第98話 オルセン王国の戦い②
その物量のみを頼りにして数千の徴集兵をぶつけてくる侵攻軍に対して、防衛軍の編成は数段戦略的だった。十人単位の正規軍人に数十人の徴集兵が付随する小隊が陣地の柵の後ろにいくつも並べられ、それぞれの小隊が目の前の敵に攻撃を仕掛ける。
戦いに不慣れな徴集兵は主に槍を、王国軍兵士や領軍兵士は剣あるいはやはり槍を。傭兵は剣から戦斧まで好みの得物を。それぞれ手にして、空堀を越えて柵をよじ登ろうとする敵兵を刺す。斬る。殴る。
一方で、ヴァイセンベルク王国側もやられっぱなしではいてくれない。徴集兵の中でも根性のある者が、あるいは十分な戦闘訓練を受けて精神と技術を鍛えてきた正規軍人が、柵越しに槍や剣を果敢に突き込み、それによってオルセン王国側の兵士に死傷者が出る。
防衛軍の編成は、交代についても考えられている。率いる部隊の兵士たちに疲労が溜まってきたと判断した小隊長は、後方に控える小隊長に合図を送り、二つの小隊が前後を入れ替わる。疲れていない兵士たちが最前面で戦い、下がった兵士たちは休む。
味方の部隊が入れ替わる隙を突いて敵兵が攻勢を強めるのに対して、最前面に留まる風魔法使いや、こちらも護衛に囲まれて最前面にいる火魔法使いが牽制の攻撃魔法を放つ。
そんな柵越しの攻防の上を、未だに両軍の矢が飛び交う。
野戦陣地の中から放たれた矢は敵の第一波の後方に落ちるが、侵攻軍の弓兵部隊が放った矢は、味方に多少当たることも厭わずに野戦陣地の最前面を襲う。目の前の敵を退けることに集中していた兵士たちが、空から降ってきた矢によって目の前の敵と共に倒れる。
激しい攻防の推移を、ガブリエラは本陣から見守る。今はまだ大丈夫だが、最前面で戦う部隊に死傷者が増えすぎて防備が手薄になるようであれば、予備兵力を投入しなければならない。
「陛下。敵の別動隊が動きます。こちらの左手側に回り込むようです」
戦場の敵側後方、新たな動きの予兆にいち早く気づき、ロアールが言った。
「……森の中を抜けるつもりか。愚かな」
ガブリエラは呆れを覚えながら呟く。
森というものは、山や川と並んで大軍の行動を阻む要害。一見すると中を歩いて簡単に抜けられそうに思えるが、実際に踏み入ると、足場が悪くまともな道もない地勢を移動するのは容易ではない。数人や数十人の小勢ならともかく、まともな訓練を受けていない数百人、数千人の軍勢が通ろうとすれば、混乱は避けられない。
個々の兵士が部隊の仲間と足並みを揃えることは極めて難しく、部隊同士が連携を取ることも難しく、真っすぐに進んでいるつもりで斜め方向に動いていたりと、秩序だった進撃は叶わない。
ただの森でもそれなのだから、森に覆われた丘の一斜面を、それも戦闘の最中に上ろうとするのなら、なおさら混乱する羽目になるだろう。
それでいて、迎え撃つ側は事前に森の地勢を把握し、防衛のための部隊を潜ませておくことができる。罠を仕掛けることさえ叶う。どちらが有利かは言うまでもない。
「攻勢で森に入らないことなど、軍学の基本中の基本だぞ……まったく、追い詰められて焦った人間の判断力というのは酷いものだな」
「加えて、おそらくは大戦に関する知識や経験の風化もあるのでしょう。現在の大陸西部では、私を含めほとんどの者が、千単位の大軍を率いて実戦に臨んだ経験などありません。大軍による森の進撃は難しいと頭では分かっていても、ヴァイセンベルク王は実際に試さずにはいられなかったのだと思われます。愚か者は自らの経験にしか学ばないと言います故に」
「失敗して初めて、大軍で森に入る危険さを学ぶということか……あの男にそんな学習を経る暇はないであろうにな」
侵略戦争は防衛側が強い。戦力差が圧倒的とまでは言えない以上、この戦いは最初から、ヴォルフガングにとって分の悪い賭けだ。ここで負ければ、その教訓を次に活かす機会はヴォルフガングにはない。
そんな機会を与える気はない。
「しかし、敵側にも有能な将の一人や二人いるだろう。何故、愚策を選んだ。自らの主君に進言しない?」
「ヴァイセンベルク王国は中央集権化を進め、ヴァイセンベルク王が絶対的な権力者です。将たちもそう簡単には逆らえますまい」
「……中央集権化の弊害か。皮肉な話だな」
ガブリエラは顔をしかめ、吐き捨てるように呟いた。
「陛下。敵の別動隊が森に入るまで、今しばらく時間があります。右手側の森に潜ませた兵力を、幾らか援軍として左手側に回す余裕もあるかと」
「……分かった。お前の判断を信じよう。そうしてくれ」
「御意」
ガブリエラの許しを受けてロアールが命令を伝え、野戦陣地の右側面を守るために森に潜んでいた兵力が、本陣を通って左側面に移動。増強された部隊となって、森へと踏み入る敵別動隊を迎え撃つ。
敵別動隊の数はおよそ三千。編成は、陣地の正面に迫る第一波本隊と同じ。多数の徴集兵と、それを後ろから追い立てるように指揮する少数の正規軍人。
しかしこの編成も、森に入った途端に意味を成さなくなる。侵攻軍別動隊は、兵士たち各個の体格や身体能力、森を歩くことへの慣れの差によって足並みを乱し、単独で突出してしまう者や、逆に大きく遅れてしまう者、左右に逸れる者が続出する。
大軍である意味を成さず、兵士たちは個々人の体力と勘だけを頼りに、森に覆われた丘を上る。
そのうちの一人が、一歩を踏み出した瞬間にその足が地面の下まで沈む。枝葉で隠されていた穴に片足を落とし、その中に突き立てられていた杭に足を貫かれる。
「ぎゃあああっ、痛えっ!」
「気をつけろ! 罠があるぞ!」
仲間が負傷する様を見た兵士が叫び、それが全体に伝達される。
その後も、何人かが同じ罠に引っかかり、足から血を流して叫ぶ。中には、より深い穴に身体ごと落ち、いくつもの杭に下半身をずたずたにされて絶叫する者も出る。
損害の人数としてはたかが知れている。しかし、どこに罠があるか分からない状況で、臆病な者や慎重な者は前進が遅くなり、一方で度胸のある者や罠を見破って避ける自信のある者は変わらず進む。兵士たちの足並みはより一層乱れる。
完全に烏合の衆と化した彼らの中でも、最先頭を進んでいた一人が――すぐ近くの藪の裏に潜んでいた防衛軍の兵士によってくり出された槍、その穂先に胴を貫かれた。
本業は木こりであるが故に森を歩くのが得意だったその徴集兵は、しかし戦闘においては素人。咄嗟に愛用の斧を振り上げた姿勢のまま、呆気なく絶命する。
「て、敵……っ」
その瞬間を見ていた別の徴集兵が声を上げようとした瞬間、その喉に矢が突き立つ。枝葉で偽装を施した、小規模な陣地の裏に隠れた防衛軍弓兵による、正確な狙撃だった。
森の中に定められた防衛線。そこを越えた侵攻軍兵士たちは、次々に奇襲を受けて命を落としていく。数の利を活かして進撃する余裕も与えられないままに、各個撃破されていく。
集団戦を行いづらい森の戦闘では、兵士各個の実力がより明確に戦闘の勝敗を分ける。それを理解していたオルセン王国側は、野戦陣地の左右に広がる森の中に、精鋭を配置していた。
正規軍人の中でも小競り合いや魔物討伐の実戦経験が豊富な者。狩人の中でも特に腕のいい者。不整地での戦いにも慣れている手練れの傭兵。そして、肉体魔法――その名の通り、術者の身体能力を一時的に強化する魔法――を程度の差はあれど使える者。
そうした、個人として強い兵士たちが選抜されて片側に五百。ロアールの判断で陣の右側面から左側面へと、一部の兵士が援軍として移されたので、現在は左側面に八百。数の利を活かせなくなった三千の敵別動隊を押し止めるには十分な兵力だった。
侵攻軍の別動隊は無謀な進撃を続け、徒にその数を減らしていく。波が岩に当たって散ってしまうかの如く、防衛線に触れた端から斬られ、刺され、殴られ、死んでいく。
なかには奇襲してきた防衛軍兵士へと逆襲を果たし、さらに奥まで進撃する勇敢で精強な正規軍人もいるが、その進撃も長くは続かない。
丘を上れば上るほど、周囲の友軍は減り、孤立を余儀なくされる状況。その部分においては多勢に無勢の状況に陥り、結局は野戦陣地に到達する前に撃破される。
「く、くそっ! 一旦退くぞ! た、態勢を立て直す!」
敵別動隊の後方で、一際立派な軍装に身を包んで大勢の護衛に囲まれた将が叫ぶのを、防衛軍の何人かの兵士たちは聞いた。
ヴォルフガング・ヴァイセンベルク王をそのまま若くしたような顔立ちで、ヴァイセンベルク王家の旗を掲げたその将の命令を受け、敵別動隊は潮が引くように撤退していく。
森に潜んで果敢に戦い続けた防衛軍兵士たちは、その任を果たした。損害は軽微だった。
同じ頃、野戦陣地を正面から攻めていた侵攻軍第一波には、十人ほどの魔法使いとその護衛から成る第二波が前進し、別動隊の動きに合わせて攻勢を強めていた。火魔法と風魔法による連続攻撃で、野戦陣地を守る柵に突破口を開こうとしていた。
しかし、攻勢の切り札であった別動隊の進撃が失敗に終わったことで、これら正面の部隊にも一時撤退の命令が本陣から下される。まずは第二波の魔法使いたちが下がっていき、続いて第一波の兵士たちが、統率を乱しながら逃げるように撤退していく。
「陛下。追撃なさいますか?」
「……いや、いい。わざわざ打って出る必要もあるまい。持ち場を堅守させよ」
ガブリエラは防衛軍の大将として、そう判断を下した。よって、両軍の緒戦はここで終了した。
ヴァイセンベルク王国による侵攻軍、死者およそ五百。負傷者およそ千。
オルセン王国による防衛軍、死者およそ百五十。負傷者およそ三百五十。
緒戦はオルセン王国側の勝利に終わり、兵力差は一段縮まった。
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