第96話 外征軍結成

 ハーゼンヴェリア王国外征軍のうち、国王スレインの率いる五百の部隊は、王都を出発した後に西へと移動していた。

 数日後、部隊はハーゼンヴェリア王国西部の国境付近で、西部貴族たちの軍勢やイグナトフ王国、エルトシュタイン王国の外征軍と合流。総勢およそ三千のヴァイセンベルク王国攻略軍となり、国境を越えてルマノ王国に入る予定となっている。

 行軍初日の夜。領境を超えて王国西部へと入った一行は、平原に野営地を設営していた。

 季節は気温の安定している秋。夜間はそれほど寒くないので、一日の野営のために全員分の天幕が組み立てられることはない。王国軍兵士や傭兵、徴集兵たちは寝袋を広げて夜空の下で眠り、天幕は国王スレインや貴族たち、中隊長以上の士官、王宮魔導士、女性の分だけが設置される。

 天幕の設置と並行して、食事の準備や馬の世話なども進められ、野営地の中は騒々しい。

 その一角には、軍が管理する食料の集積所が置かれ、荷馬車に積まれたままの大量の食料を、二人の新兵が見張っていた。単調であるが誰かがやらなければならない見張りの任務は、多くの場合は新兵が交代で務める。


「なんていうかさ、こんなもんか、って気がするよな」


 共に食料を見張る同期の兵士に言われて、新兵ルーカスは意識だけそちらに向ける。


「何が?」


「昨日まであんなに意気込んでさ、死ぬかもしれないからって、家族と泣きながら抱き合って別れて来たってのにさ……ああ、悪い」


「いや、気にするな。家族が健在なら、出陣の前に別れを惜しむのは普通だろ」


 母を幼い頃に病気で、父を昨年の戦いで失って独りのルーカスは、相方の気遣いに短く返す。

 入隊した当初こそ「謀反に加わった騎士の息子」として敬遠され、陰で悪く言われることもあったルーカスだが、新兵の中でも頭一つ抜き出た実力と、誰よりも努力を重ねる姿勢を周囲に見せつけることで、今では同期や先達からも仲間として認められている。


「ありがとうな。それでさ……そうやって家族と別れて出てきたのに、今日は天気も景色もいい中を、徴集兵たちの足並みに合わせてのんびり歩いただけってさ。何て言うか……」


「……牧歌的?」


「ああ、そう。そんな感じだよな」


 ルーカスは小さく苦笑し、頷く。


「確かにな。正直、今日は拍子抜けするほど楽だった。青空を眺める余裕まであったくらいだ」


「奇遇だね。僕も初陣では同じことを思って、青空を眺めてたよ」


 不意にかけられた少年のような声に、ルーカスと相方は振り向く。


「「こ、国王陛下!」」


 そして、後ろに立っていた主君スレインを見て、血相を変えて姿勢を正した。


「申し訳ございません!」


「先ほどの発言は、その、決して行軍中に怠慢を働いていたというわけではなく――」


「大丈夫。戦地までの行軍中は皆同じようなものだから……今回は国境を越えての外征で、戦地までの移動も長丁場になる。いざ戦うときに気力を保っていられるよう、適度に気を抜きながら務めてほしい」


 顔を青くして弁明する二人に、スレインは微苦笑を交えて語った。


「今年の新兵は優秀な者が多いと聞いている。期待しているよ」


「「はっ!」」


 国王から直々に期待の言葉をかけられ、今度は少し興奮気味に答えて敬礼した二人に頷き、スレインはその場を後にする。

 去り際、一瞬だけルーカスと目を合わせたが、特に語りかけはしない。

 個人的には彼に注目しているが、同僚が見ている手前、特別扱いをされているように思われたら彼も居心地が悪いだろう。そう配慮してのことだった。


「……僕の初陣からもう二年か。あのときヴィクトルから受けた助言と同じようなことを、今度は僕が新兵に語るとはね」


「これも、陛下が偉大な君主になられた証左でしょう」


 野営地内を歩きながらスレインが語ると、護衛として傍らに控える近衛兵団長ヴィクトルがそう答える。

 野望を抱いているわけでも、戦いを好んでいるわけでもないはずなのに、いつの間にかすっかり戦慣れしてしまった。その事実に少し悲しさを覚えながら、しかし顔には微笑みを貼りつけて、スレインは野営の準備が進んで行く様を見回る。

 兵士たちを指導する士官の中には、ユルギス・ヴァインライヒ男爵もいた。


「おぉ、これは国王陛下」


 歩み寄るスレインにユルギスの方も気づき、例のごとく気障な笑みを浮かべて声をかけてくる。


「お疲れさま、ユルギス。久々の軍務はどうかな?」


「なかなか楽しいものですよ。傭兵時代を思い出します」


「そうか。良かった……あらためて、礼を言うよ。君が加勢してくれるのは心強い」


 開拓が進むヴァインライヒ男爵領の人口は少しずつ増え、人口は百二十人ほどまで増えた。今や立派な王国領主貴族であるユルギスは、しかし今回は、自らの意思で領民の精鋭数人を率いてこの外征に参戦している。

 ザウアーラント要塞の指揮官としてイェスタフ・ルーストレーム子爵が東部国境を離れられない現状、王家に忠実な士官としてユルギスが加わったのはスレインとしても好都合だった。


「陛下からの御礼など畏れ多い。私は好きで参戦させていただいてるだけですよ。平和な開拓作業や要塞での待機もいいものですが、たまには戦場に立たなければ勘が鈍りますからね……それに、ヴァインライヒ家の末裔としては、今回の戦列に並ばないわけにはいきません」


 後半は不適な笑みを浮かべながら、ユルギスは言った。

 かつてヴァロメア皇国貴族だったヴァインライヒ家から領地を取り上げ、グルキア人領民ごと放逐したのは初代ヴァイセンベルク王。ユルギスにとって、今回の戦いは数世代越しの復讐の意味もある。


「きっと、君にとって満足のいく結果になるはずだよ。ゴルトシュタットが落ちる様を見れば、神の御許にいる君の先祖たちもいくらか溜飲が下がるだろうね」


「ははは、今から楽しみですね」


 ユルギスと笑い合ったスレインは、その場を離れてまた歩く。

 国王の天幕に戻ると、ちょうどそのタイミングで御用商人のベンヤミンが歩み寄ってきた。


「国王陛下、果実水をお持ちいたしました」


「……ありがとう。いつもすまないね」


「いえいえ。陛下より直接ご注文をいただき、こうしてお渡しできるのは、大きな喜びにございます。自分が誇りある御用商人であることを実感できますので」


 カップを受け取るスレインに、ベンヤミンはねっとりした笑顔を浮かべて言う。

 二年前の初陣以来、行軍中の野営時にはこうしてエリクセン商会から果実水を買うのが恒例となっている。

 その裏にはスレインへの気遣いだけでなく、大勢が見ている前で商会長自ら国王に商品を差し出すことで、エリクセン商会と王家の繋がりを顕示したいというベンヤミンの意図もおそらくある。


「酒保の隊商の様子は? 補給の方は?」


「問題ございません。全て予定通りにございます」


 スレインとしては、毎日このタイミングで後方の補給の状況をベンヤミンから直接聞くことができる上に、行軍で疲れているときに甘いものをとれるのは良いことなので、この恒例を受け入れている。


・・・・・・・


 その日の夜。天幕内に置かれた簡易ベッドで、スレインは眠りにつこうとしていた。


「それでは陛下。明朝、日の出の頃に起床のお知らせにまいります」


「分かった、よろしく」


 パウリーナが天幕を出ていくのを見送り、スレインはベッドに寝転がる。

 モニカが副官を務めていたときとは違い、パウリーナはスレインの天幕の隣に自身専用の天幕を置き、そこで就寝する。

 この距離であれば、いざ何かあってもすぐに彼女がスレインのもとに駆けつけられる上、常に複数人の近衛兵がスレインの天幕を囲んでいるので警備面でも問題はない。


「……モニカ」


 魔道具の照明も消えた真っ暗な天幕の中で、スレインは思わず最愛の女性の名を呟く。

 今までモニカと離れたのは、スレインがエウフォリアの晩餐会に出向いた際の、往復三週間ほどの期間が最長だった。

 しかし今回は、三千もの軍勢を率いての外征。順調に事が進んでも、帰還が叶うのは二か月ほど後になる。戦うための旅となれば、社交のための旅と比べて気疲れすることも多いだろう。

 ここに甘えられる相手はいない。心から気を許した姿を見せられる相手はいない。

 スレインは臣下たちを信頼しているが、彼らは家族や友人ではない。エルヴィンは親友だが、今は一酒保商人でしかない彼と気楽に話すわけにはいかない。

 王都ユーゼルハイムに帰り着き、モニカと再会するときまで、スレインは全ての者の前で王であらねばならない。

 本来、王とは孤独な存在だ。こういうときは、それを強く思い出す。


・・・・・・・

 

 数日後。ハーゼンヴェリア王国の西部国境付近にたどり着いた王家の軍勢は、トバイアス・アガロフ伯爵の率いる西部貴族の軍勢と合流した。

 その翌日には、オスヴァルド・イグナトフ国王の率いる軍勢も合流地点に到着。さらにそれから二日ほど遅れて、ステファン・エルトシュタイン国王の率いる軍勢も合流を果たした。


「遅いぞ、エルトシュタイン王」


「いやぁ、すまないすまない。何せ千近い軍勢を、国境を越えて移動させるなんて私にもうちの将軍にも初めてのことだったものだから」


 合流地点に置かれた野営地の中央、合議用の大型天幕の中。眉間に皺を寄せて不機嫌そうに言ったオスヴァルドに、ステファンは笑って頭をかきながら答える。その態度を受けて、オスヴァルドの眉間により一層皺が寄る。

 二人のやり取りを見て、スレインは苦笑を浮かべた。大規模な軍勢の行軍日程には誤差がつきもの。二、三日程度の遅れは予想の範囲内であり、強く咎められるほどのことではない。


「さて、私も到着したことだし、早速ルマノ王国へと軍を進めるとするか。そして最後には、大陸西部の平和を乱すヴァイセンベルク王の膝元を占領してしまおう」


「……本当によろしいのですか? エルトシュタイン王は、つい二か月ほど前まで『連合』派の立場だったと記憶していますが。今からでもあちら側につかなくていいのですか?」


 調子のいいことを言うステファンに、スレインは冗談めかして尋ねる。するとステファンも、わざとらしく目を見開いて笑う。


「嫌だなあ、従叔父にそんな冷たいことを言わないでくれよ。それは、確かに私は『連合』寄りの姿勢を示していたさ。だけどそれは、何も私個人が好き好んでそうしていたわけじゃない。ヴァイセンベルク王の影響力。エルトシュタイン王国の位置。そうした多くの事情を踏まえた上で、致し方なく立場を決めたんだ。状況が変われば、立場もまた変わる。その結果が今だよ」


「ふん、どこまでが本当だか……だが、進軍の開始を宣言するのは貴殿ではない。この外征軍の総指揮官はハーゼンヴェリア王だ」


 オスヴァルドはそう言ってスレインに視線を向けた。ステファンも、同じくスレインを見た。


「今一度確認しますが……私の王としての経験はお二人に劣りますし、率いる兵力ではイグナトフ王の軍が我が軍よりも大規模です。それでも、私が総指揮権を預かってよろしいので?」


「当たり前だ。貴殿は若くしてザウアーラント要塞を落とした英雄だろう。貴殿が総指揮官を名乗る方が、味方の士気は上がり、敵はこちらを恐れる……それにどうせ、貴殿はこの戦いに際してまた悪賢い策を練ってきているのだろう。ならば貴殿が最初から指揮をとる方が話が早い。私は最前で戦いを楽しめればそれでいい。権限と共に義務を負って、本陣に縛られるのは御免だ」


 少々ぶっきらぼうな態度で、オスヴァルドは語った。


「私もそれで文句はない。可愛い従兄甥のお手並みを間近で拝見させてもらうことにしよう」


 スレインが顔を向けると、ステファンも笑顔で同意を示す。


「……分かりました。それではありがたく総指揮権を預かります。ただし、私が持つのはあくまでも最終的な決定権であり、作戦については我々三人と、それぞれの抱える将軍の合議で決めるということにしましょう」


「いいだろう」


「それで異論ない」


 王として先達である二人と、それぞれの国の面子も立てるスレインの提案に、オスヴァルドとステファンは即座に答えた。

 その翌日、ハーゼンヴェリア王国の軍勢千、イグナトフ王国の軍勢千二百、エルトシュタイン王国の軍勢八百から成る合同外征軍は、国境を越えてルマノ王国へと進軍する。

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