第42話 ルチルクォーツの戴冠

 当初、十月の上旬を予定していたスレインの戴冠式は、戦争の影響もあって十月下旬へと変更された。

 周辺諸国にその旨が伝えられた際、苦情などは一件も来なかった。各国もまた、大陸西部の平穏が崩れた非常事態の中、自国の備えをするのに忙しいのだろうと臣下たちが語った。

 スレインはフロレンツにも戴冠式の招待状を送った。皮肉であり、休戦や終戦の可能性があるのならそこへ向けた歩み寄りでもあった。フロレンツの返答はなかった。

 戴冠式までの日々は穏やかだった。やはり帝国が直ちに再侵攻を行う予兆は伺えず、ロイシュナー街道の入り口には強固な防衛線が敷かれた。この街道以外は、エルデシオ山脈という天然の要害が人の行き来を絶対的に阻んでいる。今回のような奇襲は起こり得ない。

 デュボワ伯爵領からの身代金受領と捕虜返還は滞りなく進んでおり、クロンヘイム伯爵領の復興計画も、既に動き始めた。

 そして、ジャガイモの収穫も無事に叶った。

 これで終わりではない。今後は連作障害や、他の作物との輪作の兼ね合いなどを調べながら、少しずつ王都周辺の農地で栽培を進めることになる。しかし、ひとまずこの収穫によって、スレインは戴冠前に内政の面でも明確な成果を挙げたこととなった。

 スレイン自身の内面も安定していた。危機を経て、次期国王として才能を完全に開花させ、自身の心を支えてくれる存在――以前とは関係の変わったモニカもいる。今のスレインに、恐れるものはなかった。

 そんな完璧な状態で、スレインは戴冠式の当日を迎えた。


・・・・・・・


 荘厳。そう呼ぶべき空間が、王都中央教会の聖堂に形作られていた。石造りの聖堂は、窓を飾るステンドグラス越しに降り注ぐ陽光に満たされ、幻想的に輝いている。

 そこに集った人数は国葬のときよりも多い。

 大陸西部に並ぶ二十二の小国全てから、代表者が集まった。そのうち国王が直々に来訪したのは十か国だった。

 国葬の際は国王が来訪したが、帝国の侵攻を受けたハーゼンヴェリア王国はもはや安全でないと判断されたのか、今回は使節を送ってきただけの国もある。

 逆に、周辺諸国の予想に反して帝国の侵攻軍に勝利を収め、国を守り抜いて見せた平民上がりの新国王とはどのような人物なのか興味を持ったのか、国葬の際は使節を送って済ませたのに今回は国王が直々に来訪した国もある。

 各国の代表者が並ぶ列の、スレインに最も近い位置は、オスヴァルド・イグナトフ国王の立ち位置とされた。先の戦いで唯一、援軍として参戦してくれた彼への敬意だった。

 そして、ハーゼンヴェリア王国の全ての貴族領から、当主が出席している。

 彼らが並ぶ列の、リヒャルト・クロンヘイム伯爵の隣には一人分の空白がある。その命をもって猶予を稼ぎ、王国を救ったエーベルハルト・クロンヘイムに捧げられた場所だ。スレインの戴冠後、エーベルハルトには名誉侯爵の称号が贈られる予定となっている。

 また、この場には平民も多くいる。

 ベンヤミンをはじめとした大商人や、王家と繋がりの深い高名な職人たち、先の戦いで活躍した水魔法使いの代表者たち。そうした重要人物だけではない。国内各地から選ばれた、平凡な臣民も数十人がいる。

 彼らは新たな王の誕生を目撃する庶民層の代表者として、完全に無作為に選ばれた。式典の場で長時間静かにしていられるか程度の確認と選別はなされたが。

 その中で一人だけ、スレインが直接指名して加えさせた出席者がエルヴィンだ。これまでスレインの友であり、これからも友である彼には、自分の戴冠を見届けてほしかった。

 さらに、当然ながらスレインの直臣たる法衣貴族たちもいる。他の出席者たちはスレインから見て後方に並んでいるが、法衣貴族たちはスレインの側方に並んでいる。

 国境防衛の指揮官を不在にはできないので、唯一イェスタフ・ルーストレーム子爵だけはこの場にいない。戴冠式の日時は伝えられているので、彼もおそらく今頃は王都の方を向いて、他の法衣貴族たちと同じように姿勢を正している。

 本来、この戴冠式に出席できるのは各貴族家の当主とその伴侶のみだが、一貴族子女に過ぎないモニカも、スレインの副官として法衣貴族の末席に立つことを許されていた。

 様々な立場の出席者が見守る前で、スレインは神の祝福を授けられる。


「――神は我らの父、そして我らの母である。その御目はいついかなる時もこの地を見守り、その御心はいついかなる時も人々を愛する。唯一絶対の神は今日、ここに平伏する者をこの地の守護者として選び――」


 聖職者の言葉は不思議だと、信徒の礼をとりながらスレインは思う。

 聖句を唱える声は、確かにアルトゥール司教のもの。しかし、無私の心で唱えられる声が、石造りの聖堂の中で複雑に反響すると、それは古から受け継がれてきた信仰の声なのだと、神の教えを脈々と受け継いできた歴史そのものの声なのだと思えてくる。

 だからこそ、教会が政治的な力を失って久しい今でも、人々は神の名のもとに儀式を行うことを望むのだろう。その社会の営みに権威と格式を得るために。


「――よって、この者こそがハーゼンヴェリア王国の新たな王である。ここに存在する王冠こそがその証。今ここで、この者の頭上に王冠を授ける」


 聖句を唱え終わったアルトゥール司教が、スレインの頭に王冠をそっと載せる。

 銀と黒金による冠の、その各部には見事なルチルクォーツが埋め込まれている。国鳥であるカラスの漆黒と、国石であるルチルクォーツが融合した、ハーゼンヴェリア王国を象徴する王冠だ。


「……スレイン・ハーゼンヴェリア国王陛下。神はあなたと共に」


 神の代弁者としての務めを終えたアルトゥール司教は、王に仕える一人として丁寧な口調で述べると、膝をついて礼をした。

 信徒として祝福と王冠を戴いたスレインは、王として立ち上がる。そしてゆっくりと、静かに振り返る。戴冠式の出席者たちの方を向く。

 艶のある黒髪の、今はその一房が金色に染められている。まるでルチルクォーツのように。この国を象徴する存在になるという、スレインの決意の表れだ。


「国王陛下! 我らが王よ!」


 王国軍将軍ジークハルト・フォーゲル伯爵が力強く声を張り、膝をつく。それに臣下と臣民が一斉に倣う。


「面を上げよ」


 スレインは厳かに言った。少年のように高く、しかし苦難の戦いを乗り越えたことでどこか老成した声に従って、臣下と臣民が顔を上げた。

 この場にいる全員が、スレインの言葉を待った。


「……私には父がいた」


 出席者たちをゆっくりと見回し、スレインは口を開く。


「だが、私は父の顔をよく知らない。間近で会ったことさえない。彼が父であると私が知ったのは、彼が世を去った後だった。それでも彼は、私の父だった。私には彼の血が……ハーゼンヴェリア王家の血が、確かに流れている」


 水を打ったように静まり返った聖堂の中に、スレインの声だけが響く。


「彼は私の父であると同時に、この国の王だった。偉大な王だった。そして、私の母は平民だった。私も平民として育った。私は母のように平民として育ち……今日、父のように王となった」


 スレインは出席者たちに視線を巡らせながら、言葉を紡ぐ。


「私は父と間近で会ったことさえない。それでも、父は私の見えないところから、私を見守っていてくれた。私を愛してくれていた。私は王族として育ったわけではない。それでも、母は私に多くのことを教えてくれた。母の教えがあるからこそ、今の私がある……私は王の息子として、そして同時に民の息子として、今日、ここで王冠を戴いた」


 静まり返った中で、微かに、横から息づかいが聞こえた。

 スレインが視線だけをそちらに向けると、モニカが恍惚とした表情でこちらを見ていた。スレインはごく僅かに、モニカにだけ分かるように、笑みを浮かべた。

 そして再び視線を前に戻す。


「私は王となる。母のように民と共にありながら、父の足跡を追って前へ進む王となる。私はこの国の歴史を受け継ぐ王だ。そして、この国に生きる民の王だ。そんな王としてこの国を、民を守っていく。生涯そうあり続ける……今日ここで戴いたこの王冠が、その証だ」


 語り終えたスレインは、ごく僅かに顔を上げる。中空を見つめ、その顔を皆に示す。

 そのとき。

 スレインの立つその位置と、窓から差し込む太陽の位置と、顔と共に上向いた王冠の、その中心に据えられた一際大きなルチルクォーツの角度が完璧に調和した。太陽の光を捉えたルチルクォーツが幻想的に輝きを増し、聖堂の中を照らした。

 まるで神が、その御許にいるフレードリクとアルマが、スレインの戴冠を祝福したようだった。

 ひとつ、拍手が鳴る。

 モニカの手だった。そのまま二度、三度と拍手が響いた。

 それに続いたのはジークハルトだった。その後もヴィクトルが、エレーナが、ブランカが、ワルターが、そしてセルゲイが続いた。

 やがて、拍手の音が聖堂を満たす。無数の拍手が、新たな王による時代の産声となって響く。



 この日、スレイン・ハーゼンヴェリアは王となった。




★★★★★★★


『ルチルクォーツの戴冠』、ここまでが第一章となります。お読みいただきありがとうございます。


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明日は第一章時点での登場人物紹介と、ちょっとした設定資料を投稿する予定です。

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