第73話 愛①

 十月中旬。予定より一か月近く遅れて、スレインとモニカの結婚はようやく実現した。

 一年で最大の祝日である生誕祭とちょうど時期が近くなったこともあり、王領ではザウアーラント要塞陥落という歴史的勝利を祝う祭り、生誕祭、そして王の結婚を祝う祭りが立て続けに催されることとなった。

 それぞれの前夜祭も合わせると、およそ一週間にわたる祭りの日々。王の結婚式とそれに伴う祝祭は、その最後の二日間に置かれた。

 王城にも、王都ユーゼルハイムの市街地にも賑やかな声が絶えない数日を過ごしたスレインは、しかし結婚の儀式の際には、王都中央教会の聖堂で厳かな空気に包まれる。


「――神は我らの父、そして我らの母である。その慈愛は永遠に、この地とそこに生きる者へと降り注がれる。この地の守護者たるハーゼンヴェリア王が妻を迎えるとき、神はこの妻をまた守護者として認め、偉大なる祝福をこの者らの子々孫々へと――」


 スレインとモニカが信徒の礼をとる前で、アルトゥール司教が聖句を述べる。

 重要な儀式の日である今日、スレインの頭上には王冠がある。

 そして隣に並ぶモニカの頭にも、ルチルクォーツを散りばめた銀と黒金のサークレットが載せられている。ハーゼンヴェリア王家に代々受け継がれてきた、王妃のみが被ることを許されたサークレットだ。

 スレインとモニカの後ろには参列者が居並ぶ。その多くは王国貴族と、周辺国の王の遣いだが、自らスレインの結婚を祝うためにハーゼンヴェリア王国へと来訪した王も数人いる。

 平民上がりの王が男爵令嬢を妃に迎えるという、政治的には王家の系図を繋ぐだけの意味しかない結婚式に、しかし彼ら諸王ははるばる参列しに来た。自国で生誕祭が開かれている期間をもハーゼンヴェリア王国への移動に費やし、この場に居合わせている。

 それはおそらく、スレインがザウアーラント要塞奪取という空前の成功を収めたためだ。フロレンツ皇子に打ち勝ち、自国の領土に、延いては大陸西部に一定の安寧を確保したスレインは、周辺国の君主にとっては仲良くしておきたい相手となった。この現状がその証左だ。

 繋ぎとして王位に据えられた平民上がりにしては有能。つい数か月前までそのような見方をされていたスレインは、今や大陸西部において最も重要な王の一人となった。


「――よって、今日この日、神の見守る下で、この者らは夫婦となった。これよりこの者らは、互いが神の御許に向かうそのときまで、愛し合う夫婦である。スレイン・ハーゼンヴェリア、そしてモニカ・ハーゼンヴェリア。誓いの接吻を」


 スレインとモニカは信徒の礼を解き、立ち上がる。そして向かい合い、見つめ合う。

 金糸とルチルクォーツによる装飾の施された、カラスの羽根のように艶やかな黒のドレス。王妃となるモニカのために作られたこのドレスは、彼女の深紅の髪の美しさをより際立たせ、彼女の凛々しさをより引き立てている。

 世界一美しい。スレインは心からそう思い、モニカに半歩近づく。モニカもそれに合わせる。

 そして、スレインはモニカを見上げ、モニカはスレインを見下ろし、互いに顔を寄せる。

 二人の唇が、そっと重なる。参列者たちの間で拍手が起こる。


「……愛してる。これからずっと」


「私もです。心から愛しています、スレイン様」


 唇を離したスレインとモニカは、微笑み合いながら、互いにだけ聞こえる声で愛を伝え合う。


・・・・・・・


 儀式を終えたスレインとモニカは、臣民の祝福を受けながら王都の通りを馬車で進み、王城に入った。

 王城の敷地内には、王家の一族の遺灰が安置された霊堂が存在する。

 城館をはじめとした行政や生活の空間とは離れた敷地の隅、花に囲まれた静かな霊堂を、スレインとモニカは戴冠したまま訪れる。


「……父さん」


 霊堂の中で、スレインが静かに呼びかけたのは、父フレードリク・ハーゼンヴェリアの遺灰が収められた骨壺だった。


「僕はあなたの後を継ぎ、王になり、そして今日、妻を迎えました。ハーゼンヴェリア王家は、王とその妃を得るところまで立ち直りました。まだ途上ですが、ここまでは来ました」


 父は死を前にして、スレインが王位を継ぐことを望んだ。家族を失い、未来を失い、おそらくは想像を絶する無念に包まれながら、自身の後を継ぐことをスレインに求めた。

 スレインは言葉も交わしたことのない父の望みに、応えることを決めた。彼は自分の父である。自分は王の子である。複雑な感情を抱きながらも、この運命を受け入れてここまで歩んできた。

 だからこそ、スレインはモニカと夫婦となってから、まず最初にここへ来た。自分が歩んだ新たな一歩を、まずは父に語るべきだと思った。


「僕は彼女と一緒に、これからも歩んでいきます。あなたのような、願わくばあなたを超える王を……そして父親を、目指していきます」


 だからどうか、これからも見守ってください。そしてどうか安らかに。スレインはそう語り、先代王妃や王太子と共に眠るフレードリクのもとを去る。

 そして今度は、王家の霊堂の外、専用の小さな霊堂に安置された母アルマの骨壺の前に、モニカと並んで立つ。平民だが当代国王の母であるアルマは、ルトワーレから骨壺を移され、特例的に王城の敷地内に安置されている。


「……母さん、僕は今日、結婚したよ。モニカと夫婦になった」


 スレインは父に対するものよりも柔らかい声と口調で、眠る母に呼びかける。


「僕はモニカと一緒なら、どんな困難も乗り越えていける。彼女と手を取り合って歩んでいける。だから、安心して僕たちを見ていて」


 スレインがそう語りかけた後、モニカがアルマの骨壺の前にそっと座る。よく手入れのなされた芝の上に両膝をつき、視線の高さを骨壺に合わせる。


「アルマ様。あなたがスレイン様を産み育ててくださったからこそ、私はスレイン様と出会い、こうして結ばれることができました。スレイン様の妻となった身として、心から感謝しています。できることなら直接お会いして、直接お礼をお伝えしたかったです」


 モニカは手を伸ばし、そっと、微かに、アルマの骨壺に触れた。


「……これからは私が、スレイン様の家族として彼を支え、守ります。あなたのようにスレイン様の良き理解者となり、いずれスレイン様との子を生したら、あなたのように良き母親となれるよう努めます。どうかいつまでも、私たちを見守っていてください。お義母様」


 思いを伝え終えたモニカは、立ち上がってスレインを振り返る。スレインの横に並び、スレインの手を握る。


「行こうか、モニカ……皆が僕たちを待ってる」


「はい、スレイン様」


 これから二人は、王とその妃として臣民の前で言葉を語り、臣民の祝福を受け取る。その後も結婚式の参列者との晩餐会や、夫婦として迎える初夜など、予定が並ぶ。明日からは本格的に二人での治世が始まる。

 二人の夫婦としての歩みは、これから連綿と続いていく。

 スレインとモニカは愛情に満ちた笑みを向け合いながら、手を取り合って霊堂を後にする。




 同じ頃。ガレド大帝国の帝都では。

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