第41話 赦し

 王国暦七十七年の十月八日。国境防衛に残った者を除く、ハーゼンヴェリア王家の軍勢が王都ユーゼルハイムへと帰還した。

 三倍を超えるガレド大帝国を相手に、まさかの完全勝利。その報せは既に国内各地に届けられていた。救国の英雄の凱旋を一目見ようと、王都には周辺の都市や村からも臣民が集まった。

 彼らの大歓声を受けながら、スレインたちは大通りを進み、王城へ。門の前で徴募兵たちを解散させて城内に入ると、そこで王太子の帰還を出迎えたのは、王家の臣下と王城の使用人たちだった。その先頭には王国宰相セルゲイがいた。

 臣下と使用人が一斉に礼をする中で、セルゲイはスレインの方へと進み出る。


「スレイン・ハーゼンヴェリア王太子殿下。ご無事でのご帰還、何よりにございます。そして此度の帝国との戦いにおける大勝利を、我ら一同、心よりお慶び申し上げます」


 いつものように鋭く、老齢であることをまったく感じさせない力強い声で言ったセルゲイは――そのままきびきびとした所作で、地面に膝をついた。片膝ではなく、両膝を。


「セルゲイ?」


「殿下、どうか私に謝罪の機会をいただきたく存じます」


 驚くスレインをよそに、セルゲイは切り出す。


「私は今まで、殿下に厳しい態度をとってまいりました。時には多くの臣下が見ている前で、殿下を辛辣な言葉で叱責したことさえありました。それを今、ここで謝罪させていただきたい。殿下は間違いなく、この国の次期国王にふさわしいお方です。この国を守り導く偉大なお方です。臣下の身にあるまじきこれまでの言動、どれほどの言葉を以てしてもお詫びのしようもございません。どのような罰も甘んじてお受けいたします」


 セルゲイはそう語ると、平伏した。臣下と使用人、兵士たちが見ている目の前で、侯爵であり王国宰相である彼が地面に額をつけた。

 その衝撃的な光景を目の前にしたスレインは、理解した。これは自分とセルゲイが経なければならない、必要な過程なのだと。

 スレインの成長にはセルゲイの厳しい言葉が必要だった。スレインを囲み、耳に心地の良い言葉で励ます優しい臣下たちだけでなく、常に辛辣な言動を見せ、容赦なく現実を突きつける臣下もまた必要だった。

 そのような臣下が一人もいなければ、スレインは今ほどの成長はおそらく遂げられなかった。無能な天狗になってふんぞり返っていたとまでは思わないが、きっと自身の能力を実際よりも高く見積もり、今よりも緩やかな努力をして、今よりも未熟な段階でその努力を終えていた。

 そのまま歩み続ければ、きっとどこかで致命的な失敗を犯していた。今回の帝国との戦いでも勝利できていなかったかもしれない。

 今のスレインがあるのは、偏にセルゲイのおかげと言っていい。

 それでも、セルゲイがスレインに酷なほど厳しく当たり、ときに臣下たちの見ている前でスレインに容赦なく恥をかかせた事実は変わらない。

 だからセルゲイは、大勢が見ている前でスレインに平伏している。額を地面につけ、顔を土で汚しながら謝罪している。スレインに与えた以上の恥を自身に課すことで、スレインの貴き身分を、次期国王としての威光を回復させている。


「……王国宰相セルゲイ・ノルデンフェルト侯爵。どうか顔を上げてほしい」


 セルゲイは自身の立場と身分にあるまじき恥をかき、けじめをつけて見せた。彼は経るべき過程を経た。次はスレインの番だ。


「君が僕の成長を願えばこそ、僕にいつも厳しく当たってくれたことは理解している。君が僕を叱り、導いてくれたからこそ、僕はここまで来ることができた。君はハーゼンヴェリア王家が誇る偉大な忠臣だ。その君を罰するはずがない……その逆だ。この国の次期国王として、君に心から感謝する。そして頼む。どうかこれからも、王国宰相として僕を支えてほしい。僕には、この国には、君が必要だ」


 その場にいる者たちにも聞こえるように、スレインは語った。

 スレインの言葉を受けて、セルゲイは表情を動かさず、何も言わなかった。かすかに震えながらしばらく無反応を保った後、立ち上がって静かに礼をする。


「誠にありがたきお言葉です。それではこのセルゲイ、以後も殿下と王家の御為に、そしてこのハーゼンヴェリア王国のために力を尽くしてまいります」


「ありがとう。君の忠節にこれからも期待しているよ……戦いと行軍で僕は少し疲れた。しばらく休息をとってから、今後のことを話し合いたい」


「かしこまりました。それでは殿下、また後ほど」


 兵の解散や隊列の後片づけが始まるのを背に、スレインはセルゲイと別れ、モニカを伴って城館に入る。

 セルゲイはおそらく、今は少し一人になりたいはず。先ほどのスレインの言葉は、彼を気遣ってのものだった。



★★★★★★★


少し短いですが、きりのいい場面なので区切ります。ご了承ください。

そのかわり明日の更新分は少し長いです。

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