第100話 ゴルトシュタット攻略①

 ヴァイセンベルク王国の王都であり、サレスタキア大陸西部において最大の都市であるゴルトシュタット。

 平時はおよそ一万五千もの人口を有するこの都市は、しかし今は成人の男ばかりが二千人以上、オルセン王国侵攻とその後方支援のために出払っていた。

 国力を限界まで絞り出すようにして侵攻軍を編成したヴァイセンベルク王国の、国内に残っている防衛兵力は少数。このゴルトシュタットの兵力も、王国軍兵士と近衛兵が合計で二百人ほどいるのみだった。

 東西の国境防衛は、未だヴォルフガングの提唱する『連合』派についているルマノ王国とアリュー王国に任せられている。それでも万が一ゴルトシュタットに敵が迫って来た際は、この残留兵力が中心となり、王都内に残っている成人を男女問わず集めて籠城戦に臨むことになる。

 しかし現在は、王都民に招集はかかっておらず、正規軍人たちが通常通りの治安維持業務や王都周辺の監視業務を行うのみだった。

 日の出の一時間ほど前。どちらかと言えば朝ではなくまだ夜と呼ぶべき時間帯。東西と南にある城門は全て閉じられ、それぞれに数人ずつ夜警が置かれている。

 そのうちの東門で、事態は動く。


「ん? 班長。あれって……」


 東門の夜警に立っていた数人の兵士のうち、一際目のいい一人が最初に気づき、遠く東を指差す。それを受けて、この数人の中では最上位者の班長である古参兵もそちらを見る。

 この門から真東、ルマノ王国へと続く街道上に、班長もすぐに異変を認めた。

 松明が見えた。少なくとも百以上。

 松明の群れは、次第にこちらへ近づいてくる。何者かが、それも大勢が、ルマノ王国からゴルトシュタットへと続く街道を進んできている。まだ夜も明けていないこんな時間に。


「……急いで軍本部に行け。大隊長を呼んでこい」


 自分の手には余る事態。即座にそう判断した班長は、言った。


「ですが、大隊長はまだ休んでおられるのでは?」


「じゃあ叩き起こせ! 増援もできる限り呼んでこい! 急げ!」


 班長の怒鳴り声を合図に、五人いる夜警の班のうち二人が駆けていく。


「は、班長……」


「大丈夫だ。敵じゃあないはずだ。もしルマノ王国が敗けたなら、敵より先にルマノ王国の伝令が来てるはずだ……」


 半ば自分に言い聞かせるように、班長は言った。

 あれがもし敵軍だったら。ここにいる三人でどうしろというのか。そんな恐怖と戦いながら持ち場を守っていると、軍本部に送った兵士たちが予想よりも早く大隊長を呼んできてくれた。


「弓を持っている者は全員城壁に上がれ! 残りは城門を内側から囲め! おい、状況は?」


 軍本部にいたのであろう二十人ほどの兵士を伴ってきた大隊長は、兵士たちに指示を飛ばしながら城壁上に上がり、班長に尋ねる。


「敵か味方かは不明です。松明から判断しておそらく三百か、それ以上。小走り程度の速さで近づいてくるものと思われます」


 大勢の人間が近づいてきていることは大隊長も把握済みだと考え、班長は短く現状を伝えた。

 報告を受けた大隊長は、夜警の三人と、弓を持って城壁上に上がった十人ほどの兵士と共に東を見据える。

 空気の張りつめた数分の後、先頭の松明数本が、まるで自分たちの接近を知らせるように城壁に向けて振られた。敵対的な行動には見えなかった。

 そして、いくつかの松明がひとつの旗を照らす。明らかにこちらに見せるための行為。照らされた旗は――ルマノ王家のもの。


「……味方、か」


 大隊長は息を吐きながら言った。居並ぶ兵士たちからも安堵の吐息が零れ、その場の緊張が多少和らぐ。

 間もなく、ルマノ王家の旗を掲げた集団は城門の前にたどり着く。その数はおよそ四百弱。

 その中から、一際立派な鎧を身につけた初老の男が進み出る。


「こ、この城門を開けろ! 中に入れてくれ! 私はルマノ王ジュゼッペである!」


「ヴァイセンベルク国王陛下よりゴルトシュタット防衛の指揮権を預かっております、王国軍第二大隊長キーファー・ローヴァイン男爵です。ルマノ国王陛下、一体何があったのですか?」


「見れば分かるであろう! 我々は逃げてきたのだ! 我が軍は、ハーゼンヴェリア王国とイグナトフ王国とエルトシュタイン王国の三国から成る軍勢に敗北した! 敵は信じられないほどの大軍で攻めてきた! 三国合わせて一万に迫ろうかという大軍だった!」


 それを聞いた大隊長――ローヴァイン男爵は驚愕した。


「何と……そのようなことが」


「本当だ! 敵が多過ぎて、我が軍はひとたまりもなかった! 敵の追撃があまりにも激しくて、私は王都に逃げ帰ることさえ叶わなかったのだ! 今頃王都が、我が国がどうなっているのか想像もできない……て、敵の追撃部隊は今この瞬間も、私を追ってここに迫っている! だから早く中に入れてくれ!」


 そう言われたローヴァイン男爵は、かつて魔物討伐で負った傷痕が残る強面の顔をしかめ、思案する。

 ハーゼンヴェリア王国をはじめとした三国で一万の兵を動員。不可能ではないだろう。しかし、開戦前の情報収集では三国合わせた動員兵力は三千ほどと予想されていたはず。ここまで大きく外すことが果たしてあるだろうか。

 ルマノ王は敗戦による恐怖のあまり、敵の兵力を実際以上に大きく見たのではないか。

 また、隣国の王と敗残兵をこの王都の中に迎え入れるか否かは、単なる軍事的な判断ではなく、政治的な色を帯びる。

 自分は王都防衛の指揮権を与えられているとはいえ、あくまで一大隊長。果たして自分の一存で決めていいものか。さらに上――国王の腹心であり、現在の王都における最高責任者である王国宰相シュタウディンガー公爵の判断を仰ぐべきではないのか。そう考える。


「何をやっている! は、早く開けないか! 急がなければ敵が……あ、あぁっ! 来た! もう追撃部隊の松明が見えているではないか!」


 ルマノ王は悲鳴を上げながら、東を指差した。ローヴァイン男爵もそちらに視線を向け――目を鋭く細める。ローヴァイン男爵を囲む兵士たちは、目を見開いたり驚きを声に出したりと、より分かりやすい反応を示した。

 まだ遠いが、そこには確かに松明の灯りが見えた。その数は百や二百ではない。おそらく千を超えている。

 夜間の行軍時、松明は兵の全員が持つわけではない。千を超える松明が見えるということは、遠くから迫る敵は推定で二千を超える兵力を有するということになる。

 追撃部隊だけでその数だ。敵軍の総勢が一万に迫るというのも信憑性がある。大隊長はそう考えざるを得なかった。


「わ、私はヴァイセンベルク王国の友邦の王で、貴国の第二王妃の父親だぞっ! この私を敵に殺させる気か! この城門を開けろ! 早く開けろぉっ!」


 敵の松明が見える距離に迫ってきたからか、ルマノ王は金切り声を上げる。


「……やむを得まい。城門を開けろ」


 敵の追撃部隊がこのまま速度を緩めずに迫って来れば、半時間と経たずに城門に到達する。シュタウディンガー公爵に判断を仰ぎに行っていては間に合わないかもしれない。

 主君の姻戚である隣国の王が目の前で敵に襲われるのを傍観していたとなれば、自分は責任を問われ、罰せられるだろう。

 そう判断したローヴァイン男爵の命令で、ゴルトシュタットの東門は開かれた。

 ルマノ王国の敗残兵――のふりをしたおよそ四百弱の軍勢は、ゴルトシュタットの防衛責任者に直々に迎えられて都市内に入る。

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