第59話 オーク討伐

 人口およそ千人を擁する都市ルトワーレは、王領の南西側、西の貴族領との領境近くに位置している。

 一応はこの地域の中心都市ではあるが、そもそもこの王領南西地域は人口三千人ほどの田舎。ルトワーレも平凡な農業都市に過ぎず、王領において存在感は小さい。

 そんなルトワーレ近郊の小さな農村に、付近の森から抜け出してきたものと思われるオークが出現した。

 体内に魔石を有し、通常の動物よりも強い生命力を持つ魔物。その中でもオークは、特に厄介な存在として知られている。オークのような強力な魔物を討伐する場合、基本的には王国軍の出番となる。

 しかし今回は、実戦訓練がてらに徴集兵が動員され、王国軍はその予備兵力として運用されることになった。

 王家は六十人の臣民を徴集し、そこに王国軍一個中隊の三十人と、筆頭王宮魔導士ブランカを加えた討伐部隊を結成。オーク出現の報を受けた二日後には王都ユーゼルハイムを発った。

 王都からルトワーレまでは急げば一日でたどり着けるが、今回は行軍に不慣れな徴集兵を抱えていることもあり、無理をせず二日かけて到着。

 その翌日、ルトワーレから徒歩で数時間の場所にある、件の農村の近くへ陣を置いた。


「国王陛下、報告いたします。農村内にオークの姿を確認。雄の成体が一匹のみで、番や子供の姿は見当たりませんでした」


「ヴェロニカも同じように言ってます。オークの奴、家畜で腹を満たして高いびきをかいてるみたいですよ」


 斥候として農村の様子を確認した王国軍兵士がスレインの前に片膝をついて報告し、それに続いて鷹のヴェロニカを偵察に出していたブランカも語る。


「陛下。オークが一匹だけということは、おそらく縄張り争いに敗れて森を追われた若い雄でしょう。これだけの数のクロスボウがあれば、対処は難しくないかと考えます」


「分かった。それじゃあ予定通り、徴集兵たちの実戦訓練といこう……僕はオークを見るのは初めてだ。皆の活躍をしっかり見届けさせてもらうよ」


 ヴィクトルの進言を受け、スレインは言った。

 スレインは王国の存亡を左右する大戦や異例の大規模内戦を乗り越えた実績が既にあり、今さら魔物討伐を指揮して経験を積む必要はない。

 しかし、元が平民であるスレインは魔物討伐の現場を見たことも、生きて動いているオークを見たこともない。一国の王としてはあまり褒められたことではないので、勉強の一環としてこうして観戦に来ていた。

 国王が観戦しているとなれば、徴集兵たちの士気も上がる。もし彼らが苦戦しても、王国軍やスレインを守る近衛兵団、ツノヒグマのアックスを連れたブランカがいるので、スレインに危険が及ぶ可能性は皆無に近い。


「イェスタフ・ルーストレーム子爵。ここからの実務指揮は君に任せた。期待しているよ」


「はっ! 必ずやオークを仕留めてご覧に入れます!」


 スレインが正式に命令して指揮権を預けると、イェスタフは敬礼して答える。

 魔物討伐の場合は中隊長格が討伐部隊の指揮をとることが多いが、今回は国王の御前であり、徴集兵を使うこともあって、副将軍かつ第一大隊長である彼が自ら指揮に立つ。


「いいか貴様ら、気合いを入れろ! こっちは高価で強力なクロスボウを二十挺も持ってきているんだ! これだけ有利な状況で、たかがオーク一匹に苦戦などするなよ!」


「「「おおっ!」」」


 イェスタフの呼びかけに、六十人の徴集兵は威勢よく応える。

 彼らは定期訓練時に見込みありとされた者たちで、個別に名前と住居を把握され、今回は名指しで集められた。徴集兵のいわば上澄みである彼らが実戦を経てさらに度胸をつければ、戦時には他の徴集兵たちのまとめ役になってくれる。


「いい返事だ! よし、武器をとれ! 隊列を組め! 行くぞ!」


 戦闘訓練でも怯まない度胸と、命令をすぐに理解する頭があることから選抜された六十人は、徴集兵にしては機敏に隊列を組む。クロスボウを装備した二十人が前衛に、槍を装備した四十人が中衛と後衛に立ち、四列縦隊を組む。

 その本隊を先頭に、予備戦力である王国軍とブランカが、そして最後尾にスレインとそれを囲む護衛たちが続き、一同は戦場となる農村へと進んだ。

 人口五十人ほどのこの小さな農村は、オークの出現を受けて今は全員がルトワーレに避難。元王国軍騎士だという村長がためらわずに避難指示を出したことで、人的被害は出なかった。

 しかし、無人の村に侵入したオークは、そのままそこに居ついてしまった。討伐部隊が村を視認できる距離まで近づくと、オークは偵察による報告通り、村のど真ん中で昼寝をしていた。オークの傍らには、無残に食い荒らされた豚の死骸がひとつ。

 魔物の中では知能が高い方であるオークは、豊かに実った農作物や柵に囲われた家畜のあるこの村を、当面の食料に困らない理想的な巣と定めたらしかった。


「全軍停止。隊列を変えるぞ。クロスボウ隊は中央に、歩兵隊はその左右に広がれ」


 イェスタフが抑えた声で指示し、徴集兵たちはそれに従って動く。オークはまだ、こちらの接近に気づかず眠っている。

 オークの見た目は、スレインが過去に読んだ書物の知識の通りだった。

 顔は猪に酷似し、身体は筋骨隆々でそれを硬い毛皮が包んでいる。今は寝転がっているので見えづらいが、立ち上がったら体高はおそらく二メートル以上あるだろう。標準的な雄の成体だ。

 オークは魔物の中でも強敵であり、討伐するとなれば二十人の訓練された兵士か、手練れの魔法使いが必要とされている。

 今回の主力は徴集兵だが、二個中隊に匹敵する数が揃い、強力な飛び道具であるクロスボウを二十挺も装備している。いざとなれば王国軍や近衛兵団、ブランカの従えるツノヒグマのアックスも戦闘に介入できる。

 よって、人死にが出る心配はほとんどしなくていい。だからこそスレインも徴集兵の動員に許可を出している。


「よし、前進」


 徴集兵たちが隊列を整えたのを確認し、イェスタフが命令する。前進する徴集兵たちの指揮役として、イェスタフ自身も前進する。


「陛下。我々はこの辺りで待機するべきかと考えます」


「分かった。それじゃあ、僕たちはこのままここにいよう……ヴィクトル、それとブランカも。もし戦況が危うくなるようなら、君たちの判断でいつでも介入していいから」


「御意」


「了解です」


 スレインの指示に、ヴィクトルとブランカが静かに頷く。


「……国王陛下。本当に私も一緒に観戦してよろしいのですか?」


 スレインの傍らでそう言ったのは、ハウトスミット商会の跡取り――つまりエルヴィンだった。


「もちろんだよ。戦場を特等席で観戦するのは酒保商人の特権だからね」


 幼馴染であり、今は王家に忠実な商人であるエルヴィンに、スレインは微笑を浮かべて答える。

 今回はルトワーレ近郊の作戦で、部隊規模が小さいこともあり、この作戦中と王都への帰路に消費する物資の手配はハウトスミット商会に任されていた。ハウトスミット商会にとっては、ひと儲けしつつ実績を積む良い機会だ。


「エリクセン商会には大きな仕事を任せる機会が増えるからね。ベンヤミンが忙しくなる分、こういう小規模な軍事行動では君が補助的な役割を果たしてくれると助かる。王家にとって、絶対に信用のおける商人は貴重だ……頼りにしてるよ」


 スレインが子供の頃のように無邪気な表情で言うと、エルヴィンも同じような表情を返す。


「それでは、こうしてお傍に立たせていただくご恩を、今後も働きでお返ししてまいります」


 スレインたちが話している間も、イェスタフ率いる徴集兵たちは村に接近する。

 いかに静かに近づいていようと、相手は強力な魔物。ある程度の距離を詰めたところで、こちらの気配を本能的に察知したらしいオークは飛び起きた。

 立ち上がったオークは、自身に接近する人間の群れを認めると、昼寝を邪魔されたからか腹を立てた様子で吠える。


「ブゴオオオオオッ!」


 巨躯を誇る魔物の雄叫びに、その姿を戦場の後方から見ているだけのスレインも驚く。空気を震わせる咆哮に、思わず少し身が竦む。


「陛下。大丈夫ですか?」


 スレインの身の緊張を察したのか、モニカが隣に馬を寄せて尋ねてくる。


「平気だよ。少し驚いただけだから」


 スレインは彼女に微笑を返し、表情を引き締めて前を向いた。

 不意の咆哮に驚きはしたが、それだけだ。これまで乗り越えてきた戦いと比べれば、オークなど恐れるに足りない。


「恐れるな! あれはただの馬鹿な魔物だ! 俺たち人間様の敵ではない!」


 戦場の最前ではイェスタフが声を張る。さすがに少し怖気づいた様子の徴集兵たちも、その声を受けてその場に踏みとどまる。


「ブガアアアッ!」


 オークは自身の得物らしい太い木の棒を握ると、それを振り回しながら突き進んでくる。

 普段は森の中に棲むオークで、それも若い個体ともなれば、おそらくは人間の姿をろくに見たこともない。隊列中央の徴集兵たちが構えるクロスボウが、飛び道具であることも理解しておらず、真正面から一直線に突進してくる。


「クロスボウ隊は構え! 歩兵隊は待機!」


 イェスタフの命令で、クロスボウ兵は前後二列で互い違いにクロスボウを構え、オークを狙う。残る四十人は槍を握りしめたままその場に立つ。

 今まで戦いに徴集された者たちは、隣国との国境で喧嘩のような小競り合いをするか、先のガレド大帝国との戦いで一方的な追撃戦をするか、そのどちらかしか経験していない。今ここにいる六十人は、徴集兵としては初めて本格的な部隊行動をとっている。

 逃げずに隊列を保ち、命令を聞いているだけ、素人集団にしては上等。イェスタフはそう考えながら、次の指示を出すタイミングを見極める。


「…………今だ! 放てぇっ!」


 イェスタフが命じた瞬間、二十挺のクロスボウから二十本の矢が一斉に飛ぶ。

 練度の低い徴集兵が放っても真っすぐに飛ぶのがクロスボウの利点。おまけに的となるオークは図体がでかい。放たれた矢のうち半分以上が、オークの腕や足、胴体に突き刺さる。


「ブグウウッ」


 金属鎧さえ貫くクロスボウの矢を全身に受ければ、いかなオークといえどただでは済まない。明らかに怯み、木の棒を取り落とし、突進の勢いがなくなる。


「装填急げ! 歩兵隊は前へ! 槍衾を作れ!」


 徴集兵たちの狙いの甘さを矢の数で補うため、イェスタフはクロスボウ隊の二十人に二段撃ちではなく一斉射を命じた。その代償として生まれた装填の隙は、歩兵隊に守らせる。

 クロスボウ隊の前に出た四十人の歩兵隊は、前後二列で槍を構え、槍衾を作る。

 大きなダメージを受けて動きが鈍っているオークは、目の前に作られた四十もの槍の壁を突破することは叶わない。懸命に咆哮を上げながらも、攻めあぐねてその場で虚しく腕を振り回すだけだった。

 そして、クロスボウ隊は次の矢を放つ準備を終える。


「歩兵隊、俺の合図で一斉に槍を突き込み、左右に退避しろ……今!」


 四十人が一歩前に踏み出しながら、槍の突きを放つ。概ね動きの揃った一斉攻撃を受けて、オークは一歩下がる。

 その直後、歩兵隊は左右に走る。オークの正面、クロスボウの射線上から逃れようと足早に移動する。


「放てぇっ!」


 歩兵隊が左右に退避したところで、再びクロスボウから一斉に矢が放たれる。ほとんど動きを止めていたオークへの、一射目より近距離での一斉射ということもあり、ほぼ全ての矢が命中した。


「ブウゥ……」


 さすがにこれほどの矢を近距離から受ければ、もはやオークもまともに動けない。苦しげな様子でその場に膝をつく。


「とどめだ! 槍を突き入れろ! 胸と腹、そして脇を狙え!」


 四十人の歩兵がオークを囲み、正面と左右からオークに槍を突き入れる。合計で百回以上も槍を受けたオークは地面に頽れ、動かなくなった。


「おい、お前とお前! オークの目に槍を突き込め! 脳に到達するまでしっかりとだ!」


 イェスタフの命令で、二人の徴集兵がオークに確実にとどめを刺す。


「貴様ら、よくやった! 上出来だ!」


 特に危ない場面もなく、軽傷者さえ出すことなく、徴集兵によるオーク討伐は終わった。


「上手いね。イェスタフの指揮も巧みだったし、徴集兵たちの動きもよかった」


「隊列を崩して逃げるようなこともありませんでした。徴集兵としてはあれで十分でしょう」


 後方から戦闘を見届けたスレインが満足げに言うと、ヴィクトルがそう答える。

 この成功を受けて、以降の魔物討伐の際は王国軍のみならず徴集兵も動員され、より実戦的な訓練として戦いに参加するようになった。

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