第80話 連合①

 王国暦七十九年三月中旬。この年のハーゼンヴェリア王国社会も本格的に回り始めたある日、王国西部の国境を守るアガロフ伯爵家より、急報を伝えるための遣いが送り込まれた。

 遣いであるアガロフ伯爵領軍騎士の報告は、国王付副官であるパウリーナを通して国王スレインへと届けられる。


「ヴォルフガング・ヴァイセンベルク国王が、陛下との会談を求めてこちらへ向かっているとのことです。曰く『少し話したいことがある』と」


「……来訪の先触れじゃなくて、ヴァイセンベルク王本人が今こっちに向かってるの?」


 パウリーナの報告を聞いたスレインは、怪訝な表情で尋ねる。

 ヴォルフガング・ヴァイセンベルクは、大陸西部にある二十二の国のひとつ、ヴァイセンベルク王国の当代国王。

 ヴァイセンベルク王国は西部諸国の中でも最大の面積と人口、軍事力を誇り、ハーゼンヴェリア王国から見ると、ルマノ王国という国を挟んで西に位置している。


「はい。アガロフ伯爵家の遣いが伯爵領を発った時点で、ヴァイセンベルク国王は西の国境からハーゼンヴェリア王国の領土内に入っているとのことです。一行は国王と数名の供、そして十騎ほどの護衛のみという編成であったため、王国への害意を持った侵入と判断することはできず、通行を認めざるを得なかったとのことでした。アガロフ伯爵より陛下への謝罪が述べられています」


「……分かった。アガロフ伯爵には気にしなくていいと伝えて」


 スレインとしては、そう言うしかなかった。

 大陸西部で最強の国の王が、スレインに会いたいと言ってハーゼンヴェリア王国の領土に入ろうとしており、別に軍隊を大勢引き連れているわけでもない。あくまで一貴族でしかないアガロフ伯爵が、自己の判断のみでその入国を拒否するのは難しい。


「それで、アガロフ伯爵の遣いが今日到着したことから考えると……ヴァイセンベルク王がユーゼルハイムに到着するのは、明後日くらいかな?」


「はい。おそらくは明後日の夕方になるかと」


 王都ユーゼルハイムは王国の中央やや北側に位置するので、西部国境からの距離は東部国境と同じくおよそ三日。

 アガロフ伯爵家の遣いは、単騎で馬を替えながら走ることで、この道のりを一日強で走破してくれた。この強行軍による伝達のおかげで、ヴォルフガングを出迎える準備のための時間が何とか稼がれたかたちとなる。


「それじゃあ……報告を届けてくれたアガロフ伯爵家の遣いは、客室でゆっくり休ませてあげて。それと、ヴァイセンベルク王を迎える準備をするよう使用人たちに伝えてほしい」


「かしこまりました。直ちに」


 パウリーナは一礼し、執務室を出ていった。


「……あぁもう、面倒くさいなぁ……」


「ヴァイセンベルク王の気質は有名ですが、予告なしでの来訪というのは勘弁願いたいですね」


 室内にモニカと二人きりになったところで、スレインはため息をつきながらだらしなく机にもたれかかる。そんなスレインの様子を見て、モニカが苦笑する。

 普通、一国の王が別の国を訪問するとなれば、少なくとも到着の一週間前には遣いを送って予告する。迎える側も相応の準備が必要なので、緊急の要件があるわけでもないのにいきなり訪問されれば迷惑を被る。

 そうした礼儀を無視して訪問するのは、しかしヴォルフガング・ヴァイセンベルクらしいとも言える。

 このヴォルフガングは尊大かつ気ままな性格をしていることで知られており、彼が時おりこうした行動をとるという話は、スレインも外務長官エレーナや友邦の王であるオスヴァルドから聞いたことがあった。

 それまでのヴァイセンベルク王は常識的な人物だったので、ヴォルフガングのこの振る舞いは大国の王故のものではなく、彼個人の気質によるものと言える。

 父フレードリクたちの国葬や自身の戴冠式、そしてモニカとの結婚式にヴォルフガングは全て顔を出してくれたので、スレインは彼とこれまでに三度会ったことがある。三度会った結果、彼の尊大で気ままな態度や言動は正直かなり苦手だと感じている。


「本当だよ。冬明け早々にまったく……だけどまあ、来てしまうものは仕方ないか」


 スレインはもう一度嘆息し、顔を上げた。たとえどれほど苦手な相手でも、どれほど相容れない相手でも、できる限り上手く付き合うしかない。昨年のちょうどこの時期、そう学んだ。

 モニカが自ら淹れてくれたハーブ茶が、スレインの前に置かれる。


「ありがとう」


 スレインが礼を伝えると、モニカは慈愛に満ちた笑みを浮かべ、スレインの頭を撫でる。スレインはモニカの優しい手つきに安らぎを覚えながら、ハーブ茶に口をつける。


「……これほど急いで僕への面会を求めてるってことは、ヴァイセンベルク王の目的はやっぱり我が国への接近かな」


「おそらくは、そうでしょうね。大陸西部において以前よりさらに重要な立ち位置を持ったハーゼンヴェリア王国に、できるだけ早く接近したいとヴァイセンベルク王が考えたのは不思議ではありません。自国の影響力をこれからも維持したいでしょうから」


 スレインの呟きに、モニカがそう言って頷く。

 フロレンツ・マイヒェルベック・ガレド第三皇子によるハーゼンヴェリア王国侵攻は、大陸西部の他の国々にとっても青天の霹靂だった。長い年月に裏打ちされた、帝国は大陸西部に侵攻しないという考えが覆されたのだから。

 ハーゼンヴェリア王国は果たして生き残るのか。それとも滅び去るのか。諸国は自国の防衛態勢を整えながら、息を呑んで見守っていたことだろう。侵攻当初から腹を括って参戦してきたオスヴァルド・イグナトフ国王のような選択は極めて異例だ。

 結果的に、ハーゼンヴェリア王国は劇的な勝利を収め、ザウアーラント要塞を帝国から奪い取った。さらに、侵攻を実行した張本人であるフロレンツが皇帝の名代を解任され、帝国側が現状をひとまず放置する意思を示したことで、目の前の危機は去った。

 ハーゼンヴェリア王国の当面の生存がほぼ確定したとなると、諸国が次に気にするのは「もしもまたフロレンツのような存在が現れ、あるいは帝国そのものの気が変わり、大陸西部に牙を剥いたとしたら」ということ。

 そのような場合に備え、帝国の侵攻をより確実に防ぐ手段が欲しいと、どの国も考える。特にヴァイセンベルク王国のように大陸西部で存在感を持つ国は、この地域の命運――延いては自国の命運を、ハーゼンヴェリア王国のみに握らせることを良しとしないだろう。

 だとすれば、ヴォルフガングが急にスレインに会いたがる理由はひとつ。

 イグナトフ王国のように、ザウアーラント要塞防衛のための兵力提供を申し出てくるか。あるいは戦時に備えた助力の盟約のようなものを提案してくるか。形は不明だが、ハーゼンヴェリア王国の国防に一枚噛もうとする。


「猶予は二日程度か……セルゲイやジークハルト、エレーナと話し合って、できる限りの対策を練らないとね」


 ヴォルフガングはどのような提案をしてくるか。その裏にどのような意図を潜ませてくるか。こちらはどう考え、どう応えるべきか。重臣たちと急いで打ち合わせをしなければならない。


・・・・・・・


 それから二日後の午後。スレインは城館の応接室で、ヴォルフガングと顔を合わせた。

 本来は謁見の間で形式的な挨拶をしてから実務的な話に入るのが一般的だが、ヴォルフガングからはそれさえも面倒がられため、こうしていきなり応接室で実務的な話をすることになった。


「ハーゼンヴェリア王。それに王妃も。急に訪ねてすまなかったな」


 齢はおよそ四十代半ば。暗い茶髪をオールバックにして整え、顎に髭をたくわえた偉丈夫であるヴォルフガングは、ソファの背もたれに体重を預けて大きな態度で言った。


「いえ。ヴァイセンベルク王の来訪となれば、私たちはいつでも大歓迎です」


 一応、急に訪ねて迷惑だという自覚はあるのか。スレインは内心でそう思いながら、笑みを作って心にもない言葉を返す。スレインの隣には、こちらも作り笑顔のモニカが座っている。


「それで、ヴァイセンベルク王。何やらお話があると聞き及んでいますが」


「ああ、その通りだ。早速本題に入らせてもらおう……簡単に言うと、私はこの大陸西部の国々で、この地域を守るための『連合』を作ることを考えている。既に他の何か国かには打診を始めているのだが、ハーゼンヴェリア王国にも、是非この枠組みに参加してもらいたい」


 ヴォルフガングの言葉を聞いたスレインは、表情を動かさなかった。

 多くの国を巻き込んだ何かしらの枠組みを提案されるというのは、事前に臣下たちと話し合った中で一つの可能性として語られていた。

 単なる兵力提供や一対一の相互防衛盟約など、提案される内容として予想していた他のいくつかの可能性と比べると、複数の国による枠組みの結成というのは最も規模の大きな話と言える。


「なるほど、興味深いお話ですね。詳しく伺いたい」


「そうだろう。私としても、貴殿が興味を持ってくれると思っていた」


 スレインの言葉に上機嫌になったヴォルフガングは、自身が考えたという「連合」の概要を語り始める。



★★★★★★★


作者Twitterにて、サレスタキア大陸西部の地図と、一部の国の名称を公開しています。

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