第40話 戦後処理
戦場の死体の片づけや敵味方の負傷者の収容、徴集兵から貴族まで、身分や立場ごとに分類した捕虜の管理。その捕虜の扱いに関する敵側の使者との交渉。そして、未だ正式な停戦には至っていない帝国との国境の防衛強化。
それら戦後処理が一段落するまでには、さらに数日を要した。
捕虜の扱いについては、敵側の使者の返答が迅速かつ簡潔だったため、想定よりも時間がかからずに決まった。
まず、最終的に八百十七人に及んだ徴集兵の捕虜たち。デュボワ伯爵家の使者に数日遅れてやって来たフロレンツ第三皇子の使者は、この捕虜たちの無償返還という、あり得ない要求を突きつけてきた。
当然、ハーゼンヴェリア王家はこれを拒否。捕虜返還の交渉は決裂し、徴集兵の捕虜たちは憐れにも異国で奴隷に落とされることが決まった。
一方でデュボワ伯爵家の使者は、貴族や騎士の捕虜は全員がデュボワ伯爵領にとって大切な人間であるため、全員分の常識的な額の身代金を支払うと確約をくれた。
当主が死んで伯爵家の混乱が予想される現在、その縁戚や重臣にあたる爵位持ちの要人はとにかく一刻も早く帰らせたいらしく、そうした捕虜についてはハーゼンヴェリア王家の割高な言い値を即時支払って、そのまま捕虜を引き取っていった。
この伯爵家の使者や、捕虜とした伯爵領軍の要人の話から、帝国による今回の侵攻の事情もある程度見えてきた。
侵攻の首謀者は、宣戦布告書に名前のあった第三皇子フロレンツ・マイヒェルベック・ガレド。彼の野心と承認欲求を満たすための侵攻に、彼を甘やかしている皇帝が許可を出し、戦好きのデュボワ伯爵――当代当主モルガンが領軍を率いて侵攻の実務指揮を担った。
しかし、そのモルガンは戦死し、伯爵領軍は基幹戦力である騎兵部隊から二百人近くの死者と、その同数以上の重傷者を出した。領軍歩兵も数十人が死亡あるいは負傷した。
伯爵領軍の残る戦力は、広大な領内の治安維持と、帝国貴族の義務である東方や北方への出兵に充てなければならない。おまけに次の当主であるモルガンの嫡子は、父親のような戦狂いではない。伯爵家はフロレンツ皇子との関係を一旦清算し、この戦争からは手を引くという。
そのフロレンツは、もともと帝国の宮廷社会での力が強くない。派閥と呼べるほどの派閥も持っておらず、モルガン以外には大侵攻の指揮官にできるような手駒もいない。皇族の中では負け組である皇子の、出だしから躓いた侵略戦争に、今から乗ろうとする帝国貴族はいない。
また、フロレンツはおそらく自由に使える資金も少ないようで、だからこそ千人近い徴集兵の捕虜返還も求めてこなかった。
フロレンツがまた平民から兵を徴集しようとしても、彼にはそれを指揮運用する手段がなければ、維持する資金もない。
現在フロレンツが動かせるのは、千人程度の常備軍一個軍団のみ。これはあくまでも、フロレンツが今の立場を得るとともに皇帝から任された、帝国西端の皇帝直轄領の治安維持要員だ。そのまま丸ごと戦争に使えるわけではない。
皇帝が大規模な援助をフロレンツに行う可能性も、限りなく低いだろうと使者たちは語った。いかに強大な帝国と言えど、国を挙げて東と北と西の三正面作戦を行うほどの余裕はない。
これらの事情から、少なくとも当面は帝国の大規模な再侵攻を心配する必要はない。
ハーゼンヴェリア王国の防衛計画としては、これまで緩衝地帯としていた地域をひとまず王家が直轄で管理することとし、エルデシオ山脈の切れ目となっている谷の西端、ロイシュナー街道のこちら側の入り口に防衛線を築くこととなる。
王国軍を百、クロンヘイム伯爵領をはじめとした東部の各貴族領の領軍兵士を合計で百、王領と東部の各貴族領からかき集めた徴集兵を総勢で三百。ひとまず五百の兵力を張りつけて国境を睨み、野戦陣地を築く。
隘路であるロイシュナー街道の入り口に防衛線を敷けば、帝国は大軍を展開して攻めることができないので、数の不利を補える。もしもこちらの予想が外れてフロレンツが近いうちに再侵攻を試みても、かなりの長期間にわたって守り抜けると見られている。
「ひとまずの防衛指揮官は、このイェスタフに任せようと考えております。彼であれば何も問題はないでしょう」
将軍であるジークハルトは、スレインへの報告の場でそう語った。
「分かった、ジークハルトが言うならそうしよう。イェスタフ、この国の守りは君にかかっている。頼りにしているよ」
「はっ! お任せください、王太子殿下」
鋭い敬礼を見せたイェスタフ・ルーストレーム子爵は、今回の戦争で、要となる水魔法使いたちの指揮という大役を見事務めた。普段はジークハルトの陰に隠れてあまり目立たないが、能力も度胸も兼ね備えた優秀な軍人だ。
「それともう一点、ご報告がございます。国境防衛について、先ほどイグナトフ国王陛下よりご提案をいただきました」
「提案? 一体どんな……いや、せっかくだからイグナトフ陛下から直接聞こう」
スレインは手近にいた近衛兵に命じて、オスヴァルドを呼びに行かせる。間もなくやって来たオスヴァルドは、無表情のままスレインに真っすぐ歩み寄った。
「スレイン・ハーゼンヴェリア王太子。フォーゲル伯爵には先に伝えたが、我がイグナトフ王国より提案がある」
オスヴァルドの提案。それは、イグナトフ王国の兵力を友軍としてハーゼンヴェリア王国の防衛線に駐留させることだった。
イグナトフ王国軍を基幹に、貴族の手勢なども併せたおよそ百人。そのうち半数は騎兵とする。騎兵の少ないハーゼンヴェリア王国としては非常に心強い話だった。
「我が国としても、帝国の軍勢が再び隣国になだれ込んでくるような事態は防ぎたいからな。その程度の兵力を貸すのは構わない……後は、貴殿が私の提案を受け入れるかどうかだ。異国の兵を国内に駐留させるというのは簡単な決断ではないと思うが――」
「願ってもないお話です。ハーゼンヴェリア王家は陛下のご提案を喜んで受け入れます」
笑顔で即答したスレインを前に、オスヴァルドは一瞬固まった。
「……それでいいのか? 我が国が貴国に牙をむく可能性を少しでも考えないのか?」
「論理的に考えて、今そのようなことをしてもイグナトフ王国に利益はないと理解しています。陛下が理性的なお方であることも。そして畏れながら、私は陛下とは既に戦友であると、共に国を並べて帝国の暴挙に立ち向かう友であると信じています」
スレインの言葉を聞いたオスヴァルドは、苦い表情になる。
「私の勘違いでしたでしょうか? もし馴れ馴れしいことを言ってしまったのであれば……」
「……そうは言っていない」
「では、私はやはり陛下の友であると……」
「何度もくり返さなくていい! 否定はしていないだろう」
オスヴァルドはぶっきらぼうに答え、スレインから顔をそむける。
「いいか、私が貴殿を認め、貴国に協力してやるのは、貴殿が逃げずに帝国と戦ったからだ。なおかつ打ち勝ってみせたからだ。多少は見込みがあると、貴殿ならば帝国から国境を守り抜けそうだと考えたから、我が国の利益も鑑みて兵を貸してやるのだ。もし見込み違いだと分かったらすぐに見限って兵を退くからな」
「それも理解しています、陛下。ご期待をかけていただけることに心から感謝します。決して失望はさせません」
スレインは微笑と、落ち着いた声色で答える。その態度にオスヴァルドは鼻白む。
「……ひとまず今の五十騎をそのまま置き、駐留のための兵力百を本国より呼び寄せる。兵士の食事と馬の飼い葉だけ貴国が出せ。それが条件だ」
それだけ言い残し、オスヴァルドはスレインの返事を聞かずにその場を去った。
「優しい人だね」
「確かに仰る通りですが……本人が聞いたら怒るでしょうな」
スレインの呟きにジークハルトが苦笑する。武人であることに強い誇りを持っているオスヴァルドが「優しい人」などという評価を受けて喜ぶとは、誰も思わない。
「それでは殿下。今後ですが、駐留軍を指揮するルーストレーム卿は当面、そして来月の戴冠式の時期までは私とエステルグレーン卿もここへ残ります。国境防衛や帝国との外交はお任せください……殿下はひとまず、王都へとご帰還を。ノルデンフェルト閣下が首を長くして待っておられることでしょう」
ジークハルトはそう言って、この場を締めた。
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