第39話 受容

 大きな天幕の中に、戦死者たちの遺体は丁寧に並べられ、アルトゥール司教によって祈りが捧げられていた。

 これほど細やかな扱いがなされているのは、こちらの損害が極めて少なかったからこそ。ジークハルトからそのように説明を受けながら、スレインは死者たちと対面する。

 天幕に入った瞬間、むせ返るほど濃い血の臭いが、死の臭いが、スレインを包む。

 並んだ遺体はどれも酷く傷ついていた。戦って死んだのだから当然だ。

 ここに来る前にも、同じくらいに傷ついた敵歩兵の死体や、それ以上に酷く損壊した敵騎兵の死体が運ばれていく様を見た。

 しかし、これはわけが違う。ここに並ぶ彼らはスレインが指揮した。彼らはスレインの命令に従って戦った。そして死んだ。

 スレインは死者たち一人ひとりの顔を見る。

 その中に、よく憶えている顔があった。


「……グレゴリー」


 陽気な中隊長は、スレインの命令に従って戦った忠実な騎士は、死んでいた。顔の右半分が叩き割られ、潰れていた。


「近くで見ていた兵士の話によると、追撃の際、まだ若い徴募兵が敵兵の反撃を受けて斬られそうになったのを庇い、刃を食らったそうです。騎士らしい立派な最期だったと言えるでしょう」


「……」


 スレインはジークハルトに答えず、呆然とした表情でグレゴリーを見下ろす。

 立派な最期。誇り高き犠牲。国を守って散った英雄。どう言葉を飾っても、その裏には凄惨な死がある。血まみれになり、皮膚が破れ、肉をむき出しにして物言わぬ死体となるのだ。

 勝利へと繋がる玉砕を果たしたエーベルハルト・クロンヘイム伯爵もそうだ。スレインが「忠節と献身を忘れない」などともっともらしい言葉で称えた彼も、血を流し、痛みを感じ、もしかしたら断末魔の叫びさえ上げながら死んだのだ。そんな残酷な瞬間が確かにあったのだ。

 その事実を、見知った者の遺体を前にしてようやく、本当の意味で心の底から思い知った。


「殿下。臣としての分を越えた言葉となるかもしれませんが、進言のお許しを」


「……いいよ。聞かせて」


 ジークハルトの申し出に、スレインは呆然としたまま答えた。


「では、畏れながら申し上げます……スレイン・ハーゼンヴェリア王太子殿下。臣下や兵や民を慈しみ、深く愛そうとなさる殿下のご意向は、為政者のひとつの在り方として、素晴らしいものかと存じます。ですが殿下。臣下とは、兵とは、民とは、死んでいくものです」


 グレゴリーを見下ろしながら、スレインはジークハルトの言葉を受け止める。


「戦争で、災害で、病で、人間は死んでいきます。その事実を踏まえた上で、できる限り多くの者に幸福を与え、国全体に安寧や発展をもたらすのが為政者の役目ではないかと、私個人は考えます。我が主君であり友であったフレードリク殿も、そのように考えていたことでしょう……殿下におかれましても、そのようにお考えになった上で国をお治めすることが、最も悔いの小さい道ではないかと、一臣下として愚考します」


 ジークハルトの進言には、否定しようのない正論と、スレインの内心を察して言葉を選ぶ気遣いが両立されていた。

 最も悔いの小さい道。彼の言う通り、それを選ぶのが最善だ。為政者には、悔いの全くない道などおそらく存在しない。


「君の言う通りだ、ジークハルト。分かってる……理解はしてる。だけど、今は少しだけ時間がほしい」


「もちろんです、殿下。戦後処理は私とエステルグレーン卿が中心となって進めておきますので、今はどうか御心を休める時間をお取りください」


「……ありがとう」


・・・・・・・


 モニカを伴って自分の天幕に戻ったスレインは、天幕の入り口をモニカが閉めた瞬間に、その場に膝をついた。

 分かっている。理解はしている。それでも、死んだ彼らの顔が、グレゴリーの半分潰れた顔が脳裏から離れない。


「……っ!」


 気を緩めた瞬間にこみ上げてきた動揺によって、血の気が引き、身体が震え、息が荒くなる。

 どれほど優れた王でも、庇護下にいる全ての者を救うことなどできない。そんな選択肢は最初からなかった。限られた選択肢の中から、最善と考えたものを選ぶことしかできなかった。

 だから自分は、ガレド大帝国の侵攻軍と戦う道を選んだ。その結果、死者が出た。彼らはスレインの選択によって死んだ。予想していなかったはずがない。自分は犠牲が出ることを理解した上でこの道を選んだのだ。

 理解していた結果を前に衝撃を受けてどうする。動揺してどうする。勝利の高揚感に包まれて、出ると分かっていた犠牲の存在を無意識に頭から追い出していたなどと、そんな甘ったれた言い訳は、たとえ内心だけであってもしてはならない。

 どうあがいても犠牲が出ると分かった上で選択をするのが王だ。自分はこれからも幾度となく選択をするのだ。その先に犠牲が生まれると分かった上で選択をするのだ。

 これも王になるために乗り越えるべき壁だ。

 受け入れろ。受け入れろ。受け入れろ。

 必死に呼吸を落ち着けようと、震えを抑えようとしながら、スレインは自分に言い聞かせる。

 爪が食い込んで血が滲むほど強く握りしめたスレインのその手を――そっと、優しく包んだのはモニカの手だった。


「……殿下。スレイン殿下」


 囁くように呼びかけられたスレインが振り返ると、モニカに抱き締められる。


「私は殿下をずっとお傍で見てきました。殿下がこの国のために、この国に生きる者のために懸命に努力を重ねて、悩みながら歩んでこられたことを、私は誰よりも知っているつもりです……これからも、殿下の歩みを誰よりも近くで見ていくつもりです。誰よりもお傍で殿下をお支えしたいと思っています……なのでどうか、」


 モニカは声を震わせながら、より一層強くスレインを抱き締める。


「どうか、殿下の苦しみを一緒に抱えさせてください。私などでは大した支えにはなれないかもしれません。ですが、どうか、殿下の苦しみの僅かな一片だけでも一緒に背負わせてください。少しでも殿下のお気持ちを楽にできるのであれば、私は何でもいたします……それが私の、この世で唯一の望みです」


 そう言って、モニカはスレインと目を合わせる。

 吐息が届くほど近い距離でスレインが見たモニカの目は潤み、その顔には憐憫と情愛と決意が混ざり合ったような、複雑で熱い感情が浮かんでいた。

 縋りたい。一人で抱えるにはあまりにも重い。目の前の彼女に縋りたい。彼女になら安心して縋れる。自分が王太子になった日から今日まで、最も近くで常に支えてくれた、その献身をもって絶対の忠誠を示してくれた彼女になら。


「……モニカ」


 そう思いながらスレインが彼女の名を呼ぶ声は、ひどく弱々しく、幼いものになった。


「あぁ、殿下……」


 モニカは感極まった声でスレインを呼び、片手をスレインの頬に添え、もう片方の手では尚も強くスレインを抱く。

 顔を寄せてきたモニカと、スレインは口づけを交わした。

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