第54話 けじめ

 王国暦七十八年、三月の下旬。王都ユーゼルハイムの中央広場にて、王家への謀反を起こしたユリアス・ウォレンハイト公爵とその臣下たちへの沙汰が下される日が来た。

 ユリアスたちを王城から中央広場へと連行する準備が整い、出発の直前。後ろ手に縄で縛られて馬に乗せられようとしていたユリアスに、スレインは声をかける。


「ウォレンハイト公爵。少しだけ、君の臣下たちと話す時間を与えよう」


「……よろしいのですか?」


「ああ。これが最後だからね。君の考える誇り高き貴族の在り方を、臣下たちの前でも貫いて見せるといい」


 目を丸くしていたユリアスは、スレインの言葉を受けて微笑を浮かべた。


「国王陛下のご恩情に心より感謝いたします」


 ユリアスは近衛兵に縄を引かれ、これから自身と共に連行される領軍騎士と兵士、文官たちに引き合わされる。


「……ウォレンハイト公爵閣下」


 ユリアスと同じように縛られた彼らは、主君に向かって揃って頭を下げた。


「ふむ、お前たち、この数日で少しやつれたようだな……各々、自分の沙汰は聞いたな?」


「はっ。閣下が我々の助命を国王……陛下に願い出てくださったと聞いております。我々のような卑しき者のためにお慈悲をいただいたこと、感謝の念に堪えません。閣下のご恩にもはや報いることが叶わないと思うと、無念です」


「ははは。そう思うのなら、私の最後の命令を聞け……いいか、お前たち。間違っても私の仇を討とうなどとは考えるな。お前たちも、お前たちの家族も、間違っても国王陛下を害そうとはしてくれるなよ」


 ユリアスは臣下たちを見回し、穏やかに語りかける。


「私は私の考えこそが正しいと今も信じている。だが、私は陛下に敗北した。だから責任をとって死ぬ。ウォレンハイト公爵家もここで終わる。ならば潔く散り、歴史の中の一行に収まるのが最も美しい貴人の在り方だ。お前たちは、歴史の一行となる私とウォレンハイト公爵家の名を決して汚してくれるな。頼んだぞ」


「………………はっ。閣下とウォレンハイト公爵家が、歴史の中で安らかに眠り続けられるよう努めることを、我々の命に賭けてお約束いたします」


「それでいい。ではお前たち、達者でな」


 ユリアスは話が終わったことをスレインに視線で伝えると、縄で縛られて連行されているとは思えない優雅な所作で移動し、馬の背に乗せられた。

 そして、一行は隊列を整えて王城の門を出る。

 罪人へ刑罰を与えるのは、国王の権力を臣民に示す最重要の公務のひとつ。特に今回は公爵家の現当主という重要人物の公開処刑で、注目度も高い。なのでスレインは、普段は保管されている王冠を被り、愛馬フリージアに騎乗して王城から広場までの大通りを進む。

 スレインとそれを囲む臣下や近衛兵の一団。その後方には、拘束されて馬に乗せられ、沿道に集まった臣民たちに晒されながら進むユリアスの姿がある。

 ユリアスもまた、近衛兵や王国軍兵士によって厳重に警護されている。彼が確実に広場へと運ばれ、王の名のもとに公衆の面前で処刑されるその過程にも意味があるためだ。もし彼が民衆に害されるようなことがあれば、王家の面目が立たない。

 ユリアスとそれを囲む護衛のさらに後方には、手を縛られて数珠つなぎにされた公爵領軍の騎士と兵士、公爵家の文官たちが徒歩で続く。

 王領におけるスレインの臣民からの支持は厚い。沿道に立つ民衆には、敬愛する国王を殺めようとしたユリアスに厳しい視線を向ける者も多い。罵声を浴びせる者もいる。ものを投げつけようとする者も中にはいるが、沿道を見張る王国軍兵士がそれは静止する。

 民衆の注目を集めながら大通りを進んだ一行は、間もなく中央広場にたどり着く。

 広場には木製の大きな壇が設営されていた。スレインの演説台であり、ユリアスの処刑台であるその壇上に、罪人たちが上げられる。

 ユリアスが壇の前面に。その他の者は後方に。それぞれ置かれて膝をつく。

 壇の周囲を王国軍が、壇上を近衛兵が警備する中で、まず壇に上がったのは王家に仕える法衣貴族の一人、典礼長官のヨアキム・ブロムダール子爵。もともと宗教儀式の運営実務を担当していた典礼長官職は、今ではこのように、国王の関わる様々な行事において準備や進行を担う仕事となっている。


「王国暦七十八年、三月二十四日。これより謀反人ユリアス・ウォレンハイト公爵と、その一味の裁きを執り行う。ここはスレイン・ハーゼンヴェリア国王陛下の名のもとに、王国の秩序を守るため、正義の裁きが下される場である。ここに集った者は、全員が裁きを見届ける証人である」


 二、三か月に一度ほど行われる定例の裁きと同じように、ヨアキムは典礼長官として定型的な文言を述べる。こうした行事の進行役として人前で話すことに慣れた彼の声は、拡声の魔道具に乗って広く届く。

 裁きの場は臣民にとって貴重な娯楽の場でもある。

 普段は盗みや暴行、傷害などの裁きで棒打ち系や鞭打ち刑、せいぜい指や手足の切り落としが行われる程度で、死刑は王都でも年に数件しか下されない。今日はほぼ確実に公開処刑が行われるということもあり、広場は普段の裁きの日以上に民衆でごった返している。

 さらに、ユリアスの最期を見届けるために西部貴族や、一部の東部貴族まで参上して壇の近くに並んでいる。壇上へと注目する視線は、普段の二倍近い。


「国王陛下の御成である。礼を!」


 ヨアキムが高らかに宣言し、民衆も、貴族たちも一斉に礼をする。ざわめいていた場が静まり返る。その静寂の中で、スレインは壇上に上がった。


「……面を上げよ」


 厳かにスレインが命じると、一同は顔を上げ、立ち上がる。

 集った者たちを見渡して、スレインは口を開く。


「これより謀反人への裁きを下す。私は唯一絶対の神より、国王としてこの地を守る権能と責務を与えられている。我が裁きは神の裁きである」


 サレスタキア大陸西部において宗教の力は弱いが、こうした場では格式を保つために、今でも宗教的な意味を帯びた定型的な文言が使われている。この国におけるエインシオン教の責任者であるアルトゥール司教も、貴族たちと一緒に並び、裁きに立ち会っている。


「ユリアス・ウォレンハイト公爵。この者は王家の縁戚たるウォレンハイト公爵家の当主という立場にありながら、国王たる私の暗殺を試み、さらには領民を動員してまで王家の打倒を試みた。その目的は、王家を倒して敵国たるガレド大帝国を王国内に招き入れ、その見返りとして帝国より公爵家の安堵を得ることであった。これは言語道断の行いである」


 スレインがそこで言葉を切ると、民衆からユリアスに向けて罵倒が飛んだ。

 王領の民の中でも、昨年にガレド大帝国の侵攻軍と戦った者たちにとっては、帝国と結んだユリアスは許しがたい裏切り者だ。

 その罵倒も間もなく止み、スレインはまた口を開く。


「しかし、この者は敗北を悟ると、徒に臣下を死なせることのないよう素直に降伏した。さらには私に対して、自身が責任をとり、命をもって罪を償うことを申し出た。それと引き換えに臣下の助命を求めた。これは刑を決めるにあたって考慮すべき点である」


 スレインは視線をユリアスの方に向ける。ユリアスは罪人の粗末な服ではなく、貴族としての正装を身につけている。

 貴族は自分が正しいと思うなら、勝てると思うなら、主君に挑戦することができる。

 ユリアスは極端な思想を持ち、それを信じ、その信条のもとに行動した。自身が正しいと信じ、一人の貴族として王に挑みかかり、そして敗北した。敗北を認め、自身にでき得る限りのかたちで責任をとると申し出た。


「よって、この者を貴族として扱い、ここに裁く。ユリアス・ウォレンハイト公爵を死刑に処す。方法はこの場での斬首とする」


 剣での斬首はもともと戦場で敵指揮官を処刑する際の殺し方であり、すなわち身分の高い者に対する処刑方法である。ユリアスは「公爵」と呼ばれながら、正装をした上で斬首される。貴族としての尊厳を保って死ぬことを許される。


「また、貴族として謀反の責任をとろうとしたこの者の態度に免じ、ウォレンハイト公爵家に仕えた騎士と兵士、文官たちを減刑する。全員を国外追放に処し、この者らの家族の罪は問わない」


 国外追放は、死刑に次いで重い罪とされている。

 一切の財産を持つことも許されない状態で、見知った者もいない、属すべき共同体もない異国へと捨てられる。そのような条件下ではただ生きるだけでも容易ではない。犯罪に手を染める者も、奴隷制のある国で奴隷に落ちる者も、野垂れ死ぬ者も出るだろう。

 家族に会うことは二度と叶わず、もし国内に戻ってきたことが発覚したら即座に殺される。

 それでも、生き残るチャンスはある。努力次第では、自分の過去も罪も知らない遠い地で人生をやり直すことができる。

 彼らの家族は「裏切り者たちの身内」として周囲から白い目で見られ、おそらく迫害も受けるだろうが、それでも連座で刑罰を受けることは免れた。

 彼らはたとえ王家に反抗する意思がなかったとしてもユリアスに従うしかなかったが、王家に反抗した以上は罪に問わないわけにはいかない。ユリアスの言動も考慮すると、これが落としどころだった。


「以上をもって、謀反人たちへの沙汰とする。ジークハルト・フォーゲル伯爵。ユリアス・ウォレンハイト公爵への刑を執行せよ」


「御意!」


 スレインの命令を受けて、ジークハルトが敬礼しながら力強く応え、壇上に来る。伯爵であり、王国軍の将軍である彼が刑を執行するのは、ユリアスの身分が考慮されたためだ。

 ユリアスは死への恐怖を僅かも表情に出すことなく、静かに首を垂れる。ジークハルトは剣を抜き、ユリアスの首へと狙いを定める。

 スレインは決して目を逸らすまいと、ユリアスを見つめていた。

 王家の縁戚である彼と、自分は分かり合えなかった。相容れなかった。そして、自分は彼に死を命じた。王として、自分が彼を殺す。


「――っ!」


 ジークハルトは鋭く剣を振り下ろした。刃はユリアスの首へと振り抜かれ、数瞬の間を置いてユリアスの首が壇上に転がった。

 ユリアス・ウォレンハイト公爵はここに死んだ。建国当初より王家の縁戚として存在し続けたウォレンハイト公爵家、その直系の血統はここに絶えた。


・・・・・・・


「ふうぅー……」


 全てを終わらせて王城へと帰ったスレインは、居間のソファに腰を下ろし、深い深いため息をついた。

 明らかに疲れているスレインの前にモニカがそっとハーブ茶のカップを置き、自身はスレインの隣に座る。モニカは今では、こうしてスレインの私的な時間と空間にも寄り添うのが当たり前となっている。


「……スレイン様」


 モニカはスレインに肩を寄せ、スレインの手を握った。スレインは彼女に向けて笑みを作るが、その笑みはどうしても少し弱々しいものになる。


「ユリアス殿からもらった『助言』が忘れられないね」


 世の中には、特に政治の世界では、どうやっても絶対に相容れない人間がいる。そして、自分はこれから生涯をそのような世界で生きる。一国の王である以上は、価値観や信念を異にする相手との関わりを避けられない場面などいくらでもあるだろう。

 落としどころを探って共存の道を見つけられればいいが、毎回そうなるとは限らない。戦いを避けられないことも、おそらくはある。

 ユリアスには勝利した。民に犠牲を出さない完全勝利を成すことで、王国西部の領主貴族たちに王としての自身の才覚を示すことも叶った。今回の困難を乗り越えて、ひとまず国内に憂うべきことはなくなったと言えるだろう。

 しかし、大陸西部には他に二十一もの国がある。エルデシオ山脈を挟んで東にはガレド大帝国がある。他にも、周辺地域の島や、大陸北部など近しい地域に数多の国が並んでいる。それら全てがひとつになったわけではないし、それら全てが完全にまとまる日はおそらく来ない。

 自分はこれからもずっと、このままならない世界を進むのだ。どれほど努力を重ねても、どれほどの実績や才覚をもってしてもままならないことが起こるという前提のもとで、このような世界を生きるのだ。

 それが為政者の人生だ。それが王として生きるということだ。


「もちろん、今さらこの人生が嫌だとは思わない。務めを投げ出す気もない。それでも……やるせなさは感じるね。疲れそうな道のりだ」


 そう言って微苦笑するスレインを――モニカが優しく抱き締めた。


「スレイン様。私は無力です。スレイン様がこれから生涯抱える苦悩を、全て取り払って差し上げる力は私にはありません……ですが、せめて」


 モニカはスレインの顔に自身の顔をすり寄せ、スレインの耳元に口を寄せる。


「せめて私だけは、スレイン様のお考えの全てを肯定します。スレイン様の価値観や信条の全てを共有します。何があっても、誰が何を言っても、私だけはずっとスレイン様の味方です」


「……」


 それは今のスレインにとって、何にも代えがたい安心感をくれる言葉だった。

 相容れない人間だらけの世界で、ままならないことだらけの世界で、全てを受け入れ、認め、絶対の味方として傍に寄り添ってくれる者がいる。その安心感は、これから何があっても心を支えてくれる柱となるだろう。


「……モニカ」


 スレインは彼女の名前を呼んで、そしてソファから立った。彼女の前に片膝をつき、彼女を見つめた。


「モニカ・アドラスヘルム。僕と結婚してほしい。君がくれる献身に、生涯をかけて応えると約束する。だからどうか、僕の人生の伴侶になってほしい……僕は君と一緒に生きたい」


 スレインはそう、想いを伝えた。

 モニカとの結婚はもはやほとんど決まったことだったが、それでもこうして、はっきり言葉にして想いを伝えるべきだと思った。ただ王の子を産むだけの役割を果たすのではなく、生涯の献身を約束してくれた彼女に、誠意を示して応えたかった。

 スレインの言葉を受け止め、じっくりと心で噛みしめるように、モニカは自身の胸元で手をぎゅっと握った。涙を一筋零し、これ以上ないほどの笑顔を浮かべた。

 スレインも思わず表情が綻ぶ。けじめとしての求婚とはいえ、やはりこの瞬間には格別の感慨を覚える。


「……はい。スレイン・ハーゼンヴェリア様。私のこれからの人生全てを、あなたと一緒に歩ませてください」


 モニカはスレインの前に座り込み、スレインに抱きついた。スレインもモニカを抱き返した。彼女と強く抱き締め合いながら、この幸福と安堵を永遠のものにしたいと、して見せると、スレインは思った。

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