第58話 備え

 五月の末。王城に隣接した王国軍本部の訓練場に、三十人ほどの臣民が集められていた。


「並べー!」


 彼らに向けて声を張ったのは、王国軍副将軍のイェスタフ・ルーストレーム子爵。その命令に従って、三十人は前後二列になって並ぶ。

 彼らは日頃から訓練されている兵士というわけではないが、先ほど何度か整列の練習をさせられたので、その動きは素人にしては迅速な方だった。


「構えー!」


 イェスタフがまた声を張り、それに従って前列の十五人が手にしていた武器――クロスボウを構える。台座の上に金属製の矢を装填する。


「放てぇっ!」


 命令から一瞬遅れて、十五人はクロスボウの引き金を引く。弓が開き、弦が伸び、空気を切る鋭い音とともに矢が十五本、飛翔する。

 一列に並べて立てられた、木製の的に向けて放たれた矢は、半分ほどが的に命中した。残りの半分は的を外れ、その後ろにある訓練場の壁に当たって地面へと落ちた。


「交代!」


 イェスタフの命令で、前列と後列が交代する。その動きもやはり、素人にしては迅速だった。


「構えー!」


 一射目と同じように、射撃の用意が進んでいく。その間に、後列へと下がった十五人は巻き上げ機を使って次の矢の発射準備を進める。

 訓練を受けているのはこの三十人だけではない。少し離れた場所では、別の三十人が槍を手にして、王国軍騎士から隊列を組む訓練を受けさせられている。

 そんな訓練風景を、スレインは国王として視察していた。傍らにはモニカと、セルゲイ、ヴィクトルが付き従っている。


「彼ら、なかなか様になってるね」


「はい。徴集兵ならばこれで上出来かと思います。クロスボウを装備してこの程度の動きができるのであれば、防衛戦闘ではそれなりに役に立つでしょう」


 クロスボウ兵たちの方を見ながらスレインが呟くと、ヴィクトルが頷きながら答えた。


「ヴィクトルがそう言うなら間違いないね。クロスボウを増産したのは、やっぱり正解だったみたいだ」


 王国の防衛体制を強化するために、王家が昨年末から推し進めてきたのが、クロスボウの増産だった。

 クロスボウの弓に勝る利点は、威力と扱いやすさにある。

 クロスボウは人間が弓を引いてその体勢を維持する必要がないため、通常の弓よりも威力を高めることができる。クロスボウから放たれた矢は、直撃すれば金属鎧さえも貫く。

 また、狙いを定めるのに技術がほとんどいらないため、素人でもクロスボウを持つだけである程度の戦力になる。

 そうした利点を持つクロスボウは、ときに「騎士殺し」とも呼ばれる。

 一方で、クロスボウには弓に劣る点もある。例えば、弦が非常に硬いため、専用の巻き上げ機やレバーなどを使って引かなければならず、連射性能が低い。また、矢が太く短いために、安定して飛翔する有効射程は短い。

 それらと並んで大きな欠点が、構造が複雑で金属部品も使うため、製造に金と手間がかかることだった。クロスボウ本体のみならず、矢の方も値が張る。ただでさえ安くはない長弓の矢と比べてもなお高い。

 しかしハーゼンヴェリア王家の場合、その欠点についてはある程度解消できる。王家の富の源泉として、鉄鉱山を保有しているためだ。

 鉱山から採れる鉄鉱石は、全て王家の所有物。販売して利益を得る分を除けば、基本的にはスレインの一存で使える。

 なのでスレインは、徴集兵をより強力な戦力へと変えるための装備として、クロスボウを増産することにした。王家の保有するクロスボウを、当初の四十挺から今年中にまずは百挺まで。そして来年以降も少しずつ増やすことを、セルゲイやジークハルトと話し合った上で決めた。

 年明けから増産が始まり、現時点で保有数は六十強まで増えた。そのうち半数は東部国境の防衛用の装備として砦に送られ、残る半数は王都の防衛兼、王領民の訓練のために使われている。


「臣民に定期的な訓練を受けさせることの効果も、狙い通りに出始めています。元は数十年前の制度でしたが、この様子を見ると今も有効なようですな」


 そう語ったのはセルゲイだった。

 戦時に徴集される予定の成人男子たちに、定期的な訓練を施す計画も今年の春から始動した。

 これまで他の小国と小競り合いをする以外は平和を享受していたハーゼンヴェリア王国だが、帝国との友好が決裂した現状、今後は日頃から本格的な戦争に備えなければならない。

 この情勢変化を受けて、王領では数十年も前に廃止された臣民の定期訓練が再開された。定期訓練が行われていた当時をよく知るのはセルゲイのみだったので、彼の証言と書庫の古い資料を頼りに、ジークハルトたちが制度をあらためて復活させた。

 とはいえ、ただでさえ東部国境の防衛に徴集兵を置いている現状、さらに多くの臣民を長時間拘束することはできない。あまり多くの臣民を軍事のために動かせば彼らはその分働けなくなり、結果として王領の経済が衰え、農業生産力も落ちてしまう。

 なので今のところは、動員対象の成人男子――有用な特殊技能がなく、心身が健康で、なおかつ年老いていない者たちに対して、半年に一度、一日間の訓練を義務付けるにとどまっている。

 これだけでも効果はある。徴集兵の多くがまともな軍事訓練を受けたことがある状態になれば、ただ素人を集めて武器を持たせるよりも数段ましな状況になる。

 加えて、東部国境に派遣される者以外にも、自分や周囲の者が定期的に訓練を受けていれば、臣民の間に今が戦時なのだという自覚も芽生える。

 ただ国境に戦力を常駐させるだけでなく、社会の根本から力をつけていくことを目指す防衛体制の強化は、こうして着実に進みつつあった。


「フロレンツ皇子もまだ当分は動けないだろうし、備える時間は――」


「おい貴様っ! 何をもたついている! 遅すぎるぞ!」


 スレインの呟きを遮るほどの怒声が訓練場に響いた。クロスボウの射撃準備に手間取っている、まだ十代後半と思われる青年をイェスタフが叱責する声だった。


「す、すいません」


「敵が目の前に来てもそうやって謝るのか!? そうすれば敵が攻撃を待ってくれると思うのか!? ふざけるな!」


 顔を青くして謝る青年を、イェスタフは容赦なく殴り飛ばす。さすがに力は加減されているのか青年は怪我をした様子はないが、地面に転がって半泣きになっている。それを見ていた他の者も、皆怯えていた。


「……徴集兵にもここまで厳しくするものなんだ。彼らも大変だね」


「いえ、あれは少々やり過ぎかと。あの徴集兵たちは今回が初めての軍事訓練なのですから、ルーストレーム卿は彼らに能力を求め過ぎでしょう」


 片眉を上げて驚くスレインに、セルゲイがため息交じりに答えた。


「正規の王国軍ではあの程度の折檻も珍しくありませんが……徴集兵の場合は、わざと怠けているのでもない限り殴ることはそうそうありません。彼らに大きな期待をしても仕方がないので」


 スレインが傍らのモニカに顔を向けると、彼女も見解を語った。


「ルーストレーム卿は自身にも部下にも厳しい男なので、練兵となるとつい力が入り、相手が徴集兵でも高い能力を求めてしまうのでしょう」


 イェスタフとは年齢も身分も役職も近いヴィクトルが、彼を庇うように言った。


「なるほど。仕事熱心なのは嬉しいことだけど、力の入れ方には気をつけてもらわないとね」


「本人にもそう伝えましょう……ルーストレーム子爵! ここへ」


 スレインが微苦笑する横で、セルゲイがイェスタフを呼びつける。イェスタフは自身が指導していた三十人に待機を命じると、即座にスレインたちのもとへ駆けてくる。


「お呼びでしょうか、宰相閣下」


「ああ。卿の訓練の在り方を、国王陛下が問題だと感じておられる」


 敬礼して直立不動になったイェスタフに、セルゲイが少しばかり苦い表情で言った。


「卿としては普段通りの練兵をしているつもりだろうが、相手は素人揃いの徴集兵だ。王国軍の正規兵とは違う。ある程度の叱責は必要だろうが、殴りはするな。臣民たちが定期訓練を忌避するようになれば逆効果だ……これは強兵を作るための訓練ではない。戦時に徴集した兵を烏合の衆にしないための訓練だ。その前提のもとに鍛えてやってくれ」


 王国軍や近衛兵が完璧な軍隊を目指す組織だとすれば、この定期訓練は素人集団を、素人に毛が生えた程度の集団まで育てるもの。一人ひとりへの指導が多少甘くなっても、精神的に余裕をもって学ばせ、意欲的に訓練に赴かせ、全体の平均点を少しでも底上げする方がいい。

 あまり厳しくすると、訓練を受ける臣民たちは怯えた分だけ学ぶ余裕がなくなり、市井では「定期訓練に行くと殴られる」という噂が広まり、訓練の実施を嫌がられる。


「これは国王陛下の定められた方針であり、私も陛下のお考えに同意している。将軍であるフォーゲル卿もこの場にいれば同じ注意をしたはずだ。心得てくれ」


 こうした軽い注意の場合、国王であるスレインが臣下を直接叱るのはあまり好ましくなく、しかしイェスタフと同格のヴィクトルが口を出すと角が立つ。

 武門の人間ではないが爵位も役職も上のセルゲイが、イェスタフの上官にあたるジークハルトの名も出しながらこうして注意をするのが、この場では最も無難だった。


「はっ。肝に銘じます。申し訳ありませんでした」


 イェスタフは血の気の多いタカ派ではあるが、貴族として序列を重んじ、物事を理屈で考える頭も持っている。国王スレインや宰相セルゲイ、将軍ジークハルトの意向だと言われ、注意の理由も説明されれば、こうして素直に聞き入れる。


「国王陛下におかれましても、私の無能故にお見苦しいところを御覧に入れることとなり、お詫びのしようもございません」


「気にしないで。君は疑いようもなく優秀な王国軍人だ。今回のことも、君が軍務に責任感を持っているからこその行動だと分かってるから」


 セルゲイが伝えるべきことは伝えたので、スレインが注意を重ねる必要はない。イェスタフの名誉のためにも、スレインは逆に国王として彼の姿勢を褒める。


「ルーストレーム卿、話は以上だ。戻ってよろしい」


「はっ。それでは引き続き、務めを果たします」


 イェスタフはまた敬礼し、監督する三十人の方に戻る。先ほど殴られ、まだ座り込んでいた青年に手を貸して立たせてやり、全体に向けて訓練の再開を命じる。


「……ルーストレーム卿は有能な男です。一度こうして注意すれば、後は大丈夫でしょう」


 その姿を見ながら、セルゲイが言った。


「後はできるだけ多くの臣民に訓練を施して、練度が底上げされていくのを待つだけだね」


「欲を言えば、徴集兵たちがこうして受けた訓練を忘れないうちに、実戦経験を積む機会があればいいのですが。本格的な部隊戦闘を一度経験した人間はそれをなかなか忘れないものです」


 そう語ったのはヴィクトルだった。


「実戦経験か……魔物でも狩らせるの?」


「それが常道となります。王国軍でも、新兵に度胸をつけさせるために魔物狩りをさせることはよくあります。定期訓練でそこまで行うには時間が足りませんが、王領内で魔物討伐をする機会があった場合は、徴集兵を使うのも良いかもしれません」


 そんなヴィクトルの提案を実行する機会は、この視察の数週間後に訪れた。

 六月の中旬。スレインの故郷である都市ルトワーレの近郊で、オークが出現したという報告が王城に届けられた。

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