第79話 第三皇女②

「ローザリンデ皇女は若くして皇帝陛下の名代に任ぜられ、フロレンツ・マイヒェルベック・ガレド第三皇子に代わって帝国西部の直轄領に来られた。そして我が国をはじめ、大陸西部の国々との外交も務められる。皇女は平和の使者であり、皇帝陛下が皇女に西部国境を任されたことは、大陸西部との平穏な関係を望むご意思の表明である……私はそのように認識しました。この認識は果たして正しいものなのか、教えてもらいたい」


 能力を持たない幼い娘に直轄領の代官や西方との外交官のような役職を与えたのは、大陸西部との情勢を下手に引っ掻き回す気がないことの証左。そのような受け取り方でいいのかと、スレインは言葉を飾りながら尋ねる。


「はい、国王陛下のご認識の通りにございます……何もするな。何も変えるな。皇帝家からはそのような御命令を賜っております。我々はこの御命令を厳守いたします」


 直接的な言葉を選んだジルヴェスターの返答に、スレインは小さく片眉を上げた。


「……随分と率直に、そちらの認識を教えてくれるのですね」


「皇帝家より使命を賜った我々としては、その使命を果たすためにも、貴国をはじめとした大陸西部の国々との間に誤解を抱えることは何としても避けたいのです。我々にとって極めて重要な存在であらせられるローザリンデ皇女殿下の御為にも」


 我々、すなわちアーレルスマイアー侯爵家。ジルヴェスターの立ち位置や、彼が見ている利益は非常に分かりやすかった。だからこそ、一定の信用に値するものと言える。


「なるほど。そちらの考えは理解しました。認識を確認し合うことができて嬉しく思います。フロレンツ皇子のときのように、『不幸な衝突』が起きないことを願います」


「もちろんです。決してそのような事態は起こりません……フロレンツ第三皇子殿下の末路を知ればこそ、ローザリンデ皇女殿下も我々も固くお約束いたします」


 ジルヴェスターの言い方に、スレインは怪訝な顔をする。


「……フロレンツ皇子は任を解かれたとは聞いていますが、その後のことは我々はまだ聞いていません。彼の『末路』とは? 詳しく聞かせてもらっても?」


「はい。本日我々が訪問させていただいたのは、その件について直接ご説明するためでもございました」


 そう言って、ジルヴェスターは帝都帰還後のフロレンツのことを――皇帝との謁見中、皇帝から叱責を受けていた彼が突如乱心し、そのまま心を病んで静養に入ったことを語った。


「乱心、ですか?」


「はっ。私も話に聞いたのみですが……何でも、絶叫しながら床を這って皇帝陛下に近づこうとし、近衛兵たちに拘束されて謁見の間から強制的に退場させられたとのことです。噂では、度重なる失態によって皇帝陛下より愛想をつかされ、その事実に精神的に耐えられなかったのではないかと言われております」


「……なるほど」


 スレインは半ば唖然としながら答える。

 静養、と言えば聞こえはいいが、おそらくは気が触れた厄介者を排除するための幽閉に近い措置がとられたのだろう。おそらくもう、帝国宮廷社会の表舞台に出てくることはあるまい。皇族としてのフロレンツは、その将来も権力も、終わったも同然だ。


「それはまた、何とも……気の毒な話ですね」


 一応は帝国との対立を終えた立場上、仮にも皇帝の息子であるフロレンツを「憐れ」などと評するわけにもいかず、スレインは言った。

 だからハーゼンヴェリア王国侵攻など試みるべきではなかったのだ。自身にとっては宿敵と呼ぶべき相手になってしまった男の末路に、スレインは内心でそう考えた。


「皇族とはいえ重大な失態を犯した者が、どれほど憐れな末路を辿るのか、ある意味ではフロレンツ皇子殿下は身をもって示されました。ローザリンデ皇女殿下は同じ道筋を辿ることはあり得ません。補佐役である私をはじめとした臣下が全力でお支えいたします……スレイン・ハーゼンヴェリア国王陛下。どうかこの先もよろしくお願いいたします」


「こちらこそよろしく。お互いに平穏な関係を守りましょう」


 少しの驚きを抱きながら、スレインはジルヴェスターに答えた。

 スレインが控えた「憐れ」という言葉を、ジルヴェスターは平然と使った。自国の皇子を憐れだと言った。そのような言い方をしても何ら問題がないほどに、フロレンツはその存在感と力の全てを失ったということだ。

 本当に、フロレンツはもう表舞台にはいないのだ。そう思い知った。


・・・・・・・


「いかがですか? ローザリンデ皇女殿下」


「とても綺麗なお庭です。何というか……風情を感じますわ」


 モニカがにこやかに問いかけると、ローザリンデは庭の花壇を眺めながら答える。

 ハーゼンヴェリア王国は小国で、王城もさして大きなものではなく、庭も広大とは言えない。先代国王フレードリクが質実剛健を好み、平民出身のスレインもその気風を概ね受け継いでいるため、庭に派手さはない。

 しかし、それは決してみすぼらしいことを意味しない。庭師が工夫を凝らし、ローザリンデがまさに言った通り風情を感じさせる空間を作り出してくれている。


「何度か訪れたことのある、おじい様の……失礼しました、祖父アーレルスマイアー侯爵の屋敷を思い出します。眺めていてほっとするお庭です」


 素朴で落ち着きのある庭を見回しながら、ローザリンデは穏やかな表情で語る。


「お気に召していただけたこと、王妃として嬉しく思います……よろしければ、テラスでお茶でもいかがですか?」


 モニカはそう促して、ローザリンデと庭の一角のテラスに座る。メイドが持って来たお茶淹れ道具を自ら手に取り、ハーブ茶を淹れる。

 王妃自らお茶を淹れる様を、ローザリンデはきょとんとした表情で見ていた。その幼い表情に、モニカは小さく笑う。


「お茶を淹れるのは好きなんです。スレイン国王陛下は私の淹れるお茶が一番好きだと仰ってくださるので、今でもこうして時々自分で淹れています」


「そうなのですか……とても、凄いです」


 ローザリンデの拙い返答に、モニカは優しい笑みを浮かべる。

 二杯淹れたお茶のうち好きな方をローザリンデに選ばせ、自分は残った方をとり、ローザリンデより先に口をつける。お茶にもカップにも毒がないことを証明するための所作だ。


「美味しいです。とても心が落ち着く味です」


「それはよかったです……ご緊張もすっかり解けたようで、安心しました」


 ほどよく温かいハーブ茶を一口飲んで感想を語るローザリンデに、モニカはそう答える。


「あっ、その……申し訳ございませんでした。最初の方は、ひどく緊張してしまって」


「いえ、お気持ちは分かります。どうかお気になさらず」


 ローザリンデは少し頬を赤くして、微苦笑する。


「やっぱり、これほどの大役を父う……皇帝陛下からいただいたのだと思うと、どうしても気を張ってしまって。私などが上手に務めを果たせるのか、不安になってしまって」


 大役。ただ象徴的な、言葉を選ばずに言えばお飾りの名代であっても、この幼い皇女にとっては身に余る大役なのか。

 それもそうか。無理はない。モニカは内心で思いながら笑みを保つ。


「畏れながら、ローザリンデ殿下はお役目を立派に果たされていると思いますよ……もし、何か不安なことがございましたら、私でよければいつでもご相談ください。何なら、この王城にお気軽に遊びにいらしてください。またこのテラスで一緒にお茶をしながら、お話ししたく思います」


「……ありがとうございます。モニカ王妃殿下」


 人懐こい表情で言ったローザリンデに、モニカはとびきり優しい微笑を作って向ける。

 これで、この少女と大きく距離を縮め、個人的な繋がりを作った。この繋がりを利用して何をするというわけではないが、仮にも皇帝の実娘である名代と仲良くしておけば、いつか何かの役に立つかもしれない。

 こうして親しく接し、距離を縮めるのは、ローザリンデと同性の自分だからできる立ち回りだ。自分がこの国とスレインのためにできる貢献だ。モニカはそう考える。

 九歳にして政治的な役目を与えられ、利用されるこの少女に、同情を覚えないわけではない。しかしそれは些細なことだ。

 自分が重要視するのは祖国たるハーゼンヴェリア王国と、伴侶たる国王だけ。

 自分の心はスレインだけのもの。全てはスレインのために。

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