第70話 ユルギス・ヴァインライヒ男爵

 ザウアーラント要塞にいた敵兵七百のうち、実に半数以上が戦死した。帝国常備軍はフロレンツを連れて逃げた者以外は全滅し、傭兵も三百人以上が死んだ。

 残る傭兵のうち半数は、フロレンツが逃げるより早く東門から逃走。もう半数が降伏した。知らない土地である帝国領土に逃げることはためらわれたのか、降伏した傭兵の多くは大陸西部出身の者だった。

 そして、ハーゼンヴェリア王国側の要塞攻略軍にも少なからず犠牲が出た。

 王国軍兵士は九人が、貴族領軍兵士は十二人が、徴集兵は三人が死亡。イグナトフ王国の部隊からも八人の死者が出た。

 無謀なほど果敢に戦った『ウルヴヘズナル』の傭兵たちは、五十人のうち実に十二人が死んだ。損耗率では他のどの部隊よりも高かった。

 各部隊の負傷者は、比較的軽傷の者も含めれば死者の倍に及ぶ。

 ツノヒグマのアックスも単独でおよそ三十人の敵兵を殺戮したが、前脚を負傷し、しばらく戦闘には参加できなくなった。

 落馬したイェスタフも、生きてはいたが片足に深い傷を負った。強力な治癒魔法による治療を受けたため、後遺症は出ないが、当面は軍務に復帰できない。


「……国王陛下。敵の大将首を取り逃がしました。面目次第もございません」


 足以外にも全身至るところに傷を負い、痛々しい姿で簡易の寝台に横たわるイェスタフが、見舞いに来たスレインを見るなりそう言って起き上がろうとする。

 スレインはそんなイェスタフに寝たままでいるよう命じ、寝台の横の椅子に座った。


「謝る必要はない。君たちはよく戦ってくれた。ザウアーラント要塞の奪取という偉業を成し遂げられたのは、君たちの奮戦のおかげだ。王として君たちを誇りに思う」


「……勿体なきお言葉です」


 なおも悔しげな表情のイェスタフにゆっくり休むよう言い、スレインはその他の負傷者にも声をかけて回る。そうして見舞いを終え、医務室代わりの兵舎の大部屋を後にするスレインに、モニカとヴィクトル、数人の近衛兵が続く。

 そこへ、ジークハルトが歩み寄ってくる。


「状況はどうかな?」


「要塞の防衛準備は概ね問題なく進んでおります。今しばらく時間を要しますが、斥候とブランカによる偵察では、帝国に要塞奪還の動きはありません。心配する必要はないかと」


 スレインの問いかけに、ジークハルトは現状をそう報告した。

 ザウアーラント要塞を奪取して数日。スレインたちは未だゆっくり休む暇もなく、戦いの後処理に追われている。

 捕虜とした傭兵たちには、司令部建屋の金庫に保管されていたフロレンツの軍資金らしき金貨銀貨の山から彼らが今月受け取る予定だった給金を配ってやり、要塞外で解放。

 今月前半のうちに相場より高い月給を丸ごと受け取った彼らは、文句を言わず、暴れることもなく、各々の本拠地である地域へと帰っていった。

 それでも余った金――実に二千万レブロ以上になる――は、兵を出した比率に応じてオスヴァルドや貴族たちと分け合った。

 そして今は、この要塞を敵に奪い返されないための防衛準備を進めている。

 谷の只中にあるザウアーラント要塞は、地形的に帝国側からも容易に攻略できないが、東側の空堀は浅く、門も西側より脆弱で、バリスタなどの防衛設備は東の城壁上にはない。

 今後は東からの攻撃を警戒しなければならない要塞内では、門を強化してバリスタを東側の城壁に移動させる作業が大急ぎで進められている。手の空いている兵士は空堀を深く広くする作業に従事し、土魔法を使える王宮魔導士や各貴族家のお抱え魔法使いも動員されている。


「そうか。それならよかった。ザウアーラント要塞の堅牢さは、元の持ち主である帝国が一番知ってるはずだ。下手な真似はしないだろうね」


「仰る通りかと思います。もしフロレンツ皇子が安易に要塞奪還を試みても、必ずや防衛を果たしてご覧に入れましょう……それともう一点ご報告が。『ウルヴヘズナル』の連中が、これから仲間の葬儀を行うようです」


・・・・・・・


 ザウアーラント要塞を出て西側、ロイシュナー街道脇の少し開けた場所に『ウルヴヘズナル』の傭兵たちは集っていた。戦闘員だけでなく、ハーゼンヴェリア王国側に待機していて戦闘終了後に合流した非戦闘員も一緒だった。

 そこへスレインは顔を出した。王の登場に、ユルギスは片眉を上げて少しの驚きを示す。


「……仲間の葬儀をするときは伝えるよう言われていましたが、まさか陛下ご自身がいらっしゃるとは」


「君たち『ウルヴヘズナル』はハーゼンヴェリア王国のために勇敢に戦った。ザウアーラント要塞の奪取において大きな役割を果たし、ハーゼンヴェリア王家との契約を守った。我が国に尽くした者の死を悼むのは王として当然のことだよ」


 スレインはそう答えながら、並べられた遺灰の壺に目をやる。

 十二の壺の前には、十二の小さな木箱。グルキア人はエインシオン教を信仰しているが、死者の左手の小指だけは火葬せず、塩と特殊な薬草の液につけて防腐を施し、保管する。彼らの先祖である山岳民族の精霊信仰からの風習だ。

 こうした特異な風習も、グルキア人が蛮族として蔑まれる理由のひとつとなっている。


「邪魔でなければ、僕も一緒に彼らの冥福を祈らせてほしい」


「もちろん歓迎しますよ。死んだ奴らも光栄に思うでしょう……我々もエインシオン教徒なので、基本的な葬儀の流れは同じです。聖職者はおらず、いくつか細かい文言がグルキア人独自のものになっていますが」


 ユルギスはそう言って葬儀を始める。本来は聖職者が唱える聖句は傭兵団長であるユルギスが唱え、他の者はそれぞれ死者のために目を閉じて祈る。

 スレインも、同行しているモニカも、葬儀の場の隅に立って静かに祈りを捧げる。


・・・・・・・


 さらに数日が経ち、負傷者の後送や要塞東側の最低限の強靭化作業も一段落した頃。要塞内の広場に、百人以上が集まっていた。

 居並ぶのは、此度の戦いに参戦したハーゼンヴェリア王国の領主貴族たち。その子弟や側近格の騎士たち。王家に仕える貴族や騎士たち。さらに、グルキア人傭兵たち。彼らは国王スレイン・ハーゼンヴェリアと、ユルギス・ヴァインライヒを囲んでいた。

 片膝をついて首を垂れるユルギスの肩に、スレインは剣を――自身専用として作られたが、戦闘ではなく専ら儀式の際にのみ振るっている剣の先をそっと置く。


「ユルギス・ヴァインライヒ。汝が示した類まれなる武勇と、ハーゼンヴェリア王家への忠節を認め、汝に男爵位を授ける。汝とその子々孫々による王家への忠節が続く限り、この爵位は代々受け継がれるものとする。これは唯一絶対の神の御前で誓う、ハーゼンヴェリア王家とヴァインライヒ男爵家の盟約である」


「ありがたき幸せ。我がヴァインライヒ男爵家の一族は、末代に至るまでハーゼンヴェリア王家への忠節を尽くすことを誓います」


 ハーゼンヴェリア王国で新たに領主貴族が誕生するのは、実に五十年以上ぶりのこと。王国の歴史に残るこのめでたい日に、しかし二人を囲む者たちの表情は様々だった。

 リヒャルト・クロンヘイム伯爵とトバイアス・アガロフ伯爵は、それぞれの派閥に属する貴族たちの説得に成功した。スレインがザウアーラント要塞奪取という空前の大戦果を挙げ、そのためにユルギス率いるグルキア人傭兵が極めて大きな役割を果たし、この策を考え決行したのがスレイン自身だったこともあり、表立って反対を表明する領主貴族はいなかった。

 しかし、だからといって領主貴族たちが諸手を上げてユルギスを貴族社会に歓迎しているわけではない。貴族は家によって、そして当主個人によって思想や価値観が分かれる。傭兵上がりのグルキア人が爵位を得ることについて、王国のために尽くしたのだから文句はない、と考える者もいれば、王が言うのだから状況的にもやむを得ない、と極めて消極的に頷いた者もいる。

 貴族たちの心情の温度差が、記念すべきこの場に微妙な空気を漂わせていた。


「ハーゼンヴェリア王国の国王たる私はここに、新たな王国貴族家であるヴァインライヒ男爵家の誕生を宣言する。この場に集う全員が、その証人である」


 ユルギスの肩から上げた剣を空に掲げ、スレインは言った。

 スレインの言葉の後、辺りに沈黙が流れる。スレインの脇に控えているジークハルトが、沈黙を破って拍手をしようと手を動かしたそのとき。

 ジークハルトよりも先に、拍手を鳴らす手があった。皆がそちらに視線を向けると、拍手の主はイェスタフだった。

 怪我を負いながら、椅子に座ってこの儀式に参加していたイェスタフは、無表情でユルギスを見据えて手を打ち鳴らす。それを、ユルギスは少し驚いたように片眉を上げて見返す。

 貴族の中でもタカ派とされるイェスタフが、グルキア人であるユルギスの叙爵を歓迎するような行動を見せた。その事実を前に小さなざわめきが起こり、しかしそのざわめきは間もなく拍手の波に代わった。


「おめでとう、ユルギス。君は我が国の貴族だ。君の同胞は我が国の民だ」


「……ありがとうございます、国王陛下。我が忠誠心と我々の敬愛は、偏に陛下とハーゼンヴェリア王家のものです」


 ユルギスはスレインの言葉にそう答え、左胸に右手を当てて頭を下げる王国貴族の礼を示す。

 貴族と騎士たちの拍手に包まれながら、ユルギス・ヴァインライヒはこの日、ハーゼンヴェリア王国貴族となった。



★★★★★★★


ハーゼンヴェリア王国と国境地帯の地図を微修正し、作者Twitterに上げ直しました(ザウアーラント要塞の位置を少し修正しました)。


作者名「エノキスルメ」で検索いただければすぐにアカウントが出てくるかと思います。


よろしければ是非ご覧ください。

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