第38話 勝利の後

 三倍を超える侵略者の軍勢に見事大勝した、その日の午後。ハーゼンヴェリア王国の軍勢は、戦いの後処理に追われていた。

 作業の大半を占めるのは、およそ千人に及ぶ敵歩兵の死体の片付け。そして、死者とほぼ同数に及ぶ敵の負傷者の手当てや捕縛。

 季節は秋とはいえ、大量の死体を放置することはできない。徴募兵のみならず、クロンヘイム伯爵領の領都トーリエの住民たちも動員して大きな穴が掘られ、そこで火が熾され、死体が投げ込まれていく。死者の魂がこの世に取り残されて呪いを生むことがないよう、常に数人の聖職者が付いて祈りを捧げる。

 敵の負傷者のうち助かる見込みのない者には、情けの一撃が加えられる。それ以外の者には簡単な手当てが施され、逃走防止のために数人ずつ足を縄で結ばれていく。帝国が金を払って引き取らなければ、彼らの運命は奴隷化。ハーゼンヴェリア王国には奴隷制度がないため、制度のある他国に売り払われる。

 そうした扱いを受けるのは、徴集兵から正規軍歩兵まで。騎士以上の身分の者は雑兵とは分けられ、一人ずつ名前を控えた上で個別に管理される。できる限りの治療を施され、手足は拘束されるものの、寒さをしのげる天幕や汚れていない毛布などを用意される。

 ほとんどの場合、騎士や貴族はその家族から多額の身代金が支払われ、敵国に返還する。彼らは言わば歩く戦利品。できるだけ生きていてもらわなければ困る存在だ。

 捕虜にした騎士と貴族の管理が一段落したところで、スレインは将軍ジークハルトと外務長官エレーナから現状の報告を受ける。


「捕らえた敵騎兵は全員が騎士、あるいは貴族だったようです。投降者と負傷者を合わせた生き残りが三百二十八人。そのうち領主貴族や傭兵が捕縛した者を除いた、王家の取り分が二百八十一人でした……相当な額の身代金が期待できますね」


「相場だと一人頭が最低でも五万スローナ、爵位持ちなら二十万スローナは下らないとして……合計で二千万スローナは超えるかな。あはは、もの凄い大金だね」


 捕虜の返還交渉の準備を進めるエレーナの報告に、スレインは思わず苦笑する。

 敵の生き残りが国境まで逃げ帰ってから間もなく、交渉のための使者が単騎でやって来た。使者はガレド大帝国ではなくデュボワ伯爵家の代表としてやって来たようで、伯爵家の抱える騎士や、伯爵家に従属してこの戦いに参加した下級貴族などの返還を求めてきた。

 使者は捕虜の返還と引き換えに常識的な額の身代金を支払うと明言し、一刻も早く帰らせたい何人かの重要人物を引き取るためにある程度の現金まで用意していた。

 戦争は勝てば儲かる。とはいえ、数百人の騎士と貴族を生け捕りにするというのは、大陸の歴史を見てもなかなか例のない大戦果だ。


「それに加えて、捕虜から奪った武器や防具などの売却金も入りますからね。ベンヤミンさんから後ほど見積もりの報告があると思いますが、そちらも最低でも一千万スローナは期待できると思いますよ」


「そうか、戦利品だけでもそんなに……被害を負ったクロンヘイム伯爵領に十分な支援をした上で、国境の防衛力を強化する資金まで用立てられそうだね。よかった」


 微笑を返しながらエレーナが語るのを聞いて、スレインは安堵する。

 合計で三千万スローナを超える資金があれば、前当主を失った上に領内を手ひどく荒らされたクロンヘイム伯爵家への見舞い金、復興支援のための資材や人手の手配、国境に一定数の兵力を常駐させるための費用を差し引いてもお釣りがくる。


「それと、もう一つご報告が。デュボワ伯爵家の使者に確認したところ、侵攻軍が拉致したクロンヘイム伯爵領民は、およそ三百人いるとのことです。リヒャルト・クロンヘイム伯爵に領内の状況を確認してもらえば後々真偽は分かりますが、おそらく使者も嘘はついていないでしょう……こちらが捕虜にした騎士一人につき、三十人の割合で交換したいとのことでした」


 西への避難や領都への退避が間に合わなかったクロンヘイム伯爵領民の中には、奴隷化するためにガレド大帝国へと連れ去られた者もいる。小国であるハーゼンヴェリア王国にとって、三百人の民は絶対に見捨てられない存在だった。


「騎士一人と領民三十人……妥当な割合なのかな?」


「領民には労働力として価値の低い子供や老人も含まれますので、むしろこちらにとって割りの良い条件かと思います」


「……分かった。それならこっちも文句はない。領民との交換には、王家で獲得した捕虜を差し出そう」


「よろしいのですか? クロンヘイム伯爵領の領民なので、クロンヘイム伯爵家に対価を出させるのが一般的な対応となりますが」


 少し驚いた様子のエレーナに、スレインは頷く。


「今回、クロンヘイム伯爵家には多大な苦労をさせたからね。騎士の捕虜十人程度と引き換えに王家の慈悲深さや器量の大きさを見せられるのなら、安いものだよ」


「なるほど、かしこまりました。では、クロンヘイム卿にそう伝えておきましょう」


 スレインの意図を聞いたエレーナは、微笑を浮かべながら答えた。


「私からはまず、敵将デュボワ伯爵の遺体についてです。敵の馬と騎兵が重なり合った死体の山の中から、遺体は無事に発見いたしました。原型は留めていませんでしたが、伯爵の側近だったという捕虜に確認させたところ、鎧や兜は伯爵のもので間違いないとのこと。伯爵の遺体は個別で火葬し、遺灰を骨壺に収めました」


「そうか、分かった。遺灰は捕虜返還に合わせてデュボワ伯爵家に返せばいいのかな?」


「はっ。それが一般的な対応となります」


 生きている捕虜の返還は身代金との引き換えとなるが、遺体や遺灰は敵側の代表者が引き取りにさえ来れば、無償で返還するのが常識。刃を交えた者同士の礼儀とされている。

 今回はスレインもその礼儀に倣う。そうしなければ逆の立場になったときにどんな扱いをされるか分からない上に、敵将の遺灰を粗雑に扱った蛮人だという噂が広まれば、周辺国との今後の外交にも支障が出る。

 おまけに敵将デュボワ伯爵は、自軍に突撃を仕掛けて玉砕したエーベルハルトの遺体を、攻城戦の開始前に領都トーリエに返還している。その後はクロンヘイム伯爵家が当主を火葬する時間をとれるようにと、三時間ほど攻勢開始を待ったという。

 デュボワ伯爵の遺灰を丁重に返すのは、王国貴族の遺体を丁重に扱ってもらった借りを返すことにも繋がる。


「それじゃあ、それで手配を頼むよ」


「かしこまりました」


「敵側の使者にもそのように伝えておきます」


 スレインの判断に、ジークハルトとエレーナはそれぞれ答えた。


「そしてもう一点、我が軍の損害についてもご報告を……まず、友軍であるイグナトフ王国軍はほぼ無傷です。軽傷者が数人のみ。さすがは軍事強国の精鋭と言うべきでしょう。次に、ハーゼンヴェリア王国の兵ですが、重傷を負った者はおよそ四十人。そして死者は二十一人でした」


「……死者、二十一人」


 呆けた表情でくり返したスレインに、ジークハルトは頷く。


「はっ。王国軍が八人、各貴族領からの兵士が六人、傭兵が一人、徴募兵が六人です。敵が強大であったことを考えると、驚くほどに小さな損害で済んだと言えるでしょう」


 損害。死者二十一人。全軍の五十分の一以下。三倍の敵と戦ったことを考えれば、確かに驚くほどに小さな損害だ。

 しかし、損害は出た。当たり前だ。数千の人間が戦った戦争だ。いくら完璧に近い勝利を掴んだとはいえ、こちらの死者が皆無なわけがない。

 それは理解していた。理解できていないはずがなかった。それでもこうして聞かされると、衝撃を受けずにはいられなかった。

 今になって考えれば、戦いが終わってからのこの数時間、そのことに思い至らなかったのが異常だ。もしかしたら、無意識のうちに考えることを拒否していたのかもしれない。


「こちらの死者は、身元を確認するために敵兵の死体とは別で安置してあります……遺体をご覧になりますか?」


 スレインの内心の動揺を察したらしいジークハルトは、表情を変えずにそう言った。

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