第63話 苦境

 その後のエレーナたち外務官僚の情報収集によって、もう少し詳しい状況が明らかになった。

 帝国に忍び込ませている間諜からの報告や、同じく帝国へと間諜を送っているオスヴァルド・イグナトフ国王からの情報提供によると、フロレンツ皇子は自身が皇帝の名代として治めるガレド大帝国西部の皇帝家直轄領でも傭兵を募っている。

 募兵はサレスタキア大陸西部ほど大々的なものではないが、それでも千人前後の傭兵を集めるつもりでいるようだった。

 さらに、おそらくは再侵攻に向けた物資として、大量の食料がザウアーラント要塞へと運び込まれている。直轄領の民に向けて、近日中に兵を徴集する旨も布告されている。

 これらの情報から想定される敵の総兵力は一万弱。それが、エレーナからの報告をもとにセルゲイやジークハルトが考察した結論だった。


「去年の侵攻軍の二倍近い兵力か……いくら国境に砦を建造したからといって、とてもじゃないけど安心できないね」


 八月末。再び重臣たちを集めた会議室で、スレインは呟く。


「敵兵の質を考えると、単純に数を二倍した以上の脅威でしょう。農民からの徴集兵が大半を占めた前回と違い、今回の敵兵は傭兵が最低でも三千。フロレンツ皇子の手勢である常備軍も数百は出てくるはずです。職業軍人だけでその数となれば、国境で食い止めるのは至難の業です」


 将軍であるジークハルトが、腕を組みながら難しい顔で見解を語った。

 前回の戦いでは、敵の主力たる五百の騎兵さえ潰せば残る徴集兵の士気を挫くことができた。

 しかし今回は、戦いを生業とする傭兵や常備軍兵士が推定で三千以上。併せて動員される徴集兵も、味方にそれだけ強大な戦力がいるとなれば勢いづき、そうそう士気は下がらない。

 ハーゼンヴェリア王国側の国境に昨年から築かれた砦は、まだ野戦陣地の延長のようなもの。谷間の入り口に位置していることもあってそれなりの防衛力はあるが、質を伴い士気も旺盛な一万近い大軍を、いつまでも押し止められるほど堅牢ではない。


「砦では防ぎきれないとして、会戦で決着をつける場合の勝算は?」


「王国の存亡を左右する危機ということで、こちらができる限りの人数を動員したとしても五千に届く程度。戦の準備は現在進行形で進めておりますので、動員自体は可能ですが、正直に申し上げて勝算は五分以下といったところでしょう」


 国家総動員体制をとり、限界動員数となる五千人を集めたとしても、敵との戦力差は二倍近い。素人ではない兵士の比率に至っては、およそ四倍から五倍になる。

 ジークハルトの語った五分以下という勝算は、この場の空気に配慮して言ったものだ。実際はおそらくもっと悪い。


「敵が兵力を揃えきる前にこっちから打って出て、再侵攻の芽を摘んでしまう……のは、やっぱり無理があるかな」


 スレインは提案しながら、しかしその案を自身でも否定する。


「敵の集結地点がザウアーラント要塞となれば、難しいでしょう。あの要塞の難攻不落という評価は伊達ではありません。私が子供の頃には、統一国家の兵として実際にあの要塞を攻めたことがある者もまだ生きていましたが……敵側が五百人、こちらが五千人でも陥落させられなかったと話を聞きました」


 セルゲイが語り、続いてジークハルトがまた口を開く。


「数日前の時点で、こちらの東部国境を通過した傭兵の数は二百人ほど。帝国の方からも傭兵が集まり、常備軍兵士もいるとして……後方での侵攻準備もあるので全員が要塞に常駐しているわけではないでしょうが、それでも現時点で数百人程度は要塞防衛に回っていると考えられます。こちらが直ちに動かせる戦力は千人以下。先制攻撃を試みる場合は極めて厳しい戦いになるでしょう。もちろん、陛下よりご命令をいただければ我が軍は全力をもって要塞攻略にあたります」


「……いや、危険過ぎる。止めておこう」


 満を持しての決戦でも、要塞への先制攻撃でも、勝てる望みは薄い。その現実に、スレインは深いため息をつく。


「ザウアーラント要塞か……名高い歴史的建造物として聞いてた頃はよかったけど、軍事要塞として目の前に立ちはだかると、本当に厄介な存在だね」


「かつて帝国と争っていた統一国家の王侯貴族たちも、あの要塞を心の底から憎く思っていたことでしょうな」


 思わず苦笑しながら言ったスレインに、ジークハルトがそう答える。

 かつて大陸西部に君臨した統一国家は、ときにはエルデシオ山脈を超えてガレド大帝国の西部を切り取ろうとする領土的野心を抱きながらも、ロイシュナー街道からの侵攻は全てザウアーラント要塞に阻まれたという。だからこそあの要塞は、難攻不落の異名を誇る。

 大陸西部と帝国が争う時代が過ぎ去り、あの要塞がただの巨大な国境検問所、あるいは貿易商人の宿泊所と化していたこれまではよかった。

 しかし、今はもはや違う。帝国からの侵攻の拠点となり、なおかつこちらの反撃を絶対的に阻む要害となると、これほど面倒なものはない。ザウアーラント要塞がある限り、戦いの主導権は常に帝国に握られているも同然だ。


「逆に言えば、あの要塞さえ落とせればこちらが主導権を握れる。エルデシオ山脈の谷間にあれだけ強固な要塞があれば、帝国の再侵攻をほとんど心配しなくて良くなるんだけどね」


 大軍を展開できない険しい山脈の谷間に築かれた、五百人で五千人の侵攻を食い止められる要塞。それを奪取できれば、防衛に限ってはおそらく帝国でさえも大きな脅威ではなくなる。


「まあ、口で言うほど簡単なら過去に誰かが成してるはずだけど」


「ガレド大帝国の侵攻を一度退けた上に、ザウアーラント要塞を帝国から奪い取ったとなれば、陛下は稀代の勇者として後世で語られますな」


「あはは、そうなったらジークハルトも、あの要塞を落とした偉大な将軍として名が残るよ」


 厳しい状況を前に重くなった内心を少しでも軽くしようと、スレインはジークハルトとそんな雑談を交わす。


「落とすとしたら、要塞に敵の戦力が揃いきってない今が間違いなく好機なんだけど……時間が経てば経つほど、多くの傭兵が集結を果たしてしまうよね」


「残念ながらそうなるでしょう。まだ当分は集結も緩やかに進むでしょうが、おそらくは九月の後半頃から、参戦を決めてここまでたどり着いた傭兵たちが大挙して国境を通過していくことになります」


 スレインの呟きに、エレーナもそう言って加わってきた。


「東部国境からの報告では、名の知れた傭兵団も既にいくつか通過したそうです。最終的には、大陸西部に名を馳せる傭兵団の展覧会のような有り様になるでしょうな」


「これが他人事だったら、見ていて楽しかっただろうね」


 ジークハルトの冗談にスレインは思わず苦笑した。名だたる傭兵団が兵を並べる光景。単に歴史の一幕として見るなら、何とも壮観なことだろう。


「情報収集をしていると、今まさにザウアーラント要塞を目指しているという傭兵たちの噂もちらほら聞こえてきますが、なかなか豪華な顔ぶれでしたわ。中にはグルキア人傭兵団までいるそうですから」


「ほう、グルキア人まで動くか。並の傭兵の倍は強いというあの連中が敵に回るとしたら、極めて厄介だな」


 グルキア人は、かつて大陸西部に統一国家があった時代に、その国土の中央北部に領地を持っていたという民族。エルデシオ山脈の奥深くに住む山岳民族のうち、平地に降りてきて大陸西部人と融和した者たちの末裔と言われている。

 統一国家の崩壊後、今からおよそ八十年ほど前に、グルキア人の領地はその周辺一帯を新たに支配した国によって取り潰された。それ以来、彼らは故郷を持たない民族となり、主に傭兵として身を立てているという。

 根無し草となったその境遇と、山岳民族の末裔であることから、今では「山から下りた蛮族」として蔑視されることが多い。

 スレインも平民だった頃からグルキア人という民族自体は聞いたことがあり、王城に迎えられてからは歴史の勉強で、彼らについてもより詳細に学んだ。


「……グルキア人か」


 ジークハルトとエレーナの会話を聞いたスレインは、そう呟いて考え込む。

 そして、急にハッとした表情になると、エレーナの方を向いた。


「エレーナ。そのグルキア人傭兵たち、今はどの辺りにいるか分かる?」


「……確か、数日前に西からハーゼンヴェリア王国の領土内に入ったという目撃情報が来ています。今頃は王領の少し西の辺りにいるかと」


 エレーナの返答を聞いたスレインは、安堵を覚えながら微笑を浮かべる。


「よかった。それならまだ十分間に合うね……彼らと接触したい。僕に考えがある」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る