第68話 要塞攻略①

 日が暮れたザウアーラント要塞の内部で、ユルギスは西の城壁上に立っていた。


「よおグルキア人。ハーゼンヴェリア王国の奴らは本当に夜襲を仕掛けてくると思うか? こんなクソ暗い夜の谷間でよ」


 隣に立つ別の傭兵団の男から話しかけられ、ユルギスはフッと笑いながら首を横に振る。


「敵さんがどう動くかなんて、俺にも正確なところは分からんよ。ただ、フロレンツ皇子殿下には高い報酬をもらったからな。将の一人に任命された以上、念入りに備えるのも仕事のうちだ」


 今日の昼間。ユルギスはフロレンツに、ハーゼンヴェリア王国の軍勢による夜襲の可能性を考慮するべきだと進言した。

 他の傭兵たちからは、夜間に足場が悪い中で敵が攻城戦を試みるとは考え難い、という意見も出た。ユルギスはそれでも念のためにより多くの兵を夜警に充てることを提案し、最終的にはフロレンツの了承を得た。

 その上で、発案者である自らが夜警の指揮を務めることを申し出、自身が指揮する『ウルヴヘズナル』の全員を夜警の人員に加えた。

 現在、要塞内で夜警要員として起きているのは百人ほど。そのうち三十人強は兵舎の中で休憩をとっており、七十人弱が屋外に立って警備を務めている。

 七十人弱の中に、『ウルヴヘズナル』の団員は全員が含まれている。


「お頭、そろそろいいのでは?」


「……そうだな」


 部下に言われたユルギスは、不敵な笑みを浮かべて答えた。夜警の人員以外は既に寝静まった頃合い。『ウルヴヘズナル』の団員たちも皆が屋外にいる。今が決行の好機だ。


「なんだ? 休憩してる奴らとの交代にはまだ早――っ!?」


 ユルギスと部下の会話に訝しげな表情を浮かべた別の団の傭兵は、ユルギスが凄まじい速さで抜いた短剣に喉を刺し貫かれ、声を失って目を見開く。


「悪いな。あんたに恨みはないが……同胞の未来がかかってるもんでね」


 ユルギスが短剣を引き抜くと、傭兵の喉から血が噴き出す。松明の灯りだけが光る夜の城壁上で、びしゃり、と血の飛び散る音が小さく響く。

 近くには他にも『ウルヴヘズナル』の団員でない傭兵が二人ばかりいたが、どちらもユルギスの部下によって首をかき切られ、絶命していた。

 この場の敵は片づけた。それを確認したユルギスは短く鋭い口笛を吹く。それを合図に『ウルヴヘズナル』の団員たちは動き出す。

 屋外に出ている傭兵のうち、『ウルヴヘズナル』の団員でない者たちが次々に殺されていく。味方に突然牙を剥かれ、それも相手が手練れ揃いということもあり、傭兵たちは声を上げる間もなく死んでいく。

 そうして邪魔者を排除した『ウルヴヘズナル』の団員たちは、要塞の跳ね橋を下ろしにかかる。ここだけは常備軍兵士が直接警備を担っている、跳ね橋の引き上げ機のもとへ急ぎ移動し、二人いた常備軍兵士を瞬く間に殺す。

 そして、引き上げられていた跳ね橋の固定を解く。跳ね橋は上げるときは人手がいるが、下ろすだけなら数人で事足りる。

 鎖の軋む重い音が響き、跳ね橋が下りていく。


・・・・・・・


 夜も更けた頃、要塞の様子に動きがあった。鎖が軋む重い音が響き、跳ね橋が下り始めた。


「ブランカ」


「了解です!」


 スレインに名を呼ばれたブランカは、鷹のヴェロニカを飛ばす。ヴェロニカは要塞上空を一回りするように飛ぶと、ブランカの腕へと舞い戻る。


「陛下、要塞内で敵の大軍が待ち構えてるようなことはありません」


 ヴェロニカと数秒視線を交わしたブランカが、そう報告する。

 もしユルギスがこちらを裏切ってフロレンツに作戦の情報を漏らせば、こちらは要塞に突入したところで待ち構えられ、包囲殲滅されてしまう。ブランカによる偵察のおかげで、その危険はないことが分かった。

 スレインたちがこうして要塞内の状況を確認している間に跳ね橋は完全に下ろされ、今度は門が開かれる。重い木製の門がゆっくりと開かれ――ザウアーラント要塞への突入を阻むものはなくなった。

 それを認めたスレインが口を開く。


「突入」


「第一隊から突入! 突き進め!」


 スレインの指示を受けてジークハルトが声を張り、隊列最先頭の部隊が動く。

 王国軍の正規兵によるこの部隊を率いるのは、イェスタフ・ルーストレーム子爵。指揮官のイェスタフ自身を先頭に騎兵がおよそ二十。その後ろに続く歩兵が百八十。さらにここへ、ツノヒグマのアックスを連れたブランカも随行する。

 本来、夜襲というのは作戦の中でも難しい部類に入る。

 指揮官が周囲の状況を把握して的確に命令を下すことで、軍隊は初めて効果的に動ける。夜間は指揮官による状況把握が極めて難しく、まともな部隊行動をとるのは至難の業となる。

 夜襲が叶うのは、開けた平原で少数の部隊が敵の野営地を奇襲する場合などに限られる。月明かりの届きづらい山の谷間で、月が満ちているわけでもないこの時期に、幅のある空堀や高い城壁に守られた要塞を攻めるなどまず不可能だ。

 しかし今は状況が違う。ほぼ真っすぐな一本道を、松明に照らされた要塞の、開け放たれた門まで進むだけ。内部に協力者がいるからこそ、要塞への夜襲という極めて難しい作戦が容易に実行される。

 イェスタフたちは空堀を渡る橋を駆け抜け、そのまま門を潜る。城壁に囲まれた広い空間の中に倉庫や兵舎が並ぶ要塞内部へと足を踏み入れる。

 あちらこちらに松明が置かれているため、要塞内は夜でも周囲を見渡せる程度には明るい。開け放たれた西門の周りには、『ウルヴヘズナル』の傭兵たちが集まっていた。


「ハーゼンヴェリア王国の皆さん! ようこそザウアーラント要塞へ!」


「状況は!?」


 ユルギスによる出迎えがてらの軽口を無視し、イェスタフは怒鳴るように尋ねる。


「跳ね橋を下ろして門を開ける音で、さすがに他の兵士たちも異変に気づき始めましたよ。まだ大騒動にはなってませんが、これから続々と集まってくるはずです……ほら、手始めに司令部の建屋の中で起きてた奴らが来ました」


 攻撃を受けた際の被害分散のためか、要塞内の建物は一か所に固まっておらず、ばらけて建てられている。そのうちの一つ、一棟だけ灯りのついている建物から、夜警の交代要員として起きていた三十人ほどの傭兵がぞろぞろと出てくる。

 開け放たれた門からハーゼンヴェリア王国の軍勢が侵入していることに気づいたらしい彼らは、他の兵を起こそうと大声を出し始める。


「グルキア人傭兵はここにいる分で全員か!?」


「仰る通りです。ここにいる以外は全員敵。いくらでも殺して構いません」


「よしっ、騎兵は俺に続け! 歩兵はこのままこの一帯を確保! 後続のために場所を作れ!」


 短く指示を飛ばしたイェスタフは、そのまま二十騎を率いて駆ける。味方を起こそうと叫んでいる三十人ほどの傭兵のもとへ突撃し、蹴散らす。


「いいかい! あの建物の中にいるのは敵だ! 全部殺していい! 危ないと思ったら帰って来るんだよ! ほら行きな!」


 イェスタフが騎乗突撃を敢行する一方で、ブランカはアックスに指示を伝えてその横腹を叩く。弾かれたように駆け出したアックスは、要塞西門から最も近い兵舎の中に飛び込む。

 直後、その兵舎の中から大絶叫が響く。

 要塞内の異変に気づいたとしてもまだ戦闘準備も終えていない傭兵たちが、狭い屋内でツノヒグマと無防備に対面したらどのような目に遭うか。兵舎内の惨状は想像に難くない。

 こうして第一隊が西門の周辺を確保したところへ、各貴族領軍やイグナトフ王国の部隊、そしてクロスボウを装備した徴集兵部隊が突入してくる。王国軍が正面を、貴族領軍と徴集兵部隊が右翼側を、イグナトフ王国軍が左翼側を守る半円の陣形が作られる。

 この頃には、分散して建てられている兵舎の中から戦闘準備を終えたらしい傭兵たちが飛び出してくる。数人から十数人単位で屋外に出てきた傭兵たちは、敵が大挙して侵入している様を目の当たりにすると、近くの者同士で集まって即席の部隊を組む。

 それら部隊の規模が数十人程度であるうちに、ハーゼンヴェリア王国側の要塞攻略軍は動く。


「構え!」


 陣形の右翼側で声を張るのは、徴集兵によるクロスボウ部隊の指揮をとるリヒャルト・クロンヘイム伯爵。リヒャルトの言葉に従い、およそ八十人のクロスボウ兵のうち半数が膝撃ちの姿勢をとる。

 このクロスボウ兵たちは、定期訓練と魔物討伐を経験した王領民。その動きは、彼らがただの徴集兵であることを考えると及第点以上だった。


「放て!」


 そのかけ声で第一射が実行され、四十の矢が空気を斬り裂いて飛ぶ。即席の部隊で隊列を整えようとしていた敵傭兵のうち、二十人ほどが矢に当たって倒れる。


「交代! ……放て!」


 クロスボウ兵たちが前後を交代し、残る四十人が一斉射を行う。敵傭兵は盾を構え、あるいは一射目で倒れた味方の身体を盾にしていたが、それでも十人ほどが矢を防ぎきれずに倒れた。


「突撃! 残る敵を左右から挟撃しろ!」


 連続での一斉射を終えたクロスボウ兵が装填を急ぐ一方で、今度はトバイアス・アガロフ伯爵の命令を受けた貴族領軍の混成部隊が前に出る。クロスボウ隊の左右から、残る三十人ほどの敵傭兵を囲むように前進した混成部隊は、数にものを言わせて敵の殲滅を達成する。

 目の前の数十人を殲滅した右翼側の部隊は、また陣形を整えて次の敵の出現に備える。


「……まさか、この私がエーベルハルトの倅と肩を並べて戦うことになるとはな」


「敵の敵は味方、とはよく言ったものですね」


 本来は仲が悪い王国東部と西部の貴族閥盟主が、仲良く並んで戦いを指揮している。数年前ならあり得なかったであろう状況を前に、リヒャルトとトバイアスは皮肉な笑みを浮かべた。

 同じとき、陣形の左翼側ではイグナトフ王国の部隊が目の前に現れた敵傭兵の一隊に先制攻撃を仕掛ける。イグナトフ王家に仕える武門の貴族や、自ら参戦している領主貴族が指揮をとり、多数をもって少数の敵を殲滅していく。

 そして陣形正面は、敵の初動部隊を蹴散らして戻っていたイェスタフ率いる王国軍が守る。ハーゼンヴェリア王家が誇る正規軍は、自ら先頭で剣を振るうイェスタフの指揮の下、目の前に現れた敵傭兵の小部隊を各個撃破していく。

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