第97話 オルセン王国の戦い①

 九月の中旬。オルセン王国の北東部国境付近。

 王都エウフォリアより数日の距離にあるこの場所、左右を森に囲まれた小高い丘の上に、オルセン王国の防衛軍は野戦陣地を築いていた。

 その兵力はおよそ六千。人口十一万人ほどのオルセン王国の、実に五パーセント以上が集結した大軍だった。

 人口が増えるほど、そして国土が広くなるほど、一か所に多くの兵を集めるのは困難になる。また、敵が万が一こちらの防衛軍主力を無視して王都エウフォリア急襲を試みた場合、王都の兵力が皆無というわけにもいかない。

 それらの事情を考慮すると、国境の野戦陣地に集める兵力としては、この六千が限界に近い規模だった。

 それと対峙するヴァイセンベルク王国の侵攻軍は、さらに規模で勝る。その数は一万に届き、大陸西部に小国が並び立つ今の時代において、史上最大の軍勢となっている。

 大陸西部の中でもとりわけ土地が豊かな旧ヴァロメア皇領を領土とし、旧皇領の街道をそのまま有し、何より十八万もの人口を擁するヴァイセンベルク王国だからこそ成せる、驚異的な規模の動員だった


「確かに、こうして見渡すと凄まじい規模だが……所詮は数だけだな」


「左様です。ほとんどが平民や奴隷に武器を握らせただけの弱兵の軍勢に、如何ほどの攻勢が行えましょう」


 野戦陣地の最前に立ち、敵を見渡して言い放ったガブリエラに、参謀として傍に控える将軍ロアール・ノールヘイム侯爵が同意を示す。

 ヴァイセンベルク王国は他国と比較しても中央集権を大幅に進めており、領主貴族は小規模な領地と自衛のための僅かな私兵を持つのみ。王家の私兵たる王国軍は、実に二千人を数えるという。

 しかし、ヴォルフガングも二千の王国軍兵士を全て連れてきているわけではない。王都ゴルトシュタットや、オルセン王国以外の対立国との国境にも、防衛指揮をとるための最低限の兵力を残さなければならない。

 事前の情報収集や斥候による偵察の結果、ヴァイセンベルク王国の侵攻軍一万のうち、王国軍の正規兵は千五百人ほどと分かっている。そこに貴族の私兵や傭兵を加えても二千足らず。残る八千以上の兵は、素人の徴集兵だ。

 大半が徴集兵で構成されているのはオルセン王国の防衛軍も同じだが、攻める側と守る側では事情が違う。守る側は野戦陣地の柵の内側から槍を突き出すだけ、あるいは石を投げるだけでも効果的に敵を倒せるが、攻める側は統率のとれた動きをしなければ、効果的な攻勢はできない。

 徴集兵ばかりの軍勢に、複雑な部隊行動がとれるはずもない。必然的に、敵の作戦は力押しに限られる。

 おまけに敵は、いくら物資輸送を水運に頼ったとはいえ、長距離を連日行軍して疲れを溜めている。力押しをするにも、その持久力は限られる。

 一万という数は脅威ではあるが、戦力差は絶望するほどではない。


「陛下。敵は間もなく動き出すでしょう。本陣にお戻りになるべきかと」


「そうか、分かった」


 ロアールの進言を受け、ガブリエラは後ろを――自軍の兵士たちを振り返る。

 これから自分は、この兵を率いて戦うのだ。

 もともと、「同盟」の元となる思想を生み出したのはガブリエラの祖父であり、その実現を決意したのは父だった。しかし、その決意を具体的な行動に移す前に、父は五十歳を手前にしてある日いきなり倒れ、帰らぬ人となった。

 父が存命の頃、まだ若く未熟だったガブリエラには、いまひとつその必要性を実感できなかった「同盟」。しかし今は違う。帝国によるハーゼンヴェリア王国侵攻を目の当たりにした今は、小国ばかりの大陸西部が平和を守るために相互に支え合う枠組みが必要だと理解できる。

 ただの枠組みでは駄目だ。「連合」では駄目だ。数十年後、百年後、自分の死後も正しく機能する健全な枠組みでなければならない。

 だから自分はここまで来た。父の遺志を継いで戦場に立った。もう後戻りはできない。未来のために、この戦いを避けることはできない。


「……オルセン王国を守るため、この場に集った勇敢なる兵士諸君」


 ガブリエラの言葉に、兵士たちの注目が集まる。

 覚悟を決めた強気な、あるいは死闘を前に不安げな、さらには血の気多く好戦的な、そんな様々な目が、女王のもとに集中する。


「お前たちにも見えていることだろう。我々の対峙するあの大軍が。我々を殺し、オルセン王国の地を踏みにじらんとする侵略者の軍勢が」


 兵士たちに視線を巡らせながら、ガブリエラは語る。


「我々が立ち向かうのは、決して弱き敵ではない。今、我々はオルセン王国の歴史において、最も大きな脅威に直面している……だが、恐れることはない!」


 隊列を組む兵士たちの間を練り歩き、語りながら、ガブリエラは力強く拳を握って声を張った。


「我々はここに立っている! このオルセン王国の地に! 我々が、そして我々の父母が、祖父母が、先祖たちが立ってきたこの地に、今は我々が立っている! このオルセン王国の地は、我々の味方である! 敵の騎兵は、この柵を飛び越えることはできない! 敵の歩兵は、柵と空堀を乗り越え、あるいは両側面を囲む森を突破することはできない! 敵の弓兵は、丘の上にいる我々に強力な一撃を加えることはできない! この地のために戦う我々を、この地こそが守ってくれる!」


 ガブリエラは言葉巧みに、兵士たちを鼓舞する。

 感情に訴えて彼らの士気を高め、同時に理屈をもって彼らに安心感を与える。

 正面には柵と空堀が敷かれ、左右は森が天然の防壁となり、後方は急な斜面が敵の侵入を阻む、丘の上の野戦陣地。その地の利を解きながら、理屈と感情を繋ぐ。「国」という概念への理解が薄い農民の徴集兵たちにも分かりやすいよう、彼らの精神的な拠り所である「土地」に焦点を当てて演説を行う。


「私はお前たちの女王だ! 女王として、お前たちと共に戦う! 我々全員で、この地で共に戦うのだ! この地を守り、我々の子に、孫に残すためにこそ! 侵略者と戦おう!」


 拳を突き上げて叫んだガブリエラに、数千の鬨の声が応える。

 語り終えたとき、ガブリエラはちょうど丘の頂上、本陣に辿り着いていた。

 兵士たちを頂上から見下ろし、ガブリエラはオルセン王家に代々伝わる家宝の剣を掲げる。


「武器を構えよ! 敵を見据えよ! 神は我らと共にある!」


 ガブリエラが高らかに宣言したのと時を同じくして、敵側の大将――ヴォルフガング・ヴァイセンベルク国王も兵士たちに演説を行ったようだった。侵攻軍から上がった鬨の声が、一塊に空気を揺らして野戦陣地まで届く。

 侵攻軍の前衛、およそ六千が前進を開始する。それが開戦の合図だった。

 徐々に速度を上げながら迫り来るその軍勢の、ほとんどは装備も粗末な徴集兵。槍や剣、下手をすればただの農具を構えただけの雑兵の後ろに、五百ほどの弓兵が続いている。


「まずは弓兵からだ。ロアール、お前に任せる」


「はっ……弓兵、攻撃用意!」


 当然、弓兵はオルセン王国の側にもいる。王国軍の兵士と貴族領軍の兵士、そして狩人をまとめた二百ほどの弓兵部隊が、野戦陣地の前衛で曲射の構えを見せる。


「――放てぇ!」


 敵が十分に接近してきたのを見計らい、ロアールは鋭く命じる。その直後、山なりに放たれた二百の矢が、敵徴集兵の群れの中に降り注いだ。

 六千の敵に対して、二百人が浴びせる矢。まさに矢継ぎ早に攻撃し続けても、物理的にそう大きな損害を与えられるわけではない。

 しかし、直撃すれば最低でも重傷は免れない凶器が空から降り注ぐ中で、素人揃いの敵徴集兵は怯む。丘の斜面を駆け上がることによる疲れも合わさり、突撃の勢いが鈍る。

 それでも、突撃が完全に止まることはない。敵徴集兵の後ろからは、ヴァイセンベルク王国の正規軍人たちが徴集兵を追い立てる。追い立てられた徴集兵たちは今さら逃亡も叶わず、前に――つまりは野戦陣地に向けて走り続ける。

 そして、ヴァイセンベルク王国側の弓兵も動く。五百の弓兵が、指揮をとる将の命令で一斉に弓を構え、矢を放つ。

 丘の下側から放たれた矢は、重力で威力を減衰させながらも野戦陣地の最前面に迫る。


「風魔法使い! 防御しろ!」


 曲射された矢が軌道の頂点に達する前に、ロアールが命令を下していた。それを受けて、陣地の最前面にいた風魔法使い――オルセン王国の王宮魔導士や、各貴族家のお抱え魔法使い――による部隊が、一斉に風を巻き起こす。

 その強風は迫り来る矢の勢いを大幅に弱め、場合によっては軌道そのものを変える。少なくない矢が陣地の手前に落下し、被害は大幅に抑えられる。

 結局、陣地に降り注いだ矢は、敵が実際に放った矢の半数以下。防衛軍の兵の犠牲は僅かで、最前面にいる魔法使いたちは大盾を構えた護衛によって守られているので全員が無事のままだった。


「敵は魔法使いを投入してこないな」


「おそらく、魔力を温存させるつもりかと。この第一波によってこちらが疲弊するのを待っているのでしょう」


 ロアールの考察を聞き、ガブリエラは眉を顰める。


「この徴集兵たちは捨て駒というわけか……理屈は分かるが、不愉快な戦術だな」


 オルセン王国の側は弓兵の絶対数が不足し、ヴァイセンベルク王国の側は風魔法による妨害を受けて、矢の撃ち合いでは相手に決定打を与えられないまま両軍の距離は縮む。戦いは遠距離戦から近接戦へと移る。

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