第50話 対話

 トバイアスを皮切りに、王国西部に領地を持つ貴族たちは次々にスレインのもとを訪れ、参戦を申し出てきた。

 スレインは彼らからも領軍を(領軍を持たない一部の男爵家からは子弟や従士などの手勢を)借り受け、当主である彼らは決戦の見届け人として本陣に迎えた。スレインの求めに難色を示す者は一人もいなかった。

 また、昨年の戦いへの参加や東部国境での軍役というかたちで既にスレインへ不動の忠誠を示している東部貴族たちは、国境の守りに兵を割いていて余裕がない事情も鑑みて、今回の戦いには動員しなかった。

 結果として、王家の軍勢は王国軍と近衛兵団、そして王国西部の貴族領の軍人、さらに幾らかの傭兵を加えて、五百弱が揃った。

 これは戦闘要員のみの数で、後方での雑務は王領民から募った徴募兵が、戦場への物資輸送はエリクセン商会やハウトスミット商会をはじめとした酒保商人たちが担うことになる。

 王家の側が準備を整えるのと時を同じくして、ウォレンハイト公爵家の側も兵の徴集を終え、行動を開始。両軍は王領の北西、点在する森や丘に囲まれた平原にて対峙した。

 空気が春に変わった、王国暦七十八年の三月中旬のことだった。


「地形の起伏はほとんどなし。周囲に伏兵などがいないことはブランカと斥候が確認済み。単純に兵の実力勝負となりますな」


 護衛のモニカやヴィクトルと並び、スレインの参謀として傍らに控えるジークハルトが言った。


「そうだね。だけどまずは……話し合いだ」


 敵軍は普段着も同然の格好で粗末な武器を持った徴集兵を中心に、およそ四百人。数だけはそれなりに揃えて対峙してきたユリアスの方を見ながら、スレインは呟く。

 これはただ勝てばいいという戦いではない。西部貴族たちが本陣で決戦を見守っている中で、本来庇護すべき国民であるウォレンハイト公爵領民たちを殺戮するわけにはいかない。

 犠牲者をできる限り減らす策も考えてはいるが、話し合いで事を収められるのであれば、それに越したことはない。まず最初に対話を試みるのは、スレインが重臣たちと相談した上で決めたことだった。


「では、陛下のご意向をウォレンハイト公爵に伝えてまいりましょう」


「頼んだよ、ジークハルト。気をつけてね」


 相手は国王の首をとって王家を打倒しようと目論む裏切り者。下手に使者を送っても、その使者が殺される可能性がある。

 なので、伯爵であり、王国軍の将軍であるジークハルトが自らスレインの使者を務める。

 ユリアスは極端に血統を重んじる思想を持つからこそ、高貴な身分の両親を持ち、自身も伯爵であるジークハルトには相応の敬意を払う。安易に殺そうとはしない。そのような判断に基づく人選だった。

 しかしそのジークハルトも、敵陣の近くまでは進まない。王国軍の精鋭である騎士を数人、護衛として引き連れ、両軍の布陣するちょうど中間あたりまで平原を進んで立ち止まる。

 そして、声を張る。


「我はフォーゲル伯爵ジークハルト! スレイン・ハーゼンヴェリア国王陛下のお言葉を届けに来た! 誰ぞ前に出よ!」


 呼びかけを受けて、公爵家の軍勢からも進み出てくる者がいた。おそらくはウォレンハイト公爵領軍の騎士だ。

 騎兵戦力がほとんどいないためか、その騎士は勇敢にも単騎で前進し、互いに奇襲できない程度の距離を空けてジークハルトと対峙。騎士としばらく言葉を交わしたジークハルトがスレインのもとへ戻ってくる。


「陛下。ウォレンハイト公爵も、話し合いの場を持つ意思があるそうです。両軍が対峙する平原の中ほどで、お互い弓やクロスボウを持たない護衛を十人連れて、というかたちではどうかと提案されました」


「……いいだろう。それで応じると伝えて」


「はっ」


 スレインの返答をジークハルトが公爵領軍騎士へと伝え、それが敵陣のユリアスに届けられる。

 それから間もなく、スレインとユリアスは戦場の中ほどで対面した。それぞれの護衛はやや離れた後方に下げられ、スレインとユリアスも互いに十分に距離をとっている。これならば、どちらかの護衛が相手を即座に殺しにかかることはできない。


「ユリアス・ウォレンハイト公爵。久しいね。直接会うのは僕の戴冠式以来か」


「ご無沙汰しております、スレイン・ハーゼンヴェリア国王陛下。ご壮健そうで何より……と、陛下の暗殺を試みた私が申し上げるのは不自然ですね。失礼いたしました」


 煽るような口調でも小馬鹿にした様子でもなく、まるで社交の場で挨拶を交わすような穏やかな声で、ユリアスは答える。


「……まだ、僕を『国王陛下』と呼んでくれるんだ」


「私は自分が正々堂々とした質とは申しませんが、蛮人であるつもりもございません。私は王家の打倒を試みていますが、それがなされるまでは、あなたは確かにこの国の王です。であれば、私は目下の身としてあなたに接します。内心は別として」


 ユリアスの返答に、スレインは思わず微苦笑する。


「そうか……それじゃあ話をしよう。まず、一応聞いておく。ユリアス・ウォレンハイト公爵、今からでも考えを変えて、戦わずに王家に降伏する意思はないかな? 今なら寛大な対応をすると約束する」


 スレインがずばり尋ねると、ユリアスは悩むそぶりも見せずに口を開く。


「陛下。申し訳ありませんが、それは無理です……誤解しないでいただきたいのですが、私は別にあなたが憎くて殺そうとしているわけではありません。ただ、あなたの血の半分は平民。そんな人間に一国の王が務まるはずもない。あなたを王に戴いてガレド大帝国に対抗できるわけがない……あなたに従った先に滅びの道が待っている現状、あなたを消して帝国への恭順を示すしか、私に道はないのです」


「昨年、僕はガレド大帝国の大軍勢と戦って完全勝利を収めた。その実績をもってしても、僕の国王としての才覚を認めてはくれないのかな?」


「……畏れながら、陛下は帝国にまぐれ勝ちして慢心しているのかもしれませんが、そんな奇跡が何度も続くはずがない。おまけに、完全勝利というのは陛下のご威光を高めるための誇大宣伝であることと存じます。陛下の血統を考えれば、そのような大勝を成せるはずもない。他の領主貴族は騙せたとしても、残念ながら私は騙されません」


 ユリアスが穏やかな口調で語る、極端な思想に基づいた考えを聞いて、スレインは思わずため息を吐く。


「何を成したかではなく、どのような血統に生まれたかで人間の優劣は決まる。その優劣は、後からは決して覆らない。平民の血が流れる僕は、王に値しない下等な人間。それが君の揺るぎない考えなんだね?」


「畏れながら、その通りにございます……いえ、ひとつ訂正を。私がそう見なしているのではなく、事実その通りなのです。人には生まれつきの支配者と被支配者がおり、その間には明確な優劣がございます。神は人をそのように作られました。被支配者の血を混じらせて生まれた陛下が、支配者として君臨することは神の意思に、世の摂理に反します」


「……分かった。僕の才覚を信じてもらえないのは仕方がない。だけど、フロレンツ皇子を信じるのはどうしてかな? 帝国からすれば君は取るに足らない存在だ。そんな君の家や財産や命を、どうして確実に保証してもらえると考える?」


「確かに、そのような懸念もありますが……相手は広大なガレド大帝国を治める、偉大な皇帝家の人間です。あなたとは違い、平民の劣った血が混じっていない、真に高貴な人物です。どちらが信用に値するかと言われたら、それはフロレンツ皇子の方に決まっています」


「……そう」


 埒が明かない。いっそ清々しいほど徹底されたユリアスの考えを聞き、スレインはこの場で彼を説得することを諦めた。


「陛下。私からも一応お尋ねします。戦うことなく、その御命を私に差し出してはくださいませんか。陛下がそうしてくだされば、誰の血も流れずに済みます。兵士や民は支配者の財産です。支配者には財産である彼らの命を正しく使ってやる義務があります。彼らの無駄死にを防ぐためにも、どうかお考えを」


「悪いけど、君の希望には応えられないよ」


 ユリアスにずばり尋ねられ、スレインも悩むそぶりも見せずに即答した。


「左様ですか。それでは」


「ああ。話し合いは決裂だね」


 スレインとユリアスは互いに穏やかな口調のまま、互いに少し悲しげな顔を向け合い、そして互いに背を向ける。

 二人はそれぞれ自身の護衛のもとに戻り、護衛たちが相手側を警戒する中で、しかしその場で斬り合いになるようなこともなく自陣に帰った。

 万が一話し合いの最中に敵軍が動いた場合に備えて指揮権を預かっていたジークハルトが、本陣へと戻ったスレインのもとに歩み寄ってくる。


「ジークハルト。残念だけど、ウォレンハイト公爵は降伏してくれないらしい。兵たちの準備は大丈夫だね?」


「はっ。ご指示をいただければ、直ちに陛下のご考案通りに隊列を整えさせます」


 ジークハルトは力強い声で答えた。


「分かった。それじゃあ今すぐに頼む」


 スレインの命令をジークハルトが、そして士官たちが伝達し、王家の軍勢は一斉に動き出す。

 王家の軍勢は五百弱。数としては公爵家の軍勢をやや上回る程度だが、その全員が戦いを職務とする人間。平民に武器を握らせただけの公爵家の軍勢とは、練度が段違いだ。

 五百弱の兵は僅かな時間で整然と並び、決戦に向けた隊列を組む。


「……それでは、西部貴族の諸卿。僕とユリアス・ウォレンハイト公爵の決戦を、僕が民のためにどのように戦うかを見届けてほしい」


 スレインは本陣の隅、主君へと兵を貸して自らは見届け人の役割に徹する十一人の西部貴族たちに顔を向ける。


「国王陛下。我ら一同、陛下のご手腕をしかと見届けさせていただきます」


 クロスボウと剣で武装した近衛兵による護衛――もとい監視を受け、スレインへの忠誠と服従を示すために非武装のまま並ぶ西部貴族たち。その代表として、トバイアスが答えた。


「ありがとう。君たちの期待に、この国の王として応えてみせるよ……さあ、始めよう」

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