第77話 騎士の子

 社会の流れが緩やかになる冬。スレインとモニカは昨年と同じようにいつもよりのんびりと仕事をしながら、一方では別の重要な仕事――世継ぎ作りにも励んだ。

 遅く起き、大した量ではない執務に二人で取り組み、夜は早く寝室に入り、翌朝はまた遅く起き――という、穏やかで甘美な冬の日々を過ごして一月の下旬。ある日の午後。

 この日もいつものように執務をこなしていたスレインとモニカのもとに、副官であるパウリーナが新たな報告を届けに来た。


「失礼します、陛下。王国軍将軍であるフォーゲル伯爵閣下より、王国軍の新兵採用の件で陛下のご判断を仰ぎたい一件があるとのことです」


 昨年末までザウアーラント要塞の防衛指揮に就いていたジークハルトは、副将軍であるイェスタフが治癒魔法のおかげもあって動ける程度に回復し、指揮を引き継いだため、王都に戻って将軍としての職務に注力している。


「……ジークハルトが? 軍の実務で僕の判断を? 珍しいね」


 パウリーナの言葉を聞いたスレインは、片眉を小さく上げて驚きを示す。モニカを見ると、彼女も同じような反応を見せていた。

 定員三百人の王国軍は、何もなくても毎年十人から十五人ほどが除隊する。加齢による体力の衰えを理由として。

 そして戦いが起これば、殉職者や、二度と戦線復帰できない後遺症を抱えた戦傷者の分も枠が空く。なので毎年、冬の寒さも少しずつ和らぎ始めたこの頃より、王領各地で新規入隊者を募る。

 王国軍兵士になれば、王家に仕える軍人としての名誉、それなりの給金、死んでも遺族に少なくない見舞い金が送られる保証を得られる。法衣貴族の継嗣以外の子弟、騎士の子女、継ぐべき財産のない平民家の次男以降の者など、身分を問わず入隊希望者は多い。

 そのため、募集には毎回定員の数倍に及ぶ人数が集まる。そこから個々の能力や性格、出自などを考慮して入隊者を選抜するのは、最終的には将軍であるジークハルトの仕事となる。

 スレインは今まで戦術面で提言をしたこともあるが、軍事の実務に関してはむしろジークハルトたち武門の貴族から助言を受ける立場にいる。新兵の採用についても、本来スレインが口を挟む余地はない。

 だからこそ、スレインもモニカも驚いていた。


「その件、詳しい内容は聞いてる?」


「はい。昨年のウォレンハイト公爵による謀反の際、フォーゲル閣下との一騎打ちの末に戦死した公爵領軍騎士。その息子が王国軍への入隊を希望してきたそうです。今年で十五歳の成人を迎える者で、昨年の時点では未成年だったために反乱には加わっていなかったとのことです」


「……なるほどね」


 スレインは微苦笑を浮かべて呟く。

 ユリアス・ウォレンハイト公爵の側近の一人で、公爵が逃げる時間を稼ぐために単騎でジークハルトに挑みかかり、敗れた騎士。先の謀反での唯一の戦死者。スレインの記憶では、名前は確かヘンリク。

 スレインは公爵の謀反に関与した者たちの家族の罪を問わなかったので、そのヘンリクの息子も自身が反乱に加わっていないのであれば、法的には無罪の人間として生きているはず。旧公爵領の社会でどのような目を向けられているかはともかく。

 そして、旧公爵領の民は、今は全員が王領民となっている。なので、ヘンリクの息子が王国軍への入隊を希望してはならないということはない。少なくとも制度上は。

 とはいえ、その出自は無視するには特殊過ぎる。政治的に極めて複雑なこの事態を前に、ジークハルトが王であるスレインの判断を仰ぐのは理解できる話だった。


「いかがなさいますか?」


「そうだな……とりあえず、入隊を希望してきたヘンリクの息子と会ってみよう。彼が何を思って王国軍に入ろうとしているのか、その意図を直接聞きたい。それから判断したい」


 パウリーナの問いかけに、スレインはそう答えた。

 ヘンリクの息子の罪を問わないと、決めたのはスレイン自身。

 王国軍を王家の剣として機能させ続ける、その最終的な責任を負うのも王であるスレイン自身。

 だからこそ、スレインは今すぐこの一件に答えを出すことはできないと考えた。


「かしこまりました。フォーゲル閣下にそのようにお伝えします」


 パウリーナは一礼して、スレインの返答をジークハルトに届けるために退室していった。


・・・・・・・


 その数日後。城館の謁見の間で、スレインはヘンリクの息子と対面した。


「国王陛下。王領民ルーカスと申します」


 片膝をついて首を垂れながら名乗るのは、栗色の髪を短く刈った、がっしりとした体格の青年だった。騎士の息子として教育を受けたからか、その礼の姿勢は平民にしては整っている。


「ハーゼンヴェリア王国第五代国王、スレイン・ハーゼンヴェリアだ。顔を上げていい」


 スレインの許可を受けて、ルーカスと名乗った青年はゆっくり顔を上げた。


「……君は今年で十五歳になると聞いているけど、大人びた顔立ちと体格だね」


「八歳の頃から父に厳しく鍛えられました。昨年に父が死んだ後も鍛錬を続けています。体格は父譲りのものです」


「そうなのか。父親の死後も鍛錬を続けているとは、さすがは騎士の息子だね」


 玉座につくスレインは、努めて気楽にルーカスと言葉を交わす。そんなスレインの態度とは反対に、謁見の間の空気は張り詰めている。

 王妃としてスレインと並んで座るモニカは、表情こそ微笑をたたえているが、その目は鋭くルーカスを刺している。スレインの傍らに立つセルゲイは露骨にルーカスを睨み、ジークハルトはいつものように寛大そうな笑みを浮かべながらも、その全身から静かに迫力を放つ。

 警護責任者であるヴィクトルは、ルーカスが妙な行動をとればいつでも斬り捨てられるよう身構え、それはルーカスを囲む数人の近衛兵たちも変わらない。

 パウリーナは無表情を保ち、この場の邪魔にならないよう気配を殺している。

 このような状況で居心地が良いはずもなく、ルーカスは表情を硬くして額に汗を浮かべる。


「さて、騎士ヘンリクの息子ルーカス。今日ここに呼ばれた理由は、君も分かっていることと思う……君の父は、王家に謀反を起こしたユリアス・ウォレンハイト公爵の臣下として、王家の軍と戦った。そして、僕の横に立つこのフォーゲル伯爵に討ち取られた。そのような過去があることを考えると、王国軍への入隊を希望するという君の選択は、ずいぶん大胆で変わったものに思える」


「……はい。陛下の仰る通りだと思います」


 ルーカスはひどく緊張した面持ちで、しかし声を震わせることはなく答える。


「ずばり聞かせてほしい。ルーカス。君はどうして王国軍に入りたいのかな?」


 スレインが真っ向から尋ねると、ルーカスは小さく深呼吸し、スレインを見返して口を開く。


「それは、私が父から与えられた戦いの技術と、父から教えられた騎士の心得をもって、私が新たに仕えるべき主君であらせられる国王陛下の御為に力を尽くしたいからです」


 それを聞いたスレインは目を細める。


「……興味深い。もう少し詳しく聞こう。好きに話してみるといい」


「は、はい……父は、自分の戦いの技術を全て、一人息子である私に教えようとしていました。十四歳までに全てを身につけたとはとても言えませんが、それでも私の持つ戦いの技術は……父がこの世に遺したものとして、無駄にしたくないと思いました」


 ルーカスは言葉を探しながら、懸命に話す。


「そして、父はいつも言いました。『騎士は主君の絶対的な味方であるべきだ』と。それが、父が騎士として自分自身に課した絶対の心得でした。父はこの心得を守って、ウォレンハイト公爵のために死にました……父の心得が絶対に正しいのかは分かりません。ですが……私は父に教えられた、父が命を懸けて貫いたこの心得を自分も守りたいと思っています。王領民となった今、私にとって主君は国王陛下です。だから私は、騎士となって国王陛下に忠節を尽くしたいと考えました」


 話し終えたルーカスは、溜め込んだ緊張を吐き出すように深い息を零した。


「なるほど、君の考えは分かった」


 スレインは玉座から立ち上がり、ルーカスに歩み寄る。セルゲイが何か言いたげに一歩進み出るが、それを手で制する。

 ヴィクトルが剣の柄に手を触れながら、スレインに続く。

 スレインはルーカスの数歩前で立ち止まり、床にしゃがみ込んでルーカスと目線を合わせた。この距離であれば、武器を持たないルーカスが仮に飛びかかってきたとしても、ヴィクトルが剣を抜いてルーカスを斬り捨てる方が確実に早い。危険はない。


「君の父はフォーゲル伯爵に殺された。そして、あの戦いで王家の軍の大将は僕自らが努めた。僕が君の父を殺したと言ってもいいだろう。さて、君はフォーゲル伯爵や僕を恨んでいるかな? 君の父を殺した相手を」


 王に見据えられたルーカスは、穏やかな表情で、首を小さく横に振った。


「……戦場で軍人を殺すのは、戦いそのものである。だからこそ軍人は、恨みを以て殺し殺されるべきではない。父はそう言っていました。父は将軍閣下や国王陛下を恨んでいないはずです。なので、私も恨みません」


「そうか。では、君は亡き父のことをどう思っている? 今も息子として愛しているかな?」


 スレインのさらなる問いかけに、ルーカスはスレインと、室内に居並ぶ王妃や臣下たちの顔色を少し伺った上でおそるおそる頷いた。


「はい……王国社会から見れば、父は王家に対して謀反を起こした貴族の下で戦うという、間違った選択をしたのだと思います。ですが……それでも、私にとって父は父です」


 その言葉を聞いたスレインは、小さく笑った。


「なるほど……父は父か。確かに、君の言う通りだ」


 スレインは自身の亡き父フレードリクのことを思い出しながら呟いた。

 血を分けた父親は、誰しもがこの世に一人だけ持つ存在。良くも悪くも代わりはいない。

 その繋がりはときに呪いとなる。しかし、かけがえのない支えにもなり得る。


「ルーカス。父から与えられた多くのものを抱えて、父からその最期をもって与えられた鎖を抱えて、生涯を歩む覚悟が君にはあるかい? 君のその出自で王家に仕える軍人を目指すというのは、そういうことだと分かっている?」


「……はい、国王陛下」


 問われたルーカスが見せたのは、微笑だった。父への愛と、諦念と、他にも多くの感情を複雑に含んだ微かな笑みだった。

 スレインもそれに同じ微笑で応え、頷き、そして立ち上がる。


「王として、彼の王国軍への入隊志願を認めてやりたい。ただし最終的に決めるのは、将軍であるジークハルト、君だ」


 スレインに顔を向けられたジークハルトは、ニヤリと笑って頷いた。


「王国軍将軍として、この者の出自は一切考慮せず、入隊試験において他の者と平等に審査いたします。この者が王国軍人となるに値する実力を持っていた場合、入隊を認め、必ずや信頼できる王家の剣へと鍛え上げてご覧に入れます」


「ありがとう、ジークハルト……それでいいかな、セルゲイ?」


 最後に問われたセルゲイは、少しの間を置いて頷いた。


「陛下のご意思とあらば、私としては異論ございません。フォーゲル卿と王国軍がこの者の面倒を見るのであれば、問題はないでしょう」


 宰相の許しを得て、スレインは再びルーカスを向く。


「ルーカス。狭き門をくぐり抜けて王国軍への入隊を成し、一王国軍人として王家の、王である僕の信頼を得られるか。それは君の努力にかかっている。僕個人としては、君に期待しているよ」


「……光栄の極みに思います。ご期待にお応えするため、一所懸命に努力を重ねます」


 ルーカスは深々と頭を下げて言った。

 それから数週間後、今年の王国軍新兵の名簿がスレインのもとに届けられた。選抜試験の成績順に記されたその名簿の一番上に、ルーカスの名前はあった。

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