第92話 誰がため

「あのクソガキが……」


 王城の会議室。重臣たちより現状報告を受けたヴォルフガングは、強い怒りを抱きながらも、不敵な笑みを浮かべて言った。

 先日の晩餐会での一件は罠だ。スレイン・ハーゼンヴェリア王が自分を陥れるため、「連合」の勢いを削ぐために仕掛けた罠だ。スレインが単独でそのようなことをする意味はないので、ほぼ間違いなくガブリエラ・オルセン女王と共謀しての動きだろう。

 それはもはや分かっている。そして、これが罠であることを証明して自身の疑惑を払い、諸王を再び「連合」に引き寄せる術がないことも分かっている。

 ここまで来ると、ヴォルフガングとしては逆に笑えてくる。スレインの仕掛けた罠は奇策もいいところだが、しかし嵌められてみると、なるほどよく考えたものだと、なかなか凄まじい発想をする男だと感心できた。

 ヴァイセンベルク王位を継いでからは、大陸西部において最大の権勢を握る立場となった自分に対して、これほどまともに喧嘩を売ってくる者などいなかった。

 そう、自分は喧嘩を売られたのだ。これは「連合」とヴァイセンベルク王家の命運を、自分の野望が実現するか否かの命運をかけた喧嘩だ。


「この私の誇りのためにも、代々受け継いできた血統の名誉のためにも、売られた喧嘩は買わなければなるまい……ふっ、面白い。野望はあまり簡単に叶ってしまっても張り合いがないからな。覇者として後世で語られるときに、邪魔な敵を討ち破った逸話のひとつもなければ様にならん。ハーゼンヴェリア王には、むしろ感謝してくれよう」


「そ、それでは父上! いよいよあのハーゼンヴェリア王を仕留めに行くのですか!?」


 獰猛に笑うヴォルフガングを見て、王太子であるモーリッツが喜色を浮かべる。


「いや、まず攻めるのはオルセン王国だ。全ての元凶は、『同盟』などというものを考え出したガブリエラ・オルセン女王なのだからな。あいつさえ消せば『同盟』派は瓦解する。まとまった対抗勢力は存在しなくなる。ヴァイセンベルク王国は大陸西部において、他の追随を許さない一強となるのだ。そうなれば、後は簡単だ。邪魔をする者は殺し、武をもって諸国を取り込み、従え、そして守り、大陸西部に真の安寧をもたらしてやればいい」


 この状況を楽しみ始めたことで、ヴォルフガングは冷静でいられることができた。憎らしいスレイン・ハーゼンヴェリア王の首を真っ先に奪いにいくという選択肢に魅力を覚えながらも、現状で最も合理的な選択をすることができた。

 ヴォルフガングが視線を送ると、近い席に座る宰相や将軍などの側近格が、それで問題ないと言うように頷く。


「決まりだな。直ちに兵を集めろ。それと、一応侵攻に向けた大義名分を作っておけ。適当なものでいい……ヴァイセンベルク王国の総力をもって、オルセン王国に侵攻する。エウフォリアが灰になるまで焼き尽くし、オルセン王家の血を絶やしてやれ!」


「「「御意!」」」


 ヴァイセンベルク王国軍の将としてこの場に居並ぶ武門の貴族たちが、声を揃えて吠える。


「モーリッツ! 今回はお前も将として兵を率いろ。大陸西部の歴史に残る、我が国と我が一族の運命を決する大戦だ。その戦場に立ち会い、そしてお前自身も戦果を上げて、次代の支配者としての器を見せてみろ。私が大陸西部を手中に収めたら、それを継ぐのはお前なのだからな」


「もちろんです、父上!」


 父親によく似た不敵な笑みを浮かべながら、モーリッツは答えた。


・・・・・・・


 ヴォルフガング・ヴァイセンベルクは、ほぼ間違いなく武力行使の道を選ぶ。そう踏んだスレインは、エレーナたち外務官僚を使ってヴァイセンベルク王国の動向を注視していた。

 そして八月の中旬。予想通り、ヴァイセンベルク王国が軍を動かそうとしている兆候を掴んだ。


「ヴァイセンベルク王国軍の動き、戦争に向けた物資輸送の動き、そして市井での兵の徴集。それらの情報から考えて、侵攻目標がオルセン王国であることは間違いありません」


「エステルグレーン卿からの情報をもとに考えると、予想される動員兵力はおよそ一万。ヴァイセンベルク王国の国力で動員が叶う、ほぼ最大の力をオルセン王国にぶつけるものと考えられます」


 王城の会議室で、スレインはエレーナとジークハルトから報告を受ける。


「外征でそれほどの大軍団を動員できるなんて、さすがは大陸西部で最大の国だね」


 報告を聞いて、スレインはため息交じりに言った。

 ハーゼンヴェリア王国の限界動員兵力はおよそ五千だが、それは小さな領土の中で、その領土の防衛のみを目的として、非常時に限り短期間だけ無理をして兵を集めた場合の話。

 ハーゼンヴェリア王国より遥かに領土の広いヴァイセンベルク王国内を移動させ、同じく領土の広いオルセン王国へと攻め入らせる外征のための軍隊となれば、消費する物資の量も、それだけ大勢の人間を国内社会から引き抜くことによる負担も大きい。そこに一万もの大兵力を動員できるヴァイセンベルク王国の国力は、感心すべきものだった。


「いかなヴァイセンベルク王国と言えども、外征で一万もの兵力を長期間動員するのは厳しいでしょう。ここが勝負所と考え、少々無理をするものと考えられます」


「そうか。ということは、国内の守りはやっぱり相当手薄になるのかな?」


「仰る通りかと。おそらく王都ゴルトシュタットに残る正規軍人は、数百程度かと思われます。南に侵攻する一方で、東西の国境の守りは、隣接する『連合』派の二国に任せるのでしょう……我々はルマノ王国と対峙することになります。とはいえ、かの国は守りに徹するでしょうが」


 ハーゼンヴェリア王国とヴァイセンベルク王国に挟まれているルマノ王国は、大陸西部の中でも特に小さな国のひとつ。人口はおよそ三万で、領土もハーゼンヴェリア王国の半分ほどしかない。独力でハーゼンヴェリア王国に攻め入る力はない。

 ハーゼンヴェリア王国はジークハルトとトバイアス・アガロフ伯爵のもと、ルマノ王国との国境である河川の橋部分に防衛線を築く計画を立てていたが、対峙するのがルマノ王国のみとなればその備えも不要となる。


「それじゃあ、逆にこっちがルマノ王国を突破して、ゴルトシュタットを落としにかかればいいわけか……まあ、想定通りだね」


 スレインは笑みさえ浮かべる。

 ヴァイセンベルク王国がオルセン王国に侵攻するのであれば、全力を尽くすであろうことは想定していた。その間、ゴルトシュタットの守りが極めて手薄になることも。

 そして、ヴォルフガングとの縁を切れないルマノ王国の当代国王が、「連合」派として残留し、ハーゼンヴェリア王国に対峙してくることも想定の範囲内だった。

 この場合、ルマノ王国は大した障害とはならない。むしろ、国王や軍の主力が不在のゴルトシュタットを落とすための格好の材料となる。


「オルセン女王の対応は?」


「防衛のために軍備を整えているそうです。およそ六千の兵力を集結させ、ひとまずは国境付近に防衛線として野戦陣地を築くとのことでした」


 スレインの問いかけに、エレーナが答えた。


「六千の兵力で野戦陣地を構築か。ジークハルト、どう見る?」


「十分でしょう。敵の撃破ではなく時間稼ぎを目的とするのであれば、二倍に満たない戦力差は圧倒的というほどではありません。オルセン女王は聡明なお方ですし、かの国にも有能な武人はいるはず。数週間程度は余裕で持ちこたえるものかと思われます」


 スレインたちがゴルトシュタットを落としにかかる間、ガブリエラの方も十分に耐えてくれる。ジークハルトはそう見解を述べた。


「それなら大丈夫か。引き続き、あちらとの連絡を密にとってお互いの状況を共有してほしい……ブランカ。君とヴェロニカには負担をかけるけど、よろしく頼むよ」


「任せてください。こういうときのために王家に雇われてますからね」


 王宮魔導士の代表としてこの場に同席するブランカは、ニッと笑って見せた。ハーゼンヴェリア王国とオルセン王国。二国が連携して動く上で、鷹のヴェロニカによる高速での情報伝達を務められる彼女は、極めて重要な存在となる。


「ありがとう、頼りにしてるよ……さて、皆」


 スレインは表情を引き締め、臣下たちを見回す。


「ここからはいよいよ、決戦に入っていく。ハーゼンヴェリア王国の、大陸西部の未来を決める決戦になる。今までのように、国境で侵略者を食い止める戦いじゃない。複数の国と連携して、国境を大きく越えながら軍事行動を起こす、我が国の歴史においてはかつてない戦いだ」


 ハーゼンヴェリア王国は建国以来、外征を行ったことはない。ルマノ王国を攻略した上でヴァイセンベルク王国に侵入し、王都ゴルトシュタットを落とす。勝算があるからこそ行動に移すとはいえ、かつてない試みであることは間違いない。


「だからこそ、勝利しよう。成功させよう。この国により良い未来をもたらそう。それぞれの職務を遂行して、力を発揮してほしい」


「もちろんです、国王陛下。我らは陛下と、王家と、そしてこのハーゼンヴェリア王国の御為、持ち得る力の全てを発揮いたします」


 この場にいる臣下全員を代表して、セルゲイが答えた。

 スレインが隣に座るモニカへと視線を向けると、彼女は優しく微笑んで頷く。スレインとの子が宿る自らの腹部をそっと撫でながら。

 そんな彼女に、スレインも微笑みを返す。

 これは我が子のため、王国の子供たちのための戦いだ。

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