第78話 第三皇女①

 冬が明けた王国暦七十九年の二月下旬。ガレド大帝国より、フロレンツ・マイヒェルベック・ガレド第三皇子に代わる新たな皇族が、大陸西部に対する皇帝の名代として帝国西部の皇帝家直轄領に着任したという報せがハーゼンヴェリア王国に届けられた。


「ローザリンデ・アーレルスマイアー・ガレド第三皇女。今から十五年ほど前に皇帝が迎えた第二皇妃との娘ですね」


 執務室でスレインと共に帝国からの書簡を読みながら、そう説明するのは外務長官のエレーナ・エステルグレーン伯爵だった。

 爵位が低いために愛妾の立場に置かれたフロレンツの母とは違い、アーレルスマイアー侯爵家という大貴族家の出身であるために正式な妃として皇帝家に迎えられた女性。その二人目の子供で、皇帝にとって末子にあたるのが、このローザリンデだという。


「……確か、僕が王太子時代に受けた勉強では、第三皇女はまだ七歳だと習ったはずだけど」


「はい、それで間違いありません」


「一昨年の時点で七歳なので、今年で九歳になるはずです」


 スレインが呟くと、王太子時代のスレインに勉強を教えた張本人であるモニカが頷き、エレーナがそう補足する。


「いくら皇族として教育を受けたとはいえ、九歳で直轄領の統治と大陸西部での外交を務められるとは思えない。ということは……あくまで象徴的な名代か」


「おそらく仰る通りかと。実際に直轄領統治の実務を担うのは、ローザリンデ皇女の補佐役たちになるのでしょう。内政だけでなくこちらとの外交も、皇女自身はお飾りの名代として儀礼的な交流に終始するものと思われます」


「なるほどね……フロレンツ皇子が下手に動いて大陸西部との関係に罅を入れた分、下手に動きようのない幼い娘を置いておくことで、情勢を安定させようとしてるのか」


 机に置かれた書簡から視線を上げ、椅子の背に身体をもたれさせながら、スレインはため息交じりに言った。皇女とはいえ十歳にも届かないうちから政治に利用されるローザリンデに、内心で多少の同情を覚える。


「それに加えて、ほぼ実権のない皇女を名代に置くことで、西部国境において皇帝家が何ら新たな行動を起こす意思がないとこちらに示す意図もあるのでしょう……マクシミリアン皇太子が言っていたことは、どうやら本当だったようですね」


「まあ、ハーゼンヴェリア王家としてはこの方が都合がいいか。ほとんど形だけとはいえ、皇帝の名代であることは変わらない。相応の礼節をもって迎えよう」


 スレインは書簡の文面、その最後の方に目を向けて言った。そこには三月の初頭、ローザリンデ皇女が挨拶のためにスレインのもとを訪れると記されている。


「ローザリンデ皇女を歓迎する準備については、パウリーナに頼むよ」


「かしこまりました。典礼長官である父にも相談した上で、各方面に手配をいたします」


 スレインが指示すると、副官であるパウリーナは生真面目な表情で頷く。


「私は念のため、ローザリンデ皇女の出方を何通りか予想し、それぞれに対する応答を考えます。国王陛下と王妃殿下それぞれの分を」


「……確かに、一応そういう対策も必要か。分かった、任せるよ」


「ありがとうございます、エレーナさん」


 スレインとモニカに言われ、エレーナは微笑を浮かべて一礼した。


・・・・・・・


 そして三月初旬。書簡での予告通り、ローザリンデ・アーレルスマイアー・ガレド第三皇女の一行が王都ユーゼルハイムに到着し、王城に入った。

 ザウアーラント要塞から王都まで一行を案内したジークハルトの報告によると、皇族の一行にしてはその規模は五十人程度と小さく、この事実からもスレインとエレーナの読み通り、ローザリンデはあくまで象徴的な名代であると思われた。

 一行の到着の報を受けて間もなく、スレインは謁見の間にてローザリンデと対面する。


「が、ガレド大帝国第三皇女、ローザリンデ・アーレルスマイアー・ガレドです。こ、この度はお会いできて光栄に思います。ハーゼンヴェリア王」


「ハーゼンヴェリア王国第五代国王、スレイン・ハーゼンヴェリアです。我が国にご来訪いただけたこと、誠に光栄に存じます。ローザリンデ皇女」


 玉座に座ったスレインは、立ったまま軽く膝を折る所作を見せるローザリンデと挨拶を交わしながら、さりげなく彼女を観察する。

 何ということはない。ローザリンデはどこからどう見ても、ただの少女だった。

 さすがは超大国の皇帝の娘というべきか、九歳にして淑女らしい気品を醸し出してはいるが、年相応に緊張した様子も見せており、可愛げがある。恐れる必要はなさそうだった。

 ローザリンデの後ろには補佐役らしき中年の男が一人控え、その表情は皇女を守る絶対の決意に満ちており、油断ならない相手に見える。が、そのような補佐役が必要ということは、ローザリンデはやはり見た目通りの少女だということになる。

 スレインに続いてモニカも王妃として挨拶をし、その後は少しの会話を経て応接室へと場所を移す。厳粛な謁見の間は、和やかに交流するのには適さない。

 応接室で互いにソファに座り、お茶を囲んでしばらくたわいもない歓談に終始していると、当初は明らかに緊張していたローザリンデの表情も随分と和らいだ。スレインとモニカが若く、柔和な性格であることも、ローザリンデの緊張を解く上で有利に働いた。


「ローザリンデ殿下。よろしければこの城の庭をご案内します。ガレド大帝国の皇女殿下にとっては、さして見応えのないものかもしれませんが……」


「いえ、とても嬉しく思います」


 モニカが提案すると、ローザリンデは無邪気な微笑を浮かべた。


「……その間、そちらの彼はここに。私と少し仕事の話をしましょう」


 スレインが視線を向けると、ローザリンデの後ろに立つ補佐役の男は驚いた様子もなく、無表情を保つ。スレインの言葉を予想していたためか。


「かしこまりました」


 男はそう答え、少し不安げな表情のローザリンデを向く。


「皇女殿下。ご心配なさいませんよう。殿下には供の者を付けますので」


「ジルヴェスター……分かりました」


 ローザリンデはなおも不安げな表情だったが、男の言葉に素直に頷いた。


「それでは殿下、まいりましょう」


 スレインと目を合わせ、頷き合ってから、モニカがローザリンデに言った。それを受けてローザリンデは立ち上がる。


「は、はい。よろしくお願いします」


 それぞれ供を数人ずつ連れて、モニカとローザリンデは応接室を出ていく。


「……さて。どうぞ座って楽にしてください。その方が話しやすいでしょう」


「……では、失礼いたします」


 室内にスレインと護衛のヴィクトル、そして補佐役の男とその護衛だけが残り、スレインと男はテーブルを挟んで向かい合う。


「まずは、あなたの名前と立場を聞かせてもらいたい」


「はっ。私はローザリンデ皇女殿下の補佐役として、殿下の執務をお手伝いしております、ジルヴェスター・アーレルスマイアーと申します。ガレド大帝国貴族、アーレルスマイアー侯爵家の次期当主の立場にあります。自己紹介が遅くなり申し訳ございません」


 そう言って、男――ジルヴェスターは頭を下げた。


「なるほど。アーレルスマイアー侯爵家の継嗣ということは、ローザリンデ皇女とは親戚で?」


「はっ。第二皇妃殿下は私の妹なので、ローザリンデ殿下は私から見て、姪にあたります」


 それを聞いてスレインは納得した。

 ローザリンデの訪問予告を受けて今日までの間に、スレインはエレーナより解説を受けて知識を増やした。ローザリンデの母方の実家であるアーレルスマイアー侯爵家についても学んだ。

 アーレルスマイアー侯爵家は大貴族と呼べる名家ではあるが、十以上もある帝国侯爵家の中では最下層の権勢しか持たない。領地が帝国の北西部辺境にあり、その地域においては穀倉地帯としてそれなりの存在感を放っているものの、そもそも北西部辺境自体が帝国の中で重要度が低いためにアーレルスマイアー家も立場が弱いのだという。

 そんなアーレルスマイアー家にとって、当時は帝国貴族社会を賑わせるほどの美女として知られた令嬢が壮年の皇帝に気に入られ、第二皇妃となったのは極めて幸運なことだったものと考えられる。第二とはいえ皇妃の実家となれば、少なくとも粗雑に扱われることはない。

 そして生まれた子供が、皇帝の五番目の子供にあたる第二皇女と、六番目の子供にあたる第三皇女。このうち第二皇女は国内の大貴族家への輿入れが決まっているというが、末子である第三皇女ローザリンデはまだ幼いこともあり、将来は未定だという。

 彼らアーレルスマイアー家としては、ローザリンデにもこのまま皇族の娘として無難な将来を歩んでほしいはず。そうすれば、少なくとも次の皇帝の代までは、皇帝に近しい親族であるアーレルスマイアー家の安寧は保証される。

 となると、西部国境の直轄領における皇帝の名代という仕事は、彼らアーレルスマイアー家にとってはおそらく嬉しい話ではない。幼く未熟なローザリンデがもし大きな失敗をすれば、前任であるフロレンツのように不名誉な解任をされ、その失態が将来に響く可能性もあるのだから。

 だからこそアーレルスマイアー家は、次期侯爵という立場にあるこのジルヴェスターをローザリンデの補佐役に付け、全力で支えることにした。そう考えられる。


「実の伯父が補佐を務めるとなれば、ローザリンデ皇女もさぞ心強いことでしょう……さて、それでは本題に。ハーゼンヴェリア王国を治める者として、あなたとは少し認識のすり合わせをしておきたいと思います」


 スレインはそう言って、微笑を保ちながらも纏う雰囲気を変える。それを感じ取ったのか、ジルヴェスターの気配も硬くなる。

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