第86話 事前説明

 四月も終わりにさしかかったある日。スレインは王城に帝国第三皇女ローザリンデ・アーレルスマイアー・ガレドと、その補佐役であるジルヴェスター・アーレルスマイアーを招いた。

 表向きは、友好を深めるための会談への招待。実際に、スレインとモニカはまずはローザリンデと顔を合わせ、にこやかに歓談した。

 そして今。モニカが王城内を案内するという名目でローザリンデを連れ出しているうちに、スレインはジルヴェスターと「仕事の話」に移る。


「……大陸西部諸国において、帝国による侵攻を見据えた相互防衛の枠組みの設立が進められている。その情報はこちらも先日掴んでいました。ヴァイセンベルク王国による『連合』か、オルセン王国による『同盟』かで各国が揺れていることも知っています。貴国から説明がないままであれば、こちらからお尋ねさせていただこうと思っていたところです」


 スレインから大陸西部の現状を聞いたジルヴェスターは、少々渋い顔で言った。


「皇帝陛下の名代であらせられるローザリンデ殿下の補佐役としては、大陸西部の現状は歓迎いたしかねます。『連合』あるいは『同盟』がただの相互防衛の枠組みにとどまらず、団結して帝国西部の安全を脅かす野心的な枠組みへと発展したら……そう懸念せざるを得ません」


「あなたの懸念は尤もです。ジルヴェスター殿」


 スレインは微笑を作りながら答える。ジルヴェスターがこう言うのは予想通りだった。


「ですが、どうかご心配なく。少なくとも私が支持する『同盟』においては、あなたの懸念したような事態にはならないでしょう……大陸西部の各国は、小さくとも独立した国家。それぞれの思惑があり、利害があります。『同盟』を結成し、各国の存続がかかっている場面で一時的に共闘することはできても、野心を共有して帝国に攻め入ることなどできるはずもありません」


 大陸西部の人口はおよそ百三十万から百四十万。その気になれば、数万の軍勢を揃えることもできるだろう。

 しかし、そんなことをして帝国に攻め入り、領土を多少切り取ったところでどうなるというのか。切り取った領土をどのように分け、誰の責任で、どう連携して、守るのか。

 そもそも、大半の国にとっては本土から遥か遠い飛び地になってしまう領土を、さしたる利益も得られず維持するのが困難なだけの領土を、どうして欲しがるのか。盟主にさえ大きな権限を与えない「同盟」の仕組みで、誰がどうやって野心を統率するのか。

 もし大陸西部の各国が領土拡張を志す日が来たとしても、わざわざ帝国侵攻などという困難な道を選ぶことはない。その前に『同盟』を瓦解させ、隣国同士で互いに領土を奪い合うだろう。

 なので、帝国が大陸西部への野心を示さない限り、たとえ『同盟』の結成が実現しても、それが帝国への脅威となることはまずない。

 むしろ、下手に『同盟』の結成を妨害する方が、帝国は大陸西部に対して領土的野心を隠し持っていると捉えられてしまうのではないか。スレインはそう語った。


「……確かに、陛下の仰る通りですな」


 スレインの説明に、ジルヴェスターも一応の納得を示す。


「ただし、ヴァイセンベルク王国による『連合』が勝利した場合は、帝国にとっても少々厄介かと思います。当代ヴァイセンベルク王は野心的な人物で、彼の提唱する『連合』の内容や、その結成を急ぐ彼の行動からもその野心が溢れています。もし『連合』が結成されれば……大陸西部を掌握したヴァイセンベルク王が、さらなる領土的野心を満たすために『連合』を利用し、帝国に攻め入る。そう遠くないうちに、そのような未来が訪れないとも限りません」


 スレインとしては、さすがにヴォルフガングがそこまで急進的な動きを示すところまでは確信していない。あくまで可能性のひとつ、それもどちらかといえば可能性の低いものと考えている。

 しかし、帝国から大陸西部へと余計な横槍を入れられたくない今は、「『連合』より『同盟』が結成される方がましである」と説くことで、ローザリンデとジルヴェスターの動きを封じておきたかった。実際、スレインの言っていることは決して嘘ではない。


「幸い、こちらには打てる手があります。ひとまず『同盟』が実現するまで、どうかこのまま静観をお願いしたい。それが帝国にとっても最良の選択かと思います」


「……かしこまりました。この件は皇帝陛下に報告させていただきますが、今のハーゼンヴェリア陛下のお言葉をお伝えすれば、おそらく皇帝陛下も我々にひとまずの静観を命じられるでしょう。帝国としては、このまま大陸西部の行く末を注視することになるかと思います」


「ええ、どうか注視を。きっと貴国にとって望ましいかたちで事が収まるでしょう」


 ジルヴェスターに笑顔を返しながら、スレインは説得の成功を内心で喜んだ。

 フロレンツによる侵攻が発生した時点で、大陸西部でこうした安全保障の話題が上がることは避けられなかっただろう。そしてこのような話題が上がり、「連合」か「同盟」かの問題が巻き起こっている時点で、この情勢を帝国に憂慮されることもやはり避けられない。

 ハーゼンヴェリア王国が、大陸西部諸国と帝国の間に挟まれることは必然。であれば、帝国を見据えて背を預けるのは「連合」のような不安感を覚える椅子ではなく、「同盟」のような安心感を覚える椅子であるべき。

 結成されるのが「同盟」であれば、帝国を納得させ、落ち着かせる余地が十分にある。露骨に睨み合うよりは、必要な警戒はしつつ平穏に共存するかたちを作る方が、ハーゼンヴェリア王国としても居心地がいい。スレインは「同盟」結成への決意をより一層強くした。


・・・・・・・


 その数日後。スレインは王城に、今度はガブリエラ・オルセンを迎えていた。


「まずは、貴殿が我が『同盟』を選んでくれたことを感謝しよう、ハーゼンヴェリア王」


 応接室でスレインと顔を合わせ、スレインの意向を聞いたガブリエラは、内心を見せない表情で言った。


「それで、貴殿は私の『同盟』実現に向けて援護をしてくれるということだが……その見返りに貴殿が求めるものを聞きたい。援護の具体的な内容も」


「見返りは不要です。私はただ、前回の会談であなたが語った『同盟』の理念に共感し、その実現に意義を感じたまでです」


 スレインは微笑を浮かべて言ったが、ガブリエラはまだ少し警戒して様子で表情を殺している。


「……先日、妻の懐妊が分かりまして」


 ガブリエラの警戒を解くために、スレインはそう明かした。


「私と妻にとっては初めての子供です。自分が人の親になるのだと知ったとき、私の中で決意が固まりました。我が子に、そしてこの国で今後生まれ育つ子供たちに残すのは、『連合』というヴァイセンベルク王の野心に支配された大陸西部ではなく、各国が対等に力を合わせる、少なくともそうしようと試みる『同盟』であるべきだと。私があなたに協力するのは、あなたからの見返りを求めてのことではありません。全てはこの国の未来のため、この国の子供たちのためです」


 スレインの目を鋭く見据えていたガブリエラは、やがて微苦笑する。


「……それはまた、随分と理想を重視した考え方だな」


「あなたがそれを言いますか? 前にお会いしたとき、あれほど熱い志を語ったあなたが?」


 スレインが大仰に驚いてみせると、ガブリエラの苦笑が大きくなる。


「ああ、まったく貴殿の言う通りだ。理想主義者という点では私は誰のことも笑えないだろう……子供たちか。確かに、どうしてより良い未来を残したいのかと問われたら、それは子供たちのために他ならないな。共に力を尽くそう。大陸西部の子供たちのために」


「ええ、そうしましょう……では、あなたのもう一つの疑問。援護の具体的な内容についてもお話しします」


 そう切り出して、スレインは自身の考えた方法――ヴォルフガングの過去の失敗談を利用して、彼の人格的評価を地に落とすための策を説明した。

 その説明を聞き終えたガブリエラの顔には、驚き、呆れ、困惑、そして少しの嫌悪、それら様々な感情の混ざり合った奇妙な表情が浮かんでいた。


「……ハーゼンヴェリア王、本気か?」


「気に入りませんでしたか? 場をうまく用意することさえできれば、複雑な作戦も大がかりな準備も要らずに十分な効果が見込めると思ったのですが」


「いや、確かに有用そうな策だとは私も思う。が……この策は奇策が過ぎる。品がない。それに、貴殿も一時とはいえ嫌な思いをすることになるだろう」


「あははっ。私は今まで、奇策ばかりを使って危機を乗り越えてきた身です。罠を張ったり、相手を騙したり、敵陣の中に裏切り者を仕込んだり……上品とは言えない策を巡らせることなんて、今さらですよ」


 眉を顰めるガブリエラに、しかしスレインは涼しい顔で笑ってみせる。


「勝利のための手段も高潔でなければならないというのであれば、別案を考えてますが、あまり贅沢は言っていられないのでは? 現状では『同盟』の側が明らかに不利。勝ち方を選んではいられないでしょう。私たちが真に求めるべきは美しい勝利ではなく、美しい未来ではないですか?」


 ガブリエラはまた少し戸惑ったような顔になったが、一呼吸はさみ、意を決した様子で頷く。


「……貴殿の言う通りだな。せっかく策を考えてくれたのに悪かった。それでは、貴殿の策を実行することを目指そう。私は晩餐会か何か、各国の王が集まる社交の場を作ればいいのだな?」


「ええ、お願いします。そういう場を作るのは、私よりも影響力の大きいあなたの方が適任でしょうから。できるだけ多くの王、少なくともヴァイセンベルク王と『連合』寄りの諸王は全員を集めてもらいたいのですが、可能ですか?」


 スレインが尋ねると、ガブリエラは自信ありげな顔で力強く頷く。


「任せてくれ。諸王の集まる社交の場というのは、ヴァイセンベルク王にとっても『連合』への参加を呼びかける好機であるはず。他の王たちも、少なくともこの問題に関心のある大半の者は、格好の情報収集の場と見て集まってくれるだろう」


 まずはヴォルフガングに社交の集まりへの招待状を送り、その中に「招待を受けなければ怖気づいたと思われて舐められる」とヴォルフガングが思うような文言を潜ませる。

 そうしてヴォルフガングの出席の確約を得たところで、他の王たちに『連合』と『同盟』の提唱者双方が集まる重要な社交の場であることを印象づけ、彼らの出席を誘う。そうすれば必ず上手くいくとガブリエラは語った。


「ただ、時間は少しばかりかかるぞ? 大陸西部中の王を集めるのだ。一か月程度は見ておいてほしい」


「構いません。私としては、この騒動は今年中に決着がつけば十分だと思っていますから」


「そうか……では、策の詳細を詰めるとしよう」


 逆転の一手を成すため、その後もしばらく両者の話し合いは続いた。

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