第87話 エウフォリア①

 五月の末。オルセン王国の王都エウフォリア。湖畔の西に沿うように築かれたこの美しい都市の東端、湖上の人工島に建てられている王城の大広間に、大陸西部の諸王が集っていた。

 大陸西部の平和と安定のため、酒を手に語らい、情勢への認識をすり合わせ、不要な混乱や不幸な衝突を予防する。そんな無難な名目でガブリエラが主催したこの晩餐に、集ったのは大陸西部二十二か国のうち、十八か国の君主だった。

 それぞれ一国の主である十八人が、立食形式の社交の場で表向きは穏やかな笑みを浮かべ、しかしその内心ではそれぞれの思惑を巡らせている。これは交流の場であり、政治の場であった。

 そして、その中にスレインもいた。後ろに護衛として近衛兵団長ヴィクトルを控えさせ、ワインを片手に持ち、大広間の中央からはやや外れた位置に立っていた。

 副官であるパウリーナは、スレインからやや離れた壁際に無言で立っている。それぞれの王があまり多くの供を引き連れて歩いていては交流し辛くなるため、各々は護衛一人のみを傍に連れ、その他の従者は部屋の隅に控えさせている。これは多くの貴人が集う社交の場では、ごく一般的な光景だった。

 スレインは自らはあまり積極的に動かず、流れに身を任せて社交に臨む。

 平民として育った異色の経歴を持ちながら、しかし今やザウアーラント要塞を帝国から奪取した破格の武勇伝を持つスレインには、出席者たちからもちらほらと声がかかる。スレインはそれに無難な挨拶をもって答える。


「おお、ハーゼンヴェリア王じゃないか。久しぶりだな」


 また一人、スレインに声をかける者がいた。スレインはそちらを振り返り、顔に微笑を貼りつけたまま口を開く。


「これはエルトシュタイン王。お元気そうで何よりです」


「ははは。私も、可愛い従甥が壮健そうで嬉しいよ」


 ステファン・エルトシュタイン。ハーゼンヴェリア王国の南西に位置するエルトシュタイン王国の当代国王。淡いグリーンの髪を長く伸ばした、柔和で若々しい容姿の美丈夫。

 このステファンの妻である当代エルトシュタイン王妃は、スレインの父フレードリクの従妹。なので彼は、スレインにとってやや遠い姻戚、義理の叔従父にあたる。


「それで、我が従甥殿はこの晩餐会をどう見る?」


「どう、と言われましても……例の『連合』と『同盟』の件に関わりのある集いなのだろうな、と思う程度でしょうか」


「ははは、そうかそうか。さすがはハーゼンヴェリア王だな。私も同じ見解だ。これは大陸西部における、ヴァイセンベルク王とオルセン女王の縄張り争いの場と言えよう……さて、貴殿はどちらの側を選ぶ?」


「……私に尋ねるようヴァイセンベルク王から頼まれたのですか?」


 スレインは微笑を保ったまま、努めて穏やかに尋ねる。ステファンは先日、エルトシュタイン王として現時点では「連合」に前向きな関心があることを表明している。


「おいおい、姻戚の私をそんなに警戒しなくてもいいじゃないか。これは単に、個人的な関心から聞いているに過ぎないさ……貴殿の答えによっては、先輩為政者として助言くらいはさせてもらうかもしれないが」


「それはご親切にありがとうございます……私は今のところ、まだ考えを定めていません。中立という立場になるかと思います」


 人当たりはいいが同時に調子もいいステファン・エルトシュタインという人物を、スレインはあまり信用していない。彼は姻戚ではあるが、その繋がりは無条件の信用をおけるほど近くはない。

 なのでスレインは、自分が『同盟』派として動いていることを彼に明かさない。


「なるほど、中立か……今はそれでいいだろうが、どこかで決断しなければならないときが来る。無難なのはやはり『連合』の方だろう。貴殿がこちらに来る上で私に手伝えることがあれば、何でも言ってくれよ」


「ありがとうございます。そのときが来たら、頼らせていただくかもしれません」


「ああ、是非そうしてくれ。何せ貴殿は私の従甥だからな」


 ステファンは人好きのする笑顔を浮かべてスレインの肩をぽんぽんと叩くと、離れていった。


「……」


「おい、ハーゼンヴェリア王」


 微笑を堅持しながら一息ついていたスレインのもとに、また声がかけられる。聞き慣れた低い声は、オスヴァルド・イグナトフ国王のもの。

 振り向いたスレインに、オスヴァルドが料理の載った皿を突き出してくる。


「ありがとうございます、イグナトフ王」


「まったく、この私に使い走りのような真似をさせおって……料理はそれでいいのか?」


「はい。問題ありません」


 スレインは皿に載せられた肉料理を見て、オスヴァルドに答える。


「イグナトフ王から見た諸王の様子はどうですか?」


「皆、腹の内を明かさないよう嘘臭い笑みを浮かべ、当たり障りのない会話をしている。つまらん場だ。社交の中でも殊更につまらん」


 オスヴァルドは眉間に皺を寄せながら、吐き捨てるように言った。

 武を貴ぶオスヴァルドは、こうした社交の場が嫌いなことで知られている。にもかかわらず彼がこの場に来ているのは、この社交の重要性を一国の王として理解はしており、共に『連合』を警戒する立場としてスレインが彼に協力を願い出たためだった。


「積極的に動いているのは、己の目的を達成したいヴァイセンベルク王とオルセン女王くらいであろう……噂をすれば、前者の方が来たぞ」


 オスヴァルドの視線の先をスレインも向くと、尊大なオーラを纏った偉丈夫――ヴォルフガングが笑みを浮かべて歩み寄ってくるところだった。


「これはこれは、イグナトフ王にハーゼンヴェリア王。中立の立場の王が二人、仲良く何を話していたのだ?」


「ただの世間話だ。貴殿には関係ないだろう」


 オスヴァルドは――誰に対しても大抵そうであるが、いつも以上に――無愛想な表情と声色でヴォルフガングの問いかけに答える。


「ははは、そうか。相変わらずだな。さすがは大陸西部きっての武人だ……貴殿のその武勇と、ともすれば頑迷なほどの芯の強さ、是非とも『連合』の側についてくれたら心強いのだが」


「既に伝えているであろう。私は『連合』にも『同盟』にも興味はない。どちらも胡散臭いことこの上ない……私が助力するのは、それに値する気概を見せたものだけだ」


 オスヴァルドはヴォルフガングに視線も向けずに答え、酒の杯をあおりながら離れていった。そんな彼を横目で見ながら、スレインは小さく笑みを浮かべた。


「ふっ、つれない男だな……それで、ハーゼンヴェリア王。貴殿はどうだ? そろそろ腹を括ってくれたか?」


「決意をすべき時期が近いことは理解しています。いずれお返事することが叶うかと」


「ふはははっ! 私が特に手元に欲しい者ほど、私の望む返事はくれないときた。まったく世界はままならないな」


 そう言って笑うヴォルフガングの声はそれなりに大きく、近くにいた王たちが振り向く。その中には、「連合」に前向きな姿勢を――ヴォルフガングの「望む返事」を既に示している者もいた。


「……ええ、そうですね。本当に」


 作り笑顔のまま、スレインは答えた。

 表面上は穏やかな会話を交わす二人のもとへ、今度はガブリエラが歩み寄ってくる。


「それではな、ハーゼンヴェリア王。貴殿は選択を誤らないと信じているぞ」


「もちろんです。私は正しい選択ができるつもりです」


 会話を終えるヴォルフガングと入れ違いで、ガブリエラはスレインに声をかける。


「ハーゼンヴェリア王。今日はよく来てくれた」


「オルセン女王。本日は招いていただき……」


 ガブリエラがワインの杯を掲げてきたので、スレインもそれに応えようとする。このとき、スレインは左手に杯と料理の皿を、右手にフォークを持っていた。

 その状態で咄嗟に杯を掲げようとしたために、同じ手に持っていた皿が傾く。


「あっ……」


 スレインはそれを右手で支えようとしたが、フォークを握っていたために上手くとれなかった。

 皿を不安定に載せたスレインの右手は、皿のバランスを取り戻そうと動き、さらにはスレイン自身も手から滑り落ちようとする皿を追いかけて動く。

 しかし、結局それは間に合わず――無様に数歩よろめいたスレインは、たった今この場を立ち去ろうとしていたヴォルフガングの背にぶつかる。手の上の皿と、その上の肉料理ごと。

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