第95話 侵攻開始
九月の初頭。事前の情報収集から予想された時期に、戦いは始まった。
まず、ヴァイセンベルク王家からオルセン王家に対して、宣戦布告がなされた。
布告の理由は「自国の領土と民を守るため」。
八月の後半に、オルセン王国の兵と思われる一隊が国境近くの村を襲い、略奪や暴行、殺人や放火をはたらいた。この一件への報復や、さらなる被害の予防のために侵攻する……というのがヴァイセンベルク王家の言い分だった。
もちろん、これが一応の大義名分をこしらえるための、嘘だらけの言いがかりであることは、大陸西部の全ての王が分かっている。
村ひとつを襲われた報復で一万の大軍をもって侵攻するのは明らかな過剰反応であり、それ以前にオルセン王国軍が急にヴァイセンベルク王国の村を襲う理由などなく、そもそもヴァイセンベルク王家は「村が襲われた」と主張する時期よりも前から侵攻準備をしていた。
誰がどう見ても理屈として破綻しており、ヴォルフガングが侵攻を成功させてオルセン王家を滅ぼした後、この言いがかりを力づくで事実へと塗り替える気でいることは明らかだった。
このあまりにも雑な大義名分を、それでも堂々と掲げながら、侵攻軍は南下を開始した。
「侵攻軍が選んだのは、オルガ街道を通る進路です。進軍に合わせ、オルガ川を利用した水運によって補給物資を運び、エウフォリアを目指すものと思われます」
エウフォリアの王城にてガブリエラに報告するのは、オルセン王国軍の将軍を務めるロアール・ノールヘイム侯爵。ガブリエラの父の代から将軍職を務める、王国の重鎮。
「そうか……つまり、敵は進軍速度を優先するということか」
「そのようです。陛下の予想された通りですな」
硬く暗い茶髪を短く刈り、同じ毛色のよく整えられた口髭を持つロアールは、落ち着いた声色で答える。
オルガ川は、長大なエルデシオ山脈のうちヴァイセンベルク王国の北に位置する辺りから、王国領土の中央よりやや東を流れる大河。南のオルセン王国領土までを貫き、そのまま海まで流れ込むこの大河には途中で本流から枝分かれするいくつかの支流があり、そのうちの一本が王都エウフォリアの面する湖へと流れ込んでいる。
つまり、ヴァイセンベルク王国の侵攻軍は、オルガ川の川沿いに整備されたその名もオルガ街道を通って進軍すれば、いずれこのエウフォリア近郊にたどり着く。
大軍の長距離行軍で最も問題になるのは、その大軍を食わせる補給物資の輸送。道中の都市や村からの購入や接収、あるいは略奪で賄えない分は、後方から運ばなければならない。
大河に沿って進軍すれば、陸路よりも遥かに容易に大量の物資を船で運び、本隊のすぐ近くに降ろすことができる。
いくつか予想された敵の進路のうち、ヴォルフガングはその性格からして短期決戦を目指し、オルガ街道を進む選択をするだろうとガブリエラ個人は思っていた。それが見事に的中したかたちとなった。
「ヴァイセンベルク王としては、こちらを急襲するつもりなのだろうが……むしろ好都合だな」
侵攻軍が補給を水運に頼り、本隊は身軽なまま進軍を急ぐということは、それだけ早くオルセン王国の領土に侵入し、王都エウフォリアに迫ってくるということ。
オルセン王国としては、早くから熾烈な防衛戦に臨むことになるが――別方向から動くハーゼンヴェリア王国をはじめとした友軍からすれば、攻めるべきゴルトシュタット周辺から敵の主力が早々にいなくなり、遠ざかることになる。
あの悪賢いスレイン・ハーゼンヴェリアが自らの「策」でルマノ王国を突破し、ヴァイセンベルク王国に侵入し、ゴルトシュタットを落としてくれれば、ゴルトシュタットから遠く南まで攻め入った侵攻軍は行き詰まるだろう。もはや侵攻を継続できなくなるのは必然だ。
決着までの期間が早まって幸いだと考えているのは、ヴォルフガングだけではない。
ガブリエラは不敵に笑いながら、そう考える。
「こちらの防衛準備は?」
「準備自体は整っております。後は、オルガ街道を通る敵の予想進路上に布陣し、野戦陣地を築くのみです」
「そうか。では始めよう……大陸西部の歴史に残る戦いになるな」
後世の歴史の中で勝者と記されるためには、当然、勝利を収めなければならない。
自身にとって、そして大陸西部のほぼ全ての当代国王にとって初となる本格的な戦争を前に、ガブリエラは気を引き締める。
・・・・・・・
ほぼ予想通りのタイミングでの、ヴァイセンベルク王国侵攻軍の行動開始。
その事実を確認したハーゼンヴェリア王国の外征軍は、いよいよ出発の日を迎える。
ハーゼンヴェリア王国の歴史において初めての、他国領土へと進軍する戦い。それを前に、兵士たちの士気は高い。正規軍人たちのみならず、民からの徴集兵たちも十分な士気を纏っている。
エルヴィンより助言を受けた後、スレインはセルゲイに命じて市井に噂を流した。ヴォルフガング・ヴァイセンベルクは言いがかりをつけて他国に侵攻する極悪非道の暴君であり、彼はこのハーゼンヴェリア王国をも狙っていると。暴君とその軍隊から家を、土地を、家族を守るためには、今戦うしかないのだと。そんな理屈を広めた。
それと並行して、文化芸術長官エルネスタ・ラント女爵を通し、吟遊詩人や旅役者が同様の噂を詩歌や演劇として歌い広めることを「奨励」した。
複雑な思考を成す王侯貴族から見れば、大半の平民の思考はとても素直なもの。平民たちは彼らの視点と価値観からこの戦いの重要性を理解し、受け入れてくれた。
また、スレインが今も続けている王領民との対話の中で「自分と共に戦い、皆で救国の英雄になろう」と語ったことで、彼らはザウアーラント要塞を落とした大英雄たるスレインと自身を頭の中で重ねた。
自分も英雄になる。英雄の下で戦い、自分もまた英雄になって家族のもとに帰る。
そんな語り文句に、徴集された民兵たちは魅入られた。
「本当は、こんなことはしたくなかったんだけどね」
出発の日の朝。スレインはここ最近の情報操作を思いながらそう苦笑する。
本来、自分は平和を愛する王であったはず。それがこんな、民を上手く言いくるめて外征に前向きな気持ちになるよう誘導するとは。
長期的な視点で真の平和を成すためのこととはいえ、皮肉に感じずにはいられない。
「それでも、あなたの決断は正しい。絶対に。私は他の誰よりそう信じています」
王族の私的な空間である居間で、スレインの隣に座ったモニカは、スレインの手にそっと自身の手を重ねながら微笑んだ。
「……ありがとう。君と、僕たちの子供のためにも、この行動を正しいものにしないとね」
そう言って、スレインは自分たちの子供が宿るモニカの腹部を優しく撫でる。
モニカの腹部はずいぶんと大きくなり、一応の出産予定日は年末頃と見られているが、あと一か月半もすればいつ産気づいてもおかしくない時期に入る。
「できれば、出産のときは立ち会いたいなぁ」
ふと、スレインは呟いた。
出産の際、部屋に男は立ち入ることができず、仮にスレインがモニカの出産時に王城にいたとしても、部屋の外で落ち着きなく待つだけになる。それでもスレインとしては、できるだけモニカの近くで我が子の誕生の瞬間を迎えたかった。我が子には一刻も早く会いたかったし、たとえ王国最高の医師と産婆が傍に付くとしても、やはりモニカと子供が心配だった。
「私も、スレイン様のご帰還が間に合うことを願っていますが……もし間に合わなくても、大丈夫です。家族も傍に付いていてくれますから」
スレインが外征に出ている間、モニカの母であるアドラスヘルム男爵夫人が王城に泊まり込み、モニカの身の回りの世話を手伝うことになっている。夫が不在の状態で臨月を迎えるモニカが、心細い思いをしないようにするために。
「なのでどうか、ご心配なさらないでください。目の前の戦いに意識を向けて、そして……どうか無事に帰ってきてください」
モニカはスレインを向き、スレインの頭を抱き寄せる。
「愛しています。本当は、戦場に向かうあなたのお傍を一日たりとも離れたくありません」
「……僕も離れたくない。愛してる」
モニカの胸に優しく抱かれながら、スレインは答えた。
しばらくの間、そうして彼女の匂いを、肌の柔らかさを心地良く感じ、そして顔を上げる。
「帰ってくるよ。必ず」
「はい。信じています」
二人は深く、長く、口づけを交わした。
★★★★★★★
作者Twitterにて、大陸西部の全体と二十二国全ての名前、位置を記した地図を公開しました。
作者名「エノキスルメ」あるいは作品名「ルチルクォーツの戴冠」でご検索いただくと出てくるかと思います。
よろしければ是非ご覧ください。
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