度だそうだ……ルマノ国王陛下と近衛兵たちは、予定通り王城に向かっている。イグナトフ王国の部隊は既に前進していった。それと、敵の指揮官である大隊長が逃げた。残存兵を率いて反撃してくるかもしれぬ。注意されよ」


 フォーゲル伯爵が尋ね、ルマノ王国の軍勢の誰か――おそらくは将軍だろう――が答えている声がルーカスにも聞こえた。


「心得た……総員、前進を再開! このまま通りを直進せよ!」


 その命令で、ハーゼンヴェリア王国の部隊は再び前進する。王城へと続くのであろう大通りのど真ん中を歩兵が進み、その前側の左右を騎兵が並走し、高い視点から周囲を警戒する。


「はっ、はっ、はっ」


 他の歩兵たちと共に、ルーカスは無言で小走りを続ける。相変わらず、その息は多少荒くなる。

 走りながら左右を見る。大陸西部でも最大の都市であるゴルトシュタットの大通りには、二階建て、なかには三階建ての建物さえ立ち並んでいる。一階は頑丈な石造り。二階より上は木造。そんな建物の群れを、薄明るくなってきた空が照らす。

 それら建物の窓から、いくつもの視線が向けられているのが分かる。見えるわけではないが、気配を感じる。このゴルトシュタットの住民たちの視線だ。

 彼らは視線を向けてくるだけで、敵対的な行動をとってくる様子はない。

 当然と言えば当然だ。彼らは民兵として徴集され、真正面から集団戦を行う覚悟を決めているわけではまだない。こちらが建物に押し入って略奪を働こうとしているわけでもない。このような状況で、一人または数人で数百の部隊に襲いかかる気概のある民などいるわけがない。


「出てくるな! 屋内に留まれ!」


「危害は加えない! 家で大人しくしていろ!」


 勇気を出してか、あるいは興味本位でか、家から顔を出した王都民たちにそのような警告がなされる。警告された王都民たちは、慌てて家の中に顔を引っ込める。

 ほとんど何の妨害も受けないまま、ハーゼンヴェリア王国の部隊は王城を目指す。

 隊列の中ほどにいるルーカスの位置からも、ヴァイセンベルク王家の居城、その高い塔が見えてくる。

 それと合わせて、喧騒が聞こえてくる。

 この大通りから少し逸れた位置にあるのであろう、ヴァイセンベルク王国軍の本部や、ヴァイセンベルク王国貴族たちの屋敷が並ぶ貴族街。そこで暴れるイグナトフ王国の部隊と、抵抗する敵兵や貴族たちの起こす喧騒だ。


「敵さんはあっちにかかりきりだろうな。俺たちは無傷で城をとれるかもしれないぞ」


 本心か、それともルーカスを安心させるためか。隣で古参兵が呟く。


「敵だ! 右の通りから敵!」


 そのとき。誰か騎士が叫ぶのが聞こえた。

 やはり、まったく抵抗を受けずに王城へと到達することはできないらしい。足を動かしながらルーカスはそう思い、隊列が前進を止めるのに合わせてその場に足を止める。

 隊列の右手前方。この大通りへと繋がる、一回り細い通りから、ヴァイセンベルク王国軍と思われる兵士たちが鬨の声を上げて突撃してくるのが見えた。

 その数はおよそ三十人ほどだろうか。四百を超えるハーゼンヴェリア王国の部隊を食い止めるには足りないが、夜明けに奇襲を受け、都市内までなだれ込まれ、既に他の場所で戦闘が始まっている状況で、よく集めたものだと言える規模だった。

 こちらの進路を塞ごうと、決死の突撃を仕掛けてくる敵部隊。その目の前に――ツノヒグマにまたがった筆頭王宮魔導士の名誉女爵が立ちはだかる。


「させるかよぉっ!」


「グオアアアアアアアアアッ!」


 名誉女爵の挑発的な叫びに呼応するように、ツノヒグマが咆哮を上げながら上体を起こし、後ろ脚で立ち上がる。

 特殊な鞍にまたがり、自身の腰と鞍をベルトで繋いだ名誉女爵は、ツノヒグマが上体を起こしても落下することはない。人間の敵味方を自力では区別できないツノヒグマは、名誉女爵の指示を受けて敵側を向いている。鋭い爪の光る前脚を振り回し、それに怯んだ敵兵たちは突撃を断念する。


「足を止めるな! 進め! 進めぇー!」


 馬上から叫んだのは、ハーゼンヴェリア王国西部の貴族閥の盟主、トバイアス・アガロフ伯爵だった。アガロフ伯爵は鞘から抜いた剣を王城に向けて掲げ、歩兵部隊に向けて叫ぶ。

 隊列がまた動きだし、ルーカスも全体の流れに合わせて前に進む。

 アガロフ伯爵たち一部の騎兵と、敵兵の戦闘。その横を通り過ぎるときにルーカスが視線を向けると、敵兵のうち唯一騎乗して先頭に立つ騎士が、ツノヒグマと激闘をくり広げていた。

 東門での将軍たちの会話の中にあった、一度逃げ去ったという敵の大隊長。あれがそうだろうかとルーカスは考える。

 単騎でツノヒグマと対峙し、瞬殺されないだけでも大したものだが、いくらなんでも勝てるはずはない。ルーカスが戦闘の現場を通り過ぎる前に、その騎士は剣を構えたその上半身ごとツノヒグマの前脚に千切り飛ばされた。

「大隊長!」と敵兵たちが呼ぶ悲鳴を聞きながら、ルーカスたちはなおも進む。

 市街地での敵側の抵抗らしい抵抗は、この一度きりだった。部隊はついに王城に到達する。

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