第51話 練度と士気

「……なんだ、あの隊列は?」


 ユリアスは敵軍の隊列を見て呟いた。

 ハーゼンヴェリア王家の軍勢のうち、国王スレインのいる本陣を守る兵が二十人ほど。そして、本陣の脇に控える騎兵がおよそ三十騎。

 残る四百強は整然と隊列を組んでいるが、その形がおかしい。およそ百人が一列を成し、隊列の厚さは僅か四列しかない。横が異様に長く、縦は異様に薄い。


「閣下、敵将スレイン国王は阿呆のようですな! おそらくはこちらの兵を包み込むように陣形を動かし、包囲殲滅を図るつもりなのでしょうが、あの隊列ではいくらなんでも薄すぎます。我が軍が一気呵成に突撃を仕掛ければ必ずや打ち破れましょう!」


 公爵領軍の隊長であり、軍事においてはユリアスの参謀である騎士ヘンリクが威勢よく言った。


「そうだな。軍事に明るくない私でも、あの隊列は悪手だと分かる。このような失態を犯すとは、やはり平民の劣った血交じりの王では駄目なようだな」


 ユリアスは穏やかに、上品に、笑みを浮かべてヘンリクに答えた。


「では諸君、決戦といこう……愚劣な国王陛下の支配を脱し、我らの家と家族、財産を守るのだ」


 公爵家の軍勢は、大将であるユリアスの号令を受けて動き出す。ユリアスのいる本陣を守る、十人ほどの領軍部隊を除く全軍が前進を開始する。

 わずか数騎しかいない騎兵は全員が本陣直衛に回され、突撃を仕掛ける四百人は全員が歩兵で統一されている。公爵領軍兵士と徴集兵、そして少数の傭兵が混ざり合って進む。

 一列におよそ二十人。それが二十列。数を無駄にせず、一塊になって突き進み、敵の隊列を突破して敵本陣に迫るというのがこちら側の戦術。単純だが、兵の質の低さや多少の数の不利も問題にならない戦い方だ。

 公爵家の軍勢の前進を受けて、ハーゼンヴェリア王家の軍勢も動きを見せる。異様に横に長い隊列のまま、前進を開始する。


・・・・・・・


「国王陛下。こちらも即座に行動を開始するべきかと」


 ウォレンハイト公爵家の軍勢のうち、本陣直衛を除くおよそ四百が動き出したのを見て、ジークハルトが進言した。


「そうだね……全軍前進」


 スレインの命令をジークハルトが大声で復唱し、それを士官たちが伝達し、左右に伸びて布陣した王家の軍勢は前進を開始する。

 四百強の全員が、日頃から軍務に励み、日常的に訓練を行っている正規軍人。隊列を維持して前進するようあらかじめ命令されていた彼らは、足並みを揃えて足を前に進める。

 両軍は徐々に速度を上げながら平原を進み、その距離を詰めていき――両陣の間の平原を三分の一ほど進んだところで、王家の軍勢が動きを変えた。


「今だ! 全軍停止!」


「停止だ! その場で停止しろ!」


 隊列の中で指揮をとる、王国軍の大隊長格の二人が機を見て命令を下し、それを中隊長格や、各領軍の隊長格が伝達する。

 もともとの練度が高い上に、隊列の厚みがないため、四百強の兵は前後でぶつかり合うこともなく立ち止まる。ほとんど乱れていなかった隊列をあらためて整え、前進を開始する前のように整然と並ぶ。

 一方で公爵家の軍勢は、鬨の声を上げながら駆け足でなおも前進してくる。


「後退!」


 またもや王国軍の大隊長格が命令を下し、それが伝達され、王家の軍勢は今度は後ろへと下がり始める。各自の練度の高さを活かし、隊列を崩すことなく一歩ずつ着実に後退する。

 王家の軍勢は後退し、公爵家の軍勢は前進する。両軍のこの行動によって――公爵家の軍勢に、疲労がもたらされる。

 公爵家の軍勢は、敵軍たる王家の軍勢と平原の真ん中で激突するつもりで走っていた。しかし王家の軍勢が前進の途中で停止し、さらに後退を始めたことで、彼らは想定外の長距離を走ることを強いられた。

 練度の低い徴集兵が大半なので、今さら揃って前進を停止することも、戦法を変えることもできない。敵中突破しか勝算がないと分かっているからこそ、突撃の先頭に立つ公爵領軍兵士たちは徴集兵に足を止めるなと叫ぶ。それを受けて徴集兵たちも必死に駆ける。

 しかし、気合いだけでどうにかなるものではない。普段から軍事訓練を受けているわけでもない徴集兵たちは、決して軽くはない武器を握って走り続け、体力を消耗していく。

 これほど長く走ることになるのであれば、走り始めから全速力を出しはしなかったのに。そんなことを思っても今さらもう遅い。

 ようやく王家の軍勢の前までたどり着いたときには、徴集兵たちも、彼らを鼓舞し続けたことで余計に体力を消耗した公爵領軍兵士たちも、そして元が重武装の傭兵たちも、全員が息を切らしていた。

 特に軍勢の大半を占める徴集兵たちの消耗は酷かった。疲れてのろのろと歩くだけの集団になり果て、もはや突撃による敵中突破どころではない。

 そんな憐れな敵兵を前に、王家の軍勢は次の行動に出る。


「よし、魔法を放て!」


「敵を怯ませろ!」


 王国軍大隊長の二人が命令を出し、兵士たちに混ざって前進していた火魔法使いたち――王宮魔導士と西部貴族の抱える魔法使いの混成部隊が攻撃魔法を行使。

 ただしそれは、敵を殺傷するためのものではない。見た目だけは派手な炎や火花を広範囲に散らし、敵を怯ませるためのものだ。

 さらに、同じく王宮魔導士と西部貴族のお抱え魔法使いによる、風魔法の攻撃も放たれる。敵に吹きつけるように生み出された突風が、敵兵の最前列を転ばせる。


「いいね、吠えて脅かすだけだよ! 誰も殺すんじゃないよ! ほら、行きな!」


 隊列中央の後ろに続いて前進していたブランカが、ツノヒグマのアックスに指示を出してその横腹を叩くと、アックスは弾かれたように飛び出す。味方の兵士たちが左右にどいて空けた道を通り、敵の目の前に躍り出る。


「ゴガアアアアアアッ!」


 そして、後ろ足で立ち上がって全力の咆哮を上げる。

 後ろで聞いていた味方の兵まで思わず怯むほどの、ツノヒグマによる咆哮。それを真正面から受けた敵兵は、その場に固まり、腰を抜かし、なかには気を失う者まで出る。

 そうして隊列中央が敵の前進を完全に止めているうちに、隊列左右の部隊も動く。


「前進だ! 隊列を維持して前進!」


「敵を包囲するぞ! そのまま前進!」


 隊列の左右に位置する兵たちは、士官の命令を受けてそれぞれ隊列を折りたたむように前進していく。横に長大な隊列は、その長さを活かして、公爵家の軍勢を完全包囲する。

 包囲が完成したところで――士官たちは口々に叫び出す。


「全員降伏しろ!」


「武器をその場に捨てて膝をつけ!」


「今すぐ降伏すれば罰はない! 国王陛下はお前たちを罰しない!」


「今ならお咎めなしだ! ただし降伏しなければ殺す! お前たちに勝ち目はないぞ!」


 長距離を走らされて疲れ果て、突撃の勢いをくじかれ、戦意を失いかけていたところで、どの方向を見ても敵しか見えないほど包囲され、武器を向けられる。炎や突風が舞い、恐ろしげな咆哮が聴こえる中で、「降伏しろ」という言葉が四方八方から何十回とくり出される。

 平民が武器を持たされただけの徴集兵では、この状況で反撃に出られる者はいない。

 いくらユリアスが王家の脅威を説きながら徴集したとはいえ、徴集兵たちはもとから「国王を殺すために王家の軍勢と戦う」などというこの戦争に内心で疑問を抱いていた。

 また、エレーナたち外務官僚が流した噂によって、王家の言い分と「素直に降伏した公爵家の兵は何の罪にも問わない」という情報も聞かされていた。

 事前の情報戦によって「降伏」という選択肢の利点を聞かされ、さらにこのような状況に直面させられた徴集兵たちに、もはや士気などというものはなかった。

 どうやら噂は本当だったらしい。これなら降伏した方がいい。やはり王家と戦うなど無茶だったのだ。王家に敵うわけがない。

 そう考えた彼らは完全に戦意喪失し、武器を投げ捨てるとその場に膝をつき、大人しく両手を上げたり平伏したり命乞いの言葉を口にしたりと、無抵抗の意を示す。

 少数の傭兵も、絶対に勝てない状況でなおも戦おうとする者はいない。命あっての物種と考え、素直に降伏勧告に応じる。

 領軍兵士の中には公爵家への忠誠心から戦い続けようとする者もいたが、たかが十人弱が暴れたところで状況は何も変わらない。敵兵一人に対し、盾を装備した王国軍兵士たちが数人がかりで囲み、殴り倒して強制的に武装解除させる。


「さあ、諦めろ!」


「降伏するんだ! そのまま一歩も動くなよ!」


 こうして、公爵家の軍勢四百はまともに交戦することもなく、一兵も死ぬことなく、揃って無力化された。

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