第53話 矜持

 降伏したウォレンハイト公爵家の軍勢のうち、謀反の首謀者であるユリアスと彼の臣下である公爵領軍はそのまま王都ユーゼルハイムへと連行されることになった。

 また、公爵領都クルノフでは公爵家の文官たちも捕縛され、同じく連行されることに。それ以外の者――徴集された公爵領民や、単に金で雇われただけでそもそも王国民として扱われない傭兵は、無罪放免で解放された。

 無理な徴集で社会が混乱していた上に、領主と軍人と官僚が揃っていなくなってしまった公爵領には、治安維持のためにひとまず王国軍が二個中隊六十人、置かれることとなった。

 そして、西部貴族たちが国王スレインに貸していた領軍や手勢は返された。貴族たちは自分の護衛を残して後の兵は領地に帰らせ、自分たちは王都までスレインに随行した。

 丸一日かけて王都へと帰還し、その日の夜は貴族たちとささやかな戦勝の宴を行い、翌日は休息をとり、さらにその翌日。スレインは城館の地下牢を訪れた。


「……おはよう。ユリアス・ウォレンハイト公爵」


「ふむ、もう朝でしたか。地下に置かれていると時間の間隔がどうにも狂いますね。おはようございます、国王陛下」


 スレインが牢の前に立って声をかけると、ユリアスは粗末なベッドから起き上がって答えた。自身が絶望的な立場に置かれていると分かっているはずなのに、相変わらず穏やかで落ち着いた態度だった。


「……」


「おい、拘束しろ」


 スレインが目配せをすると、ヴィクトルが牢を見張っていた二人の近衛兵に指示を出す。二人は牢の鍵を開けて中へ入ると、ユリアスの手足を縄で拘束した。ユリアスは抵抗するそぶりを一切見せなかった。


「ご苦労さま。君たちは外してくれ」


 スレインの命令を受けて、二人の近衛兵は地下牢から出ていく。この場が自分と護衛のヴィクトル、副官のモニカ、そして目の前のユリアスだけになってから、スレインは口を開いた。


「ウォレンハイト公爵。これから君に聞きたいことがある」


「私は敗北した身です。何なりとお尋ねください」


 謀反を起こされた側と、起こした側。そんな関係性が嘘のように、スレインとユリアスの対話は互いに穏やかな口調で始まった。


「まず、これは単なる好奇心からの質問だけど……あのとき、君はどうしてあっさりと逃走を諦めた? 君にはまだ護衛が付いていた。彼らに時間稼ぎを命じることもできたはずだ」


 ユリアスが潔く降伏し、捕らえられたのは、スレインにとっては意外だった。彼はもっと、みっともなく悪あがきするものだと思っていた。死罪は免れないと分かっているだろうに、捕らえられた彼が未だに落ち着き払っているのも奇妙に思えた。


「それは、私が騎乗が下手で、逃走の足が遅かったからです」


 ユリアスの答えを聞いて、スレインは片眉を上げた。


「どういう意味?」


「もし私の騎乗の技術が高く、フォーゲル伯爵たちのように馬を全力疾走させることができたならば、私もあれほどあっさりとは諦めなかったでしょう。おそらく護衛たちに時間稼ぎの玉砕を命じて、逃げ切ろうと試みました。ですが、恥ずかしながら私は騎乗が下手でした。逃走しながら途中で後ろを振り返って、ああ、これは絶対に逃げきれないと思いました」


 ユリアスはそう言いながら、まるで小さな失敗談を笑い話として語るかのように、照れ笑いを見せた。


「逃げきれないものは仕方がありません。たかが十人足らずの護衛に玉砕を命じたとしても、私が捕まる運命であることは変わらなかったでしょう。であれば、私の護衛たちを無駄に死なせる意味はない。私は貴き身分の人間らしく、潔く捕まることにいたしました」


「……つまり君は、自分を守っていた公爵領軍を守るために、自ら降伏したと?」


 スレインが訝しげに尋ねると、ユリアスは微苦笑する。


「国王陛下はおそらく、私が臣下や民を虫けらのごとく扱い、彼らを死なせても何とも思わない外道だと思っておられるのでしょう。しかし畏れながら、それは否定させていただきたい。私はこう考えています。私のような生まれながらの支配者は、卑しき身分にある劣った人間たちを好きに使う権利を持ち、同時に正しく使う義務を抱えているのだと」


 ユリアスはどこか誇らしげな表情で、自分の中にある思想を語る。


「最も重要なのは私の血です。この身や公爵家を守ることに繋がるのであれば、私も臣下や民の犠牲は惜しみませんでした。ですが、どう足掻いても危機を切り抜けられない状況で、臣下たる領軍に無駄な犠牲を強いるのは、高貴な人間としての誇りが許しませんでした。なので降伏したのです……こうなるのであれば、騎士ヘンリクにも玉砕を許すべきではありませんでした。彼は派手に散って満足だったかもしれませんが、あれでは完全な無駄死にです」


 ユリアスは単騎で玉砕した彼の騎士の命を、心から惜しんでいるように見えた。家畜を不意に死なせてしまった程度の口調ではあるが、多少の同情心も込められているようだった。

 驚きに固まっていたスレインは、やがて表情を崩し、彼に微苦笑を返す。


「そうか。君の考えはだいたい分かった」


 スレインは、ユリアスが自分の命惜しさにフロレンツと密約を結んだのだと思っていた。しかし、どうやらそれは誤解のようだった。

 ユリアスが最重要視していたのは、ウォレンハイト公爵家と、その最後の直系である自身の血統だ。彼は公爵家を継いだ身として、これらを守ろうとしていた。帝国と結んで王家へと反旗を翻すことがその唯一の道だと考え、行動を起こした。

 だからこそ、家と血統を守れる見込みがあるうちは、彼は臣下や民の犠牲を厭わず王家と戦おうとしていた。しかし、どう足掻いても家と血統を守れないと悟ると、目的を切り替えた。彼個人が最後に守れるもの――公爵家当主としての誇りのために、潔く降伏した。

 ユリアスは極端な思想に染まりきってはいるが、彼は彼なりに、その思想に基づいた高貴な人間としての矜持を持っているらしい。一片たりとも理解や共感はできないが、ひとまず理屈は通っている。


「もう一つ聞かせてほしい……これは国王と公爵ではなく、親戚としての立場で」


 スレインは表情を切り替え、切り出す。


「ユリアス殿。僕の父は、あなたの義理の兄だった。僕は王家を継ぎ、あなたは公爵家を継いだ。今は血がほとんど繋がっていなくとも、僕たちは親戚同士だ。出自や育ちの違いもあって、お互い苦手意識を持ってはいたけど、親戚であることに違いはない」


「……そうだな、スレイン殿」


 私人として語りかけたスレインに、ユリアスも私人として答えた。


「もし僕が最初からあなたを避けることなく、あなたと対話を重ねて歩み寄ろうとしていたら、結果は変わっていたかな? 僕はあなたの信頼を得て、あなたは王家と共に歩む決意をして、僕たちが戦うこともなかった。そんな結果を作り出せたのかな?」


 ユリアスは少し考えるそぶりを見せた後、ため息交じりに首を横に振った。


「残念ながらそれは無理だっただろう。誰から何と言われようと、私は自分の信念を変えることはなかった。今だって変えていない。君は私に勝って平穏を取り戻したつもりでいるのだろうが、私に言わせれば、君が勝ってしまったことはハーゼンヴェリア王国にとって最大の悲劇だよ。平民の血を継ぐ君が、王として国を守り続けられるはずがない。この国は滅びの道へと今まさに進んでいる。王である君も、君に付き従う愚かな選択をした他の貴族たちも、誰もまだ実感していないようだがね」


 その答えを聞いて、スレインも小さくため息を吐いた。ユリアスの答えは予想通りだったが、できればこの予想は外れていてほしかった。

 選択肢すらなかったのだと落胆するよりも、選択肢を間違えなければ違う結果を得られたと後悔する方がよかった。


「義理とは言え、平民の血交じりの君と親戚同士だと思うだけでぞっとするが……どうせ後は死ぬだけの身だ。一度だけ君の親戚として助言をしてやろう。スレイン殿、これで終わりとは思わない方がいいぞ」


 首をかしげたスレインに、ユリアスは微笑を見せる。


「いいか。世の中というのは、特に政治の絡む世というのは、相容れない人間ばかりの混沌とした世界だ。私は自分を思想を共有してくれる人間がいないかと、偶に社交の場に出たときには密かに会話相手の考えを探っていたんだが、まあ見事なまでに考えの合う者はいなかった。他家の貴族たちだけではない。先代公爵である私の兄でさえ、私と完全に考えを同じくしてはいなかった。彼も公爵という無二の身分に誇りを持っていたようだが、私に言わせればまだ甘かったよ」


 ユリアスは笑いながら、ため息交じりにやれやれと首を振る。


「私と周囲だけではない。私が観察していた貴族たちそれぞれが、異なる考えを、異なる価値観を持っていた。ときには意見を戦わせている様も見た。同じ王国貴族でもこうなのだ。これが異国の人間となったら、一体どうなることやら」


 ユリアスはそこで顔を上げ、スレインを見据える。


「私は爵位を継ぐ前から、君よりは長く社交や政治の世界を垣間見てきて、それなりに苦労した。君は王として外交も行う立場にいるんだ。これから私以上に苦労するだろう。これから先も、私のように君と相容れない考えの人間はいくらでも現れる。説得して考えを変えさせることなどまず無理だ。だから覚悟しておくといい……とはいえ、平民の劣った血交じりの君が覚悟したところで、早々にへまをして国を亡ぼすと思うがな」


 不敵に笑って見せたユリアスに、スレインは苦笑で応える。


「分かった。ありがたく助言を受け取っておこう。だけど残念ながら、あなたの予想とは違って僕は国を守り続ける。生涯にわたってね」


「ふむ、それはどうかな。君がやっぱり無理だったと泣き言を喚きながら、戦争か何かで死んでいく様を、神の御許から見物させてもらうとしよう……それで、国王陛下。私の処刑はいつになるでしょうか?」


 ユリアスは口調を戻し、まるで他人事のような声色で尋ねる。


「君との話は終わったから、今日にも王都に布告を出して、来週には王都の中央広場で公開処刑をすることになる……何か言い残すことは?」


 スレインはユリアスの処刑日までに、公爵領を王領へと接収する準備を進めたり、兵力を貸し出してくれた西部貴族たちへの褒賞を決めたりと、煩雑な仕事を済ませなければならない。今を逃せばユリアスとゆっくり話す時間はない。なので、今こうして尋ねた。


「ふむ、そうですね……では、私に付き従った領軍の騎士と兵士、そして公爵家の文官たちの処遇について、ひとつお願いをしたく存じます」


「いいよ、とりあえず聞こう」


 叶えられる保証はないが。そう思いながらスレインは答えた。


「ありがとうございます。それでは国王陛下、お願い申し上げます。此度の謀反は私が決定し、臣下たちに実行を命じたこと。臣下たちは私の決定をどう考えていたにせよ、逆らう選択肢を持ちませんでした。なので、臣下たちにはどうか寛大な措置を与えていただきたく存じます。無罪放免とはいかずとも、死罪だけでも何卒ご容赦を」


「……一人で死んで、罪を背負いたいのかい?」


「はい。何を成すか、全てを自分の意思で決めるのが貴人の権利。その責任を自分でとることもまた、貴人の誉れにございます」


 スレインはユリアスの言葉を聞いて少し驚き、そして小さく笑った。

 貴族は責任を負うからこそ権利を持ち、その事実をもって貴き身分たり得る。彼は自分の貴き血統を絶対視するその思想のもとにそんな矜持を持ち、それを最後まで貫こうとしている。

 ユリアスが臣下の助命を求めるのは、臣下に慈愛を抱いているからではないのだろう。それでも、彼は領主貴族として責を負い、臣下を守ろうとしている。過程となる考え方は歪を極めているが、結果となる言動は変わらない。


「……今ここで確かなことは言えないが、善処しよう」


「感謝の念に堪えません、陛下」


 ユリアスはスレインに向けて深々と頭を下げた。まるで理想的な王国貴族のような態度だった。

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