第49話 西部貴族

 その後一週間ほどをかけて、エレーナとその部下が行った情報操作は効果を発揮した。

 ウォレンハイト公爵は国王スレインを暗殺しようとした謀反人である。王国内にガレド大帝国を招き入れ、自分だけが助かろうとしている大罪人である。

 その事実を、エレーナたちは噂として市井に流した。王領内だけでなく、東西の各貴族領にも。その衝撃的な噂は瞬く間に広まり、今もなお急速に拡散されている。

 また、エレーナたちは王領とウォレンハイト公爵領を行き来する商人たちにピンポイントで接触し、この噂を語った。公爵領で噂を広めるよう頼み、多少の金も握らせた。この策のおかげで、公爵領内でユリアスの言葉だけが一方的に吹聴される事態は防がれた。

 そして、噂が十分に広まった頃。王国西部の貴族閥において盟主を務めるトバイアス・アガロフ伯爵が少数の護衛を引き連れて王城に参上し、スレインへの謁見を求めてきた。


「国王陛下。突然の参上にもかかわらず、お目通りいただき恐悦至極に存じます」


「アガロフ伯爵。よく来てくれた……すまないね。こんな扱いをして」


 謁見の間で玉座につくスレインは、トバイアスに向けて苦笑交じりに言った。

 部屋の中には近衛兵が六人、スレインの警護のために控えている。さらにスレインの傍ら、スレインをいつでも庇える位置にはモニカとヴィクトルが立つ。助言役として控えるセルゲイも、トバイアスが妙な動きを見せないか注視する。

 本来なら伯爵家当主という要人に対してこれほどあからさまな厳戒態勢はとられないが、つい十日ほど前に公爵家の遣いによる暗殺未遂事件が起こったばかり。トバイアスに罪はないが、致し方のない対応だった。


「いえ、先の事件を考えれば、陛下の御身を確実にお守りするために必要な措置かと考えます。こうしてお目通りいただくことが叶っただけでもありがたく存じます」


 このような扱いを受けて居心地が良いはずもないトバイアスは、しかし不満を述べることも、表情に表すこともしない。いつも以上にスレインから距離をとり、片膝をついた姿勢で答える。


「理解してくれて助かるよ。顔を上げて。話を聞こう」


 スレインの許可を受けて、トバイアスは無表情の顔を上げた。


「陛下。本日私が参上したのは、国王陛下とハーゼンヴェリア王家への変わることのない忠誠を自らの態度で示すためにございます。アガロフ伯爵家はこれからも王家に忠実なる王国貴族家であり、つきましては謀反人ウォレンハイト公爵を打倒するため、王家の軍と共に戦う所存です」


 そう語るトバイアスの声には重みがあった。ひとつの貴族家とひとつの貴族領、そこにある歴史と社会の全てを背負って生きる人間だからこそ放てる気迫が、示せる覚悟が、その声と表情、そして眼差しの中にあった。

 彼が僅かな護衛のみを連れて参上したことを鑑みても、この態度を見ても、嘘を言っているようには到底思えない。スレインはセルゲイの方を見る。セルゲイはスレインに向けて頷く。

 それを受けて、スレインはトバイアスに向き直り、口を開く。


「君の忠誠に感謝する。王家とアガロフ伯爵家の関係は、昨年に大きく変わってしまった。それでもなお、君自身がこの場に来て忠誠を示してくれたことを嬉しく思う」


 アガロフ伯爵家はトバイアスの妹カタリーナを先代国王フレードリクのもとへ嫁がせ、彼女は昨年の火事で死んだ。トバイアスは国王の義兄と次期国王の伯父という立場を失った。そのことで、王家と伯爵家の関係は多少ぎくしゃくしていた。


「……畏れながら陛下。我が妹が王家へと嫁いだ日より、私は王家の親戚として、王家と運命を共にする一員となったつもりです。それだけの覚悟をもって妹を送り出したつもりです。たとえ妹が死に、今は王家との直接の血縁が途絶えているとしても、我が覚悟は微塵も揺らぎません」


 トバイアスは視線を逸らさず、スレインを真っすぐ見据えて語った。彼の言葉に、スレインは満足げな笑みを浮かべる。


「では、僕も国王として君の覚悟に応えなければならないね……トバイアス・アガロフ伯爵。君の参戦の申し出を受け入れる。そして頼みがある。アガロフ伯爵領軍を王家に貸してもらいたい」


 スレインとしては、今回は自軍のみならず、同じ国の同胞である敵兵からもできるだけ犠牲を出したくない。そのために、ある策を考えた。

 その策を実行するためには、ユリアス・ウォレンハイト公爵が動員するであろう兵力以上の軍勢が必要になる。おまけにその軍勢は、将や士官の指示に従って迅速に隊列を成し、行動できる、よく訓練された兵の集団でなければならない。

 なので、今回は徴集兵を主力とせず、王国軍と近衛兵団、そしてこの戦いに参戦する各貴族領の領軍を主軸に軍を構成するつもりでいる。アガロフ伯爵領にも領軍を供出してほしい。領軍を引き連れて自ら戦うのではなく、領軍そのものを完全に王家に預けてほしい。

 スレインはトバイアスに向けて、そのように説明した。


「君自身は本陣に加わって、僕とウォレンハイト公爵の決戦を見守ってほしい。君たち西部貴族は、昨年に僕が帝国に勝利する様を間近に見たわけではないからね。公爵との決戦をもって、僕の王としての力を君たちに示したい……頼めるかな?」


 スレインは帝国との戦いで、東部の領主貴族たちには自身の才覚を見せつけ、自分が国を守る力を持った王であることを示した。

 しかしトバイアスたち西部貴族は、そのことを伝聞でしか知らない。なかにはスレインの完全勝利の報が誇張されていると思っている者もいるはず。なのでスレインとしては、この機会に彼らにも自身の才覚を見せつけたい。自分が指揮をとる様を傍らで見届けさせたい。

 また、フロレンツ皇子が他の王国貴族に対してもユリアスと同じような条件を持ちかけ、王家を打倒する密約を交わしている可能性もないではない。

 参戦する貴族たちから領軍を借り、なおかつ当主たちを領軍と引き離して本陣に招き、近衛兵に囲ませておけば、彼らは領軍に対する人質となる。この条件に応じるかどうかで、貴族たちの忠誠を図ることもできる。


「御意。それでは我がアガロフ伯爵領軍の全軍、七十人を陛下にお預けします。私は本陣にて陛下の勝利を見届けさせていただきます」


 スレインが口にしていない分の意図も察してくれたらしく、トバイアスは一切の迷いも見せることなく答えた。

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