第76話 男爵領の今後

 十一月の末。城館の会議室に、国王スレインと王妃モニカ、国王付副官パウリーナ、王国宰相セルゲイ、農業長官ワルター、そしてユルギス・ヴァインライヒ男爵が集っていた。

 話し合われるのは、ヴァインライヒ男爵領の開拓支援について。


「まずは一年ほどかけて、ヴァインライヒ男爵家の屋敷……といっても小規模なものだがな。それと領民たちの家を建設し、農村の体裁を整える。それと並行して農地の開墾も進め、卿らグルキア人への農業指導も行い、数年をかけてヴァインライヒ男爵領の農業社会が機能するように支援することになるだろう」


「それはそれは、まさに至れり尽くせりですね。ありがたい」


 セルゲイによる概要説明を聞いたユルギスは、例のごとく気障な笑みを浮かべて軽い口調で感想を語った。


「君たちが忠節を行動で示した対価として、僕は爵位と領地を与えたんだ。形ばかりの叙爵じゃ意味がない。きちんと実態が伴うよう、王家として支援するのは当然のことだよ」


 スレインと王家への忠誠を行動で示し、晴れてハーゼンヴェリア王国民となったユルギスたちだが、彼らはこのハーゼンヴェリア王国で何の伝手もなければ、家を建てて農地を耕す技術や知識も持っていない。彼らに与えられたヴァインライヒ男爵領が領地の体を成すには、王家の支援が欠かせない。

 領地と爵位を与えておいてその後何の支援もしなければ、スレイン・ハーゼンヴェリア国王が臣下に与える褒美は形ばかりだ、などと言われかねない。王家の面子を保つためにも、スレインは彼らをできる限り支援するつもりだった。

 また、彼らの領地が成り立たなければグルキア人たちは国境における防壁の役割を果たしてはくれず、万が一彼らが生活に困窮して余裕をなくせば他の領主貴族たちと諍いを起こす可能性もないではない……という事情もある。そうした事情はユルギスに説明されることはない。


「領地運営について卿に最低限の才覚があり、家と農地はこちらが用意するものとして、ヴァインライヒ男爵領が軌道に乗るまでにかかる時間は三年から五年程度だろう。その期間は王家より全面的な支援がなされるので、卿の領民からは税をとらずにおくことを強く勧める」


 セルゲイは視線を鋭くしながらユルギスに言った。宰相からの「強く勧める」という助言は、もはや命令と変わらない。


「私は領地運営については素人です。宰相閣下よりいただいた助言に従いますとも」


 ユルギスはやや軽薄そうに笑いながらも、立場や能力をわきまえていることを示す。


「それで、ヴァインライヒ卿。この冬までに、他のグルキア人から接触はあったかな? ヴァインライヒ男爵領への移住希望者は?」


「ええ、おりました。私の知り合いが団長を務めている小規模な傭兵団が二つ、人数にして三十数人がヴァインライヒ男爵領への移住を希望しています。私の手下……ではなかった、私の従士が補給任務で要塞を出た際に、接触があったそうです。つい先週の話です」


 スレインの問いかけに、ユルギスは首肯して答える。


「移住を希望している三十数人は、まともな傭兵とその家族です。領民として私の言うことを聞くはずですし、立場をわきまえて行儀よくするだけの頭も持ち合わせています」


「そうか、君がそう言うのならひとまず大丈夫だろうね。冬明けには、その調子で移住希望者が増えるのかな?」


「……いえ。おそらくですが、そうはならないでしょう。その三十数人が私の領民になると決意したのは、団長たちが私と顔見知りだったからこそです。他のグルキア人たちは、あまり積極的にヴァインライヒ男爵領には来たがらないかと。少なくとも当面は」


 グルキア人たちはかつての故郷を追われてから、もう八十年ほども根無し草の傭兵として生き、周囲から侮蔑されてきた。そんなグルキア人に爵位と領地が与えられた、と聞いても、その報せを楽観的に受け取る者は少ない。

 超大国たるガレド大帝国との国境地帯に置かれた、まだ領地の体も成していないグルキア人貴族領。そこを安住の地と信じて移り住み、今までとは何もかもが違う新生活を送ろうと考える者はほとんどいない。

 グルキア人に言わせれば、たとえ迫害や好奇の視線に晒されるとしても、傭兵である限りは「金に困らない安定した人生」を歩むことができる。平均的な自作農や職人などと比べても遜色ない収入を得られて、よほど熾烈な紛争にでも身を投じない限りは意外と死なない。傭兵という仕事は、寄る辺ない彼らにとってはなかなか手放す決断に踏み切れない尊いもの。

 だからこそ、すぐに傭兵稼業を辞めてヴァインライヒ男爵領に移り住むような者は多くないだろう。ユルギスはそう語った。


「私たちが陛下のご提案を受け入れたのは、私がヴァインライヒ家の末裔であったから、そして何より陛下と直接お会いして説得を受けたからこそです。他のグルキア人たちは、陛下のお人柄も、グルキア人傭兵の群れの眼前に自ら飛び込んできた肝っ玉の大きさも知りません」


 主君に「肝っ玉」などという言葉を使うユルギスにスレインとモニカは小さく吹き出し、一方でセルゲイとパウリーナは表情を少し険しくしてユルギスを見る。ワルターは無表情を保つ。


「なるほど、なかなか上手くはいかないものだね……それでは、ヴァインライヒ男爵領が安定して発展していく中で、グルキア人移住者が少しずつ増えるのを気長に待つことにしよう」


 ヴァインライヒ男爵領の運営が軌道に乗れば、そこをグルキア人の安住の地と見て移り住む者も増え、ハーゼンヴェリア王国の東の防壁として機能していく。数年も経つ頃には変化が表れてくると期待できる。

 焦っても状況は変わらないので、スレインもひとまずは現状で良しと考える。


「ではヴァインライヒ卿。具体的な話を進めるぞ」


 セルゲイがそう言って話を切り替え、その後も話し合いは進む。

 ユルギスたち元グルキア人傭兵は、新たなハーゼンヴェリア王国民として社会に加わることはもちろん、その戦闘力を活かして国境防衛に貢献することも期待されている。

 ヴァインライヒ男爵領の最初の領民となる百人弱のうち、戦える者は実に六十人ほどに及び、その一人ひとりが並の兵士を上回る精強さを誇る。

 これを活かさない手はないので、ヴァインライヒ男爵領からは人口比で他の貴族領よりも遥かに多い兵数――ひとまず二十人がザウアーラント要塞に駐留する。

 まずは元『ウルヴヘズナル』団員が、いずれは他の傭兵団出身の者も、この軍役を務めることになる。他の傭兵団出身の者を要塞に入れても問題ないかの見極めは、領主たるユルギスが行う。

 今のヴァインライヒ男爵領からすれば、人口の実に二割以上を軍役に就かせることになるが、当面は王家が開拓の支援を行うので彼らが生活に困ることはない。

 そして王家の支援が終わる頃には、おそらくヴァインライヒ男爵領の人口も増えているので、彼らの負担も最初ほど大きなものではなくなっている。

 ヴァインライヒ男爵領からどの程度の兵力を要塞に回すかは、人口の増え方や情勢を見て都度判断する。いずれ世代が代わり、ヴァインライヒ男爵領民の「元傭兵の集団」という気質が薄まった際には制度を大きく変えることになるだろうが、それはあくまで先の話となる。


「また、多くの領民を軍役に就かせるヴァインライヒ男爵領には、より少ない人数で食料自給率を高めることができるよう、ジャガイモを多く栽培することを強く勧める」


「ジャガイモ……昨夜、陛下との会食で出てきたあれですか。確かにあれはなかなか美味かったですね」


 昨年と今年をかけてある程度の増産が叶ったジャガイモは、少しずつ市場にも流通し始め、王城では既に日常的に食卓に並んでいる。スレインがユルギスを招いた昨夜の夕食の席でも、ジャガイモの炒めものとスープが出された。


「ジャガイモは我が国の農業生産力を高めて、社会の基盤を強靭化する可能性を秘めた食材として注目されているんだ。詳しい説明はワルターにしてもらった方がいいかな」


 スレインが促すと、ワルターが頷いて話し手を引き継ぐ。


「ヴァインライヒ卿。卿らには農業の経験がないと思うが、ジャガイモはそんな卿らでも比較的容易に栽培できるだろう。ジャガイモは麦と比べて栽培期間が短く、収穫率も良く、主食にもなる。ヴァインライヒ男爵領では、麦と並行してこのジャガイモを主要作物として栽培するのが最善かと思う。農業長官である私と部下たちが、やり方を一から指導させてもらう」


 麦、すなわちパンは大陸西部の人間にとって精神的な面でも欠かせないものなので、もちろんヴァインライヒ男爵領でもある程度は栽培させる。

 しかし、それは彼らグルキア人が消費する分に留めさせ、余力はジャガイモ栽培に割かせる。可能であれば、ヴァインライヒ男爵家への納税も麦ではなくジャガイモで行わせる。

 ヴァインライヒ男爵家が現金収入を得られるよう、ユルギスが領主として徴収したジャガイモは王家がエリクセン商会を通じて買い取り、王領の市場に流す。

 こうしてジャガイモを活用すれば、ヴァインライヒ男爵領は国境防衛に人手を割きながらも農村社会を成り立たせることが叶い、王家は王領の外にジャガイモの一大供給地を得られる。


「なるほど。我々グルキア人は農業に関しては何も分かりません。ありがたく指導をお受けいたしましょう」


「それはよかった。君の理解に感謝するよ、ヴァインライヒ卿」


 スレインは穏やかな笑みをユルギスに向けながら、内心で安堵する。

 帝国との戦いで王国社会が団結し、領主貴族たちと大きく対立する可能性が低くなった今、王領の食料自給率の低さは以前ほどの問題ではなくなった。しかしどちらにせよ、王国全体の農業生産力は高いに越したことはない。ジャガイモの普及が進めば、それは国力向上に直結する。

 そのためには王領以外にもジャガイモ栽培を広める必要がある。ヴァインライヒ男爵領のように、王家の言うことをそのまま聞いてジャガイモ増産を担ってくれる領地はありがたい。言葉を選ばずに言うと、極めて都合がいい。他の貴族領ではこうはいかない。


「それでは陛下。以上のような方針でヴァインライヒ男爵領の開拓支援を進めるものとし、今後は私と長官級の者たちで、ヴァインライヒ卿も交えてより詳細な話を詰めていきたく存じます。よろしいでしょうか?」


「問題ないよ。それで頼む」


「御意……では諸卿。本日の会議はこれで終了とする」


 セルゲイの言葉で、話し合いの場は閉じられた。

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