第48話 二人の決意

 王領の北西、エルデシオ山脈のすぐ南にへばりつくように存在するウォレンハイト公爵領。

 その領都クルノフにある公爵家の屋敷で、ユリアス・ウォレンハイトはスレイン・ハーゼンヴェリア国王暗殺計画について報告を受けていた。


「――私は夕刻まで王都市街地で待機していましたが、実行部隊はスレイン国王を拉致して王城から出てくることはありませんでした。また、実行部隊が王城に入ってからおよそ二時間後には、近衛兵が王城に急行しているのが確認できました。おそらく非番の者を集結させ、王城の警備を強化したものと思われます。状況を鑑みて、暗殺は失敗したものと考え、私は急ぎご報告するために帰還いたしました」


 一般平民に扮して王都ユーゼルハイムから帰ってきた公爵領軍兵士の言葉を聞き、ユリアスは深いため息を吐く。


「そうか、失敗か。そうなると実行部隊の者たちは……」


「……生け捕りにされた者もいるかもしれませんが、おそらくは死亡したものかと」


「やはりそうか。ふむ、まったく可哀想なことをしたな」


 ユリアスは頭をかきながら、またため息を吐く。

 公爵家に生まれた自分は高貴かつ優れた人間であるので、自分に仕える劣った人間たちを正しく導き、有意義に使ってやらなければならない。そう考えているからこそ、配下を無駄死にさせたことを悔やむ。


「スレイン国王を暗殺し損ねた以上、まだ帝国の力を借りることはできないな?」


 ユリアスは自身の傍らに控える文官に確認する。


「はっ。フロレンツ皇子との密約では、帝国が行動を起こすのはスレイン国王の死亡後、ハーゼンヴェリア王国が混乱に陥ってからとなっております。国王を殺害するところまでは、こちらが独力で成すしかありません」


「……ふむ。少々厄介な状況だな」


 ユリアスは椅子の背に体重を預け、天井を仰ぐ。

 公爵家が謁見の間に持ち込む貢ぎ物は、厳重には確認されない。それを利用した今回の策は、唯一まともに成功が見込める暗殺計画だった。

 それが失敗に終わった以上、そして現段階では帝国の助力を受けられない以上、後は力ずくでスレインの首を取りに行くしか選択肢がない。あるいは、他国に逃亡するか。

 しかし、高貴な人間である自分が、平民の卑しい血が混じった若造を前に尻尾をまいて逃亡すれば、兄や先祖から受け継いだウォレンハイト公爵家の立場と名誉を守ることができない。逃亡後の生活や、自分の身もどうなるか分からない。

 であれば、王家と戦ってみるしかない。


「ふむ……まあ仕方ない。戦うか」


 ユリアスは気楽な声色で言った。

 スレインは自分よりも明らかに劣った人間。そんな愚劣な国王が率いるとなれば、王国軍といえど強さは知れている。昨年に帝国を退けたのも、奇跡的な幸運がはたらいた結果だろう。

 兵の数ではこちらが劣るかもしれないが、きっとどうにかなる。ユリアスは本気でそのように信じている。


「おい、ヘンリク。領内から兵を集められるだけ集めたら、どの程度の軍勢を作れる?」


 ユリアスが問いかけたのは、ウォレンハイト公爵領軍の隊長を務める騎士だった。

 この騎士は公爵家のためなら躊躇なく死ねるほどの忠誠心を持った男で、王国内で最も格の高い貴族家たる公爵家に仕えることを誇りとしている。平民上がりのスレインが国王として公爵家の上に立つことに、ユリアスほどではないが彼も不快感を抱いている。


「公爵領の人口はおよそ二千人。そのうち男が半分弱。幼子や年寄り、身体が不自由で戦えない者を省くとして……限界までかき集めて四百人に届かない程度でしょうか。傭兵を雇えば、もう少し数を増やせるかと」


 騎士が語ったのは、公爵領の社会を崩壊させかねないほど無茶な動員を実行した場合の最大兵力だった。


「そうか……ふむ。まあまあ集まるものだな。それだけの数がいれば、王家を相手にしても勝てそうか?」


 無茶な動員をすること自体については葛藤せずに、ユリアスは騎士に尋ねる。


「はっ。高貴な血のもとにお生まれになった閣下が、平民の血交じりの王に負けることなどあり得ません。必ずや勝利を掴み、スレイン・ハーゼンヴェリア王の首を討ち取ってご覧に入れます」


「ははは、頼もしいな。では早速、兵を集めにかかってくれ……ああ、そうだ。徴集兵の士気を高めるために、ひとつ布石を打っておこう」


・・・・・・・


 王城は厳戒態勢のまま、しかしさらなる暗殺未遂や襲撃などはなく、数日後。ウォレンハイト公爵領に潜入していた騎士たちから報告が入った。鷹のヴェロニカが騎士たちより書簡を受け取り、それを持ち帰ることで、人が伝達するより早く現状報告を受けることが叶った。

 その報告によると、ユリアス・ウォレンハイト公爵は王家と真正面から戦う決意を固めてしまったらしく、領民の男を片っ端からかき集めている。

 さらに、徴集兵たちの士気を高めるためか、領民に向けて「新たに国王となったスレイン・ハーゼンヴェリアは、領土的野心からウォレンハイト公爵領の併合を目論んでいる」という嘘まで広めているとのことだった。

 公爵領を併合した暁には、スレインは領民たちの財産や、若い女を好き放題に奪い去るつもりでいる。スレインの横暴を防ぐには戦うしかない。そんな話を吹き込まれた公爵領民たちは、急な事態に混乱しながらも素直に徴集されているという。


「まったく、好き放題に言ってくれてるね」


 再び開かれた重臣たちとの話し合いの場で、ブランカより報告を聞いたスレインはため息交じりに言った。

 臣下たちの反応は様々だ。セルゲイは険しい表情で何やら考えている様子で、ジークハルトはまたユリアスへの怒りを顔に滲ませている。ヴィクトルとエレーナはジークハルトほど劇的ではないが、やはりユリアスへの不快感を表情に表している。

 モニカの方を見ると、彼女はいつもと変わらない微笑で顔を固めながら、机の下でそっとスレインの手を握ってくれた。彼女が今この場で、スレインにできる最大限の励ましだ。


「……ウォレンハイト公爵が戦いを挑んでくるのなら仕方ない。ジークハルト」


「はっ!」


 スレインが呼びかけると、ジークハルトはユリアスへの怒りを隠し、いかにも実直な軍人らしい顔になる。


「ウォレンハイト公爵と戦うとして、相手の見込み兵力はどうなるかな?」


「……通常であれば、公爵領の人口で動員可能なのはせいぜい二百人ほどです。しかし、ウォレンハイト公爵も後がないので無理をするでしょう。その倍ほどの数を揃えてくると考えた方がよろしいかと」


 ジークハルトの考察を聞いたスレインは、顎に手を当てて考える。


「勝つこと自体は難しくないね……問題は、今回の相手が異国の軍勢じゃなくて、ハーゼンヴェリア王国の民だってことかな」


 厳密には貴族領の民はそこを支配する貴族家のものだが、それら領民たちも含めてハーゼンヴェリア王国民。ユリアスによって今まさに動員されている公爵領民たちも、スレインにとっては庇護すべき臣民だ。

 同じ王国民同士が殺し合う。そのような事態は避けなければならない。そのような事態になれは臣民たちの間に消えない禍根が残り、王家にとっても汚点となり、何よりスレインが慈愛を注ぐべき臣民たちの命が多く失われてしまう。


「しかし陛下。今より五十年ほど前、私がまだ若かった頃には、王国貴族同士の紛争なども時おり発生しておりました。死者が出るほどの戦いもありました。支配者の利害が衝突し、争いが生まれれば、その争いに民が動員されるのは致し方ないこと。ウォレンハイト公爵との戦いで多少の犠牲が出たとしても、やむを得ないことかと存じます」


 そう言ったのはセルゲイだった。臣民同士の殺し合いを避けたいというスレインの理想に、現実をもって意見するのは王国宰相である彼の義務だ。


「もちろん分かってるよ。死者をまったく出さずに事態を収めるのは不可能かもしれない……だけど、できるだけ犠牲を抑える努力はするべきだ。何か策を考えてみるよ」


 理想を実現しようと足掻くのが国王の義務。庇護すべき民の全員を救うのが難しいのであれば、一人でも多く救おうと奮闘しなければならない。先の帝国との戦いを教訓にして、スレインが自らに誓ったことだった。


「とりあえず、今はウォレンハイト公爵領をこのまま監視して、あっちの軍勢がいつ頃動き出すか様子を見よう。それと並行して、こっちも軍を動かす準備をしよう。最低でも公爵家の軍勢を上回る兵力を揃えることはできるかな?」


「問題ございません。直ちに行動を開始しましょう」


 スレインの問いかけに、ジークハルトが即座に答える。


「陛下。ウォレンハイト公爵が領内でばら撒いた、陛下を中傷する噂についても対処が必要かと。噂が周辺の貴族領に波及すれば、良からぬ影響を及ぶすかもしれません。ここはエステルグレーン卿に情報操作をさせましょう」


 セルゲイの進言を受けて、スレインはしばし考え、頷く。


「そうだね、それがいい。エレーナ。頼めるかな?」


「もちろんです。情報操作でウォレンハイト公爵家に遅れをとるようなことは、万が一にもあり得ません。ご心配なく」


 エレーナは余裕のある笑みを浮かべて頷いた。外務長官は周辺諸国との外交だけでなく、国内外での情報収集や、逆に情報を操作することも務めとしている。


「ありがとう、頼んだよ。あとは……ウォレンハイト公爵が挙兵するのに合わせて、ガレド大帝国がまた攻め込んでくる心配はないのかな?」


「……可能性としては低いでしょう。フロレンツ皇子は真正面からの侵攻に失敗し、今はこちらにロイシュナー街道の出口を塞がれてしまったからこそ、ウォレンハイト公爵を使って陛下を暗殺しようとしたのです。公爵が失敗し、陛下がご健在である今、再侵攻に踏み切る利点がフロレンツ皇子にはありません」


「東部国境からの定期報告を見ても、心配はないかと。帝国の要塞に兵が集結している予兆はありません。前回のように騎兵で急襲をかけてこられても、こちらも砦があるので押し止めることが可能です。帝国もそれは分かっているはずなので、今から無理をして攻めてくることはないでしょう……それ以前に、フロレンツ皇子がウォレンハイト公爵の尻拭いをする義理もないかと」


 スレインの問いかけに、セルゲイとジークハルトが答えた。

 これからユリアスが挙兵して攻めてくるとしても、それはユリアス個人が生き永らえるための悪あがき。ユリアスがスレインに勝てる見込みが薄い以上、フロレンツ皇子がユリアスに同調して準備不足のまま再侵攻をするとは考えられない。

 側近二人の考察にスレインも納得して、ひとまず安堵する。


「よかった。それならウォレンハイト公爵との決戦に注力できるね……じゃあ、今日はひとまず会議を終わろうか」


・・・・・・・


 当面の動きが決まり、一同は解散。スレインは会議室を後にして、モニカと共に執務室へ戻る。

 部屋に入り、モニカが扉を閉めてから――スレインは深いため息を吐き、椅子にどかりと座り込んだ。


「どうぞ、スレイン様」


 手早くハーブ茶を淹れたモニカが、優しい表情でカップをスレインに差し出す。


「ありがとう……まったく。国王になってからも楽にはいかないね」


 スレインは苦笑しながらカップに口をつけた。

 昨年、スレインは堂々の戴冠を経てこの国の王となったが、即位してめでたしめでたしと済ませられるのはお伽噺の世界だけ。本来はここからが、長く、忙しく、責任重大でときに辛い、国王としての人生の始まりだ。

 それは分かっていたが、まさか年明け早々に、王家の親戚であるウォレンハイト公爵家と戦うことになるとは思ってもみなかった。


「……このようなことになり、スレイン様がどれほど御心を苦しめられているかを思うと、私も心が痛みます。スレイン様にこのような苦しみをもたらしたウォレンハイト公爵は許せません」


 副官の任に努めていた先ほどまでとは違い、感情を露わにするモニカに、スレインは微笑む。


「そうだね。ウォレンハイト公爵が王家を裏切ったこと自体もだけど……彼に動員されて、嘘を吹き込まれて、戦わされようとしている公爵領民たちが気の毒だ。それが一番辛いよ」


 ユリアスが王家を裏切ったのは彼の勝手だ。ウォレンハイト公爵家に仕える臣下たちも、主君の行動に納得しているならそれでいい。王は裏切られるリスクを抱えながら貴族を従え、貴族は失敗のリスクを承知の上でときに王を裏切る。世の王侯貴族はそうして歴史を築いてきた。

 ユリアスがスレインの暗殺を試みたことは、逆を言えばユリアスを自分に服従させ続けられなかったスレインの責任でもある。然るべき対処はするが、スレイン個人としては殺されかけたことをさほど恨んでもいない。

 しかし、無関係の民が王家と公爵家の戦いに巻き込まれ、血を流すのは駄目だ。もちろん歴史を見れば多くの戦争は支配者個人の都合で行われているが、自分が治める国でそれは許さない。

 ユリアスが保身のためにハーゼンヴェリア王国そのものを帝国に明け渡そうとし、そのための戦いに公爵領民が徴集され、王である自分がその徴集兵たちを殺戮するなど。許容できない。

 スレインは俯いてため息を吐き、顔を上げる。心配そうな顔でこちらを見ているモニカと目が合うと、彼女に甘えたい欲求が急に湧いてくる。さすがに少し、心が疲れていた。


「……モニカ」


 スレインは幼い声でそう言って、モニカに向けて手を広げる。モニカはスレインの望みをすぐに察して、スレインのもとに歩み寄り、スレインを包むように抱き締める。


「あぁ、スレイン様……私がこうすることで少しでも癒して差し上げられるなら、いつまででもこうしています」


 モニカの体温と柔らかさ、甘い匂いを感じながら、スレインは安らぎに包まれる。彼女に抱き締められ、彼女の胸に頭を預けているだけで、緊張が解きほぐれていく。


「……」


 嘆いているだけでは、弱音を吐いているだけでは駄目だ。スレインは少し疲れのとれた内心で、自分自身に向けて言った。

 どうにかして、できる限り犠牲が出ないかたちでの勝利を目指す。スレインはその決意を実現するための方法を、早くも考え始めていた。

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