第66話 攻略軍

 九月の上旬も終わりに近づいた頃。ハーゼンヴェリア王家は東部国境の砦に兵を集結させ、ザウアーラント要塞攻略のための軍を編成した。

 王国軍二個大隊と近衛兵団、戦闘職の王宮魔導士を基幹に、各貴族領軍から合計でおよそ二百、徴集兵が王領と貴族領から合計で六百。そしてイグナトフ王国の増援部隊が二百弱。総兵力はおよそ千二百となっている。

 今回は大兵力を必要とする戦いではなく、兵の頭数よりは練度が求められるため、徴集兵は定期訓練や魔物討伐を経験した王領民が補助戦力として、貴族領民たちは後方要員として運用される予定だった。

 兵が揃い、出撃を翌日に控えた夜。スレインは要塞攻略の秘策を説明するため、自身の天幕にリヒャルト・クロンヘイム伯爵とトバイアス・アガロフ伯爵を呼んだ。

 情報の流出を防ぐために、策の内容はスレインの重臣たちを除けば東西の貴族閥盟主である彼ら二人だけに、この段になってようやく明かされる。


「……なるほど。ザウアーラント要塞の内部に協力者を。確かにそれであれば、あの難攻不落の要塞も落とせる見込みが十分にありますな」


「陛下のこれまでのご活躍から、今回も何か策をお持ちなのだろうとは思っていましたが……既に協力者も得ているとは。さすがは陛下です」


 作戦の全容を聞かされた二人は、感心した様子で言った。


「それで陛下。要塞内部の協力者とはどのような人物で?」


「グルキア人傭兵だよ。『ウルヴヘズナル』という傭兵団を丸ごと抱き込んだ」


 スレインの言葉に、二人は今度は驚きの表情を示す。そしてリヒャルトが口を開く。


「あの蛮族の軍勢ですか……しかし、奴らは傭兵稼業が長く、傭兵なりに誇り高いとも聞きます。どうやって寝返らせたのですか?」


「旧緩衝地帯で、現在は王家が管理している東部国境の一帯。そこを領地として『ウルヴヘズナル』の団長に与えることにした。男爵位も併せてね。故郷を失った民族である彼らは、喜んで提案に乗ってくれたよ」


 二人の驚きが大きくなったのが分かった。リヒャルトもトバイアスも、目を見開いて唖然としていた。


「……畏れながら、陛下、それは」


「分かっている。君たち二人が言いたいことはもちろん分かる」


 先に口を開いたトバイアスを手で制しながら、スレインは説明を始める。


「もちろん君たちは、そして他の領主貴族たちも、グルキア人を貴族として王国に迎えると聞けば忌避感を抱くだろう。だけど考えてみてほしい。この作戦が成功すれば、ハーゼンヴェリア王国はあのザウアーラント要塞を手に入れることができる。あの要塞があれば、帝国からの王国防衛は今よりも遥かに簡単になる。余っている土地をグルキア人に与え、彼らの一人を最下級の男爵として迎えるだけであの要塞を得られるとすれば、対価としては安過ぎるほどだ」


 感情的にはグルキア人を忌避しながら、理性ではスレインの言うことが尤もだと理解しているのか、二人は黙り込んだ。ザウアーラント要塞さえ奪えれば国防がどれほど楽になるかは、説明されるまでもなく二人にも分かる。


「クロンヘイム卿。すぐ隣にグルキア人の領地が誕生することは、君にとっては懸念事項になるだろう。だけどこうも考えることができる。今まではクロンヘイム伯爵領が王国の東端で、だからこそ昨年の戦いでは君の領地が大きな被害を被った。エーベルハルト・クロンヘイム名誉侯爵の命も失われた。もしクロンヘイム伯爵領よりもさらに東に新たな領地ができれば、そこが対帝国の最前線になる。グルキア人たちの領地を、クロンヘイム伯爵領を守るための壁にできる。これはクロンヘイム伯爵家にとっても大きな利益になるはずだよ」


「……なるほど」


 自領がグルキア人領地と接することになるリヒャルトは、何とも言えない表情で答える。


「それに、普段の治安維持についても心配はいらない。国境地帯はグルキア人に与えるが、国境そのものであるザウアーラント要塞は王家が管理し、今まで通り国境防衛のために一定の兵力を常駐させる。すぐ隣に王家の指揮する兵力があればグルキア人たちも下手に暴れたりはしないはずだし、何かあってもすぐに対処できる」


 もちろんスレイン個人としては、庇護すべき臣下や民となるグルキア人たちを国境地帯の捨て駒として扱うつもりはない。また、密談の際にユルギスが賢い人間であることは分かった。ユルギスの統率するグルキア人ならば、領地の周辺で乱暴な真似をはたらくとも思っていない。

 しかし、既存の領主貴族たちを納得させる上で必要となれば、国王としてこのような説明の仕方もできる。


「国境にグルキア人を置く利点は理解しました。しかし……」


 リヒャルトは言葉では反対を示しづらそうだったが、表情では尚も難色を示す。トバイアスの反応も似たようなものだった。

 排他は結束の裏返し。領主貴族の派閥盟主である二人が揃ってこの件に反発を見せているのは、王国貴族たちの間にある程度の同胞意識が形成されていることの証左でもある。だからこそ、スレインも彼らの心情を安易に否定はできない。

 なのでスレインは、これまでの自身の功績に裏打ちされた信頼と敬愛、そしてザウアーラント要塞の奪取を成した先に得られるであろう自身の評価を担保にする。


「僕はハーゼンヴェリア王国を、帝国から永遠に守り抜きたいと思っている。だからこそ、僕は史上初めてザウアーラント要塞を陥落させ、奪取する王となる。グルキア人を王国に迎え入れるのはそのための決断だ。君たちに僕の覚悟を認めてもらいたい。どうか頼む」


 そう言ってスレインが頭を下げると、リヒャルトとトバイアスは驚きと焦りを見せる。


「陛下、そんな畏れ多い」


「どうか御顔を上げてください」


 彼らに言われてスレインは顔を上げる。自身の懇願に対する、彼ら二人の返答を無言で待つ。


「……陛下がそれほどのお覚悟をなされたのであれば、私も王国貴族として異論はございません。戦勝後、他の東部貴族たちにこの件を説明し、必ずや納得させてご覧に入れましょう」


「クロンヘイム卿、君の理解に感謝するよ。アガロフ卿はどうかな?」


「私も、申し上げることはございません。西部貴族たちへの説明はお任せください」


 リヒャルトもトバイアスも、主君であるスレインの覚悟に応えた。

 帝国の侵攻から一度は国を守り、さらに内戦を犠牲者が皆無に近いかたちで収束させたスレインの、貴族たちからの評価は極めて高い。この上でザウアーラント要塞陥落という偉業を成し遂げれば、スレインは間違いなく後世に名を轟かせる偉大な王となる。

 そのスレインが臣下に頭を下げて頼むのだ。ここで主君の面子を潰す二人ではない。リヒャルトもトバイアスも必ず王の覚悟に応える。これはスレインの狙い通りの結果だった。


「良かった。それでは、明日からの戦いに備えよう。二人とも今日はよく休んでほしい」


・・・・・・・


 スレインが貴族たちへの説明を終えた翌朝、ザウアーラント要塞攻略軍はロイシュナー街道へと進入し、要塞の手前に一時布陣した。

 エルデシオ山脈の谷間、崖のような斜面に挟まれた街道上に布陣したため、隊列は細く長く伸びている。その最後方で――言い争いが発生していた。


「だから! 我々はこれから重要な軍事行動を起こすと言っているだろう! 今から通られては邪魔だ! 西に戻れ!」


「知るかよ! 俺たちぁ帝国の皇子様に雇われるためにザウアーラント要塞に行くんだ! 通しやがれ!」


 後方の指揮を任されているイェスタフ・ルーストレーム子爵が怒鳴ると、対峙する傭兵が負けじと怒鳴り返す。

 フロレンツ皇子が大陸西部から傭兵を募集する際、集結期限として布告したのが十月初頭。今はまだ期限が迫っている時期ではないが、それでも毎日数十人ほどの傭兵がザウアーラント要塞を目指してロイシュナー街道に入る。

 ハーゼンヴェリア王国の要塞攻略軍が街道に入ったこの日も、傭兵たちはおかまいなしに街道を通行しようとし、長い隊列で街道を塞ぐ攻略軍の最後尾と当然のようにぶつかった。

イェスタフは配下の王国軍兵士を横に並べて街道を塞ぎ、足止めを食らった傭兵たちはその目の前まで詰めかけ、今はイェスタフと傭兵の代表者が衝突中だった。


「だいたい、あんたらの頭数は見たところ千かその程度か? それっぽっちでザウアーラント要塞を攻略できるわけがねえだろう。馬鹿じゃねえのか?」


「貴様! 我らの軍を、スレイン・ハーゼンヴェリア国王陛下の率いる軍を愚弄するのか!」


「本当のことを言っただけだろうが。そもそも大陸西部の小せえ国が、帝国に勝てるわけがねえ」


「くっ……許さん! 斬り殺してやる!」


「ああん!? やれるもんならやってみろや!」


 イェスタフたちも傭兵たちも剣を抜き、辺りには一触即発の空気が漂う。


「しょ、商会長……」


「隊列を前に詰めさせろ。急げ」


 安全な最後方にいたはずなのに、とんだ騒動を目の前にしてしまったベンヤミンたち酒保商人の商隊が、巻き込まれてはたまらないと現場から距離をとろうとする。

 ベンヤミンは国王に随行して死地に立つことには御用商人として利益を見出しているが、開戦前の小競り合いに巻き込まれて怪我をすることには利益を見出せない。


「おい、何を騒いでいるのだ」


 そこへ、緊張感の漂う場にはやや不釣り合いな、落ち着いた声が響いた。後方で騒ぎが起きていると報告を受け、部下数人を連れて様子を見に来た近衛兵団長ヴィクトル・べーレンドルフ子爵だった。


「ベーレンドルフ卿! 卿らも加勢しろ! 通さんと言っているのに、こいつらが押し通ろうとしている!」


「……まあ待て。こんなところで無駄に戦力を消耗することは陛下も望まれないだろう」


 同僚の血の気の多さに呆れてため息をつきながら、ヴィクトルはイェスタフたちと傭兵たちの間に割って入る。


「おい、お前たち。ここを通ってザウアーラント要塞に行きたいのだろうが、我々の軍事行動が終わるまで待ってはくれないか?」


「馬鹿言わねえでくだせえ。フロレンツ皇子に雇われ損ねたらどうしてくれるんでさぁ。せっかく破格の条件の仕事が目の前にあるってえのに」


「だが、まだ集結の期日までに余裕はあるだろう。こちらの戦いは長くとも数日で終わる。我々が勝とうが、敗北しようがな」


 ヴィクトルの言葉を聞いた傭兵は目を丸くした。


「お前たち、割りの良い仕事が無くなる心配をしているということは、我々がザウアーラント要塞を陥落せしめてフロレンツ皇子の軍に勝利すると思っているのか?」


「……いや、とてもじゃねえが、あんたらが勝つとは思えねえですね」


「ならば、数日程度待っていても問題ないだろう。我々が敗北し、壊走でもした後に、空いたロイシュナー街道を通ってザウアーラント要塞に入ればいい。フロレンツ皇子の目的はハーゼンヴェリア王国への侵攻だ。この一度の戦闘で我々が敗北しても、お前たちの仕事は無くならない」


 傭兵たちは互いに顔を見合わせ、代表者の男が渋々といった表情で口を開く。


「……ちっ、分かりやしたよ。ここで斬り合いになって死んでもつまらねえ。何日か西の方で待っときまさぁ」


「理解と協力に感謝しよう」


 ヴィクトルの言葉に納得して引き下がっていく傭兵たちの背を見ながら、イェスタフは苦虫を噛み潰したような表情をしていた。


「文句がありそうな顔だな」


「卿は悔しくはないのか? あいつらは完全に俺たちを舐めているぞ」


 イェスタフの問いかけに、しかしヴィクトルは微苦笑を浮かべて首を横に振る。


「たかが傭兵風情に何を言われようが、我が軍の勝敗には関係ない。作戦を成功させて勝てばいいのだ。ザウアーラント要塞を陥落させ、堂々の帰還を果たすついでに、どうだざまあみろとあいつらに言い放てばいいだろう」


「……確かに、卿の言う通りだ」


 イェスタフは苦い表情のまま、しかしヴィクトルの言葉が正しいと認めた。

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