第46話 騒動

 サレスタキア大陸西部において、最も気温が下がるのは十二月と一月。二月に入ると、空気は暖かくなる兆しを見せ始める。雪が降ることもなくなり、少しずつ都市や村落間の移動も再開されていく。

 この時期になると、ハーゼンヴェリア王国の各地を治める領主貴族は、王家に新年の挨拶を行うために王都へと参上する。

 この際、領主貴族たちは王家への貢ぎ物を持参する。彼らは王国に対して軍役以外の義務はないが、こうした貢ぎ物は事実上の納税と捉えられており、それなりの品をそれなりの量、差し出すことが求められる。

 どの程度の貢ぎ物が妥当かは王国のこれまでの歴史で目安が決まっていて、極端に質や量を落とせば、それは王家への反抗と見なされる。

 例として、この王暦七十八年には、西の国境を守るアガロフ伯爵家からは二十本の剣と二十本の槍、そして領内で作られた上質なワインが貢がれた。他にも各領主貴族から、武器、陶器、布、家畜、嗜好品などが貢がれた。

 先のガレド大帝国との戦いでスレインの才覚を間近に見た東部貴族たちは例年よりやや豪華な、西部の貴族たちも無難な内容の貢ぎ物を王家に差し出しており、特に問題はなかった。

 先の戦いによる消耗の激しいクロンヘイム伯爵家は、現在はむしろ王家から復興支援を受ける立場であるため、今年は貢ぎ物を免除されている。


 こうして、領主貴族たちによる新年の挨拶は何事もなく進み、二月も中旬にさしかかった頃。最後に挨拶に来たのはウォレンハイト公爵――当人ではなく、その遣いだった。

 副官のモニカと助言役のセルゲイ、警護責任者のヴィクトルを傍らに控えさせて玉座に座るスレインに、公爵家の遣いは片膝をついて頭を下げる。


「スレイン・ハーゼンヴェリア国王陛下。我が主ユリアス・ウォレンハイト公爵閣下のお言葉として、陛下に新年のご挨拶を申し上げます」


「参上ご苦労。ウォレンハイト公爵の挨拶の言葉、確かに受け取った。顔を上げてくれ……公爵と直接顔を合わせられなかったのは残念だ。彼の体調はどうかな?」


 新年の挨拶は原則として領主貴族家の当主が自ら参上することになっているが、当主が高齢であったり病気であったりする場合は、その子弟や家臣が代理となることを許される。

 体調不良を訴え、未だ独身であるために公爵家の騎士を遣いとして送り込んできたユリアスの体調を、スレインは穏やかな口調で尋ねる。


「はっ。ウォレンハイト閣下は今月の初頭より続いていた熱や腹痛も落ち着き、後は体力さえ回復すれば問題ないだろうと、医者に言われております。閣下ご自身がこの場への参上を強く望んでおられましたが、体力の回復を待っていると陛下をお待たせし過ぎるために、やむを得ずこのようなかたちでのご挨拶と相成りました」


 片膝をついた姿勢のままで顔を上げた公爵家の遣いは、無表情でそう語った。


「そうか。ウォレンハイト卿の一日も早い回復を願っている。近いうちに、直接顔を合わせて話したいものだね」


「陛下よりそのようにお言葉を賜ったと、ウォレンハイト閣下に間違いなくお伝えいたします」


 スレインは口ではこう語ったが、内心では少しほっとしていた。公爵領にいるユリアスも、おそらくは同じように思っていることだろう。

 ユリアスとスレインは一応は親戚であるが、直接の血縁関係は他人同然に薄い。昨年までは互いの存在も知らず、育ちもまるで違うため、互いに相手を少し苦手に感じている。

 将来的にはスレインとユリアスの子供同士を結婚させて強い縁戚関係を復活させなければならないが、今のところはそれぞれの身分を頼りに表面的な関係を維持する仲だ。

 ユリアスが本当に体調不良なのかも怪しいが、スレインはあえて何も追求しない。


「それでは国王陛下。これよりウォレンハイト公爵家からの貢ぎ物をお見せしたく存じます」


「分かった、頼む」


 スレインの許可を受けて、公爵家の遣いは後ろを向く。自身の後ろに待機させていた、非武装の公爵領軍兵士たちに手振りで指図をする。

 四人いる公爵領軍兵士たちは、公爵家の家紋が刻まれた大きな箱を担いで前に進み出る。公爵家の遣いが箱の蓋を開くと、中には乾燥させたハーブを収めた壺があった。お茶ではなく、料理の香辛料として使う類のハーブだ。

 公爵家の遣いはハーブの入った壺を箱から取り出し――そこで、事態が急変する。

 スレインの傍らで剣を抜く音が聞こえたかと思うと、剣を構えたモニカがスレインを庇うように飛び出し、同じく剣を構えたヴィクトルが公爵家の遣いに迫る。

 一方で、目の前では公爵家の遣いが壺の中に片手を突っ込んでいた。中から何かを取り出し、壺の方は床に投げ捨てる。

 戦いは一瞬だった。壺から取り出した何かを構えながらスレインに突進しようとした公爵家の遣いは、スレインの目では捉えられないほど速いヴィクトルの剣によって斬り伏せられる。

 その頃には、謁見の間の壁際に控えていた近衛兵たちも動いている。箱に積まれた壺から何かを取り出した公爵領軍兵士たちに、抜剣した近衛兵たちが迫る。

 四人の公爵領軍兵士は、僅か数秒のうちに二人が斬り殺され、残る二人は生きたまま取り押さえられた。

 彼らがハーブの壺から取り出した、今は地面に転がっているものをよく見ると、それは小さな刃物だった。


「陛下! お怪我は!?」


「……僕は大丈夫だよ」


 こちらを振り返ったモニカに顔や首、身体を確認されながら、スレインは呆然として答えた。

 恐怖で震えるということはない。国王にもなれば暗殺を試みられる可能性があることは理解しているし、ガレド大帝国との戦いを決意したあの日から死は恐れていない。

 それに、自分にはモニカやヴィクトル、近衛兵団という優秀な護衛がついている。実際、今回は彼らが迅速に動いてくれたおかげで、危機的な状況には至らなかった。

 しかし、それでも驚くものは驚く。今は近しい血縁が切れているとはいえ、まさか公爵家の人間から殺されそうになるとは思っていなかった。

 スレインの隣では、老獪な王国宰相として肝が据わっているセルゲイも、さすがに少し驚いた表情を見せている。


「えー……っと、こういうときは、次はどうすればいいのかな」


 予想外の事態に未だ戸惑いを抱えているスレインは、生け捕られた公爵領軍兵士の二人を見ながら呟いた。二人は後ろ手に拘束され、自死を防ぐために口には布で猿轡をされている。


「……ひとまず場所を移し、今後の公爵家への対応を話し合うべきでしょう。フォーゲル卿とエステルグレーン卿も呼びましょう」


「この者たちはひとまず地下牢に移し、王宮魔導士の心理魔法使いによって尋問を行うべきかと。また、念のため非番の近衛兵を招集して王城の警備を強化し、ウォレンハイト公爵が他に行動を起こしていないか偵察も行った方がよいと考えます」


 セルゲイとヴィクトルそれぞれの進言を聞き、スレインはしばし考えて頷いた。


「分かった。ひとまず会議室に移ろう。ジークハルトとエレーナも呼ぼう……それと、鷹のヴェロニカをウォレンハイト公爵領の方に飛ばして、公爵が何か行動を起こしていないか確認してもらおう。捕らえた二人の尋問と王城の警備強化については、ヴィクトルに任せる」


 すぐに決断し、指示を出したスレインは、モニカとセルゲイ、さらに警護の近衛兵三人に囲まれながら会議室へと向かった。

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