第99話 ルマノ王の決意

 ハーゼンヴェリア王国、イグナトフ王国、エルトシュタイン王国による外征軍は、ルマノ王国領土へと侵入して西進。王都など人口密集地を避けてヴァイセンベルク王国領土を目指そうとしたが、やはりその進路上にはルマノ王国の軍勢が立ちはだかった。

 ルマノ王家の手勢と、諸貴族の手勢、徴集された民兵、少しの傭兵。総数はおよそ二千。ルマノ王国の三万という人口を考えると、なかなか努力して集めた方だと評される。


「それで、どうするハーゼンヴェリア王。やはり気が変わったというのであれば、私が騎兵を率いて突撃してやるが。敵陣の隊列を乱した後に残る兵力で強襲すれば、数でも質でも劣るあのような弱軍は即座に崩壊するだろう」


 オスヴァルドに言われたスレインは、苦笑しながら首を横に振る。


「いえ。イグナトフ王にとっては残念な話かもしれませんが、予定通り交渉に臨みます。従軍する我が国の兵や民をなるべく死なせたくありませんし、ルマノ王との間に禍根が残ることも、できるだけ避けたいので」


「……ふん、上手くいくといいがな」


「はははっ、大丈夫だろう。何せこのハーゼンヴェリア王が話すんだ。上手いことやるに決まっているさ」


 オスヴァルドが顔をしかめて呟く一方で、ステファンは楽しげに言う。


「戦わずして勝つのが一番ですからね。精一杯頑張ります……では、動きましょう」


 スレインは王国軍大隊長の騎士とユルギスに、いつでも兵を動かせるよう隊列を整えさせる。オスヴァルドとステファンも、それぞれの軍勢の隊長格に同じ指示をする。

 こうして、不測の事態に即座に対応できるよう備えた上で、三人の王はそれぞれの将軍、そして護衛の近衛兵、さらには交渉の場となる天幕などを担いだ兵士たちを連れて前に出る。

 両軍が対峙する平原の中央に到達すると、スレインはオスヴァルドを見た。


「イグナトフ王、お願いします。私は大きな声を出すのが苦手なので」


「分かっている……では、言うぞ」


 オスヴァルドが単騎でさらに数歩前へ進み出て、声を張る。


「イグナトフ王オスヴァルド、エルトシュタイン王ステファン、そして大将たるハーゼンヴェリア王スレインが要求する! 我々はルマノ王との交渉を臨む! ルマノ王ジュゼッペは前へ進み出、会談に応じられよ!」


 腹の底から叩き出されたその声は、広い平原に響き渡る。

 それから間もなく、ルマノ王国の軍勢から騎兵――おそらくはあちらの王国軍の将軍――が進み出てくると、同じく声を張る。


「ジュゼッペ・ルマノ国王陛下は会談に応じられる! しばし待たれよ!」


 返答を受け、オスヴァルドがスレインたちのもとへ戻ってくる。


「ひとまず、交渉には持ち込めましたね。あちらが安易な不意打ちなどに走らず幸いです」


「当然だ。ルマノ王は神経質な男だが、さすがにこの状況で襲いかかってくるほどの恥知らずではあるまい」


 三か国の王が並んで交渉を求めているのに、それを無視して兵をけしかければ、最低限の礼節や仁義さえわきまえない蛮人と見られる。そんなことになれば、以降の外交に大きな支障が出る。

 ルマノ王ジュゼッペもそれくらいは理解しているはずで、だからこそひとまずは会談に応じるだろうとスレインたちは考えていた。その予想は無事に的中した。

 その後、スレインたちの側が率いていた兵士たちが天幕を広げ、組み立て式の机と椅子を並べ、瞬く間に会談の場が用意される。用意が終わる頃には、側近格と護衛を連れたジュゼッペ・ルマノ国王が現れた。


「こんにちは、ルマノ王。それでは早速会談に入りましょう」


「……ああ」


 机の片側にはスレインたち三人の王が並び、向かい側にはジュゼッペが一人で座る。

 ジュゼッペはあまり君主らしい迫力があるとは言えず、神経質で気弱な男だというのが諸王からの彼への評価だった。

 白髪交じりの長髪と髭に囲まれた痩せぎすの顔は、今日もいつも通りに、いやいつも以上におどおどびくびくしているように見える。自身が明らかに不利な状況にいるための反応か。

 これなら話しやすい。スレインはそう考えながら口を開く。


「さて、ルマノ王。まずはこの現状に、ハーゼンヴェリア王国の国王として遺憾の意を表明させてもらいます。私とあなたは領土を接する隣人であり、両国は多少の係争は抱えつつも、概ね平穏な関係を維持してきたはずです。しかしながら、こうして軍を以て対峙することになってしまった。誠に悲しいことです」


「……それはこちらの台詞だ。貴国が我が国の領土に侵入してきたせいで、このような不穏な事態となってしまった。誠に遺憾に思う」


 見た目通りの神経質そうな声で、ジュゼッペは答えた。


「あなたの気持ちは私も分かるつもりです。しかし、どうかこちらの事情も理解してもらいたい。我々がヴァイセンベルク王国を目指して軍を進めているのは、あくまで我々の国と、大陸西部の未来のためなのです。理不尽な振る舞いをして大陸西部の安寧を脅かすヴァイセンベルク王を、もはや放置することはできない。そう考えたが故の正義の戦いに、我々は臨んでいるのです」


「ふっ、詭弁だな」


「果たしてそうでしょうか?」


 平然とした表情でスレインが問いかけると、それに虚を突かれたのかジュゼッペはたじろぐ。


「あなたは聡明な人物であるはず。ならば理解しているでしょう。横暴に振る舞い、ついには大軍をもって他国へと侵攻したヴァイセンベルク王。その横暴を止めようと戦うオルセン女王や我々。この大陸西部全体の利益を考えた場合、どちらに正義があるかを……今や諸王から見限られたヴァイセンベルク王の側にこのままつくことが、本当にルマノ王国の利益になるのかを」


「……くぅ」


 スレインの言葉に、ジュゼッペは苦悩の表情を見せる。

 一国の王ともなれば、義理人情だけで物事を決めることはできない。自国にとっての有利不利を見て決断しなければならない場面も多い。

 ヴォルフガングが一万もの大軍を率いてオルセン王国侵攻に臨んでいるとしても、そう簡単に成功はしない。ヴォルフガングは分の悪い賭けに臨んでいると誰もが分かっている。そんなヴォルフガングの一派にいるルマノ王国には、このままではろくな未来が待っていないことも。

 それでもルマノ王国がヴァイセンベルク王国側についているのは、王家の事情があるため。

 小国であるが故に国力の低いルマノ王家は、以前、国家運営に行き詰まった際、裕福な隣人であるヴァイセンベルク王家から多額の金を借り、今も返済を終えていない。そしてジュゼッペは、ヴァイセンベルク王家と結びついてルマノ王家の安寧を得るために、自身の娘をヴォルフガングの第二王妃として嫁がせている。第二王妃にはまだ十歳に満たない息子――第二王子もいる。

 多額の負債と、いわば人質である娘と孫。この状況でヴァイセンベルク王国に反旗を翻すのは容易なことではないと、スレインにも理解できる。


「なので、ルマノ王。私から提案させてもらいます……今からでも遅くはありません。我々の側についてください。我々と共に、ヴァイセンベルク王が留守にしている王都ゴルトシュタットを陥落させましょう」


 スレインの提案は予想の範囲内だったのか、ジュゼッペは驚かなかった。驚きはしなかったが、しかし苦悩の表情は変わらない。


「し、しかし」


「あなたの気持ちは分かります。王侯貴族の世界に入って間もない私のような若造とは違い、あなたには多くの経験と繋がりがある。だからこそ慎重になるのだと、若輩の身ながら理解はできるつもりです」


 優しげに、穏やかに、スレインは語りかける。

 自分のように若いわけでもなく、理想に燃える気力や時間が残されているわけでもない。国が殊更に小さいため、大国に寄り添わなければ自国を守ることさえ難しかった。そんなジュゼッペに、スレインは個人的には同情さえしている。

 ヴォルフガングを裏切るという決断が、彼にとって、これまでの人生を覆すようなあまりに大きな転機になることは分かる。


「それでも、決断すべきときが来たのです。決断の機会は今しかないのです。大丈夫、私には策があります。あなたが決断し、協力してくれれば、私が策をもってゴルトシュタットを落として見せます。ザウアーラント要塞を落とした私を、どうか信じてください」


 策をもって難攻不落のザウアーラント要塞を落としたのだから、ゴルトシュタットも落とせる。スレインのその言葉には一定の説得力があった。


「……だが、貴殿も知っているだろう。ゴルトシュタットには、私の娘と孫がいるのだ。勝てる勝てないという話だけではない。私がヴァイセンベルク王国を裏切ってゴルトシュタット陥落に力を貸したとして、その後、娘と孫の立場はどうなる?」


「その点についても、考えてあります。何も問題はありません。安心してください」


 スレインは微笑を浮かべ、ジュゼッペの懸念を一蹴する。


「我々がゴルトシュタットを落とせば、ヴァイセンベルク王は帰る場所を失います。オルセン王国の軍に追撃されながらでは、ゴルトシュタット奪還も叶わないでしょう……そうなれば、彼に待っているのは敗北です。彼と王太子モーリッツ殿には、尊厳ある自死か隠居という名の幽閉を受け入れてもらいます。まあ、それ以前に戦死する可能性も高いと思いますが」


「……」


「ともかくそうして彼らが消えれば、ヴァイセンベルク王国の王位を継ぐのはあなたの御孫、第二王子ファツィオ殿です。あなたの負債についても問題ではなくなります。戦勝国の王で、ヴァイセンベルク王の祖父となるのですから、適当な理由をつけて負債を帳消しにすればよろしい……土壇場で勝者の陣営につくことが叶う上に、次期ヴァイセンベルク王の祖父になって負債も無くせるというのは、あなたにとって良い話なのでは?」


 ジュゼッペにとっては、明らかに不利な状況を根本から覆して勝ち組に回るまたとない機会。スレインの提案に、神経質な初老の王は明らかに悩むそぶりを見せる。


「どうですか、ルマノ王。あなたがこの提案を受け入れ、私の策に協力してくれるのであれば、我々はゴルトシュタット攻略においてあなたの息女と御孫の安全を保証します。そして戦後は、あなたの孫ファツィオ殿がヴァイセンベルク王位を継げるよう全力で支援します。私とイグナトフ王、エルトシュタイン王が、それぞれの王家の誇りにかけて誓います」


 スレインが言うと、その右隣に座るオスヴァルドが険しい顔で、左隣に座るステファンがにこやかに頷く。


「この話は、ガブリエラ・オルセン女王にももちろん同意をもらっています。それを示す念書も預かっています。この通り」


 スレインはジュゼッペに丸めた羊皮紙を差し出す。

 確かにオルセン王家の封蝋がなされた羊皮紙を広げ、スレインの言った通りの文言が記されていることを確認したジュゼッペは、額の汗を拭いてスレインを見据えた。


「……き、貴殿はここまでの展開を全て予想して、このようなものまで準備していたのか?」


「はい。ですが、別に超人のごとく予言していたわけではありません。ごく普通に、いくつかある可能性の一つとして予期し、備えていただけですよ」


 スレインが涼しい声で、何でもないことのように言うと、ジュゼッペは困惑した表情で、不気味なものでも見るようにスレインを見る。


「何故……何故そこまでのことができる。貴殿は数年前まで平民だった身であろう」


 それに、スレインは穏やかな笑みで答える。


「私は王として国を、民を守ることに生涯を捧げると決意しています。決意を固めれば、どのような事態を前にしても、案外突破口を見出せるものです」


 そして、目を細めてジュゼッペを真っすぐに見据える。


「さて、ルマノ王。あなたはどうしますか? あなたの決意を、私たちに見せてください」


「……………………わ、分かった」


 見据えられて身を硬くしたジュゼッペは、しばらく間を置き、弱々しく頷いた。

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