第89話 王の理性

 エウフォリアでの騒動から一週間後。ヴァイセンベルク王国の王都ゴルトシュタットに帰ったヴォルフガングは、王城の会議室で重臣たちに囲まれていた。


「……陛下。さすがにこれは、不味い状況と言えましょう。事実としては、単にハーゼンヴェリア王が皿を落としただけです。それを――」


「分かっている! ……お前に言われずとも、それは俺とて理解している。あのときは頭に血が上り過ぎた」


 宰相の職を任せている公爵に言われ、ヴォルフガングは一度は声を荒げるも、すぐに努めて冷静な声色を作って答える。臣下たちに今ここで八つ当たりしても、状況は変わらない。

 一週間かけて帰還する間に、ヴォルフガングの頭も冷えた。そして、言い訳のしようもないほどにしくじったことを自覚した。

 若く浅慮な王太子だった頃ならともかく、王となった今であれば、ヴォルフガングも理性で考える頭は持っている。「連合」の結成を実現して大陸西部における強権を握り、偉大なるヴァロメア皇国復活の第一歩を刻んで歴史に名を残す。そんな自身の野望を達成するためならば、少し不快なことがある度にいちいち怒っていては駄目だと分かっている。

 スレイン・ハーゼンヴェリア国王の失態は、あの場で諸王に「エウフォリアの惨劇」を思い起こさせる極めて不愉快なものではあったが、彼がわざとそのようなことをしたわけではないと今なら考えられる。あれは単なる事故なのだろう。

 あのときのスレインの反応からも、ガブリエラ・オルセン女王の言った通り、彼は「エウフォリアの惨劇」そのものを知らなかったのだと分かる。

 だとしたら、自分の行動は非常に不味い。不注意で皿を落としただけの王を相手に、激高しながら暴行を加えようとして、さらには「首をこの手で刎ねてくれる」などと吠えたのだ。社交の場の揉め事にしては明らかにやり過ぎだ。

 しかし、あのときはついカッとなって我慢ができなかった。理性で考えて動くべき場面もあると頭では分かっているが、人間、いつでも理性で感情を抑えられるわけではない。自分はそれが特に苦手だ。それは自身の欠点であり弱点であると、ヴォルフガングも理解している。

 あの騒動を見ていた諸王は、「このような人物が盟主となる『連合』にこのまま参加して大丈夫だろうか」と考えるだろう。自分の短気ひとつで各国の王が即座に国を動かす方針を変えるとまでは思えないが、今回の一件は、放置していては間違いなく大きな悪影響をもたらす。

 やってしまったものは仕方がない。対応を考えなければならない。


「しかし父上! たとえ事故であっても、ハーゼンヴェリア王が父上に無礼な真似をしたのは事実です! たかが人口五万の国の、平民上がりの小僧が――」


「黙れモーリッツ! これは政治だ。お前はまだ政治に口を出すな」


 椅子から立ち上がって声を上げる王太子モーリッツ・ヴァイセンベルクを、ヴォルフガングは一喝して黙らせた。

 現在二十代前半のモーリッツは、若い頃のヴォルフガングに見事に似た。威勢がいいのは自分の継嗣として結構なことだとヴォルフガングも考えているが、まだ威勢がいいだけの若造である息子の意見を、この場で当てにしてはいない。


「いかがでしょう、陛下。ここはハーゼンヴェリア王に対して、謝罪する場を設けては?」


「そうされるのであれば、計画していた晩餐会の場が最適かと存じます」


 宰相である公爵に続いて、外務大臣を務める侯爵が言った。

 ガブリエラ・オルセン女王が開催した、諸王の集う晩餐会のようなことは、ヴォルフガングの側も計画していた。順番としては先を越されたが、エウフォリアでの晩餐会を上回る宴を開き、ヴァイセンベルク王国の富と権勢を諸王に見せつけ、「連合」へとさらに引きつける。そのようなことを考えていた。

 来月にも開催するつもりだったこの晩餐会の場で、諸王が見ている場で、スレイン・ハーゼンヴェリア国王に謝る。先日はつい感情的になって乱暴な真似をしてしまったと丁寧に詫びる。ついでに、詫びのしるしだと言って彼が馬車に積みきれないほどの金品でも渡せばいいだろう。

 ヴァイセンベルク王は短気な部分もあるが、冷静になれば自分の非を認めて詫びることのできる人物であり、おまけに気前の良すぎる埋め合わせもしてくれる。諸王からそう思われれば、先日の一件で抱かれた悪印象をある程度打ち消すことは十分に叶うはず。

 重臣たちの意見はそのような内容で一致し、ヴォルフガングもこれを受け入れた。皆が見ている前で他者に謝ると考えただけで吐き気がするが、今回ばかりは嫌がってもいられない。大きな野望の実現には苦難がつきものだ。


「であれば、一日も早く晩餐会を開けるよう準備を進めろ。いいか。可能な限り、大陸西部の全ての国の王を参上させるのだ。最低でも、先週のエウフォリアでの晩餐会に集まった面子は全員揃えろ。出席を渋る王がいたら、旅費をこちらで負担して豪華な土産を用意してやってもいい」


「「「御意」」」


 ヴォルフガングと野望を共有する重臣たちは、声を揃えて答えた。


・・・・・・・


 それからさらに一週間後。ハーゼンヴェリア王国の王都ユーゼルハイムに、ヴァイセンベルク王家からの書簡が届けられた。


「……へえ。ヴァイセンベルク王の方からこういう誘いをかけてきたか」


 執務室で書簡の内容を確認したスレインは、微笑を浮かべて呟く。

 ヴァイセンベルク王国の王都ゴルトシュタットにて、ヴォルフガングの主催による晩餐会が開かれる。期日は七月の頭。晩餐会の趣旨は、ガブリエラが開いたものと同じで「大陸西部の平和と安定のため、諸王が集って認識を語らう」こと。

 しかし、ヴォルフガングの本心は見え透いている。ガブリエラと同規模の、いやそれ以上に豪華な晩餐会を開いて、ヴァイセンベルク王家の力を顕示することが狙いだろう。

 そして、公の場でスレインに謝罪して見せることも目的に含まれているのだろう。むしろ本命はそちらか。その証拠に、書簡にはスレインを安心させるための謝罪や、来てくれたら詫びのしるしとしてあれをやろうこれもやろうなどと甘い誘い文句が長々と記されていた。


「こちらとしては、次の場を作る手間が省けて幸いですね」


 スレインの隣に顔を寄せて一緒に書簡を読み、そう答えたのはモニカだった。

 彼女は子を身籠ってはいるが、出産の予定時期はまだまだ先。つわりの酷い時期も過ぎたので、今はスレインとともに執務をこなす日々へと戻っている。


「そうだね。このまま彼が動いてくれないなら、またオルセン女王の手を借りて動かないといけなかったけど……さすがに、今の状況を放置しては不味いと思ったんだろうね」


 事故を装ってヴォルフガングの過去の失敗を連想させる状況を作り、諸王が見ている前でヴォルフガングを激怒させる。彼の短気さと乱暴さを皆に印象づける。

 もし服を汚しただけでもヴォルフガングがすぐに怒らないようなら、「連合」への警戒という点で利害の一致している協力者のオスヴァルドに「まるで『エウフォリアの惨劇』の再来だな」と場を煽ってもらうつもりだった。

 しかし、その仕事は協力者でも何でもないステファンが、彼自身の失言によって成してくれた。予想外のことではあったが、結果的にはヴォルフガングは屈辱を覚えてスレインに激怒してくれたのでよかった。

 第一段階は成功した。これでヴォルフガングの怒りが止まず、その怒りに任せて理不尽な武力行使に出てくるならそれも良し。ガブリエラと連携し、度を越したヴォルフガングの暴挙に危機感を抱くであろう諸王とも手を取り合い、対抗すればよかった。

 そして、頭を冷やしたヴォルフガングがさすがに自身の言動が不味かったと考え、諸王が見ている前でスレインに謝罪し、事態の鎮静化を図ろうとするのであれば、それもまた良し。策の第二段階を実行すればいい。

 スレインたちの想定は、後者の方が当たったかたちとなった。


「パウリーナ。セルゲイとエレーナに書簡の件を報告して、話し合いの準備をしてほしい……できるだけ早く、ヴァイセンベルク王に返事を出さないといけないから、二人の手を借りたい」


「かしこまりました。直ちに」


 優秀な副官に伝えながら、スレインは策の第二段階について思考を巡らせていた。

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