第56話 ジャガイモ普及

 四月の半ば。モニカとの結婚に向けた領主貴族たちへの根回しや前準備などの実務は臣下たちに任せ、スレインは国王として内政に注力していた。

 日常の執務をこなしつつ、新たに進めようとしていたのが、昨年発見して国内での栽培にも成功したジャガイモの普及だった。

 ジャガイモを普及する上で最大の障害となるのが、民の感情。得体の知れない作物を新たな主食のひとつとして栽培しろと、国王が命じたからといってすぐに広まることはない。

 そこでスレインは、農民たちと直接会い、自らが彼らを説得することにした。臣民と交流を重ねて彼らに親しみを感じてもらい、国を守り抜くことで彼らの敬愛を得た昨年の成果を、ここで活かすことにした。


「国王陛下。本日はこうして王城にお招きいただき、恐悦至極に存じます」


 王城の敷地内、王家の居所かつ王領の行政府たる城館。その広間に招かれてスレインに挨拶をしたのは、王都ユーゼルハイムに住む農民のまとめ役である大地主だった。

 大地主の後ろには、他にも農民たち――地主と呼べる立場の者から、一家が食べていける程度の土地を持つ小規模な自作農まで、大勢いる農民から適当に選ばれた数十人が並んでいる。

 挨拶をした地主の表情はやや硬い。王都の農民のまとめ役ともなれば相当の財力と市井での発言力を持つが、さすがに国王を目の前にしては緊張した様子を見せている。他の者の緊張はさらに大きいようで、小規模自作農たちなどは少し震えたり、落ち着かない様子で周囲をきょろきょろと見回したりしている。


「皆よく来てくれた。今日はどうか楽しんでいってほしい」


 そんな彼らに対し、スレインは微笑を浮かべながらそう言った。

 広間には晩餐会などに使われる大きなテーブルが広げられ、椅子が並んでいる。スレインが着席を促すと、数十人の農民たちはおそるおそるといった様子で着席する。

 一人の小規模自作農が椅子を引いた際に思いのほか大きな音が響き、彼はびくりと肩を竦めながらスレインの表情を伺う。スレインは笑いながら気にしないように言った。


「さて。事前に聞いていると思うが、今日は王都の農業を担う君たちに話があって、こうして王城に来てもらった。まったく緊張しないというのは難しいと思うが、できるだけ楽にしてほしい。細かな礼儀作法は問わないと約束しよう」


 その言葉を聞いて、農民たちはやや安堵した表情を浮かべる。


「それじゃあ、まずは昼食だ。用件はその後に話そう……ああ、『ご馳走してやったんだから言うことを聞け』だなんて酷いことは言わないから、どうか安心して」


 スレインが冗談めかして言うと、農民たちも笑った。

 そして、メイドたちによって料理が運ばれてくる。招いた農民の数が多く、彼らのほとんどがテーブルマナーなどまったくわきまえていないことも考慮して、料理は大皿に盛られたものを好きなだけ自分の皿に取り分ける形式になっていた。


「……国王様、これは?」


 運ばれてきた料理を見た一人の自作農が、不思議そうな表情で首を傾げる。彼が見ているのは、やや固そうな薄黄色のペーストに具が混ざったものが、こんもりと盛られた山だった。


「それはこの昼食の主食――つまりはパンの代わりになる料理だよ。ジャガイモという、異国から取り寄せた作物を茹でて皮を剥き、食べやすいように潰してベーコンなどと混ぜてある。潰す前はほら、このような見た目をしているんだ」


 スレインは自作農の質問に答えてやり、別の皿を指差した。それは茹でたジャガイモをぶつ切りにして、塩と胡椒で味付けしたシンプルな料理だった。


「ジャガイモ……?」


「聞いたことあるか?」


「いや、初めてだ」


「豆……じゃねえよな。野菜とも言えねえし、パンや麦粥とも違う」


「見た目とか、皮の色とか……なんだか、ちょっと気持ち悪いな」


「おいっ、馬鹿」


 思わず口走った一人に別の者が注意するが、スレインは笑って流す。


「さあ、温かいうちに食べよう。先に言った通り礼儀作法は問わない。普段と同じように、気楽に食事をしてほしい」


 そう言いながら、スレインは自身の皿をとってペースト状のジャガイモ料理を小さく盛る。その横にぶつ切りのジャガイモを二、三個載せ、さらに別の大皿から焼き野菜を少しとる。

 スレインが動いたのを見て、農民たちも皿を手に動き出す。それぞれ適当に数種類の料理を皿に載せていく。

 ペースト状のジャガイモ料理を匙ですくった一人の自作農が、何とも言えない表情でそれを口に入れる。


「……うまい!」


 そして、感想を漏らす。そのまま二度、三度と匙ですくって口に放り込む。

 スレインはその姿を微笑ましく見ながら、自身もペースト状のジャガイモを一口食べる。

 しっかりと熱の通ったジャガイモに、じっくり焼かれた香ばしいベーコンとその肉汁、脂がよく絡んでいて、少量混ぜられた胡椒も良いアクセントになり、美味だった。

 他の農民たちも、それぞれ料理を口に入れる。


「本当だ、美味いな!」


「ああ。それに食べ応えもある」


「このぶつ切りの方も塩と胡椒がよく効いてて美味いぞ」


「腹持ちも良さそうだし、これなら確かにパンの代わりになりそうだな」


「国王陛下、この焼き野菜に入ってる白くて細いものもジャガイモでしょうか?」


 地主の一人がそう言って、香辛料で味つけのされた焼き野菜を示す。


「そうだよ。ジャガイモには幅広い調理方法があるんだ。この焼き野菜には他にも異国から取り寄せた作物が入っている。面白い味わいだろう?」


 サレスタキア大陸西部の各地から取り寄せられた作物のうち、ジャガイモ以外の三種類についても実験的に栽培が行われ、ひとまず成功した。この焼き野菜は、それらの作物を農民たちに披露する意味もあって作られた。


「どの料理も、王家の抱える料理人が腕によりをかけて作ったんだ。心ゆくまで味わってほしい」


 胡椒などの高価な香辛料も惜しみなく使われ、火の通し方ひとつにもこだわられた料理の数々。国王が普段口にしている味ということもあり、農民たちにとってはどれも極上の味だった。

 小規模な自作農たちはもちろん、比較的裕福な地主たちも、これほど味の豊かな料理は日常的には食べられない。彼らは口々に感想を語り合いながら、料理を口に運び続ける。

 地主たちはともかく、その他の自作農たちの食べ方は、お世辞にも品があるとは言えない。匙を持っていることを忘れてぶつ切りのジャガイモや焼き野菜を手で口に運んだり、口にものを入れたまま喋ったりと、自由なものだ。

 その振る舞いに給仕のメイドたちなどは表情を硬くしている者もいるが、スレインは彼らの所作を気にすることもない。スレインは元々、彼らと同じ平民として育った。

 母アルマの教育のおかげで、スレイン自身は平民としては相当に行儀のいい方だった。しかし、街の料理屋などに入った際は、他の客がクチャクチャと咀嚼音を立てたり、大きなげっぷをしたり、野菜のすじや肉の骨を床に吐き捨てたりするのを見てきた。

 平民、特に庶民ならばそれで普通であることを考えると、目の前の農民たちは彼らなりに行儀よくしようと努力しているのが分かった。

 それから少し経ち、農民たちも満腹になったのか、食べる手を止めていく。数十人の中で最も大柄で、その体格に見合う大食漢が最後に匙を皿の上に置き、食事は一段落する。


「さて、皆。王城の料理はどうだったかな?」


「……とても美味しゅうございました。さすがは陛下の口にされるお食事です」


「こんなうめえ飯を満腹になるまで食えるなんて最高でした」


「特にこのジャガイモとかいう作物、初めて見ましたけどうまかったです」


 農民たちの感想を聞いて、スレインは満足げに笑った。


「それはよかった……それじゃあ、そろそろ本題に入ろう。今日、君たちを王城に招いたのは、このジャガイモという作物を君たちに披露したかったからだ」


 そう切り出して、スレインはジャガイモの概要を農民たちに語り聞かせる。

 もともとは南のアトゥーカ大陸原産の作物で、このサレスタキア大陸ではまだほとんど知られていないこと。

 原産地では主食として栽培されていること。

 収穫率、栽培にかかる時間、栽培の手間、栽培環境など、麦に勝る利点が数多くあること。

 同時に、麦に劣る点もいくつかあること。

 具体的な数字も交えたスレインの説明を、農民たちは興味深そうに聞いていた。

 おおよその説明を終えたスレインは、傍らのモニカに視線で合図を送る。モニカが頷き、農民たちの前にジャガイモを――緑色に変わって芽が飛び出し、栽培できる状態となったジャガイモを置いた。


「これが、実際に日に当てて芽を出させたジャガイモだよ。食べられる状態のときとは随分と見た目が違うだろう?」


「こ、こいつは……ちっとばかし不気味ですね」


「正直に申し上げて、私も奇妙な見た目だと感じます」


 少々グロテスクな外見のジャガイモを見て、農民たちは微妙な表情を見せる。しかし、ジャガイモが食用可能な作物だと知り、美味であることを体感し、国王スレインがごく普通に口にするところを見た後だからか、拒絶するような反応は見られない。


「ジャガイモは麦の完全な代用作物にはならないが、麦と併せて栽培することで、この地の食料事情を改善できる。だから王家としては、ジャガイモの栽培を国内で本格化させていきたいと考えているんだ。まずは王都周辺の農地へと栽培を拡大したい」


 スレインがここまで話せば、農民たちも国王の意図を理解した顔になる。

 一部の地主たちは、効率よく増やせる食料の生産を推し進めようとするスレインの狙いにまで気づいた表情を見せる。食料の安定供給を成すことが、軍事や経済の面でいかに重要かは、農民の上位層である彼らも知っている。


「もちろん、いきなり大規模栽培を行えと命令するわけじゃない。王家が行うのは、あくまで栽培の奨励だ。協力してくれた者には税の面で優遇措置もとる。細かなことは後で官僚から説明してもらうが、大まかに言うと、ジャガイモ栽培に使用した農地の面積に応じて税を軽減する」


 農地は所有する農民のものであり、農民たちの協力がなければ社会を安定させることができない以上、いかな国王と言えども頭ごなしに命令することは現実的ではない。なのでスレインは、彼らが自発的に協力したくなる道を用意した。

 農業を営む者は、保有する農地の面積に応じて為政者に地税を支払っている。ジャガイモ栽培に使用した農地の面積に応じて税が軽減されれば、支払う税が少なく済み、なおかつ栽培したジャガイモは売って現金化したり、自家消費したりすることが叶う。

 ジャガイモ栽培に使用された農地からは、麦を育てた場合よりも多くの食料が生産され、王領内の食料自給率は高まる。そうなれば王領内で経済が回るので、王家としては税の軽減による減収もいずれ取り返せる。


「君たち農民にとっても益のある話だと思うが、どうかな?」


 スレインに尋ねられた農民たちは顔を見合わせ、まとめ役の大地主が代表して口を開く。


「栽培が容易で収穫率の高い、主食になる作物というのは、私どもとしても非常にありがたいものです。前向きな気持ちで王家に協力させていただきたく存じます」


 無理のない範囲でなら王家の求めに応じる。大地主の返答をスレインはそのように理解した。初めて見る作物について、これだけ前向きな返答が得られたのであれば、スレインとしては十分に狙い通りと言える。


「君たちの理解に感謝する。君たち農民こそが、王国社会を支える最重要の存在だ……それじゃあ、後はもう少し実務的な話をしよう。別室で農業長官ワルター・アドラスヘルム男爵が、より詳しい栽培方法や税の軽減の具体的な内容について説明してくれることになっている」


 スレインは室内に控えていた近衛兵たちに命じて、農民たちを別室へと案内させる。農民たちは近衛兵の案内に従って、ぞろぞろと広間を退室していく。

 ジャガイモ栽培における連作障害などの注意点は昨年から詳しく情報収集がなされ、ある程度の体系的な手引きも作成されている。ジャガイモ栽培を推し進めるための税の軽減措置についても、セルゲイやワルターが微細な点まで考えてくれている。

 ここからの実務は、農業長官たるワルターの仕事。ジャガイモ栽培について農民たちに前向きに受け入れさせたところまでで、スレインの役割は終了となる。


「……ひとまず、この調子なら大丈夫そうだね」


「農民たちの心を掴むご手腕、お見事でした。陛下」


 スレインはそう考えながら傍らのモニカと言葉を交わし、微笑み合った。

 農民全体にジャガイモを受け入れさせるには、彼ら数十人を説得しただけでは不足。今回のような試みをあと数回行えば、ひとまず王都の農民たちが皆でジャガイモを栽培する空気を作れるだろうと、スレインは考えている。

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