第57話 現状

 ユリアス・ウォレンハイト公爵の謀反を、限りなく無血に近いかたちで収めたことで、スレインの国王としての才覚は王国西部においても領主貴族たちから認められた。

 一連の騒動が結果的にスレインの威光を高めたのは王家にとって利益となったが、一方で別の部分では、解決すべき新たな問題も発生した。その問題とは、為政者の一族が絶えたことで王領へと併合された、旧ウォレンハイト公爵領の管理だ。

 ひとまず王国軍を駐屯させて治安を守り、社会の現状維持をさせていた公爵領の今後について、王国宰相セルゲイが対応を検討。具体的な案をまとめ、スレインのもとへと報告に来たのは、四月下旬に入ってすぐの頃だった。


「旧ウォレンハイト公爵領を王領として扱う場合、その人口規模や、旧領都である小都市クルノフの存在を考えると、一定の裁量権を持った代官を置くのが適切な対応かと考えます。代官の人選について、私個人としては文官のイサーク・ノルデンフェルトを推薦いたします」


 スレインの執務室を訪れ、具体案について説明していたセルゲイが語ったのは、補佐官として彼の後ろに控える甥の名前だった。

 それまで気配を極力消していたイサークは、自身の名前を出されたため、スレインに向かって軽く頭を下げる。


「イサークか……能力的にはまったく問題ないだろうね。ただ、彼はセルゲイにとって右腕に等しい存在だと思うけど、旧公爵領に送り込んでしまっていいの?」


「補佐官の仕事自体は大して難しいものでもありません。他に務まる者はおります。私のもとで宰相の執務を学ぶことについては、イサークは既に十分な経験を積みました。今のこれに必要なのは、実際に自分の采配で社会を収め、実務を回す経験です。その点で、代官の仕事は最適な修行となるでしょう」


 セルゲイは今年で六十六歳。どれほど頑張っても、十年後まで国政の第一線にいる可能性は限りなく低い。このまま順当にいけば、セルゲイの甥で次期ノルデンフェルト侯爵であるイサークが、そう遠くない時期に次の王国宰相に就任する。

 彼の修行の最終段階として、セルゲイはどこかの代官職を任せることを元より考えていた。ちょうど埋めるべき新たな代官の席が生まれたのは丁度いいとも言える。


「分かった。セルゲイがそれでいいなら、旧公爵領の代官はイサークに任せよう」


「かしこまりました。ではそのように手配いたします」


「全身全霊をもって職務に励みます、国王陛下」


 セルゲイに続いて、イサークも答えた。伯父に似て鋭さのある、生真面目そうな声だった。


「陛下、旧公爵領の管理についてもう一点、提案がございます。公爵家より接収した農地の扱いについてです」


 ウォレンハイト公爵家の収入源は、領地と接するエルデシオ山脈内の岩山から切り出す石材と、広大な農地だった。公爵領の農地のうち、公爵家の保有分は実に二割に及んだ。

 その農地は、公爵家の他の財産と共に王家に接収されている。他の財産と違い、先の戦いに参戦した領主貴族たちに褒賞として与えることもできない(そんな飛び地を与えられたら貴族たちもかえって困る)ので、丸ごと王家の所有地となっている。

 この農地の一部をジャガイモ栽培に活用してはどうか、というのがセルゲイの提案だった。

 農地は王家のものなので、何を栽培しようと王家の自由。それを耕す小作農たちも、新たな雇い主である王家の言うことを聞いてくれる。国内におけるジャガイモの栽培量を増やすための場としてぴったりだった。


「いい案だね。そうしよう」


 許可しない理由はない。スレインは即答する。


「かしこまりました……そうなると、その農地を管理する責任者が必要となります。以前の管理担当者である公爵家の文官は国外追放となりましたし、ジャガイモの扱いについて公爵家の雇われ農民たちは何の知識も持ちませんので」


「ああ、そう言えばそうだね……人選の案はあるんでしょう?」


 セルゲイが事前に案を考えていないはずもないと思ってスレインが尋ねると、案の定セルゲイは頷く。


「もちろんです。私としては、ヴィンフリート・アドラスヘルムが適任かと存じます」


 ヴィンフリートはワルターの息子で、モニカの兄にあたる。現在は一文官として父ワルターの下で働いている。

 長官職は必ずしも世襲と決まっているわけではないが、特段の事情がない限り、現長官の仕事を最も近くで見て育つ継嗣が継ぐのが恒例となっている。ヴィンフリートもその例に漏れず、農業長官を継ぐ予定だ。

 ある程度広い農地を管理し、今後ハーゼンヴェリア王国にとって重要な作物となるであろうジャガイモの栽培を統率する経験は、ヴィンフリートのためにもなる。セルゲイはそう語った。


「尤もな意見だね。そっちも問題ない。セルゲイの采配通りにしよう」


 今までの王領のちょうど十分の一ほどと、程よい規模である旧公爵領は、こうして次代を担う官僚たちの修行の場として活用されることが決まった。


・・・・・・・


 五月の上旬。城館の会議室では、国家運営定例報告会議――通称、定例会議が開かれていた。

 国家運営の各部門について、報告と情報共有を行う場であるこの会議。他国に出向いていて不在の場合も多い外務長官エレーナ・エステルグレーン伯爵が、この日は出席して外務の報告に立っていた。

 春先から周辺諸国を巡った彼女が語るのは、ガレド大帝国との戦争状態にあるハーゼンヴェリア王国と、平民育ちという異例の出自を持つ国王スレインへの各国の評価だ。


「まず、帝国との戦いで勝利を収めた国王陛下に対する評価ですが……一定の能力は認めつつも、このまま帝国と対峙し続けられるかは疑問が残る、という見方が多勢のようです」


 スレインは自軍の三倍を超える帝国の侵攻軍に対して、完全勝利を成した。そのこと自体は評価に値すると、周辺諸国の王も概ね認めている。

 つい二か月ほど前にユリアス・ウォレンハイト公爵の起こした謀反を、ほぼ無血で収めた話が広まり始めていることも功を奏した。

 一度ならば偶然かもしれないが、二度となれば才能である。ハーゼンヴェリア王国の新国王スレインは、平民の出ではあるが、奇策を用いて困難な戦いを乗り越える才覚を持っている。諸王からはそう見られている。

 しかし、だからといってハーゼンヴェリア王国が安泰だと見なされたわけではない。

 スレインは五千に及ぶ帝国の軍勢に打ち勝ったが、その五千のうちの大半は農民を徴集した弱兵だった。もしもこれが帝国の常備軍や貴族領軍、傭兵だった場合、果たしてハーゼンヴェリア王国は生き永らえることができたのか。帝国が本腰を入れ、強兵をもってハーゼンヴェリア王国に攻め入った場合、果たしてスレインはそれを乗り越えるほどの才覚を持っているのか。

 おそらくは難しいと考えたらしく、諸王はハーゼンヴェリア王国とスレインに注目しつつも、今は静観する姿勢をとっているという。


「……なるほど。そうなると、周辺諸国からの助力は見込めそうにないね」


 エレーナの報告を聞いたスレインは、そう呟いた。

 周辺諸国からすれば、下手にハーゼンヴェリア王国とガレド大帝国の戦いに首を突っ込んでも利点はない。帝国が本気でハーゼンヴェリア王国に侵攻し、占領すれば、ハーゼンヴェリア王国に助力して帝国に歯向かった国は次の攻撃目標になりかねない。


「陛下、これは必ずしも悪い話ではないかと存じます。他国の助力を受けることは、利点もありますが欠点もあります。下手に他国の兵を入れず、口を出されない方が、我が国としては柔軟に戦いやすいかと」


 そう意見を述べたのは、ジークハルト・フォーゲル将軍と東部国境の防衛指揮の任を交代し、王都へと戻っている王国軍副将軍イェスタフ・ルーストレーム子爵。王国の軍事的な自立を重んじる発言は、タカ派の彼らしいものだった。


「……確かに、ルーストレーム子爵の意見は理に適ってます。幸い、帝国は未だに新たな動きを見せておりません。デュボワ伯爵家の使者が語っていた、フロレンツ第三皇子の立場の弱さによる戦力不足は事実と見られます。直ちに危機が迫るわけではない現状、調整を欠いた状態で周辺諸国から下手に多くの兵を迎え入れるのは不利益も多いでしょう」


 イェスタフの意見を補足するように、セルゲイが見解を語る。


「大陸西部の国々は帝国と比べればまだ価値観を共有できる存在ですが、必ずしも味方ではありません。周辺諸国からあまり多くの兵を迎え入れると秩序の維持も難しくなり、最悪の場合は我が国の内側からの侵略を許すことになります。また、領主貴族たちの反感も買うでしょう。ひとまずは現状を維持しつつ、周辺諸国との現実的な協力体制の模索を着実に進めるしかないかと」


 その見解を聞いたスレインは、少し考えて頷いた。


「分かった。とりあえずは現状で良しとしよう……それにしても、こうやってあらためて話を聞くと、オスヴァルド・イグナトフ国王が即座に助力を申し出てくれたのが凄いことに思えるね」


「確かに。かの国は地理やこれまでの歴史から帝国への悪感情を抱いているとはいえ、現時点で対決姿勢を明確にするのはそう簡単にできることではありませんな」


 スレインの感想に、ヴィクトルがそう答える。


「イグナトフ王国の側が帝国を良く思っていないのはもちろん、帝国の側も、国境からの盗賊侵入問題でたびたび抗議してくるイグナトフ王国を煩わしく思っているはずです。もしハーゼンヴェリア王国が帝国の手に落ちれば、イグナトフ王国は帝国との戦いを免れないと思っているのでしょう。だからこそ、腹を括って対帝国の姿勢を貫いているのだと思います……オスヴァルド国王ご自身の気質も影響しているのでしょうが」


 エレーナがそう言って、クスッと笑った。オスヴァルド・イグナトフ国王が、西部諸国の王の中でも生粋の武闘派であることは広く知られている。


「彼の気質が我が国にとって有益にはたらいていることを、今は喜んでおこう……とはいえ、当面は我が国のほぼ独力で国境を守るとなると、防衛体制の強化は必須だね」


「国境の砦の建設、徴集に備えた王領民の定期訓練、及び防衛用装備の拡充は着実に進んでおります。目に見えて成果が出るのは少し先になりましょうが……一方の帝国も、おそらく当面は動きません。今は落ち着いて状況を見守るべきときでしょう」


 帝国との戦いからまだ半年強。冬が明けてからは三か月と経っていない。急いで事を進めるにしても限界はある。じたばたしても利益はない。

 セルゲイの発言をもって、外交と国防に関する話はひとまず終了となった。

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