第67話 ザウアーラント要塞

 ガレド大帝国西部における国境防衛の要のひとつ、ザウアーラント要塞。そこでは現在、ハーゼンヴェリア王国再侵攻のための準備が進められていた。

 今の時点で集まっている兵力は、帝国西部の皇帝家直轄領を守る常備軍一個軍団のうち、もともと要塞に駐留させていた兵士が三百。そして、フロレンツの募兵に応じた傭兵が大陸西部と帝国内から合わせておよそ七百。合計で千。そのうち常備軍兵士二百と帝国出身の傭兵百が、侵攻に向けた物資輸送など後方作業に回っている。

 そして、フロレンツの直衛である常備軍兵士の百と、傭兵の残り六百が、要塞の防衛に充てられている。ハーゼンヴェリア王国が要塞に先制攻撃を仕掛けてきた場合への備えだ。

 後方作業に常備軍兵士の方が多く充てられているのは、大量の金や物資を扱う作業に傭兵ばかりを充てると、傭兵たちがものだけ奪って行方をくらませる危険があるためだった。

 また、今回フロレンツが大陸西部から多くの傭兵を集めようとしているのは、帝国領土内であまり大々的な募兵を行うと、皇帝である父に借金の件を気づかれるのが早まるため。

 皇帝家の名を無断で借りて貴族から金を集めたことを、侵攻成功の報よりも先に父に知られたくない。なのでフロレンツは、帝国領土では自身が治める西部直轄領の狭い範囲でのみ募兵をしている。こうすれば、遠く帝都にいる父に募兵の件を知られるまでかなりの猶予を得られる。

 大将を務めるフロレンツ自身も、数日前から既に要塞へと入っていた。兵力が本格的に集結を果たすのはあと一、二週間ほど後だが、自ら総指揮を担って大侵攻をするという高揚感から、居ても立っても居られずに要塞で過ごしていた。

 そして、九月中旬に入ったばかりのこの日の午後。哨戒に出ていた兵士より、ハーゼンヴェリア王国の軍勢およそ千二百がロイシュナー街道を進み、要塞に接近しているという報告が入った。


「可能性のひとつとして一応は想定していたが、まさか本当に要塞攻略を試みるとは……さすがはモルガンの指揮する軍を撃破したスレイン・ハーゼンヴェリア国王だ。なかなか度胸があるな」


 自ら要塞の西側城壁に上がったフロレンツは、遠く視認できる敵軍の先頭を見て楽しげな表情で言った。


「だが、報告では敵軍の総数は千と少しだったか? ザウアーラント要塞を攻略するにしてはあまりにも足りないだろう」


「皇子殿下。敵は所詮、人口わずか五万の小国の王です。平民上がりのハーゼンヴェリア王が要塞攻略などという無謀を試みても、集まる兵力などたかが知れているのでしょう。期待し過ぎるのは酷なことかと」


 横からそう語ったのは、フロレンツの参謀として付いている常備軍の軍団長。その言葉はスレインを完全に馬鹿にしたものだった。


「そうか、それもそうだな……まったく、小国の王というのは何とも困難の多そうな立場だ」


 フロレンツはスレインと顔を合わせたときのことを思い出しながら、彼を気の毒に思って呟く。愛妾の子として宮廷社会で嫌な思いもしてきたフロレンツは、平民から王になってそれなりに上手くやっているスレインを個人的には嫌っていない。

 しかし、個人的な同情心と第三皇子としての野心は別。すぐに気持ちを切り替える。


「こちらは難攻不落のザウアーラント要塞に七百の兵力、敵は攻略に千二百の兵力。万が一にも負けるとは思わないが、諸君はしっかりと要塞を守ってくれ」


 フロレンツはそう言って、自身と共に城壁上で敵軍を眺める隊長格の者たちを向いた。


「特にユルギス。蛮族たるグルキア人のお前たちに高い金を払ってやったんだからな。報酬分は成果を示してくれよ」


 現在集結を果たしている傭兵の中では最も名高く、常備軍の軍団長と並んで要塞防衛の責任者に任命されているユルギス・ヴァインライヒ。フロレンツから名指しで言われたユルギスは、不敵な笑みを浮かべる。


「お任せください、第三皇子殿下。この要塞防衛も、その後のハーゼンヴェリア王国侵攻も、いただいた報酬以上のはたらきを必ずや成してみせましょう」


「ははは、凄い自信だな。本当に報酬以上のはたらきをしてくれたら、そのときは追加報酬としてお前の望むものを何かくれてやってもいいぞ」


「……それはありがたいお言葉です。では、我々グルキア人に安住の地たる領地と、グルキア人貴族の末裔たる私に爵位をいただけると誠に嬉しく存じます」


 フロレンツの言葉に、ユルギスは笑みを浮かべたままそう返す。


「くっ、ぶはははっ! 矮小な大陸西部の国々からも蛮族として蔑まれるグルキア人風情に、偉大なる帝国が領地と爵位を下賜か! お前は冗談が上手いなぁ!」


 声を上げて笑いながら遠慮なくグルキア人を侮蔑するフロレンツに対して、ユルギスも笑みを崩さない。


「はあ、楽しい冗談だった。笑わせてもらったぞ……だが、冗談は冗談に留めておけよ」


「もちろんです殿下。卑賎なグルキア人として、身のほどはわきまえております」


 笑い泣きの涙を指で拭うフロレンツに、ユルギスは前を向いたまま答えた。


・・・・・・・


「なるほど。僕は直に見るのは初めてだけど、確かに立派な要塞だね」


 街道を塞ぐように鎮座するザウアーラント要塞を眺め、スレインはそう感想を呟いた。

 石材を組み上げた城壁の高さは、スレインが暮らす三階建ての城館とほぼ同じ。城壁上には固定式のバリスタが十台以上も設置され、さらには頑強そうな塔が計四基も備えられている。

 また城壁の前には、肉体魔法でも使わなければ飛び越えられないほどに幅広い空堀もある。スレインたちのいる街道上から要塞までは緩やかな下り坂になっているので、空堀の中に尖らせた木の杭が無数に立ててあるのも見えた。

 空堀を渡る唯一の手段である跳ね橋は、当然ながら今は上がってる。


「要塞の完成度の高さもさることながら、やはり厄介を極めているのは置かれた場所でしょう。あの要塞を落とすとすれば圧倒的な兵力をぶつけるしかありませんが、このような地形では大軍で一気に攻めることは叶いません……こうしてあらためて目の当たりにすると、悔しいかな見事な防衛拠点です」


 スレインの横でザウアーラント要塞を見据えながら、ジークハルトが語った。

 ザウアーラント要塞はエルデシオ山脈の谷間の中でもやや幅のある場所に建てられているが、それでも一度に何千人もが押し寄せて攻めることは地形的に叶わない。ある意味ではこの地形こそが、ザウアーラント要塞を難攻不落たらしめる最大の要因だった。

 かつて大陸西部に存在した統一国家もこの要塞を落とすために様々な策を考えたが、その尽くが失敗に終わったと歴史書には記されている。

 城壁を飛び越える風魔法使いや空堀を跳び越える肉体魔法使いをかき集めて攻めても、やはり絶対数が足りずに各個撃破されて失敗。

 崖のような山の斜面を駆け下りて要塞の側面から侵入することも試みられたが、ほとんどの兵がただ崖を転げ落ちるのみとなり、精鋭数百人が死んで失敗。

 手練れの火魔法使いをかき集め、百発を超える強力な火魔法を撃ち込んでも、石造りの城壁や内部の施設は火炎の猛攻に耐え抜いたという。


「古の名だたる為政者たちがこの要塞に敗れ去っていった中で、次に挑戦するのが僕か……さて、敵の内側に裏切り者を作っての攻略は上手くいくかな」


 情勢のせいとはいえ、平和を愛するはずの自分が戦争の歴史を塗り替えるような挑戦をしようとしている。その事実を前に、スレインは自嘲気味な笑みを浮かべた。


「何を弱気なことを言っている。我こそがあの要塞を落とす最初の王となってやろう、と啖呵を切ってみせればいい」


 スレインの横、ジークハルトとは反対側に立ちながらそう言ったのは、オスヴァルド・イグナトフ国王だった。


「ははは、もちろん私も心の中ではそれくらいの意気込みでいますが……というかイグナトフ王、本当に要塞攻略の戦闘まで加わってくれるのですか?」


「当たり前だ。貴殿の策で、ザウアーラント要塞を史上初めて落とせるかもしれないのだぞ? これほど意義深く面白そうな戦いに参戦しないわけがないだろう。我が国の軍人たちも、歴史に刻まれる戦いに臨めることを喜んでいる」


「……心強い限りです」


 生粋の武人であるオスヴァルドらしい言葉に、スレインは苦笑交じりに返した。

 そのとき、スレインたちのもとに、腕に鷹のヴェロニカを止まらせた筆頭王宮魔導士のブランカが歩み寄ってくる。


「陛下、あのグルキア人傭兵団長から合図がありました。今夜作戦を決行するそうですよ」


「報告ご苦労さま……そうか。今夜にはもう決行できるのか」


 要塞内にいるユルギスから合図を受け取る方法は、至極簡単。

 あらかじめ定められていた仕草をユルギスが屋外でとり、それを鷹のヴェロニカが上空から確認すれば、その日の夜に作戦が決行される。ただそれだけだ。この確認方法であれば、要塞内の状況を詳しく知るユルギスに決行日を決めてもらうことができる。


「ジークハルト。今のうちに兵士たちを休ませておいて。日が暮れたらいつでも動けるように」


「御意」


 ユルギスが決行できると判断するまでに数日を要する可能性も想定されていたが、早いに越したことはない。スレインがそう考えながら言うと、ジークハルトは敬礼で応えた。

 それから数時間後。日が暮れて要塞からこちらが見えづらくなったところで、攻略軍は本格的に戦闘用意を開始する。行軍の列は最初から要塞への突入順に並んでいたので、各々が武器を取り、部隊内で隊列を整え、後は静かに覚悟を決めるだけでいい。

 準備を済ませた攻略軍は、戦闘開始のときを待つ。

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