第61話 平和な夏②
円形の城郭都市である王都は、広大な農地に囲まれている。それらの農地のうちおよそ二割を王家が所有し、残りは王都に住む地主から小規模農家までの自作農たちが所有している。
これらの農地で栽培されている作物は様々。多くは麦であり、その他に多様な野菜が育てられている。
その中に、今はジャガイモもあった。まだ実験的な段階ではあるが、王家も、自作農たちも、所有する農地の一角でジャガイモ栽培を開始していた。
春に作付けされたジャガイモは、八月に入った今は青々とした葉を実らせ、順調に成長を続けている。清々しい夏空の下、スレインはそんなジャガイモ畑を視察に訪れていた。
「ご覧の通り、ジャガイモの生育は極めて順調です。自作農たちの栽培している分も併せて計算すると、ジャガイモを栽培しなかった場合と比較しておよそ百人分の食料増産が叶う見込みとなっております」
ジャガイモ畑を見渡すスレインの横では、農業長官であるワルター・アドラスヘルム男爵がそう解説する。
「百人分か……確か、当初の予測では五十人分を少し超えるくらいの食料増産が見込まれていたんだったね?」
「仰る通りです。王都の自作農たちが想定以上にジャガイモ栽培に前向きだったこともあり、予想を上回る食料増産を成せる見込みとなっています……連作障害や輪作についての研究も進めておりますので、来年には収穫率のさらなる向上も叶うでしょう」
「そうか、それは何よりだね」
現在の王領の人口はおよそ二万人。そのうち農民は一万六千人弱と推定されている。王領内には傭兵や放浪の吟遊詩人など民の数に入らない者もいることを考えると、王領の農業生産力ではおよそ二千人分の食料が足りない。その不足は、今までは領外からの輸入で補うしかなかった。
まだ実験的なジャガイモ栽培で、不足のうち百人分を埋めることができるのは、決して小さくない成果と言える。この調子でジャガイモ栽培を広げていけば、そう遠くないうちに王領で食料の自給が叶うようになる。
いずれは領主貴族たちの領地でもジャガイモ栽培を行わせれば、王国全体の食料生産力が飛躍的に向上するだろう。今よりも少ない農民で、王国の人口を食わせてもなお有り余る食料を生産できるようになれば、農業以外により多くの労働力を回せるようになり、王国の商業力や工業力、軍事力が高まる。
短期的な利点を考えても、またガレド大帝国と戦火を交えることになった場合、より多くの人間をより長い期間戦争に投入できる。
「秋の生誕祭のときには、王家から臣民たちにジャガイモ料理を振る舞おうか。代金はとらずに、できるだけ多くの民にジャガイモの味を覚えさせるんだ」
生誕祭はエインシオン教の預言者が誕生した日に定められた祝日で、王都では前日から二日にわたって祭りが行われる。祭りの間は露店が並び、王領の各地から民が集まる。
「かしこまりました。振る舞うジャガイモは市場に卸す予定の分を回しますか?」
「そうだね。盛大に振る舞っても、卸値はたかが知れてるだろうし」
王家の農地から収穫されたジャガイモのうち、種芋として次の作付けに回す分以外は、王城で消費するか、市井に卸す予定となっている。
卸す分からせいぜい数百食分を無料で臣民に与えたとしても、王家の収入全体からすれば損失とも言えない。農民以外の王都民や、王領各地の臣民にジャガイモを食物として受け入れさせることができる利点の方が遥かに大きい。
「では、生誕祭の時期に王家から市場に卸すジャガイモが……少し多めに見積もって、百キログラムほど減ることをエリクセン商会に伝えておきましょう」
「よろしく頼むよ。面倒をかけるね」
「いえ、これも農業長官の務めですので」
自身の思いつきを実務に落とし込んでくれるワルターへと礼を伝えたスレインは、あらためてジャガイモ畑を見渡す。
「……いいね。順調だ」
父フレードリクの後を継いでの農業改革。地に足をつけながら、王国社会の基盤を強化していく改革。この重要な仕事を、自分は着実に成すことができている。
戦いに勝利し、国を守るだけではない。国を内側から良くしていくというかたちでも、自分は王の役割を果たすことができている。その手ごたえにスレインは満足していた。
・・・・・・・
八月の中旬。スレインは王城にエルヴィンを招き、お茶を共にしていた。国王として彼に用件があったわけではない。エルヴィンが仕事で王都に来ているという報告を聞き、私人として幼馴染と会っていた。
「へえ、お前がついに結婚か……」
「うん。来週には臣民に向けて発表があるけど、エルヴィンには一足早く伝えたくてね」
城館の中庭に面したテラスで、スレインはハーブ茶のカップを片手に語る。
「それで、相手はどこの御令嬢なんだ?」
「官僚として王家に直接仕えてるアドラスヘルム男爵の長女で、モニカっていう娘だよ。ほら、僕の副官としていつも傍についてくれてる、深紅の髪の」
「ああ、あの人か……綺麗で優しそうな人じゃんか。良かったな」
格の低い男爵家の令嬢が王妃になる裏には、様々な政治的事情もあることは、平民のエルヴィンもおそらく察している。しかしエルヴィンはそうしたことは聞かず、あくまでスレインの個人的な友人として、気楽な雑談に終始してくれる。
「ありがとう。そうだね、モニカはいい娘だよ。僕には勿体ないくらいに」
スレインも今は妃を迎える王ではなく、愛する女性との結婚を控えた男として話す。
エルヴィンの気が休まらないだろうからと、今日に限ってはスレインの傍にモニカはいない。おそらくは近衛兵の誰かがスレインたちの視界外から警護を務めているはずだが、少なくとも表面上はスレインは親友と二人きりで語らっている。
「エルヴィンの方はどうなの? 王家お抱えの酒保商人の仲間入りを果たして、今勢いのあるハウトスミット商会の跡取りともなれば、女の子からの人気も凄いんじゃない?」
スレインがいたずらっぽい笑みを浮かべて尋ねると、エルヴィンは照れくさそうに笑った。
「ああ、実はな……まだ婚約だけど、相手はできたぜ」
「うそ、ほんとに」
冗談のつもりで尋ねたスレインは、思わぬ朗報に片眉を上げて驚く。
「こないだのオーク狩りで、ハウトスミット商会が酒保を務めただろ? そのことがルトワーレで結構な話題になってさ。今ならいけるって思って、アンナに求婚したんだ。俺が一生幸せにするって、今の俺なら必ず幸せにできるって言ってさ。そしたら受け入れてもらえた。アンナの親父さんにも、ハウトスミット商会の倅なら娘の夫として不足はないって認めてもらえたよ」
「……なるほど、アンナか」
アンナはスレインやエルヴィンと同年代で、スレインの住んでいたルトワーレ南西街区では名の知れた美少女だった。ただし、その父親は頑固極まりない鍛冶職人で、果たしてあの父親の許しを得てアンナと結婚する者など現れるのだろうか、と近所では語られていた。
スレインは顔と名前を知っている程度だったが、エルヴィンは家が商売をやっている関係で、アンナや彼女の実家とは付き合いがあったはず。エルヴィンがアンナの心を射止め、頑固な父親の許しまで得たというのは、間違いなく素晴らしい報せだった。
「凄いね。あの親父さんに打ち勝ってアンナと婚約だなんて、ルトワーレの英雄だ……正式に結婚したら教えてよ。僕からも何か結婚祝いを贈るから」
「いや、国王陛下から結婚祝いなんて、さすがに畏れ多くて受け取れねえよ」
苦笑いで言ったエルヴィンに、スレインも苦笑しながら首を横に振る。
「そんな大げさに考えなくていいって。あくまで幼馴染としての個人的な贈り物だよ……エルヴィンには良いお酒と、奥さんには化粧品か何か届けさせるから、受け取ってよ」
「……そうか。それじゃあ、ありがたくもらうよ」
スレインの言葉に、エルヴィンも納得した様子で頷いた。
「それにしても、お互い結婚する歳になっちまったなぁ……ほんの何年か前までは、まだまだ気楽なガキだと思ってたけどなぁ」
「ほんとだね。あっという間に大人になったし……立場も抱える責任も、大きく変わったよ」
「お前の場合は変わり過ぎだな」
「まったくだよ。自分でも驚くほど偉くなった」
スレインがわざとらしく椅子にふんぞり返って言うと、エルヴィンは小さく吹き出した。
「それで、スレイン・ハーゼンヴェリア国王陛下の結婚式は来月だったか?」
「うん。来月の二十日。その日と翌日は王都で盛大に祭りが開かれるから、エルヴィンも遊びに来るといいよ」
「おっ、そりゃあ楽しみだな」
スレインはお茶のカップを傾けながら、エルヴィンとたわいもない話を続ける。
モニカとの結婚に向けて、スレイン自身が準備するべきことはもうない。後はその日が来るのを待つだけ。
そう考えていたスレインのもとに不穏な報せがもたらされたのは、この翌日のことだった。
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