第65話 傭兵団②

 グルキア人傭兵団長のユルギス・ヴァインライヒは、三十歳前後の男だった。

 体格はさして大柄ではないが、鍛え上げられた肉体を持っていることがシャツの上からでも見てとれる。美丈夫と呼んで差し支えない容姿だが、表情からはどこか気障な印象を受けた。

 気障な笑みを浮かべたまま、ユルギスは目の前に座ったスレインに向けて口を開く。


「それで、国王陛下。あなたはフロレンツ皇子に代わって私たち『ウルヴヘズナル』を雇いたいというお話でしたね?」


「その通りだよ。君たちグルキア人傭兵の強さは、サレスタキア大陸西部で広く知られている。フロレンツ皇子が今企んでいる再侵攻計画は脅威だが、君たちを雇い入れることができればフロレンツ皇子に勝てると僕は考えている」


「……くっ、はははっ!」


 スレインが語ると、それを聞いたユルギスは声を上げて笑った。

 一国の王に対して相当に生意気なその態度に、スレインの後ろでは臣下たちが気配を鋭くしたのが分かる。しかし、スレイン自身は特に気にしていない。


「いやあ、我々の実力を高く評してくださることは光栄の極みですが……『ウルヴヘズナル』の戦闘員は五十人程度です。フロレンツ皇子は傭兵だけでも数千人を集めようとしていると聞きます。さすがに我々を雇っただけでは、勝敗にさして影響はないかと思いますが」


 スレインをやや小馬鹿にしたような表情で、ユルギスは言った。


「それはそうだね。敵との戦力差は絶大だ。フロレンツ皇子が侵攻の用意を整えてから迎え撃っては、我が国に勝ち目はない。だから僕は、敵側にまだ戦力が集まっていない今のうちに先制攻撃を仕掛けることを考えている。そのために君たちを雇いたい」


「ほう、陛下はあのザウアーラント要塞を攻撃すると? かつて統一国家でさえ一度も陥落させられなかった難攻不落の要塞を?」


「その通りだよ」


「何か策がおありで? よければお聞かせ願えますか?」


 ユルギスはスレインを試すような視線を向けながら腕を組んだ。スレインはそれに対して、穏やかな表情を保つ。


「今まで誰もザウアーラント要塞を落とせなかったのは、あの要塞の深い空堀を乗り越えて頑強な跳ね橋や門をこじ開けようとしたり、高く強固な城壁を登ろうとしたりしていたからだ。先に要塞の中に入り、門を開けて跳ね橋を下ろしてくれる者がいれば、攻略はずっと容易になる」


 スレインの話を聞いたユルギスの表情が変わる。生意気な笑みは消え、明らかに不愉快そうな感情が浮かぶ。


「かつて統一国家が攻略を試みたときとは違って、今ザウアーラント要塞を守る戦力には傭兵が多くいる。皇帝家に忠誠を誓う帝国常備軍だけじゃない。だからこそ要塞内に協力者を作る手段はある。そう考えて、僕は君たちに声をかけた」


「……つまり、陛下は我々『ウルヴヘズナル』がザウアーラント要塞で裏切りをはたらいて門を開け、跳ね橋を下ろすことを望んでおられる? 我々が傭兵の掟を破り、一度契約を結んだ雇い主を裏切り、あなたのために命を懸けることを?」


「そうだよ」


 スレインが涼しい顔で答えると、室内を沈黙がしばし支配する。

 不愉快そうな表情のまま黙り込んでいたユルギスが、攻撃的な笑みを浮かべて口を開く。


「我々は確かに根無し草の傭兵で、グルキア人として巷では蛮族の群れなどと呼ばれてもいますが……それにしても、ここまで舐められるのは久々ですね」


「気を悪くしたかな?」


「ええ、しましたとも。貴き御身分でいらっしゃる陛下にとっては我々など簡単に使い捨てられる傭兵かもしれませんが、こちらにも守るべきものは多くあります。私には傭兵団長として守るべき団員が、グルキア人貴族の末裔として守るべき同胞がいる。そして愛する妻と、食わせるべき子供がいる」


 ユルギスは自身のすぐ傍らに立つ女性傭兵を見上げながら語った。


「家族を守るためには、仕事をしなければならない……我々ほど名の知れた傭兵団が掟を破り、雇い主を裏切ったとなれば、その噂はすぐに広まるでしょう。そうなれば『ウルヴヘズナル』は終わりです。どれほどの報酬を提示されても、このような話はお受けできかねます。我々が傭兵の掟を破るとしたら、それは安住の地でも見つけて今の稼業から足を洗うときくらいでしょうか」


 視線をスレインへと戻したユルギスは、そのまま目を細めてスレインの首元を、ルチルクォーツの首飾りに彩られた白く細い首を見る。


「……こんなくだらない話をしているよりも、今ここで御身を捕え、人質にとってザウアーラント要塞に向かう方がいいかもしれません。そうすればフロレンツ皇子もきっと莫大な追加報酬をくださることでしょう」


 その言葉に、ユルギスとスレイン以外の全員が殺気立つ。

 ユルギスの背後に控える傭兵たちが軽く身構え、スレインの後ろではモニカとヴィクトルが剣の柄に手を触れるのが音と気配で分かった。ちらりと横に視線を向けると、エレーナまでもが護身用の短剣をすぐにでも抜けるよう構えを見せている。まさに一触即発の状況だった。


「追加報酬か……一時的なあぶく銭のために、僕が提示する報酬を蹴ってしまっていいのかな?」


「ははは、随分と自信をお持ちのようだ。それでは、あなたは一体どのような報酬を提示できるのですか?」


 侮蔑するような表情を浮かべて言い放ったユルギスに、スレインは微笑を返した。


「僕が提示する報酬は、君たちがかつて失ったものだ。統一国家が崩壊した後に、君たちグルキア人が奪われたもの」


 それを聞いたユルギスが固まった。スレインが王として名乗り出たときよりも、より一層呆然とした表情になった。


「かつては帝国との緩衝地帯とされていた、ハーゼンヴェリア王国の現在の東部国境地帯。そこを領地として君に下賜する。そして男爵位も与えよう。君がヴァインライヒ男爵として治め、グルキア人の新たな安住の地を作るといい」


「………………な……」


 ユルギスの呆けた口からは、そんな間の抜けた声が漏れた。彼の後ろに立つ傭兵たちも、殺気を出すことを忘れて立ち尽くしていた。


「……んとまた、大それたご提案を」


 さすがは手練れの傭兵団長と言うべきか、ユルギスは間もなく反応を取り繕い、笑みを作る。


「何を仰るかと思えば、グルキア人に領地と爵位を? 失礼ながら、正気で仰っていらしゃるのですか?」


「ザウアーラント要塞を落とし、ハーゼンヴェリア王国のものにできれば、これ以上ないほど心強い防衛拠点になる。要塞さえ維持していれば、それで我が国の領土全てを帝国から守れるのだからね。君を貴族として我が国に迎え、王家が管理する土地の一角を与える。あの要塞を得る対価としては安いものだよ」


「他の貴族の御歴々には何と仰るのです? 傭兵上がりのグルキア人を、同じ貴族の一員として認めろと仰るおつもりで?」


「僕は史上初めてザウアーラント要塞を陥落させた王になるんだ。その揺るぎない成果をもってすれば、貴族たちに一点の我を通すくらいは造作もない。それに、グルキア人傭兵の強さは貴族なら誰もが耳にしている。君たちのような存在が、我が国の一員として新たな国境地帯を守ってくれるのなら、これ以上に頼もしいことはない」


「なるほど、我々は捨て駒となり、危険な国境地帯を押し付けられると?」


「もちろん、君の領地となる一帯は、今の我が国では最も安全性の低い場所にある。だけどその向こう、国境には我が国のものとなるザウアーラント要塞がある。王国防衛の要となる要塞だ。王家が責任をもって管理し、威信をかけて守り抜くよ。君もそんな嫌味を言っているけど、本当は理解しているはずだろう?」


 ユルギスが生意気な表情で何を言っても、スレインは動じない。穏やかな微笑を保つ。


「君がいつか、もっと条件の良い爵位と土地をどこか別の場所で得られると思うなら、この話を断ってフロレンツ皇子に雇われるといい。決めるのは君だ。さあ、決断してくれ。ユルギス・・ヴァインライヒ」


 スレインはそう言って、ユルギスの返答を待つ。

 しばらく無言でいたユルギスは、やがて苦笑してスレインを見据えた。


「スレイン・ハーゼンヴェリア国王陛下。畏れながら、あなたは大馬鹿者ですな……分かりました。我々『ウルヴヘズナル』の運命を、そして私の一族の悲願をあなたの策に賭けましょう」


「ありがとう。そう言ってくれると信じていたよ」


 スレインが手を差し出すと、ユルギスは力強く握手を返した。


・・・・・・・


 ユルギス・ヴァインライヒとの密談を終えたスレインは、宿屋の裏口に向かう。

 ここはスレインの故郷ルトワーレで、宿屋の主人は商人であるエルヴィンの実家と付き合いがあった関係上、スレインも顔見知りだった。主人は聡明な人物だ。金を握らせて念押しすれば、今日のスレインとユルギスの密会を吹聴することはしない。

 今や立場が大きく変わった「写本家アルマの倅」が臣下に囲まれて宿屋を去るのを、主人は恭しく見送る。スレインは夜中に迷惑をかけたことを主人に詫びてから、宿屋の裏口を潜る。

 宿屋から出たスレインと、それを囲むモニカたち臣下を、付近で待機していた近衛兵の部隊がさらに囲む。


「全班、陛下に合わせて移動だ。密談は成功したが、相手は傭兵。まだ油断するな」


「はっ」


 ヴィクトルの命令を伝達するため、近衛兵の一人がすぐに離れる。宿屋の周辺には、日が暮れてから秘密裏に街に入った近衛兵数十人が潜み、もし『ウルヴヘズナル』が牙を剥くようならすぐにスレインを救出できるよう備えていた。

 近衛兵たちの警戒は未だ解かれていない。ユルギスが言葉ではあのように言っておいて、今後ろからスレインを急襲し、捕らえてフロレンツのいるザウアーラント要塞まで逃亡しようとする可能性もないではない。

 スレインからは見えないが、近衛兵たちは主君の移動に合わせて移動し、スレインが馬車に乗り込んで街を発つまで周辺警戒に務め、馬車が出た後に班単位で夜闇に紛れて街を出る。


「……上手くいったね」


「お見事でした、陛下」


 馬車が無事に出たところでようやく安堵し、座席にもたれかかって一息つくスレインに、モニカが称賛の言葉を送る。


「後ろから襲撃してこなかったのを見るに、ユルギスは今のところ本当にこっちの味方をしてくれるつもりみたいだし……彼が契約を果たしてくれるなら、こっちも応えないと」


 ザウアーラント要塞の只中でフロレンツ皇子を裏切る。そのような危険な役回りをユルギスが演じてくれるのならば、自分も困難な務め――グルキア人を王国貴族の輪に加えることを、領主貴族たちに納得させるという務めを果たさなければならない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る